現代社会でミク先輩とのハロウィン!?
片桐ユイは気が付けば百年以上前の2024年10月25日にタイムスリップ?していた。
何事もないように男女が隔たりなく暮らす世界で過ごすヤエカやリンの様子に戸惑いながらその日常を過ごしていく。
ガイアの侵攻もマザーによる男女の隔離もない社会で、ユイはミクとどのような一日を過ごすのか!?
仮装(コスプレ)!? お菓子(スイーツ)!? そして…!?
これは夢かそれとも…。
※本作はハーメルンでウリマ・ロビ、Pixivで瓜転の名義で投稿しています
「えっ……?」
ふと気が付くと往来の中にいた。雑踏に違和感を覚えるけど、すぐにパッと何かは分からなかった。
「どしたん? お姉ちゃん」
声に振り向くとヤエカがそこにいた。ほっと胸をなでおろすけど、未だにここがどこでどういう状況なのか飲み込めていない。
「なんだ片桐姉。まるでおのぼりさんみたいだぞ」
「リン先輩もボクらとさして変わらない田舎じゃん」
「同じ埼玉でも秩父よりは都会だ!」
サイタマ。聞いたことはある。僕らの育った辺境も昔はそう呼ばれる地域に属していたと。
「大して変わんないっしょ。ま、うちのサークルで東京生まれ東京育ちなのアカリちゃんくらいだけどさ」
「ミクは……、つくばだったよな?」
「肯定します。出身地はツクバ」
その声にビクリと肩を揺らしてしまった。どうなってるのか分からない状況に焦りすぎたのかミク先輩がいたことに気づいてなかった……。
しっかりしないと。そう思って気合を入れようとしたら、トンと道行く人にぶつかってしまう。
「わっ、す、すみません」
「もう、ドン臭いなあ、お姉ちゃんは」
謝った相手はこちらを見もせず、雑踏に消えていく。
だが、それで分かった。
このとんでもない違和感の正体が。
――男。
男がいる。
平然と。僕たちの前を男の人も女の人も、互いを気にすることもなく。
リン先輩やヤエカ、ミク先輩もそれに特に反応していない。
3人とも偏見はない方だけど、それでもこの反応はおかしい。だって、男はいない。
男女隔離法の施行から50年。ボクらが通うアカシア女子学園のある新東京市に……、いや、それ以上に、女性区に、男はいない。
環境保護AIガイアとの戦争のために、男たちは戦い続けている。
だから、男は僕一人……のはずだったんだけど。
「あれ?」
きょろきょろと見回すとどのビルも朽ちていない。廃墟が一つもない。どのビルもきちんと保たれている。
「もー、きょろきょろしないでって」
ヤエカに小突かれる。
「ごめん」
反射的に謝りつつも思考はまとまらない。
ふと見上げたビルには巨大なモニターがニュースを映し出す。2024年10月25日。
「っ……!?」
もう声すら出なかったけど、それがかえって良かったのかもしれない。
目がおかしくなったわけじゃなければ、僕らの生きていた21XX年から一世紀以上前。ガイアの反乱もマザーもない時代。
――こんなもの白昼夢だ。
そう思う。パーカー越しに腕をつねってみる。……痛い。前時代の少年マンガならこれで夢から覚めるのがお約束だけど。残念ながらそんなことはなかった。
「ほらぼさっとしてないで行くぞ」
「行くってどこに?」
思わず口をついて出た僕の言葉に、ヤエカが目を丸くする。
「もー! しっかりしてよお姉ちゃん。サークルの備品買いにきたんでしょ!」
「サークル? 備品?」
「大丈夫か片桐姉。今日はなんかぼーっとしてるが」
「多分、東京に来て浮かれてるんだと思います」
ヤエカがパシパシと恥ずかしげに脇腹をはたいてくる。
「そうか。まあ気持ちは分からなくもないが」
「リン先輩も上京したときは浮かれてそうですもんね」
「んなこと……ねぇよ」
「絶対あるやつじゃん。素直になりましょうよ先輩」
「なっ、ねぇって言ってんだろ。な、ミク」
「そうですね。浮かれるという心理状態かはともかく、浮足立っていたと思います」
浮かれると浮足立つってどう違うんだろう。
「否定になってねぇ」
「てか、ミク先輩は大丈夫ですか?」
「大丈夫……というのは具体的になにを指しているのでしょうか」
「お前もお前で今日はちょっと調子が悪そうだからな」
「これまでの言動に平時と比較しておかしな部分がありましたか?」
「いや、そう言われるとなにがってわけじゃないんだが」
顔色が悪いとかもないし、僕から見たらいつものミク先輩にしか見えない。まあ顔色が悪いなんて言ったら「皮膚組織は正常です」とか返されそうだけど。
「あれじゃないっすか? さっきのどこ行くみたいな話のとき」
「あー、スケジュールはいつもミクが訂正する印象があるな」
「それが私の
「いや仕事じゃないが……。あー、まあ、そんな日もあるか」
