"ここはゲームの世界なんだ"
ミアレ地方のとある町、ここでは珍しい黒髪黒目の青年は、普段と違って少し真面目そうな様子で、同じく外のベンチに腰掛ける私に話しかけた。
"ここはゲームの世界なんだ"
ミアレ地方のとある町、ここでは珍しい黒髪黒目の青年は、普段と違って少し真面目そうな様子で、同じく外のベンチに腰掛ける私に話しかけた。
彼は不思議な人で、マイナーな伝承や論文でも読んだのではないかというほど特定の分野で深い知識を持ちながら、知っていて当然、と言われるような常識が致命的に欠けていることもある。
とっぴな発言はたまに鋭く興味深い、でも基本はどこか抜けていて子供らしく、バトルはなかなかの実力。
それが彼の特徴だった。
今の発言は決して鋭くはなく、天然で絵空事のような、つい笑ってしまうような方の発言だろう。これまでいろんな話をしたが、その中でもトップクラスに常軌を逸している。
この言葉を間に受けて怯えたり悲しんだりするミアレの人間はいくらかいるかもしれないが、私はそんな少数派ではなかった。
それならもっと面白い世界にしてくれ、と愚痴を吐くと彼は笑い。「そうか、この世界は面白くないか」と感慨深そうに頷く。
だってそうだろう、夜の街はそこらじゅうチンピラまみれで、野生のポケモンだって襲ってくる。
数年感覚でよく知らない伝記に遺された、よく知らないポケモンを使って、よくわからない思想の人たちが世界を脅かそうとする。
もしここが空想の世界なら、もっと平和な世界にしてほしかったと思うのは当然のことだ。
そう毒づくと彼はこちらを見て、「多分それは大丈夫だよ」と笑った。
なぜだかわからないが、その言葉には妙な確信のようなものがあった気がする。
2人でベンチに座りながら感じる秋の風が心地よい。ムックルが店の屋根で羽を休め、暖かそうな服に身を包んだ女性とイーブイが道を歩く、心なしか空を揺蕩うハネッコも気持ちよさそうだ。
私はこの男の話が好きだった。親交が浅い頃は謎めいた発言は少なく、表面上の会話ばかりで、ふと呟いたとしてもそれは皮肉めいた、信じられることを拒むようなジョークのような語り口。
それがだんだんと、まるで本気で思っているかのような雄弁な語り口に変わっていったのは、私との付き合いが深く、友好的なものに変化した証拠のようなものに感じれたからだ。
「それじゃあやっぱり、元の世界には戻りたいのか」
ふと浮かんだ疑問を彼に投げかける。
妄想か現実か、話は定かではないが、少しデリケートな質問かもしれない。一瞬聞かないべきかと思案したが、まぁきっと大丈夫だろうと、私は彼に対する妙な信頼があった。
「わかんない、たぶん準備が整って、あと少しで帰れるって時、答えが出てくると思う」
彼は私が沈黙で返すのを感じると、話を続ける。
「最初はさ、ずっとあの店に引きこもってたんだよ」
あの店、とは彼と私が初めて会った喫茶店のことで、今は足繁く通っている、いわゆる行きつけの店というやつだ。
モーニングセットが少し高いが質が良くボリューミーで、酸っぱいドレッシングのかかったサラダが特にうまい、店の雰囲気も好きだ。
店主の話だと、フラフラと店に水を求めて入ってきた死にかけの彼を店に入れてやり、そのまま身分書の無いのにもかかわらず流れで従業員にしたと言っていたが、あれは法律的に大丈夫だったのだろうか。
彼はさらに語る。
「最初は初めて見るポケモンが怖くて、知り合いなんてこの世界には誰1人いなかった」
「へぇ、ポケモンの1匹すらいないのか」
淡々と、しかし驚きを含ませた相槌を返す。ポケモンがいない世界、それはいったいどんなものなのだろうか。
「形だけなら似たようなのはそこそこいるよ、でもサイコキネシスは使わないし、口からでるほのおで町ひとつを滅ぼしたりはしない」
「ふ〜ん、そりゃ安全だ」
「まぁそうだけど、ポケモンよりコミュニケーションが取りにくくて凶暴なヤツもいるから、一長一短かもね」
話が飛躍しすぎてあまり想像ができない、口からほのおを出さないボーマンダとは、デカいムックルみたいなものなのだろうか。
「でさ、話を戻すとまぁ、家族や友達もいなくてポケモンは怖い、人も怖くて外に出たくなかったんだよ」
「なんで人も怖かったんだ、お前が人間ならこっちのやつらも人間だろ」
ベンチの上で足を組み、彼に顔をずいと寄せる。
「ポケモンを持っているトレーナーが怖いってのもあるけど、1番はここに慣れてしまうのが嫌だったんだ。外に出て、人と関わってこの場所の思い出を作って、そうしてるといつか、死ぬまでここに居たいなんて考えてしまいそうだった」
「ふーん、おまえはここに馴染んで、根を下ろすのが怖かったんわけか」
言葉を噛み砕いて要約しただけの私のあいつ相槌に、彼は目線を合わせ苦笑する。
「まぁそうだね。僕には衝撃が強すぎて、ここは夢の世界すぎた。家族も親友もみんな忘れて、ここに死ぬまで居たいなんて思ってしまうような人でなしにはなりたくなかったんだ」
「だからここで、限りなく元の世界の景色にそっくりな、ポケモンも少ないあの喫茶店に篭っていた。この店の中だけでは僕はみんなを思い出せて、ひとりじゃなかった。」
家族も友人も、親友も忘れてしまう、そんな恐怖に私は苛まれたことはないし、よくわからない。気持ちなんてわからないから、「お前は家族を忘れたりしないと思うぞ」と慰めるのが精一杯だった。
「でもさ、僕は外に出て、今はミアレでポケモントレーナーをしてる!それはなんでだと思う?」
少し会話の間が空き、明るい口調で彼は問いかけてくる。
「運動不足で少し太ったから?」
少し気まずい雰囲気を嫌った私から瞬時に浮かんだ浅い考えだ。今のは適当すぎただろうか。
それを聞いた彼はニンマリと口角を上げると、彼は手を後ろに組みこちらへ顔を傾けながら言った。
「君が店で僕に話す愚痴が、あまりにも楽しそうだったからさ」
言い終わると、彼は一気に笑い出した。
私はそれに一瞬呆気に取られたが、すぐに言葉の意味を理解すると、つられて笑った。
街路樹の秋の葉がゆらゆらと落ちていく。気づくと朝の太陽は先ほどより明るくなっており、近くにあるたかだかと掲げられた外時計は7時前を示している。
「もう開店時間だぞ、従業員ならさっさと喫茶店に戻れ」
「あぁもうそんな時間か、そうだね」
大人しく言うことを聞いた彼は、なぜか私の手を引く。
「君も来てくれよ、今日はもう少し昔の話をしたい気分なんだ。あの世界のことを確かめるように君に語って、その会話すら大切な思い出にしたい」
気持ちのいい笑顔を眺めながら、しかたなく私は手を引かれ、2人で喫茶店へ向かおうと歩き出す。
赤い屋根のそこへたどり着くと、もうお客さんはいくらか入っているようで、少し慌てて彼がドアを開けた。
店の中は、もうずいぶんと賑やかだった。