幼馴染の弟分をこのデートで仕留めるぞ!

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羽沢つぐみのWhat'sの部分


ラナルータ

「……髪型、よし。隈もない、よし」

 

 手鏡の中に映った顔が睨んでいる。少し離して襟元や肩口に汚れがないかチェックし、駅前の大きなウインドウを姿見に半透明な自分のコーデを最終確認。

 浅葱色の髪が際立つようなクリームブラウンのコート。中には襟元がふわりと折れたハイネックの白いセーター。コートと対照的な濃いダークブラウンのコーデュロイ地のスラックスに厚底ローファー。それから飾り気のないトートバッグ。

 ……少々、可愛げがないだろうか。

 でもこれでいい。

 氷川紗夜らしくいれば、きっと。

 最後にもう一度、自分の顔をまじまじと見る。目元を揉んで大きく見開いたり、ぎゅっと閉じたり。

 

「……大丈夫」

 

 恋まで双子でお揃いにする気はない。告白まではしてみせるつもりで、私はこのデートに臨もうとしている。

 私たち姉妹と彼──幼馴染との関係は決定的に変わってしまうだろうけれど。

 でも、きっと、きっと大丈夫。

 目を閉じて、大丈夫、大丈夫、大丈夫と言い聞かせる。世界が変わって別人になるほど繰り返し瞼を薄く開けると、力を込めていた眼球が朝の空に眩んだ。

 少し彩度の薄い十二月の空だ。どうせ立ち並ぶビルに遮られているけれど、日がほのかに陰ると心なしか肌寒さの増す気がした。マフラーのひとつくらい巻いてくればよかっただろうかとポケットに手を入れて溜め息を吐く──

 

「──ひゃ!?」

 

 背後から熱い缶を頬に当てられた。

 

「…………お仕置きが必要かしら」

「ふふ、ごめんね。これで見逃してくれないかな」

 

 当てられていた缶を改めて差し出される。無糖のカフェラテだ。両手で受け取ってやると、やってきた幼馴染──私より頭ひとつ背の高い、生意気にも随分育ってしまった弟分が柔和に微笑んだ。

 

「……仕方ないわね。弟のいたずらくらい、多めに見ましょう」

「日菜ちゃんと比べたら可愛いものでしょ?」

「……そうかしら。大差ないと思うけれど」

「えー? そうかなぁ」

 

 彼はこういうけれど、雰囲気はどことなく似ていると思う。幼い頃からあの子にあちこち連れて行かれていたせいで移ったのだろうか。逆に好みは私のそれが移ったのか、服装はダークブラウンのコート以外は私と同じようなものだけれど。

 彼は自分用に買っていたらしいブラックを開けて両手で包みながら一口湿らせると、「似合ってるね」と男の義務を口にした。

 

「大人びてて素敵だよ」

「ありがとう」

 

 日菜が散々躾けていたから彼は女性を立てるのに抵抗なく如才ない。こちらも慣れっこなので涼しい顔で受け流すと、どうしてかくすくすと笑われた。下がった眉はどこか困って見える。

 

「照れないの?」

「この程度でイニシアチブを握れると思わないことね」

「うーん手強い」

 

 おどけてまた一口。日は陰ったままだけれど、ふたり並んで飲み物を味わっているだけで温まる気がする。

 いつも手を引いて振り返れば目を合わせられたはずの、今はもう見上げなくちゃいけない顔をちらりと伺って、少し迷って、でも、やっぱり言うことにした。

 

「……貴方も」

「うん?」

「……似合ってるわ。そのコート」

「……ふふ、ありがとう」

 

 一瞬だけ目を丸くした彼に内心で僅かに勝ち誇った。

 本来の待ち合わせまであと何分くらいだったか。もどかしさに似た気持ちを覚えながら、ふたり並んで缶の中身を飲み干していく。

 都心の駅前は何かと忙しないイメージの割に時間の流れが緩やかだった。改札を出た年配の男性があたりを伺い、ほっとした顔で近くのベイカリーに入っていく。同年代くらいの女の子たちが数人合流して、楽しそうにはしゃぎながらどこかへ去っていく。道の端に寄って飲み物に口をつける人が多いのは寒いからか、あるいは、自分たちもそうだからか。

 甘いミルクの風味を嚥下してはほのかに早い自分の鼓動を感じていると、傾けた缶から舌先まで雫が届かないことに気付いた。飲み干してしまったらしい。ゴミ箱はどこだったかとあたりを見回して、彼と目が合う。

 

「……貴方も飲み終わったのね」

「缶貰うよ、そこだし」

「お願いね」

 

 彼は差し出した缶をすいと受け取りながら、薄いリアクションと裏腹に「仰せのままに」と大仰な返事を残していった。

 

「……」

 

 彼との付き合いは十年を超えている。我が家の父と彼の両親が同級生だったらしく、結婚してからは母同士も親友になった。子供の私たちは、物心ついた頃にはもう一緒にいることが当然になっていた。

 ゴミを捨てに離れていく背中はすらりと靭やかで、細身だけれど肩幅は男性らしく角張っていて。

 幼い頃から見慣れた姿が重なるようなそうでもないような、不思議な気分だった。

 

「おまたせ。……どうかした?」

「いえ。ちょっと、昔を思い出しただけよ」

 

 以心伝心、彼は「あぁ……」と得心顔をする。

 

