上原大輝。芸名、姫川大輝。
国民的と言っても過言ではない人気とカンヌも認めた演技力を併せ持つ日本が誇る演技派俳優で、おれにとって戸籍上の父親だ。
「明日から姫ちゃん映画の撮影でイギリス行くから、2人とも今日は早めに寝かせてあげてね」
「わかった」
「うんっ。だってえいがはさつえいがたいへんってイブきいたことあるから」
「誰に聞いたの?」
「パパ」
おれが生まれたときから、親父は
「あっ、パパまたCM出てるっ!」
「やっぱ家にいるときと全然違うよな親父って」
そもそも親父が家庭を顧みず己の心を殺すかのような勢いで
「そういえばガイアとパパって全然ドラマで一緒にならないよね」
「色々あるんだよ。芸能界っていう世界は」
「キミっていくつだっけ?」
「10」
そして何やかんやでおれが親父と同じ芸能界という世界に飛び込んでから6年と暫し。おれと親父はドラマ・映画はおろかCMも含めて一度たりとも共演していない。無論この芸能界において“親子共演”というものは決して珍しくはない話であるが、おれの場合は事情が事情なだけあって共演するとなれば解決しなければならない問題があまりにも多すぎる。ただでさえあの映画で親父の壮絶な出生が明るみになっているというのに、その子供の片割れが捨て子なわけだから、共演なんてしようものなら面倒くさいでは済まない事態になることは12のおれですらわかるって話だ。
「おれ・・・もう親父から逃げないから」
こんなふうに普通の親子になるにはあまりにも
『認証、完了しました』
自動音声がどこからか聞こえた直後、目の前で鎮座していた木目調のモダンな扉が開いて淡いアイボリーホワイトの灯りに照らされた高級ホテルと見紛うほどに立派なエントランスホールがこの眼に留まる。
「(マジでちゃんといいとこに住んでんな親父・・・)」
ここは親父とイブが3月から住み始めた、上原家から徒歩10分のところにある芸能人御用達と言われる高級マンション。当然ここに足を踏み入れるのは初めてだから、思っていたよりマジでお金に余裕がある人しか住めないガチな高級物件を前におれはいま驚きを隠せないでいる。
まあ一番驚くべきは親父がこんな高級物件に部屋を借りてもなお貯金が有り余っている上原家の懐事情だろと言われてしまったら、何も言えないとして。
「上原ガイア様ですね?」
「あ、はい」
「こちら2511号室の鍵になります」
「えっと、ここが上原大輝の部屋の鍵ってことでいいんですね?」
「はい」
「(仕込みかってくらい早い・・・)」
思っていた以上に立派なエントランスホールに少し戸惑いながら受付に向かうと、コンシェルジュの
「(どうせだったら一言ツッコんでも良かったかもな・・・)」
と、実際に言葉にしたところで黒歴史にしかならないであろうしょうもない後悔を少しだけしながらエレベーターホールへ向かい、おれの存在を認識したセキュリティの箱に乗って部屋がある25階までノンストップで駆け上がる。
「(・・・久しぶりだ。この緊張感)」
ほとんどモーター音を立てずに淡々とスピードを上げながら刻まれていく数字が“25”に近づくほど、段々と気持ちが誤魔化せなくなっていく。ホールで部屋の鍵を受け取ったときは自分の芸能人らしからぬ振る舞いを自虐的に恥じる程度の余裕があったが、上昇した瞬間に現実が一気に襲い掛かってきた。本来ならば親との再会は緊張こそするだろうが喜ばしいのが常識のはずなのに、頭と心の中は緊張の二文字しかない。
「・・・・・・」
21を刻んだところで箱はゆっくりと上昇するスピードを落とし始めて、25を刻んでスンと止まって、これまたほとんど音を立てずに扉が開く。この扉を出たらもう、引き返せない。
「・・・ふっ」
意を決して、おれは扉から出て2511の部屋を目指して
「お前は俺たちの子供じゃないんだよ」
そう告げられた日から今日に至るまで、おれはメッセージも含めて親父と一言も言葉を交わしていない。もしおれがちゃんとした双子として母上の胎の中から生まれていたら。あるいは本当の親が俺を捨てることなく愛情を向けてくれていたらこうはならなかったのだろうかなんて、考えたところで目の前の現実なんて変わりはしない。
「ガイアくんって今は
“不義の子”としてこの世界に生まれてしまった者同士、今更真っ当に幸せな親子になろうだなんて高望みはしない。ただせめて、家族として一度でいいから親父と心を通わせて話をしたい。