頭をポリポリとかきながらリン先輩はため息を吐いた。
そんなやり取りを眺めながらそういえば……、ふと思う。アカリがいない。113分隊がそろっているのにアカリだけいない。
「今度はどったのさ」
そんな僕の様子を察してかヤエカが聞いてくる。でも言ったらまた変な目で見られるだろうなぁ……。いや今更かな。
「そういえばアカリはどうしたのかなって思って」
「ホントに大丈夫? アカリちゃんなら今日はお母さんと会うから来られないって言ってたじゃん」
「そうだっけ?」
「もー、しっかりしてよー」
アカリはどうやら今日はいないらしい。にしてもアカリのお母さんか。……
背筋がゾクっとしたのを抑え込み、小さく深呼吸した。
「にしても、平日だってのにすっごい車の量だねー」
移動する僕たちの視界には多くの車が行き交っていた。正直、圧倒される。人の多さにも車の多さにも。一体どれだけの人数がいるんだろう。単なる
「そうか? こんなもんだろ。都心なんていつもな」
「いつもとか言っちゃって~、まだ上京して一年なのに」
「あのな……、あたしはお前らと違って免許も取ってんだよ。この交通量で運転してんだよ」
「いだだだ。ギブ。ギブです先輩」
リン先輩がヤエカの腕をひねりあげる。いつもの光景だ。
「てか、お前らも学生のうちに免許取っとけよ。どうせ要るんだから」
「まあ、田舎には必須ですもんね。……うちはお姉ちゃんが取るから」
「え!? ぼっ……私!?」
急に話を振られて危うく僕と言いそうになった。
「取るでしょ、免許」
「え、ま、まあ。はい」
「いい合宿先紹介すっから夏でも春でも空けとけよ」
「えーっ、合宿ならボクもいっちゃおうかな」
「お前はまた……」
「ヤエカがすみません」
ペコリと謝る僕に、リン先輩は「ホントに苦労してるなお前」と肩に手を置いてくれた。
「っと……、ここだ」
リン先輩が大きなビルに入っていく。当然、瓦礫や倒壊を心配する必要もないほど綺麗で、信じられないくらい多くの人たちが出入りをしている。きっとここだけじゃなく、周囲に見えるどの建物でもそうなんだろう。これが超巨大都市社会。何千何万もの人々が生活を営んでいて、それが連綿と続いている。僕にとっては目の当たりしてもピンとこないけど、きっとこの時代を生きる人たちにとってはそれが当たり前で。
「おら、ぼさっとすんなよ片桐姉。とっとと終わらせちまうぞ」
背中を軽く叩かれて我に返る。
「うへ……、にしても混んでんねぇ……」
ヤエカがそんなことを言うのも分かるくらいに人が多かった。
「明日明後日、ハロウィンで集まるだろうからこんなもんじゃないと思うがな」
「ハロウィンは10月31日に行われる祭事だったはずですが」
「あのな……。そんなド平日に集まって騒げるか。ハロウィン前の最後の土日でやるんだよ」
「毎年ニュースでもすごいですもんねぇ」
ハロウィン。伝統宗教が衰退した21XX年でも、クリスマスやハロウィンといった宗教行事が形骸的ではあるけど根強く残っていた。といっても女性区でも辺境にはロクなお菓子……甘味もなかったし、「
「特定の暦に意味のある宗教的行事を異なる日付けで行うというのですか? 理解不能です」
「もはや一種のイベントでしかないんだよ」
「ですから
「ああもう。頭が固すぎるんだお前は。ロボットかよ」
「ロボットは差別用語に該当する恐れがあります」
ああ、いつものやり取りだ。
「うぇ?」
と思ったのにヤエカがそんなすっとんきょうな声を上げた。
「いや、ロボットってそんなに言っちゃいけない言葉だった?」
なんてヤエカが小声で聞いてくる。
「ま、まあ、そのなんだ。確かに人に使う言葉ではなかったな、あんまり」
とリン先輩も戸惑いと苦笑いの混ざった感じで返している。
そっか。ロボットがそういう扱いになったのは、環境保護AIガイアによる侵攻があってからだっけ。僕にとっては敵で、何度も殺されかけたけど、この時代ではまだロボットは忌避されるものじゃなかったのか。
「いえ、私も言い過ぎました」
いつものやり取りがいつものやり取りにならなかったことに新鮮な気分を味わいながら何か違和感を覚える。
でも、それ以上に……、トイレに行きたい。
戦地や出動中はいつでも自由に行けるとは限らない。だからこそ行けるときに行く。
「すみません。お手洗いに行ってきます」
「おう。じゃあ先行ってるからな」
目前の文具店を示し、そういうリン先輩。あそこが目的地なのだろう。
ペコリと頭を下げて足早に「トイレ」と書かれた表示に従って歩く。
「えっ」
そして、固まった。
目の前にはトイレの入り口。それが2つある。当たり前だ。男女が同じ空間で生きているなら、それぞれのトイレがある。
で、でも僕はどっちのトイレに入れば……?