「『デート』してたね、おままごとで」

「二股してたわね」

「日菜ちゃんにそうしろって言われちゃ、あの頃の僕には拒めなかったなぁ」

 

 そうでしょうね、と口の中で転がした。親同士がお茶しているのを尻目に日菜が彼をおままごとに巻き込んで、それが瞬く間に冒険だなんだに切り替わって外へ連れて行かれるのを、頑張って追いかけた記憶が蘇る。

 控えめで温和な彼とバイタリティ溢れる日菜には積極性に大きな開きがあって、その差はふたりの力関係によくよく表れていた。にこにこしたままな彼と腕を取る日菜、それに怒って追いかける私。二等辺三角形は崩れることなく飛び続けて今に至る。

 でも。

 

「……ここに日菜はいないわよ」

「わかってる。ちゃんと、目の前のひとりだけをエスコートするよ」

「うわきもの」

「ちょっ……」

 

 落第の台詞だ。一言ちくりと刺してやりながら歩き出そうとして……振り返り、そっと手を差し出す。

 

「有言実行するものよ」

「……御心のままに」

 

 彼の差し出した腕に手を添え、エスコートの形に。

 気取りすぎかと思ったけれど、ベタなくらいでちょうどいいと考え直す。私たちらしいことは何度もしてきた。初めての今日くらい、型にハマったデートをしよう。

 

 

 

『デートね! あたしと、おねーちゃんと、おとーとくんで!』

『それって浮気じゃないかなぁ……』

『いーいーの! あたしはおねーちゃんともデートしたい! ね、おねーちゃんもいいでしょ!?』

『だ、だめ! 不誠実だもの……!』

 

 いい訳あるものかと今でも思う。両親たちに暖かい服を着せられて出た玄関先で日菜がそんなわがままを言っていた。幼い私が目尻を吊り上げて割って入り腕を離させ、日菜が楽しそうに笑っている。

 冬休みのある日、彼の家共々クリスマス会をやることになっていた。午前から氷川家に集まってお昼は適当にと思ったら、注文ミスで宅配が届かない。せっかく天気がいいのだから散歩がてらにと、マンションを降りてコンビニで何か買ってくることになって。

 

『……困ったなぁ。浮気はよくないよ』

『浮気じゃないよ! こーにん! あたしが言っていってるんだからいーいの!』

『うーん……』

 

 世界の中心は自分と言わんばかりに押し切ろうとする日菜に困った顔をしている彼が、実のところ嫌がっているわけではないと知っていた。私たちを困らせたり悲しませるのが嫌で、『浮気』を拒むのもそれだけのこと。私が納得すれば彼は折れる。

 

『……ごめんね、紗夜ちゃん』

『え……』

『いまだけ、僕にエスコートされてくれる?』

 

 彼がそう笑ったときの胸の痛みは寒い空気を吸い込んだせいか、凝り固まったアバラが深呼吸で動いたせいか、それともただ驚いただけか。私はささくれに目を瞑った。

 ぜんぶ、彼がタチの悪い男だからいけないのだ。

 そう言い聞かせて。

 

 

 

「はい、あーん」

「……ぁ、あーん……」

 

 彼は酷く楽しそうだった。私に口を開けさせておいて、差し出したポテトを突き込まずゆらゆらさせている。自分で咥えろと言うの……?

 

「……卑劣ね」

「えっ」

 

 言うだけ言ったら決心がついた。彼が困惑顔をしている間にぱくりと齧りつき、そのまま奪い取る。嫌らしい真似をした罰として彼のポテトをすべて頂くことにした。黙ってLサイズのケースに手を伸ばすと遠い目をする。よろしい。そのまま見逃しなさい。

 

「……容赦なくいったねぇ」

「好物だもの」

 

 どうせポテト好きはバレているのだ、幼い頃に裸だって晒しているのに今更何を隠すのか。開き直る私に空笑いを零して彼はハンバーガーに齧りついた。半分袋に包まれたまま両手できちんと持つあたり、相変わらず行儀がいい。

 飲み物を入れて胃腸が動いたのか却ってお腹が空いたから、私たちは一旦ファストフード店に入っていた。クラスメイトがバイトしている店舗だけれど気付かれなかったのか、あるいは見逃してくれたのか。何事もなくポテトLのセットを買ってふたり席に向かい合っている。

 

「今日はフィレオフィッシュなんだ?」

「たまには。あまりこういうところで魚を摂らない気がして」

 

 ジャンクフードを食べながら健康を意識するのも妙な話だけれど、そういえば食べてないな、と思ったら止められなかった。思いのほか衣が厚くキャベツと相俟ってザクザクとした歯応えと、オーロラソースの程よい酸味が合わさって悪くない。

 彼はというと少食だった。毎度の通りダブルでもビッグでもないチーズバーガーのセット、合わせるポテトはLサイズで一緒にいるときは日菜が半分食べる。……四分の一は、私が。

 日頃の様子を鑑みると全部もらったのはやり過ぎたかと彼の様子を伺うけれど気にした様子はなかった。むしろ「うん? これも食べる?」と食べかけのハンバーガーを差し出してくる。振り子をちょっぴり揺らすようにトンと彼の脛を蹴った。そこまで食い意地の張ってるつもりはない。

 