「パパのことを庇ってるとかじゃないけど、パパはガイアのことはちっとも悪く思ってないよ」
家族として、親父がずっと抱え続けている
カチッ_
事前に教えられたインターホンの暗証番号を打ち、認証が済んだのを目視で確認してドアノブの鍵を開ける。仕事柄の癖で一瞬ノックをしそうになるも、寸でで留まり籠を開けた静かにそのドアを開ける。
「お疲れ」
玄関のドアを開けて中に入ると、世間が知っている出で立ちが
「お疲れ」
おかえりの代わりとなる言葉に、俺もそのまま返す。互いに約3ヶ月ぶりに顔を合わせたとあってか、言い終えた瞬間に何とも言えない気まずい空気が流れ出す。
「夕飯あるから、食べてけよ」
「おう。ありがとう」
「洗面台はこっから見て右に行ったとこ。んでトイレはそのひとつ奥な」
「わかった。ちょっと手洗いで借りる」
家族と言うにはあまりに淡々としたテンションで洗面台のあるバスルームとトイレの場所を教えられつつ、俺は親父とイブが住む2LDKの部屋にお邪魔して教えられた洗面台で先ずは手を洗う。
「・・・とりあえず、イブが言ってた通り嫌ってる感じはないな」
全自動でついた白い光に照らされた鏡に映る自分が、他人行儀で堅苦しい表情を浮かべながらやや芝居じみたイントネーションで心境を吐く。久しぶりに口を利いた親父の第一印象は、良くも悪くも変わってなさそうだった。一見するとあの日のことをさほど気に留めていないようにも見えれば、親父なりに気を遣っているようにも見える。単純に家族として一緒に顔を合わせる時間が少なかったせいもあるが、やっぱりおれの親父は何を考えているか予想がつかない。
パシャッ_
しかし、これから腹を割って話そうってときにこっちが堅苦しく縮こまっていてどうするって話だ。
「・・・っし」
ひとまずは顔を軽く洗って掛けられていたタオルを拝借して拭い、気持ちだけは切り替えてリビングへと向かう。イブかお手伝いさんが掃除をしているのか、それとも上原家ではほぼ家事は任せっきりだった親父が頑張って綺麗にしたのかはわからないが、部屋の至る所がショールーム並みに埃1つなく掃除が行き届いていることに今更ながら気付く。まあ掃除は低く見積もっても9割9分の確率でイブかお手伝いさんだろうけど。
「掃除めっちゃ行き届いてんじゃん」
「お前が来ると聞いたから、家政婦に頼んでやってもらった」
「そりゃ綺麗なわけだわ」
そう思ってリビングに入りがてら聞いてみたら、やはり案の定だった。考えてみればリモートでイブとビデオ通話しているときは決まって親父は同業との付き合いで留守にしているか、もしくは撮影や稽古終わりで疲れ果ててこのリビングにあるソファーで撃沈しているかみたいな生活を送っているから当然か。
「てか、その料理って親父が作ったの?」
なんてことより気になるのは、テーブルに置かれた夕飯だ。
「イブからは“見た目だけ”って酷評されてるけどな」
「それ今から食べる人の前で言うことじゃなくね?」
「言わないでボロクソ言われるよりは先に言っておいたほうがダメージは減るだろ」
「まだ食ってないおれが言うのも難だけどまず味をどうにかしろよ親父」
「今日のは美味いぞ」
「いま言っても遅いんだって」
母上からよく聞かされていたポンコツな
「マジな話、何があった?」
「まだ詳しくは言えないけどドラマでイタリアンレストランのシェフの役をやることになってな、それで4ヶ月後のクランクインに向けて練習中ってとこさ」
「あ~、それでか」
聞けば制作中のドラマでシェフの役をやるにあたって、今までロクにやって来なかった料理を始めたらしい。どういう風の吹き回しかと思ったが、聞いてみれば何とも親父らしい理由だ。
「てことはイブに代わって料理とか作ったりしてんの?」
「ここ2,3週間だけどな。イタリア料理のときだけ」
「それはまた極端な・・・」
ていうかおれ、さっきから割と普通に親父と話せてるな・・・
「ちゃんとやってんじゃん。
「当たり前だろ。家族だからな」
理由はどうであれ、イブに代わって夕飯を作ってくれるようになったことを褒めると、親父はムスっとしつつ満更でもなさそうな表情で返す。表面上だけを見れば、おれと親父は普通に話せてはいる。だけどやっぱり、些細ながら母上やイブと話しているときとは明らかに違う距離感が、おれといるときには生じている。
