天与呪縛がダンジョンに潜るのは間違っているだろうか 作:ウッウ
手元の紙の端を無意識に指で折り曲げながら、記された数値をなぞる。
「……相変わらず、伸びは悪いな」
―――――――
フシグロ・甚爾
Lv:1
力: I 21 → I 40
耐久: I 15 → I 36
器用: I 12 → I 28
敏捷: I 9 → I 35
魔力: I 0
≪魔法≫
【】
≪スキル≫
【
・早熟する。
・誰かを想い続ける限り効果持続。
・想いの丈により効果向上。
―――――――
「どうしたんだい?そんな浮かない顔をして」
不意に背後から聞きなれた声が聞こえてくる。
俺は振り返らずに、言葉を返す。
「なんでもねぇよ」
「…………君はもう少し素直になったほうがいいと思うよ、ボクは」
ヘスティアは俺の隣にちょこんと座り、じっと覗き込むような視線を向けてきた。
「ステイタスが気になるのかい?」
「…………」
俺は視線を手元の紙に落とす。
――ステイタスの変化。
モンスターを何百、何千と倒そうが、俺のステイタスは微動だにしない。
変化するのは、決まって
(
二度の
白い皮膚、紅い目――
あのミノタウロスと、以前遭遇したインファントドラゴンとの共通点。
偶然――そう呼ぶには不自然すぎる。
俺のステイタスは、まるで何かに選別されているかのように、特定の条件下でのみ変化している。
俺はソファに深く腰掛けたまま、ぼんやりと天井を見上げる。
何かしらの関連があるのは間違いないだろう。
それは、俺の肉体のせいなのか。
それとも、別の理由なのか。
その答えは未だに見えない。
その時――――
温かな感触が、頭を包んだ。
一瞬、何が起こったのか理解できなかった。
柔らかく、それでいて確かな温もりが、俺の髪を優しく押さえている。
思考が断ち切られ、反射的に視線を上げる。
そこには、俺の頭に手をのせるヘスティアの姿があった。
「おい」
俺が軽く眉をひそめると、ヘスティアは口角を上げた。
「トウジ君、君はもっとボクに頼っていいんだぜ?」
青い瞳が、揺れる灯火のように静かに瞬く。
細い指先が俺の髪をなぞり、優しく、ゆっくりと撫でる。
それはまるで俺が拒絶しないことを確かめるかのように、慎重な手つきだった。
ちんまりとした手が、俺の荒れた髪を優しく撫でるたびに、俺の中にある何かが軋む。
何も答えない俺を前に、ヘスティアは言葉を続ける。
「それとも、ボクのことは信用できないかい?」
ふと、ヘスティアの声がわずかに低く落ちる。
そんなことはない。
そう答えるのは簡単なはずだった。
だが、喉の奥に引っかかったように、言葉が出てこない。
ただ沈黙だけが流れる。
それでも、ヘスティアの手はただそこにあり続けた。
まるで俺の答えを待つかのように、わずかに指先に力を込めながら。
「ボクのことも、少しは頼ってくれると嬉しいな」
静かに、けれどまっすぐに届く言葉。
自然と俺の口は動いた。
「………………わぁったよ」
搾り出すように返すと、ヘスティアはぱっと顔を明るくした。
小さな身体に収まりきらないほどの喜びを全身で表現するように、満面の笑顔を浮かべる。
「よし!それじゃ、君の願いを聞かせてくれ!」
突然の宣言に、思わず眉を寄せる。
「は?」
「ほら!ボクはトウジ君に世話になってるだけで、何もしてあげられてないだろう?」
「そうだな」
「うぐっ……手厳しいね……」
ヘスティアは肩を落とすが、すぐに気を取り直し、拳を握る。
「と、とにかく! ボクにできる範囲で、君の助けになりたいんだ!」
ヘスティアの言葉は、どこまでも真っ直ぐだった。
俺はその瞳をまともに見ることができなかった。
とても眩しく見えたからだ。
こんなにも純粋に、誰かのために何かをしようとする奴が、この世界にどれだけいるだろうか。