「この後は?」

「服屋……というか、生活雑貨店かな」

「……物を買って歩くのに、先に食事をしたのは失敗だったかしら」

「軽めだし大丈夫だよ、たぶん」

 

 わざとらしく末尾に付け加えてくすくす笑いながら、「クリスマスプレゼントじゃないけどさ」と続ける。

 

「ブランケットが欲しいって言ってたでしょ? 何か良いのがあればあげたいなって」

「……言ったかしら」

「遠慮しないでいーいの。バイト代はそれなりに溜まってるしね」

 

 そう言って、私が強奪したポテトをつまみ「あーん」と差し出してくる。……うん、今更、今更だ。口を開け「今日は素直だねぇ」指ごと齧りつく。小さく悲鳴。いい気味だ。

 それにしても、そういうのはサプライズとして伏せるものじゃ、と出掛かった言葉を咀嚼で誤魔化す。私がその類いをあまり好まないから配慮してくれているのだ。余計なことは言わぬが花だろう。セットのホットコーヒーで飲み下し、代わりに聞いてみる。

 

「貴方にもどうかしら」

「いてて……僕? 僕はいいよ。ほら」

 

 背もたれに掛けたコートの袖をひらひら振ってみせた。……贈ったもののお返しだったのね。

 でも、引っ込めるのもそれはそれで癪だった。

 

「……お揃いがいいって言ってるのよ。朴念仁」

「おっと……前言撤回します。欲しいです」

「どうしようかしらね」

 

 机の端を摘むように両手をついて浅く頭を垂れる彼の俯いた鼻先をぷにぷにと押した。すっと伸びた真っ直ぐな鼻筋の先から眉間まで、手を返しながら人差し指でゆっくりなぞり上げて、突き当たりの額を軽いタメの後に弾いてみせる。

 ずっとされるがままの彼になんだか邪な気持ちになりつつも「……そうね」と予定調和に持ち込んだ。

 

「どうしても贈りたい?」

「どうしても贈りたいです」

 

 即答で返ってくる。背の高い彼の伺うような眼差しに背筋に疼くものを感じながら続く言葉を待つ。

 

「部屋でじっとしてるならともかく、廊下に出たりちょっと出かけるならブランケットのひとつでもある方が温かいだろうし……」

「し?」

「……その温かさを、僕があげられたなら……その、嬉しいから」

 

 眉をへにゃりと下げて弱々しくも言い切ってくれた。……目を逸らしたのは、まあ、減点しないであげよう。

 

「……仕方ないから、貰ってあげるわ」

 

 譲歩してやると顔がぱっと明るくなった。犬みたいだ。嬉しそうに何か言おうとした彼の口にポテトを突っ込んでやる。

 

「食べながら喋るのは行儀が悪いわよ」

「…………」

 

 熱かったのか物言いたげだけれど、しばらく見つめ合うと観念して渋々といった面持ちで黙って噛み続ける。従順で大変よろしい。 

 ……このやり取りは、デート中の男女と言うより姉弟だろうか。

 

 

 

 

 

『早く早く! 売り切れちゃうよー!』

『大丈夫よ、たぶん……』

 

 階段だと少し長いからエレベーターでマンションを降りて、ドアが開くのが待ちきれないといった様子の日菜を窘めていた。チャイムがなって開くなり駆け出していくのを、後ろから母が「こら、危ないでしょ!」と叱る。彼のお母さんが苦笑いしていたっけ。

 

『お昼前だし、ポテトも補充されてるわよ』

 

 いつもなら私が叱っていたのだろうけれど、そんなことしか言わなかった。

 強く言えないのは寒さに耐えていたせいもあるけれど、彼がエスコートしてくれるのだからお淑やかにしよう、なんて意識も少しあって。

 大人ぶって澄まし顔の私に日菜はむくれて足を止めた。急かすような足早さはそのままに踵を返してつかつか歩み寄ると彼の手を取る。

 

『え』

『ふーんだ。売り切れになって分けてって言われてもあげないもん』

『ちょっ、日菜!?』

『いこ!』

 

 腕を組んで駆け出そうとする日菜と無理やり引き摺られていきそうな彼を反対の腕を取って引き留めながら、私は後ろをついていく。

 日菜が一歩前を。彼が繋いで、私が後ろを。

 いつもそうして歩いてきた。

 隣がいいと思うようになったのは、いつからだったろう。

 

 

 

 

 

「……そういえば」

「うん?」

「クリスマスにコンビニまで買い物に行ったことがあったわね。子供の頃」

 

 大きなドームに併設された商業施設の中を歩きながらふと思い出して彼の方を振り返ると、「あぁ、ポテト?」とおかしそうに笑った。

 

「日菜ちゃんがずんずん歩いてくんだもん、紗夜ちゃんを置いていきやしないか心配だったよ」

「……仕方ないんじゃないかしら。あの子は──」

 

 双子は双子であって、決して自分自身ではない。どんなによく似ていても人それぞれ違うものだから、断言はできない。

 でも、たぶん、こう言うはずだ。

 

「あなたのことが大好きだもの。ずっと」

「……参るね、どうも」

 

 私をエスコートすると宣言したはずの彼は片眉を下げた。親愛と罪悪感を乗せた両天秤のはっきりと傾いた表情が、少し、面白くない。

 

「ほら」

「……うん?」

「ここでしょう、目的地は。入るわよ」

「おっとと……強引だなぁ」

 

