白き龍は、また咆哮する。
その咆哮が、皮肉にもアルメリアの狩猟本能を掻き立てていた。
やらなきゃやられる、その精神でいつも狩りに臨んできた。
だがアルメリアは、目の前の龍を狩りたくなかった。
――だって。
「アーキ……なの……」
あの白い龍が、アーキのような気がしてならないからだ。
おかしな話だ。自分でも馬鹿げているとは思う。
でも、直感がそう告げている。
そうならば、この手で狩るともう彼女に会うことは叶わなくなってしまう。
輝剣リオレウスを持つ手が、酷く震えた。
大剣を持って怖気づいたことなんて無いのに。
白い龍は待ちくたびれたのか、あちらから攻撃を仕掛けてくる。
長い咆哮を轟かせたかと思えば、彼女を狙うように赤い落雷が降り注ぐ。
一発避けても、また一発、もう一発と執拗に彼女を付け狙う。
どういう原理で発生しているのか不明だ。
こんな並外れた力を持つのは――この龍が
古龍には一度だけ遭遇したことがある。
しかし、この目で目視しただけだ。戦っても、その能力を間近で見たわけでもない。
ハンターが一生に一度会えるかどうかの存在――それが今、彼女の眼の前にいて、もはや今の自分には逃げ場がない。
立ち向かうしかないのだ。
「アーキ……じゃない。お前は――」
輝剣リオレウスを、固く握りしめた。
「モンスターだっ!!」
自らを鼓舞すべく腹から叫び、白き龍に立ち向かった。
振り下ろされた大剣は白鱗を裂き、純血を散らす。
血は出る。この龍が生物であることが、そこで初めて実感できた。
龍の前脚から繰り出される、赤雷を纏った追撃を何とか回避する。
生まれた一瞬の隙をついて渾身の溜め斬りを奴の腹部に叩き入れた。
白き龍が飛翔する。
高みから赤雷のブレスを吐いてくる者を叩き落とすべく、アルメリアは閃光玉を投擲する。
赤雷に負けず劣らずの光が辺りを覆い尽くす。
が、かの龍は変わらず飛行していた。
愕然とするアルメリアを喰らわんと、口を開けながら急降下してくる奴の軌道上から直ちに逸れて、体勢を立て直す。
あの強大な力を持ったリオレウス希少種でさえ、閃光玉は有効だった。
それが効かないなど――生物の域を越えているとしか説明がつかない。
首をぐいん、と捻りかの龍は広範囲に赤雷をばら撒いた。
即座に危険を察知し、奴との間合いを詰めるように回避する。
一斉に降り注ぐ落雷を背に、アルメリアは疾走とともに溜められるだけの力を刃に乗せ、奴の頭部に叩き込んだ。
大量の血を流しながら、かの龍は仰け反る。
これで終わるとは思っていない。
その彼女の予想に応えるよう、龍の様子が一変する。
どこからともなく生成された赤い雷のエネルギーを全身に纏い、奴の目元には血管のように赤い線が走っていた。
追撃を仕掛けんとするアルメリアの目の前から、白い龍が消える。
空高くに舞い上がった龍。
目視できない位置まで飛び上がったかと思えば、身の毛もよだつ咆哮が、大気中のあらゆる原子に反響して聞こえてきた。
刹那、その景色一帯を覆い尽くすは赤い雷。
豪雨の如く降り注いでくる落雷に、アルメリアは完全に逃げ場を失う。
大剣を納刀し、ひたすらに駆け回った。
一斉にタイミングよく、自然現象を域を脱した落雷が降り注ぐ。
当たればひとたまりもない。雷狼竜や海竜のそれとは訳が違う。
だが、その光景をみて彼女はハッとする。
落雷が地を貫いた時に散る白い光。
それが無数に連なるものだから、その様はまるで夜空に散らばる星々のように輝いて見えた。
――白い光が、綺羅星のように舞い散って。
彼女はこれを見てほしかったというのか?
それとも、単なる比喩に過ぎず、本当に目的はこの戦闘そのものにあるのか?