女性区には当然男子トイレなんてものは存在しなかったから、みんなと同じトイレを使うしかなかったんだけど……。
女子トイレに入って万が一にもバレたら通報されるし、でもこの格好で男子トイレに入っても混乱させちゃうだろうし……。
「多目的トイレならばあちらにありますよ」
「うぇ」
ぼーっとしているところに声をかけられて危うく漏れるかと思ったけど、ミク先輩だ。多目的トイレ。そうか、多目的トイレ。女性区でも赤ちゃんや子供の面倒を見ながら用を足す人などのために設置されている。
マークを見ればこの時代の多目的トイレは男女どちらの区分でもない。
「あ、ありがとうございます!」
急いで多目的トイレに入って、鍵を閉める。た、助かったぁ~。
でもミク先輩はどうして……? 僕がトイレに悩むと思ってフォローに来てくれた? いや、だとしたらミク先輩は僕が、その……男だってことを知っていることになるけど。
そうだとしてもおかしい。じゃあ昨日までのこの”僕”はこの時代に即した生活をしていたはずで、トイレだって最低限どうにかしていたはずなんじゃないか。それならわざわざフォローなんていらないだろうし。
「まあ夢にそんなごちゃごちゃしたことを考えても仕方ないか」
突撃あるのみ。とまでは言わないけど、こんな夢みたいな出来事で深く考えても意味がない気がしてきた。どうせ夢なら覚めるまで楽しんだほうがお得だ。……都合のいい夢なら男だってバレないかハラハラしないで済むようにしてほしかったなぁ。
用を足して、手を洗って、多目的トイレを出るとミク先輩がいた。
「待っていてくれたんですか?」
「肯定。別れて帰るよりも合理的と判断しました」
「そうですね」
「……というのは理由の5割です」
「え?」
「残りの5割はあなたと少しでも一緒にいたいと思ったからです」
「~~~っ」
もうこの人は! いっつもさらっとこういうことを言うんだから! 自分の言ってること分かってるのかな!?