 繋いでいた手をリードのように引いて向かったのは、北欧風のBGMが流れる生活雑貨店だ。間接照明を主にした店内に並ぶ商品はどれも枯れた茶色、生木のようなクリーム色といったナチュラルカラー、赤や水色もあるけれど絶妙なくすみを帯びている。 

 ファッションコーナーの方へ進みながら、少し足を緩めて彼との距離を縮めた。

 

「……今一緒にいるのは、日菜じゃないわ」

「そうだね……うん、わかってる」

 

 ほどけそうだった指先が、固く、組み直されて。

 

「……っ」

「こっちだよ。この間、いい感じのを見つけたんだ」

 

 ぐっと、引っ張られて。

 腕が絡み合うように恋人繋ぎになって。

 私を引っ張る彼は知らない表情をしていた。

 

「……ひょっとして暑い?」

「うるさいわね……」

「ふふ、勝った」

 

 何を嬉しそうにしているんだと言いたかったけれど「あっ、あれあれ。あそこにかかってるやつ」と指差して無邪気に笑うので、まあ、水を指すのも悪いでしょう。喜ばせておいてあげることにする。

 

「色合いがね、なんだか紗夜ちゃんっぽいと思ってたんだ。ほら」

「……いいのがあれば、って言ってなかったかしら」

「いくつか目星くらい付けてるよ」

 

 候補の中で私の目から見ていいのがあれば、という意味だったらしい。

 年末に向けてか室内での防寒具に焦点を当てたコーナーのようで、暖かそうなファースリッパやマフラー、お目当てのブランケット、後はタンブラーやマグカップもあった。幅広く取られたスペースのおかげか雑多な雰囲気はなく洗練されて見える。

 その一角に畳まれていたものを一枚、彼は手に取って広げた。

 細いチェックの入ったウールのブランケットだ。コーラルグレーから端に行くにつれ群青になっていく微かなグラデーションに、青と白が薄っすらと網を掛けている。それ以上の模様はないけれど、彼がときおり支える腕を動かすとウール独特の疎らに照り返す光沢もさざ波打った──夜の帷だ。星空を纏うような。

 

「どう? 似合いそうだと思ったんだけど」

 

 広げ腕を少し狭めて、撓んだ布の向こうから控えめに伺うような声は大柄なくせに子犬みたいだった。気弱な弟分の態度を、情けないとは思わない。

 ……真剣に選んでくれたんだ。

 これが良い、って。

 

「……名前に合わせたの?」

「君に合わせたよ」

 

 さらりと言うので溜め息が出た。

 同じことのようで大きく違う。彼は、分かって言っているんだろうか。

 ……そういう風にしてきたんだから、彼にしてみればちょっと理不尽だろうけど。

 

「……キザね。女たらし」

「えっ」

「これにするわ。貴方の見立てなら間違いは……いえ」

 

 それらしく取り繕った言葉のままじゃいけない。

 かぶりを振って、今だけ、精一杯素直になろうと試みる。

 

「ありがとう。……その」

 

 息が詰まって、言葉が出ない。ぱくぱくと酸素を求める魚みたいに口を開けては閉じて、ぴったりの言葉が漂ってやしないか視線が宙を彷徨って、結局、私の中にしかない赤裸々なそれをひとつ、やっと吐き出した。

 

「……嬉しい。そうね……私がいないところでも、私を思ってくれたのが、とても嬉しいわ。ありがとう」

「……よかった、です」

「照れてるの?」

「……うっさい」

 

 勝った。

 内心小さくガッツポーズしながら余裕の態度で彼の赤い耳を見つめていると「あーもうっ……」と片手で顔を覆ってしまった。可愛いものだ。

 そうだ、お揃いを……ええ、どうしてもとお願いされているのだし。せっかくだからここで選んでしまおう。

 ブランケットを近くにあったカゴに入れて彼に押し付け、私はあたりの商品をざっと見回す。

 

「お返し、どれが似合うかしらね……同じブランケットでもいいけれど、貴方、今日はマフラーをしていないのだし……ストールとか」

 

 手近にあったものをなんとなく取った。広げてみると波打つような青と白のピンストライプは彼に選んでもらったのと同じで、ベースの色だけが正反対。濃淡が日差しのようにグラデーションするクリーム色だ。

 

「……少しかかんでくれる?」

「うん?」

 

 首を傾げながらもすぐに従ってくれる。何の疑いもない澄んだ目と、あの頃より大人びた顔立ちの奥に滲んだ幼気な面差しに、いつも振り返ればそこにあった思い出が反射する。 

 

「ねえ……」

 

 昔、こんな風にマフラーを巻いてあげたことがあったわね。

 まだ小学生の、低学年だったかしら。クリスマスにあなたの家族とうちとで、少し離れたコンビニまでお昼を買いがてら散歩に行くことになったでしょう。

 日菜が急かすのをなんとか待たせて、私が少し恥じらって顔を背けながら。

 ねえ、覚えてる?