俺は――――――――
「…………」
「何でも言ってくれ!……いや、何でもは無理だな……いやでも……」
言葉を足すたびに、だんだんと弱気になっていくのがわかる。
その姿が妙におかしくて、俺は鼻を鳴らし、口の端を僅かに持ち上げる。
「……ふっ、いらねぇよ」
「え?」
俺は一瞬だけ目を伏せ、わずかに息をつく。
「十分だ」
「ん? なんて言ったんだい?」
ヘスティアが小さく首を傾げる。
俺はわずかに首を振り、ソファの背にもたれかかった。
「うるせぇ、俺はもう寝る」
そう言って目を閉じると、ヘスティアは少しの間黙っていた。
やがて、小さく息をつく音が聞こえる。
「……そっか」
囁くような声とともに、ヘスティアはそっと俺の隣に寄りかかった。
ふわりとした髪が肩に触れ、小さな温もりが静かに寄り添う。
聞こえるのは、静かな呼吸と、かすかに衣擦れの音だけ。
「おやすみ、トウジ君」
静かな声が、ゆるやかに夜の空気に溶けていく。
俺は目を閉じたまま、肩に伝わる小さな温もりを感じながら、知らず知らずのうちに、力を抜いていた。
―――――――――――――――――――――
翌日、冷たい空気を頬に感じながら、俺はオラリオの石畳を黙々と歩いていた。
いつもの喧騒が広がる街並み。道端では商人たちが威勢のいい声を上げ、冒険者たちが装備の手入れをしながら談笑している。
この光景も、随分と見慣れたもんだ。
「あっ! トウジさん!」
突然、甲高い声が通りに響いた。
足を止め、声のした方へ振り返る。
そこにいたのは、見覚えのある店員。
薄鈍色の髪を揺らしながら、駆け寄ってくるシルの姿があった。
軽やかな足取りで近づき、息を弾ませながら俺を見上げる。
「おはようございます!」
「……おう」
適当に返事を返すと、シルは少し嬉しそうに頷く。
「ところでトウジさん、一つお願いがあるんですけど……」
シルは両手を胸の前で組み、どこか上目遣いで言葉を続けた。
何か嫌な予感がしたが、聞くだけ聞いてみることにする。
「なんだよ」
「お店のお手伝いをしてくれませんか?」
「断る、失せろ」
「即答!」
シルは目を丸くし、頬をぷくっと膨らませる。
まるで駄々をこねる子供みたいな表情だ。
「た、確かに急なお願いかもしれませんけど……でも、今人手が足りなくて、本当に困ってるんです!」
「知るか」
「あの、報酬だってちゃんとお支払いしますし……!」
「いらねぇ」
「えぇっ!? お願いしますよ~仕事がたんまり残ってるんです~!」
シルは困ったように眉を下げ、両手をぶんぶん振りながら訴えかけてくる。
だが、そんなことを言われても知ったことではない。
「そうか、がんばれ」
ひらりと片手を上げて適当に返すと、シルの「えぇぇ~!?」という情けない声が背後で響いた。
俺はそれを無視し、何事もなかったかのように歩き出し―――
ダメだよ
「ッ!!」
突如として、頭の中に響く声。
静かな、優しげな――そして懐かしい声。
思わず足が止まった。
困っている人がいたら、助けてあげて
ぼんやりとした影が脳裏をよぎる。
輪郭の曖昧な姿、薄靄の向こうにある面影。
感触すら掴めないのに、なぜか胸の奥がざらつく
指先が無意識に痙攣し、強く拳を握る。
「……チッ」
苛立つように舌打ちをし、息を吐く。
俺には関係のない話だ。
だが――
「………………わかったよ」
お前がそう言うなら。
「おい」
「はい?」
背後でまだ肩を落としていたシルが、驚いたように顔を上げる。
「気が変わった、手伝ってやる」
シルの瞳が、一瞬ぱちくりと瞬いたあと、ぱあっと明るく輝く。
「えっ……ほ、本当ですか!?」
「二度は言わねぇぞ」
シルは一瞬唖然としたあと、次の瞬間には満面の笑みを浮かべた。
「やった! ありがとうございます、トウジさん!」