「どうかしましたか?」
赤くなった僕の顔を覗き込んでくるミク先輩。ち、近い……。綺麗な顔が間近に迫り、僕の顔はもっと赤くなっていると思う。
「な、なんでもないです。行きましょう」
「ええ、いきましょう」
2人で並んで歩く。なんだかそれだけで少し温かい気持ちになる。
「ふふっ」
なんだか気が付けばそろって笑っていたような気がする。
もし、これが夢だというなら、目が覚めたらミク先輩を外出に誘ってみようかな。
「遅ぇぞお前ら」
目的の文具店につくとリン先輩がすでに買い物袋をぶら下げて待っていた。ヤエカは暇を持て余してか、店頭のペンの試し書きコーナーで落書きをしてるし。
「すみません」
素直に謝るとリン先輩はそれ以上特に何か言ってくることはなかった。
「ところで備品って何を買ったんですか?」
ちょうど視界に入ったので、僕は何となく気になったことを聞いてみた。
「ああ茶さじだ」
「茶さじって茶葉をすくうあの?」
「そうだ。誰かさんが折っちまったからな」
分かりやすくヤエカの方を見る。ヤエカ……。
「や、わざとじゃないって! 先輩知ってるじゃないですか」
「まあな。だからわざわざサークルの予算で買いなおしてるんだろうが」
「って言ってもうちのサークルでちゃんとお茶
「あくまで表向きは伝統ある茶道サークルなんだけどな」
表向きは茶道サークル。なるほど。僕らの茶道部みたいな感じなんだろうか。
「はぁ……。まあいい。用事も済んだし、ちょうどいい時間だからなんか昼でも食べてくか?」
「ゴチになりまぁ~す」
「おい!」
「こらヤエカ!」
「え~」
「いや、まあ別にいいけどよ」
ワシワシと頭を掻きながらため息を吐いた。
「そうですか。では」
「おい! いやなんでミクもちゃっかりおごられる側になろうとしてるんだよ」
「そういう流れかと思いまして」
「いや……、まあいいけどさ。今度なにかあったらときはお前がおごれよ」
ミク先輩の肩をポンと叩いて、リン先輩は仕方なさそうに財布を確認していた。
そうだ。僕たちは給料も出ていたけど、この時代だとどうなんだろうか。学生がいくら持っているのか、そもそもどうやって支払うのが一般的なのか、一切知らない。
「4人分ってなると大したもんは食えんがそこは勘弁な」
この時代の食事……外食ってどのくらいの値段なんだろう。
「え~、そこは超高級イタリアンとかを」
「お前が今度おごってくれるなら出してやってもいいが」
「そ、そこはお姉ちゃんがほら」
「あたしはお前に言っているんだ」
「んぐ、責任転嫁失敗。んじゃ~もうバーガーとかでいいんじゃないです?」
「ま、妥当なところか。お前らもそれでいいか?」
「はい、大丈夫です」
「問題ありません」
そんなわけでやってきたのはチェーン店のハンバーガーショップ。リン先輩に「なににする?」と聞かれたけど、正直なにがいいのかもわからなかったので「お任せします」と言って、席をとっておくことにした。
しかし、相変わらず慣れない。店員もお客さんも男女隔たりなく、忙しく動いている。いつかこんな世界が……と思い描いていたけど、実際に生まれたときからの常識が違う世界というのはやっぱり慣れない。
ややあってトレーを持った3人がやってきた。
「ほらよ」
僕の前にはハンバーガーのセットが置かれる。4人掛けの席では僕の隣にヤエカ、正面にミク先輩、その隣がリン先輩だ。
ヤエカのトレーには大きなハンバーガーとポテト、アップルパイと僕よりも明らかに多い。
「お前の妹、遠慮なくサイドメニューも付けやがったからな」
「すみません……」
「ゴチでーす」
申し訳ない気持ちと恥ずかしい気持ちにさいなまれながら、早速ハンバーガーを頬張るヤエカにため息が出た。
「太っても知らないよ?」
マザーが健康的管理の行き届いた食事を提供してくれていたアカシア女子学園とは違う、この時代で健康管理がどうなっているのかは知らないけど、こんな食生活をしていたら太ってしまいそうだ。
「安心しろ。あたしがみっちりトレーニングしてやるから」
「うぇ!?」
そんなヤエカとは対照的にドリンク? のようなものだけのミク先輩。
いや、ヤエカもきっと僕が足りなかったときのことを考えて多めに……、違うなあ、これ。ヤエカはその辺の気配りができる子ではあるけど、僕の食べる量なんかは当然知っている。残念ながらというべきか、本当にただ食べたかっただけな気がする。
やれやれとそう思いながら僕はハンバーガーを一口。あ、美味しい。これ培養肉じゃない。こんな貴重なものを……って思ったけど、ガイアの侵攻以前はこれが普通だったのかも。安価で提供できるなんて少しうらやましい。でも、この時代の人たちにとってはそれが当たり前で、うらやましいなんて言われてもきっと分からないだろう。
「んっ」
ズゾッと何かを吸う音とミク先輩の声に目をやると、カップのドリンクを吸っているところだった。いやドリンクじゃなくてシェイクだろうか。