 

「……貴方の背、何センチあるの?」

「え、今聞く?」

 

 素っ頓狂な声を上げる彼に「いいから教えなさい」と押して誤魔化す。

 くだらないことを考えてしまった。彼が覚えていないはずないというのに。

 

「どうせだもの、ついでに服も揃えたいわ。そのコートに合わせて他も一式見繕って……あと、そうね。私のも選んでもらおうかしら」

「おっと急に責任重大……わかった、微力を尽くすよ」

 

 ブランケットを巻かれながらきりっと表情を引き締めても格好良くはない。……うん、直感的に選んだけれど存外、なかなか。

 

「……あげるの、これでいいかしら? 思いのほかぴったりで」

「ふふ」

 

 どうしてか、彼は堪えきれないといった風に噴き出した。

 

「……何かしら」

「なんでもない。うん、これが似合うって言うならこれがいいな」

 

 おかしそうだったのを愛おしげに柔めて、巻かれたストールの裾をそっと温めるように押さえてみせる。ほどいて大切に畳み買い物かごにそっと寝かせるのすら優しい微笑みを湛えながらで、こっちが気恥ずかしいくらいだった。

 私の──私の一挙手一投足で、些細な贈り物のひとつで、貴方はそんな風に笑ってくれるのね。

 子供の頃はどうだっただろうか。

 連れ歩くばかりで、何かをあげたことはあっただろうか。

 彼が手を取ってエスコートする、その背中ばかり見ていたのは──

 

「──ん」

「お手をどうぞ」

「……いつも」

 

 いつも、そうだった。

 ふたりを見ているばかりで。

 

「いつもこんなことをしているのかしら、スケコマシ」

「酷いなぁ。ふたりにしかしないよ」

「うわきもの」

 

 私ひとりにしてと言ったら、どうするかしら。

 幼馴染の三人組じゃなくて、恋人のふたりになりたいと言ったら。

 

 

 

 

 子供三人が転がり出た冬の空は抜けるような硝子の青で、ああ、この向こうには宇宙があるんだな、と素直に納得したのを覚えている。

 少し呆けて立ち止まり、湧き上がる高揚感のまま駆け出して。

 それから──

 

「──ここ、覚えてるかしら」

「うん。さっき話してたコンビニへの道でしょ」

 

 互いへのプレゼントを贈り合って、クリスマスが近いからとチキンなんて食べたりもして。

 電車を乗り継げば二十分で帰れる道を、わざわざ一時間掛けて歩こうとしていた。

 日が落ちかければ冬らしく低い気温だけれど食事をして足も動かしていればそれなりに温まるもので、先ほど買ったストールを彼は紙袋にしまい込んでいた。私も室内用のブランケットを外で巻いたりはせず、同じく紙袋に収めたままでいる。

 普段あまり来ない場所だったけれど、覚えのある名前の通りを標識伝いに辿っていると街並みの色も見慣れたそれに変わってくる。花女を通り過ぎ、羽丘とのちょうど中間あたり。

 

『日菜ちゃーん!』

『知ーらないっ』

 

 小さな子供たちの幻が瞳の中を走る。

 ずっと覚えている。拗ねて先に行ってしまった日菜を呼び止めようと声を張って、それでも私を置いて行きはしなかった彼の体温を。ときどき振り返る日菜に私が、心配するような、どこか勝ち誇るような、幼い気持ちを乗せた視線を向けていたことを。

 

『……ふんだ、あたしはキヅカイできる女だもん。そんなに一緒がいいなら置いてったげる──わっ!?』

『はっ、はっ、はー……追いつけたぁ』

 

 振り返る頻度が徐々に増して足も遅くなっていく日菜がとうとう本当に走り出そうとしてしまう、その一瞬前。

 彼がいつの間にかその後ろまで駆けつけていて、手首をぎゅっと強く握ったことを。

 

『いつの間に……れ、レディの手を急に握っちゃダメなんだよ? もー……別に、そんな必死になんなくったって』

『独りにするのは、やだよ』

 

 まっすぐな目が射抜いたことを。

 

『絶対、独りにしないよ。日菜ちゃんがどれだけ先に行っちゃっても、何を言っても。……絶対、捕まえるから』

 

 目を閉じた。青い真昼の幻影をかき消して、夕闇と街灯を背負う、大人びた彼の方を振り返る。

 

「……ねえ」

 

 恋まで双子でお揃いにする気はない。

 

「小さい頃からずっと、ずっと三人だった私たちだけど……もう、これ以上抑えられる自信はないの。だから……言わせて」

 

 私たち姉妹と彼──幼馴染との関係は決定的に変わってしまうだろうけれど。

 でも、きっと、きっと大丈夫。

 氷川紗夜らしくいれば、きっと。

 

「私の、私だけの、恋人になって」

 

 エスコートをねだるように手を伸ばしてしまった私を──ああ。

 彼は。

 

「……ごめん」

 

 目を伏せて。

 

 

 

「僕は紗(・)夜(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)が好きだから、日(・)菜(・)ち(・)ゃ(・)ん(・)とは付き合えない」

 

 

 

 …………。

 …………。

 

 …………あーあ。

 頭の中まで演技してても、バレちゃうもんだね。

 

「ちぇー、どこで気づいたの?」

 

 普段こっそりおねーちゃんのライブを観に行くときとは比べものにならないくらい丁寧に作ったウィッグを外して、頭をぷるぷるして簡単に髪を整えながら尋ねる。彼は小癪にもあたしに手櫛を入れながら「えー、とね……」と申し訳なさげに。

 

「違和感があったのは最初からかな。待ち合わせで遠目に見たとき、あれ? って」

「えー!? 早くない!?」

 