――何を考えている。
あの龍があの子であるはずがない。
剣を握る手に、改めて力を入れた。
あの子はきっと、また見えないところで自分の事を見ているだけだ。
この龍をどう狩猟するか、いつものように試しているだけだ。
そう思い込み、アルメリアはかの龍に立ち向かった。
力を溜めながら駆けるアルメリアに、対し白い龍は腕部に雷を纏わせていた。
彼女が剣を振るうのと、ちょうど同時期に奴も前脚を叩き下ろす。
焔の刃と雷を纏いし爪が激突する。
凄まじい衝撃がアルメリアの細々した身体を襲う。
アルメリアは奴の攻撃を受け止めた大剣を、全身で押さえつける勢いで押す。
激しい鍔迫り合いに勝ったのは、アルメリアだった。
攻撃を押し返された白き龍は仰け反り、アルメリアの斬撃を貰った。
腹を真一文字に斬り裂かれた白い龍は、短く唸る。
攻撃が全く効いていない訳ではないようだ。
その事実だけで、アルメリアは安心できた。
こいつは殺せる。
魔法じみた能力をもつ古龍と言えど、所詮は生物。
ハンターならば狩れるのだ。
雄々しい叫びで、自らを奮い立たせる。
身体が宙に浮くほど剣に身を委ねながら、抜刀攻撃を繰り出す。
すぐさま薙ぎ払いを叩き込もうとしたが。
「ッ!?」
この武器でも斬れる肉質の箇所を斬ったはずなのに、弾かれた。
当たりどころが悪かった、どころの話ではない。
全身に纏った雷。
それには、奴の肉質を変化させる性質でもあるというのだろうか。
否――古龍の力について、あれこれ理屈をつけるのは間違っている。
目の前にいるのは、この世のものかと疑いたくなるような存在なのだから。
白き龍は、また咆哮する。
咆哮と共に飛び上がって、雷ブレスを放ってきた。
見て回避できるくらいゆっくりな弾速。
そういう攻撃なのか、はたまた遊ばれているのか。
かの龍は滞空したまま、飛翔する術をもたないアルメリアを狙い撃つように、雷ブレスを連発した。
当てようという意思はあるものの、回避は容易なものばかり。
――その意図を深く考えたってしょうがない。
今考えるべきは奴の攻略法ただ一つ。
空からの一方的な攻撃に飽き飽きしたのか、白い龍が、アルメリアに向かって急降下してきた。
緊急回避でやり過ごした後、即座に体勢を整える。
輝剣リオレウスを抜刀。
襲い来る白き龍の攻撃を、刀身のみで防いだ。
身体が軋む程の重圧に耐えながら、その攻撃を押し流し、逆に奴の腹部へと反撃の一撃を喰らわせた。
その時に撒き散らされた血飛沫が、頬に付着する。
とろりとした血液。古龍の血は、そのものに強大な力を秘めているという。
温かった。
「――うぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!!」
また余計なことを考え始めた自分を律するべく、雄叫びと共に溜め斬りを叩き込む。
しかし、その不正確な斬撃は硬化した部位によって簡単に弾かれてしまう。
彼女の脇腹へ薙ぎ払われた白い龍の尻尾が直撃した。
激突した石柱が崩落するほどの勢いで吹き飛ばされた彼女は、激しく吐血する。
鈍い痛みが脳神経を麻痺させてきて、秘薬を飲んで鎮痛するという当たり前の行動すら取れなくなった。
「アーキ……どこにいるの……どこに行っちゃったの」
アルメリアは此処にいない、愛しの人への想いを溢す。
――薄々分かっているのではないか?