ストローを吸う艶のある口元が妙に色っぽくて、思わずドキリとしてしまう。
「飲みますか?」
「え?」
ミク先輩がシェイクのストローを僕に向けていた。
「口元へ視線の集中を確認しました。飲みたいのだと思いましたが違いましたか?」
さすがに口元が色っぽくて見てましたとは言えなかった。……痛い。机の下でヤエカからの蹴りを食らう。
未だに差し出してくるミク先輩にいらないとは言えないし……。
「じゃあいただきます」
身を少し乗り出して、垂れてくる髪を耳に掛けながら、ミク先輩のシェイクを吸う。甘い。きっと甘いんだと思う。けど状況が状況だけにドキドキしてあんまり味が分からない。
「ふふっ、どうですか?」
「その……お、美味しいです」
「それは良かった」
ドギマギしたやり取りをしていると、リン先輩とヤエカの刺すような視線が飛んでくるのが分かる。
「アカリちゃんがいなくてよかったかなぁ~、これ」
「ああ。確実に『ユイちゃん、わたしのも食べますか?』って言いだすだろうしな」
「見てるボクたちの精神衛生上よくないですもんね」
そんな会話が聞こえてきた気がする。こっちでもアカリはアカリなんだな。
「それで、この後どうするよ」
リン先輩がポテトをつまみながらそんなふうに切り出した。サークルの備品を買うという目的は達成したので、他の用事がないなら帰るのが筋なのだろうが。
「せっかくここまで来たら遊ぶしかないっしょ」
というヤエカの意見はみんなの思いの代弁だろう。
「だからどこで遊ぶって話だ」
リン先輩も最初からそのつもりで話を切り出していた。
「ふっふ~ん。せっかくハロウィンで
「いや、そういうのはあたしらみたいな陰キャのやることじゃないだろ」
「とか言っちゃってぇ、ホントはやってみたいんでしょ?」
「うっ」
さすがにこの態度は露骨すぎた。聡いヤエカじゃなくても分かるレベルで分かりやすかった。
「るせぇな」
しかしながら僕は、……僕である以上、人前で着替えるようなリスキーなことは避けたい。というかそれはヤエカも分かってるはずで。
「ちょっとヤエカ!」
小声でヤエカを詰めるけど、ヤエカは
「大丈夫だって」
と笑うのだった。
「そ、そうだ、ミク先輩はどうです?」
ヤエカが味方にならない……というかむしろ敵である現状、頼れるのはミク先輩。
「仮装ですか。確かにハロウィンでは怪物に扮する慣習ですが」
よかった、あまり乗り気ではなさそう。
「ふ~ん。……ちょっといいですか、ミク先輩?」
ヤエカが席を立ってミク先輩の耳元でコソコソとささやいていた。「なるほど」「確かに」などミク先輩は相槌を打つ。
「……そうですね。分かりました」
少し考えてからミク先輩はそんなふうに言った。何をどう懐柔したのか、ヤエカのこういうところは恐ろしい。
「あとはお姉ちゃんだけだよ」
「いや、でも」
「大丈夫。ちゃんと更衣室あるところ調べてあるから」
そんなことを小声で言う。だったら最初から言ってよ。もうこうなったら泣きわめいてでも譲らないだろう。仕方ないか……。
「分かったよ。もう」
今回だけだよ、とヤエカに折れたけど、多分今回だけじゃないんだろうなぁ。自覚があってもどうにもままならないものだ。
そんなわけで、ヤエカが調べたという近くにある貸衣装屋さんにやってきた。
商業ビルの一角、普段は催しものをするための広場といった場所に仕切りが作られ、様々な衣装が並んでいる。
「誘っておいてなんですけど、ミク先輩のサイズってあるんですかね?」
ヤエカの視線につられて、僕もついミク先輩の胸に目が行ってしまう。
「胸部への視線を検知。確かに市販店では服の選択肢が少ないですが」
「心配ありませんわ!!」
うわ! 聞きなれたテンプレお嬢様言葉が耳をつんざいた。
「る、ルリコさん!?」
見知ったクラスメイトにして大統領の娘。
「心配ないって……、ミク先輩のサイズだよ?」
「そうあれは去年のこと」
「ええと……、聞いてる?」
僕たちを置いてけぼりにして勝手に話し始めるルリコさん。
「仮装勝負をしようと連れてきた姫野アカリ! こともあろうに『ごめんなさいルリコさん。サイズの合う服がなくて……』と半泣きで言われたのが悔しくて、今年こそはと……」
こっちでもルリコさんとアカリはなにかと張り合っているのかな? 関係性は僕の知っているものと同じだろう。
「ですから! 今年は何があっても大丈夫なようにありとあらゆるサイズを取り揃えておりますのよ!」
「へー。ってことはここルリコさんが用意してるの?」
「ええ! ハロウィンは政府が推奨しているイベントですもの!」
いやそういうことではなく、どうやって用意しているのかとか……。まあ聞いたところでどうしようもないか。
「……姫野アカリはいませんの?」
「アカリならお母さんに会うからって今日はいないね」
「そうですわね。大事な時期ですものね」
大事な時期……?