「その
それでも、どんな理由があれど、息子として愛してくれなくても、おれにとって親父は
「・・・俺のこと恨んでいるか?」
ここぞと本音をぶつけたおれを見て、キッチンの冷蔵庫を開けようとしていた親父がその手を止めて問いかける。眼鏡の奥にあるイブと同じ色をした瞳は、芝居に全てのステータスを振ってきた男の生き様をこちらに訴える。こういう不器用なところだけは、本当の親子と言えるレベルで似ている・・・というのはさすがに過言か。
「恨んでないよ。親父を恨む理由がないから」
最後に話したあの日の
「・・・そうか」
恨んでいないと答えたおれを一瞥して、親父は少し複雑そうな表情を浮かべて相槌を返し、冷蔵庫からパッと見でワインボトルに見えなくもない翡翠色のボトルを一本取り出してリビングテーブルに置く。
「それは?」
「サンペレグリノ。イタリア料理には御用達の炭酸水らしい」
「一瞬ワインかと思ったわ」
「あー、見えなくはないか。それより炭酸は飲めるか?」
「おう。全然余裕」
親父がおれのことを愛せない理由を知りたいと気を張っていたけれど、自分の気持ちを伝えたあとの親父の表情を見たら、その意気込みは和らいでしまった。また向き合うことを諦めたわけではなく、この1ヶ月であまりに色んなことが次々に起こってつい焦っていたことに気付いた。
「おれさ・・・五反田監督の映画で星野さんと共演することになった・・・それにあたって、週末だけ役作りとして星野さんと一緒に親子になって暮らすことになるかも」
親父がずっと抱えている苦しみがどれほどの深さなのか、おれは知りたい。けれどその苦しみを知るには、ずっと苦しみから逃げ続けていたおれではいまの親父のことをあまりにも知らなさすぎる・・・・・・だから少しずつ、
「2人は何て言ってた?」
「おれに任せるって」
「なら構わない。あいつは知らない仲じゃないし」
「そっか。ありがとう」
母上とイブには既に話している星野さんと一緒に暮らすことについてあっさりと許可を貰い、親父に続いておれはイスに座る。にしてもやけに軽くOKしてくれたなと内心では思ったが、よくよく考えてみれば星野さんは親父からすると腹違いの妹にあたる人でもあるから許すのもさほど不思議ではないのかもしれない。事情が事情なだけに素直には喜べないが。
「この部屋でイブと夕飯食べるときはこんな感じで食べてんの?」
「そうだな。一緒に夕飯食べるときは毎回こんなふうに向かい合って、イブの話を聞いてる」
「どんな話してんの?」
「学校の話が多いな。昼休みのカフェテリアで芸能人の誰かに会ったとか、ダンス部の話とか」
炭酸水を注がれながら、玄関にいたときの気まずさが嘘のような自然な会話がおれと親父の間で流れる。こんなふうに向かい合って親父と1対1で食卓を囲むのも、1対1で話すのも、少なくとも物心がつく前の記憶がないおれにとっては何気に初めてのことだ。
「いただきます」
両手を合わせて、初めて口にする親父の手料理。
「・・・うん。なるほど」
「気は遣わなくていいぞ」
「何だろう。不味いってことはないけど、味がめっちゃ淡白」
「・・・麺に塩入れるの忘れたわ」
「それだ」
「塩持ってくる」
炭酸水で軽く潤したあと、口に運んだ見た目の割に味が薄い親父のパスタ。どうやら麺に塩を入れるのを忘れていたらしく、気付いた親父がキッチンから塩の入った瓶を持ってきて、それを掛ける。
「これならイブも美味しいって言ってくれるんじゃね?」
「そうか」
「にしても、マジで料理できるようになったんだな親父」
「面倒ではあるけど調理している手先だけ違う人にやってもらうのも嫌だからな」
「サラダは普通にいける」
「野菜切って市販のドレッシングかけるだけだしな」
付け焼刃の塩が掛かって、ひとまずギリ美味しいと言えるくらいの代物になった親父の作ったパスタ。高級レストランの料理人と遜色ないレベルで料理が出来る母上の味に舌が慣れてしまったことが、幸せなようなある種の不幸のような。
「おれ、親父のそういう芝居に対してどこまでも真っ直ぐなところ割とマジで尊敬してるんだよね」
「周りからナメられたくないからやってるだけだ」
「姫川大輝のことを甘く見る同業者なんていないでしょ」
「言うようになったなお前も」