 でっかい声出ちゃった。あたしの方がおねーちゃんより5センチ低いから撮影用の上げ底履いてたんだけど、もしかしてそれかなぁ。

 

「雰囲気だけでわかっちゃったの?」

「や、流石に変だなーって思っただけだよ。ピンと来たのは……服装褒められたときかな」

「え?」

 

 すぐ後じゃん。

 や、いくらおねーちゃんが照れ屋だからってデートで服褒めるくらいする……よね? まして先に褒められてるんだし。

 彼は……ああ、またその顔するんだ。

 柔和な目尻を甘く緩めて。

 

「紗夜ちゃんなら……自分のプレゼントした服を着てデートに来る僕を見たら、ありがとうって言ってくれるだろうから」

「……そっか」

 

 ……そうなんだ。

 恋するおねーちゃんは──あたしの知らない、貴方とふたりきりのおねーちゃんは、そうなんだ。

 嘆息。

 

「どーりであたしのこと紗夜ちゃんって呼ばないわけだ」

「失礼じゃん、双子の見間違いなんて」

「そうだけどさぁ。あーあ、せっかくのおねーちゃんのカレシ検定が台無しだよもう!」

 

 頬を膨らませて前屈みに睨んでやると、あたしのよく知る困り顔で「そう言われてもなぁ」とへどもどする。

 

「ま、いいや。それなりにエスコートしてもらったし、ギリギリ赤点回避! これからも精進したまえ〜!」

「ははー、ありがとうございます」

 

 大仰に頭を下げる彼の声は笑っている。

 あたしは、どうだろ。いつも通りのわがままな日菜お姉ちゃん出来てる?

 ずっと見てきた、十年隣で眺めてた恋するおねーちゃんの演技もまともに出来なかったあたしは、あたしの思ういつものあたしでいられてる?

 

「まーまー楽しかったよ。ほら帰った帰った! おねーちゃんに無理言って変わってもらったんだけどいい加減暇してるだろうし、お家でイチャイチャしなさい!」

「わ、お、っとと……日菜ちゃんは?」

「あたしはそこでポテト買って食べてく! お夕飯はいりませーん」

「それは僕もだけど……」

 

 ぐいぐい背中を押してあげるとされるがまま向こうを向く。背中は別にムキムキじゃないけど、男の子なんだなーって感じ。ギュッとしまって骨張って重たくて。簡単に引っ張り回せてた小さい頃が信じらんないくらい。

 それとも、引っ張られてくれてたのかな。

 わかんないや。

 

「……ねえ」

「うん? なぁに?」

「ほんとに、帰っていいの?」

 

 背中越しに尋ねられる。

 あたしの返事は決まっていた。

 

「いーいの! ほらハウス! おねーちゃんを寂しがらせちゃいけません!」

「わかった……じゃあ、またね」

 

 最後の一言が効いたかな。彼はあたしを伺うように何度か振り返りながら、ちょっと小走りで帰って行った。

 背中も、足音も、手のひらの温度も冬の風と一緒に消えていく。

 立ち尽くしてたってしょうがないや。コンビニ入ろ。

 

「いらっしゃいませー……あれ、ヒナ!?」

「へ? あぁリサちー、どしたの?」

 

 そういえばこのコンビニ、リサちーのバイト先と同じ系列じゃん。場所は違ったはずだけど。

 

「ヘルプとか?」

「そうそうそうなんだよ〜、ここで働いてる友達が風邪ひいちゃってさー」

 

 場所が違っても流石の要領の良さで疲れの色なんかないリサちーは「……あれあれ? ヒナまさか」と目敏く反応する。

 

「大人びたカッコ……買い物袋……デートだなぁ! もー隅におけないんだから! あっでもアイドルって恋愛とか大丈夫なの?」

「んー、大丈夫じゃない?」

 

 いつもなら、うーん、いつもなら……どうしてたっけ?

 一日中頭の中まで別人になり切ろうとしてたせいか、なんかOSがちゃんと動いてないみたいなヘンな感じで。

 

「フラれちゃったし」

「……へ?」

「あ、そうだリサちーポテト売ってよポテト!」

 

 なんかリサちーぽかんとしてる。おーい? 手をふりふりすると「はっ」とフリーズから立ち直って、今度は「フ、え、ヒナ、うそ、ええ!?」とバグり始める。

 

「ご、ごめん! 無神経だった」

「いーのいーの。それよりポーテートー! Lサイズ!」

「……ちょっと待ってて」

 

 うん? どしたんだろ。神妙な顔で周りを見回してからバックに引っ込んだリサちーは、奥で動いていたフライヤーからちょうど上がったポテトを容器に注いだ。あれ、Lサイズっていうかパーティーセットじゃない?