違う。
アーキはきっと、どこかに隠れてこの戦いを見守っていてくれている。いつもそうしていたように。
――自分は人よりも、はたまたモンスターよりも遥かに上位の存在によって弄ばれていただけであると。
「違うッ!!!!」
ポーチからいくつかのアイテムを落としながら、強引に取り出した秘薬を齧り、アルメリアは立ち上がる。
あの子は自分を愛してると言ってくれた。
あの言葉に嘘、偽りがあるはずがない。
自分を単に道具のように扱っていたはずがない。
これを証明するには、目の前の獲物を狩るしかない。
「ミラボレアス……!! ハンターの意思により、お前を討伐する……!!」
血に塗れた瞳を開眼させ、アルメリアは枯れた声で叫んだ。
ミラボレアスは、咆哮した。
そして、空高くに舞い上がる。
遥か上空。人の手が届かぬ空という領域で、ミラボレアス――祖龍は、赤い雷光を全身に纏った。
乾いた風が吹き荒れて、全身がビリビリと痺れるのを感じる。
自身の額から零れ落ちた血。
それを目で追って初めて、自分の足元に赤雷が集中し始めていることに気がついた。
アルメリアは前転し、間一髪で降り注いだ落雷を回避。
しかし落雷はまた一発、もう一発と、彼女を執拗に狙うよう、的確に落ちてくる。
狙いを撹乱させようにも、周囲一帯には等間隔で落雷が降り注いでいるために逃げ場がない。
気の遠くなるような落雷との接戦を繰り広げて、アルメリアは意識が朦朧とし始める。
出血しているのに、止血もしなければそうもなる。
だが奴の動く気配を察知した。
アルメリアは輝剣リオレウスを握り、それを支えに踏ん張った。
ここでしか、ここでしか奴に痛手を負わせる方法を思いつかない。
降下する時、奴は間違いなくこちら目掛けて急降下してくる。
おかげで射線は非常に読みやすい。
ぼたぼた、と人の血で古塔を構成する石が汚される。
血のせいで視界不良になった片目を、眼球が飛び出そうになるほど開いた。
ミラボレアスが体勢を変え、案の定、こちらに向かって急降下してきた。
ただの力任せでは駄目だ。タイミングを見計らわなければ、この攻撃は成功しない。そして最悪、
「っ……うおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!!!」
ミラボレアスが鼻先まで来ようとした時、アルメリアは剣に溜め込んだ力を全開放した。
こちらを叩き殺さんとするミラボレアスの腕部と、輝剣リオレウスが激突。
あり得ない程硬い爪だ。赤雷を纏った影響からか、全身に痺れが回ってくる。
だが、奴の攻撃をこちらの攻撃で”相殺”できた。
あとは力任せだ――。
両腕が吹っ飛びそうになるほど食いしばった後、ようやく剣が動く。
ミラボレアスが空中で蹌踉めき、姿勢を崩した影響で地に叩き落される。
何の硬化もされていない、生物共通の弱点である頭部を剥き出しに晒したまま。
ようやく伏せた祖龍。
そのチャンスを、アルメリアが逃すはずもなかった。
激痛で気が狂いそうになる中で、全身全霊の力を刃に乗せる。
鬼神が宿ったかのような、凄まじいパワーの込められた輝剣リオレウスを振り翳し、アルメリアの怒号が轟く。
彼女の剣は、ミラボレアスの眼を抉り、そのまま地面まで叩き斬る。
飛散する血液、それを前面に浴びながらアルメリアは剣を振り下ろした。
やっとの思いで与えた大打撃。
追加の攻撃を叩き込んでやろうとした、次の瞬間だった。
「ぁ……」
肉が剥げ、露出した彼女の瞳が、こちらを見ていた。
赤く、瞳孔は細い。だけれども優しくて、吸い込まれそうになるような眼。
確信してしまった。
信じたくなかった、受け入れたくなかった事実を、目の当たりにしてしまった。
刹那――彼女の頭上から、強烈な落雷が降り注いだ。
龍が撃墜された衝撃、全身全霊の溜め斬りによって崩壊しかけていた床が、その一撃で崩落を始めた。
鼠色の砂埃が、落雷の粒子と共に爆ぜて、雲の隙間から漏れ出た光によって照らされ、幻想的に輝いた。
祖龍と狩人は、暗黒の中へと吸い込まれていくのだった。
◇
――痛い。
彼女が目を覚まし、第一に思ったのがそれだった。
そして次に、自分がミラボレアスという伝説の存在と相対し、相討ちに終わったことを思い出す。
「アーキっ!!!!」
愛しい人の名を叫んだ彼女の声は、瞬く間に悲痛に塗り替えられた。