「これぐらい言えるくらいの度胸がないと芸能界は生き残れないから」
含みでも何でもなく純粋に尊敬していることを告げると“ナメられたくないからやってるだけ”と雑に答える、いつの間にか料理が出来るようになっていた親父。こうやって面と向かって目を合わせ、母上もイブもいない2人だけの食卓で見た目の割にそこまで美味しくない手料理を食べながら話していると、自分が親父のことをロクに知らないままだということを思い知る。
「学校はどうだ?」
「まあぼちぼち、楽しくやれてるよ」
「芸能コースは普通に学生生活を満喫するってなると難しい部分もあるが、まああれだ。何でも話せる友達は何人か作っておけ」
「親父ってこんなに優しかったっけ?」
「悪いか?」
「いや、こうやって親父と話すことが全然なかったからさ。だからちょっとだけ驚いてる」
今までリモートに一度も出たことのない親父からの、恐らく人生初のアドバイス。この部屋に入る前に感じていた心配が杞憂だったかのように、テンションは淡々としつつも弾む会話。
「もっとちゃんと話すべきだったなって思う。親父と・・・」
それに何だか、
「・・・ガイア」
ポロッと本音が口から出た後、一瞬だけ会話が途切れたタイミングを狙うようにテーブル越しで真正面に座る親父がフォークを置いておれへ呼びかける。
「お前は
表情は変わらずポーカーフェイスを貫いたまま、目の前からこちらを凝視する眼光だけを鋭くして親父が問う。おれの知っている親父は、どちらかというとこっちのほうだ。“あの映画”を観たおれが役者になりたいと言ったときにも見せた、芝居の世界で生き続けてきた男が放つ唯一無二の威厳。
「はい」
答えは一択。あの映画で誰にも踏み込めない光を放っていた人に憧れて
「嘘は・・・ついてないみたいだな」
おれの目をじっと凝視して、親父が呟く。ついさっきまでのローテンションながらも比較的和やかだったリビングの空気は何処かへと吹き飛び、まるで視界の外でカメラが回っているときのような緊迫感が流れる。
「・・・・・・」
そして沈黙。テレビの音もない静寂に負けず、親父の眼を見据えて対峙する。ある意味では悲しいことかもしれないが、おれと親父は無理に家族みたいな距離感で話すよりも、こうやって
「・・・ひとつ教えてやる」
体感10秒ほどの沈黙を破った親父は、そう呟くとおれに小さく笑いかける。やっぱり親父にとってのおれは家族ではなく、同業者だ。
「スターになりたいなら、何が起きても立ち止まるな」
「・・・ありがとうございます」
偉大な先輩が、初めておれに役者としてのアドバイスを送った。
やっとおれは、親父から
ポーン_
「?今の音は?」
「来客だ」
ドラマのワンシーンみたいになっていた空気をぶち壊すように、来客を知らせる音が静かな部屋に響く。
「ひょっとしてウーバーとか呼んだ?」
「いや、ちょっと待ってろ」
芸能人から末っ子に切り替えて来客のことを聞くおれを振り切って、親父は玄関へと若干めんどくさそうな足どりで歩いていく。ウーバーは冗談だとして、こんな半端な時間に一体誰が来たというのだろうか。
「(・・・
虫の知らせとでも言うべきか、何やら嫌な予感みたいなものがよぎる。
「わっ、ガイアくんも来てたんだ」
「・・・星野さん。何で?」
嫌な予感・・・というわけではないが、親父が玄関のほうに向かった時点で星野さんが来そうな気配をおれは感じた。
「俺がこいつに本を貸してたんだよ。で、いまそれを返しに来たってわけさ」
「え?わざわざそのためだけに親父のとこに来たってこと?」
「そゆこと」
でも何で?と思い浮かんだ疑問を代わって答えるかのように、親父がおれに理由を明かす。無論明かされたところで思うのは、“そのためだけに?”っていう新たな疑問だ。まだ数回しか会ってないけれど、親父の腹違いの妹と言えど星野さんの考えていることは全く読めない。
さすがはかつて芸能界で天下を獲ったスターは、常識になんぞに囚われず何から何まで規格外ってこと・・・
「だって私住んでるのここの一番上だから」
「・・・・・・」
は?
「あっ、そうだ。せっかくだから今から私の部屋入ってみる?」
「・・・・・・はぁぁ!?」
状況が整理出来なさすぎて、ここ数年で一番大きな声が出た。
兄妹でありながら実は原作ではたった一度しか言葉を交わしていない大輝とルビー