 おっきな紙の箱を持ち帰り用の袋に突っ込んだリサちーはそのままレジを操作すると、自分のICカードでそのまま支払いまで済ませてしまった。

 

「……どゆこと?」

「もうちょっとで休憩だったから、補充がてら自分で買うつもりでいっぱい揚げてたんだよねー……ま、アタシの奢り!」

「あんま気にしなくていいのに」

 

 強がりなわけでもなくて自己診断的にもぜんぜん本心。リサちーもわかってるみたいで「慰めってわけじゃないよ」とあっさりしてた。

 

「ダメージあんまりなさそうだし、ほんとに物のついでだから気軽に受け取ってよ。メリークリスマース!」

「……じゃ、遠慮なく! メリークリスマース」

 

 全然まだじゃんね、なんて笑い合った。

 イートインはないらしい。バックヤードなんかは狭そうだから押し入らずに外で食べることにした。ひらひら手を振って店外へ出て、ゴミ箱の隣で袋をオープン。同級生からのプレゼントを一本摘んでありがたくぱくん。

 

「んぇ、じゃりってしたぁ」

 

 奢ってもらっといてなんだけどハズレかなぁ、なんだかジャリジャリ、塩が固まってて砂でも噛んでるみたいな気持ち。そのくせしょっぱい。塩味で舌の付け根が引き攣る感覚をきゅーっと堪える。チープなのはいいんだけどさ、そういうものだし。

 

「……あたしのやったことの方が、よっぽどチープかな」

 

 失敗したなぁ。

 違和感持たれるくらいはしょうがないにしても、まさかあっさりバレちゃうなんて。

 

 ──氷川紗夜として告白して。

 ──氷川日菜としての恋を諦めるつもりでいた。

 

 十年見てきた。

 彼のことを。

 あたしに引っ張り回されるたび少し早足になって並ぼうとしてくれるところ。大人しくて本を読むのが好きだけどあたしが側に行くと「どうしたの?」って顔を上げてくれるところ。結構好奇心旺盛で何にでも目を輝かせるところ。流されやすいようでその実、あたしを独りにしないように……あの言葉通りに、頑張ってくれるところ。

 

 そして。

 その思い出のすべてに、必ずおねーちゃんの姿があった。

 

 あたしに引っ張り回される彼を心配そうに追いかけるところ。くっつきたがりはしないけど手の届きそうなとこにちょこんと腰を下ろすところ。同じ話をしたくて本を貸してみては感想に一喜一憂するところ。睨んでるように思われやしないか気にして手鏡を見るところ。

 どれだけ振り回しても、抱きしめても、彼はいつだっておねーちゃんを見ていて。おねーちゃんは彼の側にいて。

 

 いくらなんでも、わかるよ。

 あたしはいつも二人に割って入る一だった。

 

 気づいた日から、なんとか諦めて日菜お姉ちゃんとおとーとくんでいようと思って、それで、それでも、抑えるのが難しくって。

 叶わないならせめて、あたしの知らない彼を──おねーちゃんとふたりきりの彼を知りたくなった。

 だから、こんな小細工なんか。

 

 おねーちゃんになろう、って決めて、記憶を隅々までひっくり返した。出来のいいおつむは鮮明に思い出を移してくれて、一層あたしじゃダメなんだって突きつけられながら──三(・)人(・)で(・)い(・)る(・)と(・)き(・)の(・)恋するおねーちゃんをなぞろうとして、気づいた。

 十年一緒の双子の姉妹。

 姉妹は、他人だ。

 自分じゃない。

 

 ──見てきた程度で心の中まで理解できるなら、あたしがおねーちゃんと仲違いすることなんてなかったはずだよね。

 

 バンドを始めてお互いそれぞれ仲間を得てようやく仲直りできたけど……あたしが追い詰めてたんだって気づいて、それを許してもらえただけで、今あたしはおねーちゃんを追い詰めていやしないかってブレーキを踏めるようになっただけで、おねーちゃんのことをすべて理解できたわけじゃない。

 あたしの中のパーツだけでブラックボックスを再現できる自信がなかった。

 それでまあ、彼に引っ張られてるイメージがあるからリサちーに引っ張られる友希那ちゃんや、恋のイメージで恋愛映画に出てるときの千聖ちゃんをエミュに取り込んだんだけど……うぅん、むしろ余計だったかも。

 おねーちゃんが今日のデートを許してくれたのは、こうなるってわかってたのかなぁ。

 

「……あ」

 

 街灯をぼうっと見上げながらポテトを食べていたら、雪が降り始めたことに気づいた。

 初雪だ。

 もう何日かズレたらホワイトクリスマスだーってはしゃげたのに。

 それで、せっかくだし外に出ようよってふたりの手を引っ張って、寒いから窓から眺めるだけにしとこうよ、なんて窘められて、ぶーぶー言いながら渋々座ったあたしにおねーちゃんがココアをくれて……なーんて。

 踏み出したらもう戻れないって、それを承知で始めたのにね。

 あーあ。

 ……あーあ。

 

「しょっぱいなぁ」

 

 もうひとつ齧って独りごちる。

 せっかく貰ったしブランケット巻いちゃおっかな。でもなぁ。彼に貰ったおねーちゃんの模様を雪で濡らしちゃうのは、ヤダなぁ。

 白い息が漂って、漂って、消えて浮かんで、消えて消えて。

 リサちー出てこないなぁ、なんて思いながら抱えたポテトを摘んでいると、車の通りや雑踏の霞む向こうから走る足音が聞こえてきた。

 なんとなく視線を向けて──

 

「──日菜ちゃん!」

 

 彼が、息を切らして駆けてきた。

 荷物はなく服装だけそのまま。買ってあげたストールを手に持つ彼の整っていた髪は乱れていて、頬も、覗く耳も赤くなっている。

 あたしは……あたしはいつも通り、いたずらっぽく笑ってみせる。

 

「なに、どうしたの? 傘でも買いにきたー?」

「迎えに来たよ」

 

 …………ふぅん。

 