自分の左腕が、瓦礫に紛れて
いまもなお、血が溢れ出ている左腕があった箇所には、自らの血に塗れて横たわる輝剣リオレウスの様があった。
激痛と絶望に悶えていると、彼女の絶叫はすぐに引っ込んだ。
人の気配を覚えた。
痛みを堪えながら何とか膝だけでもついたところ、自分の頬を、やわらかい手が優しく包みこんでくれた。
「痛い? アルメリア」
全てが廃れた瓦礫の山の中で、一輪の花のように輝いて見える純白のドレスを纏った少女。
赤い瞳を柔和に細めた。その左眼は、吐き気を催すような状態になっているが、彼女は何ら気に掛ける様子はない。
「アーキ……なんで……」
その問いかけは、もう認めたようなものだ。
「ふふふ……あはははははっ!! やぁっと!? やっと気がついたっ!? あはははははっ!!」
左眼の惨状とは対照的に、アーキは涙を溢すほどに笑い、腹を抱えた。
暫く笑ってから息を吸い、アーキは満足げな笑みをアルメリアに向ける。
「……私ね、伝説なの。人の目に触れることも、はたまた口にされることもない。伝説の中の伝説――”祖龍”なんだ」
白い歯を見せて子供みたいに笑った。
ミラボレアスが。
信じられない。認めたくない。
否――認めざるを得ないのかもしれない。
古龍、はたまた禁じられた存在ともなれば自然界の常識も、世界の常識すらも覆してしまう可能性を秘めている。
失った左腕の断面図を、アルメリアは掻きむしるように握る。
「ねぇ……ねぇ……教えて? 私のこと――」
アルメリアは堪らなくなって尋ねた。
血が枯れて死ぬ前に、聞いておかなくては。
「私のこと、愛してるの……?」
笑っていた彼女の顔が、平然のものへと戻る。
瓦礫に囲まれ、喉が凍てつくような空気が満ち満ちた空間。
祖龍と狩人は、永遠の一瞬ともいえる間、互いの瞳を向け合った。
彼女はゆっくり歩み寄ってきて、アルメリアのことを抱き寄せた。
「ぎゅうっ〜〜〜!!」
初めてしてくれたこと。
やわらかい肢体を押し当てて、その温もりと優しさで全てを包み込んでくれる。
こんなに幸せな事なんてない。
「……すっごく可愛い――もちろん、これからもたっくさん、
幸福だ。
◇
数日後。
ドンドルマでは、いつもの平穏が流れていた。
ハンター達がクエストを受け、誇らしげに帰ってくるか、コテンパンにされて帰ってくるかの二択。
そして酒場で勝利の祝杯をあげるか、慰めの一杯を交わすかの二択。
サンは研究室から抜けて、ドンドルマ一帯を見渡せるような高台の縁に腰を掛け、読書に勤しんでいた。
狂竜化、傀異化、極限化。亜種や希少種、特殊個体といったモンスターたちの異変は恐ろしいくらいにぴたりと止んだ。
ドンドルマの依頼に流れてくるのは、いつものような依頼ばかり。
新米を憂う彼女があまり率先して受けなさそうな依頼で溢れかえっているようだ。
本のページをぺら、とめくる。
あれ以来、アルメリアは彼の前に姿を現していない。
とはいえ無理にでも引き留めるべきだった、という後悔をしているわけではない。
行方不明になったと報告があっても、ああやってひょっこり帰ってきたのだ。
いつか会えるだろう、という希薄な望みを彼は心の底にひっそり潜ませている。
でも、彼はこうと思う。
あの時の彼女の顔は
火竜が雌火竜に、ルドロスがロアルドロスに抱く感情。
サンが最後に見た彼女は、そういった生物的な他者へ向ける感情を超越
何か、良くないことに手を出していないといいが。
死ぬのは駄目だが、悪事を働いて牢に入れられる方が、どちらかと言えば哀しい。
――あそこで諦めず、止めるべきだったのだろうか。
後悔とまではいかないが、サンは今でも疑問に思っていた。
人生は選択の連続だ。時に誤ることだってある。
取り返しのつかないことだって――。
「……さて、仕事に戻ろうか」
サンは立ち上がり、大きく背伸びをする。
原因は不明だが、この一連の騒動を記録に残さなくてはならない。
そして、ハンターズギルドにはこれを元にさらなる調査を重ねてもらわなくては。
禁じられた記録など、あってはならないのだから。
これにて完結になります。
思いつきで書いた作品でしたが、思った以上の反響を頂きとっても嬉しかったです。
気が向いた時に、私なりの白いドレスの少女関連の作品を書きますので、お楽しみに。
これまでのご応援、ありがとうございました。