「とにかく、ごゆるりと仮装を楽しんでいってくださいまし」
そういうとルリコさんは空気を読んでか奥に引っ込んでいった。
「確かに私の着用できるサイズも用意してあります」
「マジか……」
ミク先輩たちは服のサイズを確認していたみたい。アカリよりも大きいミク先輩のサイズまでそろっているなんて……。
「しかし給仕服に看護服、こちらは学生服でしょうか」
「うっわぁ~、生地がちゃんとしたやつの生地だ」
「怪物に扮するはずですが、……怪物とは?」
「ほら、いつまでそこに引っかかてんだ。とっとと選べよ」
早速物色し始めるヤエカ。考え事を始めたミク先輩を軌道修正するリン先輩。それにしても、しっかりした仮装からチープなものまでさまざまなものが並んでる。……これなんか露出高すぎない?
「ほら、お姉ちゃんもぼさっとしてないで、はいこれ」
「えっ!?」
衣装を渡され、ヤエカにそのまま更衣室に押し込まれた。
更衣室は仮設のものだろうけど、思ったよりもしっかりとしていて、のぞき込まれるようなこともないと思う。その代わり貸衣装屋さんなのに回転効率はものすごく悪そうだ。
そして手渡された衣装は……。
「ヤエカぁ~。なんかその……、スカートすごく短いんだけど」
ヤエカからの反応はない。着るまで出さないつもりだろうなぁ。……覚悟を決める。
えっとどういうふうに着るんだろう。これがこうで……。こっちは?
着れてる……かな? 鏡の前に立ってみる。
メイドさんだ。かなりスカートは短いけど。こんな格好で給仕や掃除をしたら……その……いろいろ見えちゃわない?
「お姉ちゃんまだぁ?」
「あ、うん、一応着られた……と思う」
「じゃあ開けるよ」
開いた扉の向こうにはヤエカだけじゃなくミク先輩とリン先輩もいた。
「へぇ」
とリン先輩がニヤニヤ見てくるので羞恥心が膨れ上がる。
「うぅ……」
ミク先輩は僕を見てじっと固まってしまっているし。そんなに変だっただろうか。
「っていうか、なんで私しか着替えてないんですか!」
みんなまだ私服のままだ。
「分かってるよ」
リン先輩がやれやれと言いたそうにマントのようなものを取ろうとしたら、すかさずヤエカがちょっかいをかける。
「リン先輩、もしかしてマントつけてドラキュラとかやろうとしてません?」
「あ?」
「いや~、こんなにちゃんといろいろ衣装が用意されてるのに
「んだと? じゃあ片桐妹、お前が選んでみろよ」
「そうこなくっちゃ。先輩にバッチシ似合うの選んでやりますよ」
2人とも仲がいいな……。でも僕らの時代だと分隊長と部下という関係上、ヤエカもここまで馴れ馴れしくはなかった……と思う。いや、たまに舐めた口を叩いてしめられたり、ハードな訓練を課されたりしていたけど。
「あの……ミク先輩?」
そんな2人とは対照的に、じっと僕を見つめたままのミク先輩。
「っ……。リソースが……! こほん、なんでもありません。それよりも次はこちらを着てください」
「え? あ、はい」
ミク先輩から衣装を渡されて、流れるように更衣室の扉が閉まった。……え?
え?
まさかミク先輩にこういうことをされるとは思っていなかった。ヤエカが何かいらないことでも入れ知恵したのだろうか……。
ヤエカを問い詰めるのは後にするとして、渡された衣装を見る。……着るの? これを?
「ええいままよ」
着るしかないならあきらめてとっとと着替えてしまおう。これは……ワンピースみたいに着るのかな?
赤いドレス? チーパオって言うらしい。鏡の前で少しポーズをとってみるけど……、スリットが深すぎて脚が丸見えになってしまう。本当にこれであってるのかな?