「追い打ちに来たわけ」

「違っ……」

「違わないでしょ。……あたしの建前なんか、バレちゃってるだろうしさ」

 

 第一、言っちゃったし。

 あなたのことが大好きだもの、ずっと──って。

 

「あたしは貴方にフラれて傷心中なの。突っつくのはマナー違反じゃない?」

 

 えい、と額に指を向けて小突いてやる。抱えたポテトをもう一口齧ると、比較的外側だったからか冷めかけてしなしなだ。平気な顔で舌鼓を打っていれば手出し無用だと思ってくれるかな。

 

「選ばなきゃいけないでしょ。あたしはふたりの側でちょっかい掛けられるならそれで充分だから、貴方は──」

「──それでも」

 

 彼は、朝焼けたストールを広げて。

 

「家族に寂しい思いをさせるのは、嫌だよ」

 

 日差しの色で、優しく包んでくれた。

 

「僕がフったんだから、引き留めちゃいけないのはわかってるんだ。すごい酷なことしてるって、きちんと自覚してる……でも」

 

 羽織みたいに前で重ねてようやく風が冷たかったことに気づいた。カーテンで遮断されたコートの奥に熱が留まって、胸が温かい。

 

「絶対独りにしないって約束したから。嫌がられても、嫌われても、置いていかない」

 

 あたし、結構惚れっぽいのかな。

 たった一言。あの日まっすぐに贈られたひとつが、いつまでも忘れられないなんて。

 

「……バカだなー! もう!」

「えっ」

 

 噴き出しちゃった。弾けた言葉が詰まっていた何かを砕いて、温められた胸の奥で少しずつ潤んでいく。

 

「さっき置いてったくせにー。このこのっ」

「う……それは、まあ、僕も葛藤がですね……あと、紗夜ちゃんにも義理通したかったし」

「義理?」

「……日菜ちゃんを迎えに行くこと、ちゃんと伝えておかなきゃでしょ」

 

 首筋を抑えて苦い顔で言う、困ったときの癖。それはつまり、彼はもうおねーちゃんと──

 

「──えい」

「んむっ」

「おいしいでしょー。結構食べちゃったけど、買ったときは揚げたてだったから冷めてないんじゃない?」

「ひや、ひょっほはふ……」

「あはははっ、何言ってるかわかんなーい!」

 

 おかしいなぁ。フラレちゃったのに。こんな寒空でポテトなんか食べてるだけなのに。くすぐったくておかしいったらないや。

 

「……ね、おとーとくん。おねーちゃんのことよろしくね」

「……そしたら僕、日菜ちゃんの義兄だね」

「ヤダー! おにーちゃんとか絶対呼んであげないもん!」

 

 生意気な弟分だ。あたしより上の立場になろうなんて100年早いよまったくもー。

 

「……ずーっとおとーとくんって呼び続けてあげるから」

 

 姉婿(おにーちゃん)なんて呼んであげない。

 

「迎えに来てもらって悪いんだけどさー。ここ友達が働いてて」

「へー……え、もしかして今井さん? Roseliaのベースの」

「そ、ほらあそこ」

 

 店内を覗き込む彼に「だからやっぱ先帰っててよ、一緒に遊んで帰るからさ」と言うと、しょぼくれたわんこみたいに眉を萎れさせた。

 

「せっかく来たのに……」

「あはは! ごめんごめん!」

 

 さっきみたいに背を向けさせて押してやる。傘無いけど雪は疎らで今にも止みそうなくらいだし、まあいいでしょ。

 ……弟分に対しての日菜お姉ちゃんの態度は、こんなもんかな。

 なおも心配そうに振り返る彼に、あたしは巻いてもらったストールをぽんぽん叩いてみせる。

 

「ありがとね。これだけあれば、あたしはじゅーぶん」

 

 一番温かいものはここにある。

 

「だから、安心してね」

「……わかった。ごめんね」

「いーいの!」

 

 幼い初恋の欠片がトゲめく前に、優しさで包んでくれたから。

 だから、じゅーぶん。

 

「あんまり遅くならないでね? あと寒いからなるべく屋内に」

「今日は帰んないほうがいい?」

「余計な気は回さないでいいから……!」

「ふっ、勝ったー。ほーれハウス!」

「犬じゃないんだから……」

 

 家族らしい心配を茶化して返すと、彼は軒先から出て数歩……ああ。

 柔和な目尻を優しく撓めた穏やかな笑み。

 あたしにも、そんな顔してくれるんだ。

 

「──またね、日菜ちゃん!」

「……うん、またね」

 

 背中も、足音も、手のひらの温度も冬の風と一緒に消えていく。

 ストールがあるから、寒くないもんね。

 

「そだ、食べきっちゃわないと」

 

 たくさん残ってるポテトを摘んで咥えると、今度は程よい塩味だった。彼が食べたのはどうだったんだろ。

 半分齧ったポテトが熱くてはふはふと息が漏れる。昇っていく白い息の向こうから、乱れた風で雪が舞い込んできた。頬に触れる冷たさが心地良い。

 溶けて伝い落ちる雪を口の端の塩と舐め取る。

 あー、しょっぱいなぁ、もう。

 なかなか冷めてくれないポテトを思い切って頬張る。はふはふ息を漏らして、ぐっと、飲み込んで。喉元を降りていく熱さに火傷しそうな胸を、あたしは抱き締めた。

 

 




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