嬉しさのあまり、勢いよく俺の腕を取ろうとする。
俺はその手を軽く制しながら、ため息混じりに歩き出した。
―――――――――――――――――――――
冷たい水が手に染みる。
厨房の片隅、俺は黙々と皿を洗っていた。
水音だけが響く狭い空間。湿った空気の中に、微かに油やスープの匂いが混じる。シンクには泡立った水が張られる。
目の前にはまだまだ片付けるべき食器の山。
大皿、小皿、コップにスープボウル――それらが無造作に積み上げられ、まるで俺のやる気を削ぐかのようにそびえ立っている。
洗い終えた皿を水切り台に積み重ねながら、ふと、妙な感覚が胸をよぎる。
――ずいぶん前に、こんなことをした気がする。
皿をこすり、すすぎ、水切り台へと重ねていく。
ただ、それを繰り返す作業。
(……ああ、そうだ)
いつだったか、
霞がかった記憶の奥から、ぼんやりとした情景が浮かび上がる。
どうしてそんなことをしたのか、それは覚えていない。
ただ、あいつの驚いた顔と、ふと綻んだ嬉しそうな表情だけは、今でもはっきりと覚えている。
ふと、水面に映る自分の顔が目に入る。
蒼白な照明に照らされ、波紋に揺れる無表情な顔。
(……なんつー顔してんだか)
苦笑にも似た息を小さく吐いた。
その時、背後に微かな気配を感じる。
ゆっくりと近づいてくる足音。
気配は俺の隣へと滑るように移動し、やがて静かに立ち止まった。
「この量は凶悪だ。手伝いましょう」
低く落ち着いた声が耳に届く。
俺はわずかに視線を向けると、そこにいたのはこの店の店員――エルフの女だった。
確か名前は――――リュー・リオン。
エルフらしく整った顔立ちに、綺麗な碧眼。どこか張り詰めた雰囲気を持ち、あの騒がしい猫人どもとは正反対の静かな存在のように見える。
少し前に
そんなことを考えていると、躊躇なく手を伸ばし、俺と同じように皿を手に取った。
慣れた手つきで泡を絡ませ、皿の汚れを流していく。
「…………おう」
俺は短く返事をしながら、再び作業へと意識を戻す。
水の流れる音が二重になり、静かだった厨房に、二人分の作業音が響き始める。
しばらく無言のまま手を動かしていたが、不意にリューが口を開く。
「……申し訳ありませんでした」
「あ?」
突然の言葉に、俺は手を止めずに横目で見やる。
だが、その表情は変わったように見えない。
「私たちの仕事なのに、あなたの手を煩わせてしまった」
「………………気にすんな」
水を流しながら、俺はぼそりと答えた。
厨房には再び沈黙が走る。
皿を洗いながらも、俺は横目で盗み見る。
その時、俺はあることを思い出す。
――こいつに聞きたいことがあった。
「……あんた、元冒険者だろ?」
手を動かしながら問いかけると、リューの指先がほんのわずかに止まる。
が、すぐに再び皿を手に取った。
「……はい。私は過去、冒険者を名乗っていました。それが何か?」
「やっぱりか」
俺は短く答え、皿を水に沈める。
「気づいていたのですか?」
「見りゃわかる」
動き、視線、佇まい。
戦いを知っている者のそれだ。
「なんでやめたんだ?」
俺の問いに、手がぴたりと止まる。
シンクの水面が揺れ、波紋がゆっくりと広がる。
「……………………」
言葉はなかった。
が、沈黙が何よりも雄弁だった。
普段は凛とした整然とした顔立ちが、わずかに翳る。
その碧眼が、一瞬だけ遠くを見つめるように揺らめいた。
その視線の先には、俺には見えない何かがある。
過去か、後悔か、あるいは――――――
「……いや、忘れろ」
静かに息を吐きながら、そう言った。
リューはほんのわずかに視線を伏せると、再び皿を手に取った。
「……気を遣わせましたね」
「気なんざ遣ってねぇよ」
俺たちは、それ以上何も言わなかった。
水の流れる音が、淡々とした静寂の中で響き続けていた。