「その……着ました」
「はい。………………。はい」
ミク先輩は僕をじっと見る。今回はミク先輩だけだ。2人の声は遠くから聞こえる。
「……髪を結いましょう。こちらへ」
「あっ、はい」
併設された簡単な化粧台の前に座らせられる。後ろに立つミク先輩が僕の髪を軽く撫でる。少しくすぐったい。そして、ミク先輩の巨大な
髪を結うと言われたけど、決まった髪型、似合った髪型がある服なのだろうか。
「少し髪を強く引きます。痛かったら言うように」
「はい」
普段の僕は髪の両サイドを軽く束ねているけど、形はそれに近いみたいで、でももっと全体的に髪を集めてお団子を左右に一つずつ。
「シニヨンキャップをかぶせます」
真っ赤でシルクのような肌触りの服に、まとまった髪にかぶせられたカバー。
「えっと……どうでしょうか?」
気恥ずかしくて、少し顔が熱くなるのを感じながらミク先輩に聞いてみた。よく考えたら聞いた方がより恥ずかしかった気もしてくるけど。
「あの……?」
返事がない。未だなお背後に感じる圧から……、というか先ほどまで見ていた化粧鏡からいるのは分かっている。鏡だと顔までは良く見えなかったので振り返ってみた。すると若干顔が赤いミク先輩が固まっている。
意識が戻ったように僕の姿を見てから「オーバーヒートが」どうとか「処理能力が」どうとか小さくつぶやいているみたい。
「こほん。いえ、よく似合っています」
「は、はあ。あ、ありがとうございます……?」
正直、似合っていると言われることがうれしいかと言われると何とも言えない気持ちではある。だけど、なんだかそう言っていたミク先輩の表情がいつもよりも楽し気に見えたから、そこだけはうれしかった。
「それでは次は……」
「うぇっ、まだ他にも!?」
このままじゃ着せ替え人形にでもなった気分だ。
「ミク先輩、お姉ちゃんを着せ替え人形にするのもいいですけど、ミク先輩も着ましょうよー」
更衣室の方からヤエカのそんな声が飛んできた。「もう用意できてますよー」なんて声も。
「そうでした。忘れるところでした」
最後に僕の格好を見納めるように確認してから先輩は更衣室の方へと向かっていった。
更衣室の方からはしばらくあれやこれやと聞こえていたけど、途中からヤエカの特大の怨嗟がミク先輩とここにいないアカリに対してぶつけられていたので、きっとミク先輩の服のサイズで何かあったのだろう。
ヤエカは胸のことになると多少怨嗟を振りまく怪物になってしまうから……。特に大きいミク先輩やアカリに対して。
あとで謝ろう……。
「おう、片桐姉」
「ああ、リン先ぱ……」
振り返ってリン先輩の姿を見たとき、思わず心臓がギュっと掴まれたような気分になった。体に緊張が走るような。思わず伸びた背筋。
「なんだ、……その似合ってないか?」
「いえ、むしろ似合いすぎていると言いますか」
軍服。リン先輩が着ているのは軍服だった。もちろん、保安隊のものとはよく見れば違うし、普通なら絶対にしない(というかできない)着崩しもしているのだが、それでも軍服姿の上官を前にすると緩んだ気が引き締まってしまう。
「それはそれでなんだかな……」
「えーっ、いいじゃないっすか軍服の似合う女子。イケてますって」
ヤエカがそんなふうにぶーぶー言っていた。
ヤエカの格好はものすっごく丈の短いオレンジのスカートとオレンジのチューブトップに魔女のとんがり帽をかぶったような衣装。ってだけ聞くと露出度が高いように聞こえるけど、その下には全身デニールの高い黒地でところどこに星の模様が入ったタイツのようなもので覆われているので、意外と控えめ。ただぴっちりと体のラインが出るから僕は絶対に着られないなあ。……元から着る気もないけど。
「っとと、てわけでボクとリン先輩はほかの衣装見てるからお姉ちゃんはミク先輩の方お願いね」
「え、いやアタシは……」
そこで僕の方を見て、ミク先輩のいる試着室を見て、最後にヤエカの顔を見るリン先輩。
「あー、はいはい。そうだな。ミクのこと頼んでいいか?」
「……分かりました」
この状況で断れるはずもなく。まあ、とはいえ、僕が何かする必要もないだろうし。
「ったくなんでアタシが」
「いや~、馬には蹴られたくないじゃないですか」
「この場合、どっちだ?」
「どっちの馬も
なんか小声でぶつくさ言いながら2人は衣装の山に消えていった。
「すみません」
ミク先輩の更衣室からそう声がかけられる。
「えっと……、どうかしましたか?」
「背面のチャックを引き上げて欲しいのですが」
「それはっ、その更衣室に入って?」
「入らずに可能だというのならその方法でも構いませんが」
はい、無理です。
「あ、あの……、リン先輩かヤエカを呼んでくるので」
「非合理的です」
うっ……。まあそもそもミク先輩のことを任されたわけで、呼んだところで来ない気がする。
「分かりました。し、失礼します」
恐る恐る更衣室のドアを開けて中に入る。
ミク先輩はチャックを上げやすいように背中を向け、長い髪を前に流していた。うなじが扇情的で視線を奪われる。
「どうかしました?」
「い、いえ……」
ごくり。息を呑む。
「それじゃあ上げますね」
肌に触れないようにそっとチャックを引き上げようとする。でも押さえが効かないからなかなかうまく行かない。
ぐぐぐっ。このままじゃ長引くだけだ。意を決して僕は片手でミク先輩の服を押さえる。「んっ」とミク先輩からなまめかし声が上がるけど、できる限り聞き流して、あくまで平静に。
「で、できました」
「ありがとうございます」
髪を正して振り向く先輩。最後に頭に長い耳のついたカチューシャを付けた。
「バッ……」
バニーガールッ……。話には聞いたことがあるけど、こ……これは……。
「どうでしょう?」
「いや、その……」
「ふむ。片桐ヤエカがこの格好ならあなたが気に入るだろうと言っていたのですが」
「ヤエカーーーーー!」
ミク先輩に変なこと吹き込まないで!!
今すぐ飛び出してヤエカにサバ折りをぶちかましてやりたい。
「似合っていませんでしたか?」
「いえいえ! すっごい似合ってるんですけどね! その……、目のやり場に困ると言いますか……」
「目のやり場……。確かに胸部と脚部への視線の割合の増加を検知」
「え……」
み、見ないようにしていたはずなんですけど!?
「……では、片桐ユイ、あなたが選んでください」
「ぼ、わ、私が!?」
普通の服でもセンスとかよくわからないのに、ちゃんと選べるかな……。でも、ここで露出の低い服を選べば……。よし。
「わ、分かりました」
僕は更衣室を出てミク先輩の服を探し始める。
うーん、難しい。ここで選んだものによっては僕のセンスがモロに出るわけで。……センスが悪いとは思われたくない。
むむむ。ミク先輩に似合うのはどれだろうか。
種類が多いのもそうだけど、ミク先輩ならどれも似合いそうというのもあって逆に難しい。
「ふふっ」
悩んでいると背後の更衣室から僕のことを見ているミク先輩が笑っていた。
その普段あまり見ることのできない笑みにドキリとする。
「どうしました?」
「どうしましたとは何に対する質問でしょうか」
「いえ、笑っていたので」
「笑って……? 表情の設定が……、いえそれとも……」
何やら少し困惑しているミク先輩だけど、少ししたらほほえみながら、
「ですが、おそらくあなたが私のために真剣に服を選んでいる様子がうれしかったのだと思います」
「~~~~~~っ!」
またこの人は……! 思わせぶりなことを……! 言葉の意味分かってるんだろうか。
ミク先輩の言動を深く捉えれば捉えるほどドツボにハマりそうな気がしたから、テキトーに引っ張り出した衣装を渡す。
「これは……、学生服でしょうか?」
「ですかね?」
少しあいまいなのは、学生服にしては少しばかり複雑なつくりをしていたからだ。
「では着てみます」
更衣室のドアを閉めるミク先輩を見送って、先ほど服を引っ張り出したコーナーを見る。「白鈴女子学園制服」というポップがついていたので、その学園の制服なんだと思う。実在の制服が貸衣装店に並ぶことはさすがにないと思うけど……、いや用意しているのがルリコさんだからなぁ……。
しかし制服というにはバリュエーションに富んでいる。基本の襟元がフリルになっているブラウスと裾が黒いラインになっている白いスカートは共通だけど、その上に着るラベンダー色の服は胴だけだったり胴と袖だったり、形状やリボンの色、帽子やケープ、靴でもローファーのほかにいくつか種類があるみたい。実際に制服として着ることになったら選ぶの大変そう。
「どうでしょう」
更衣室のドアが開き、着替えたミク先輩の姿が見える。
「わあ……。その……お似合いです」
いつもの軍服もキリリとしてよく似合っているけど、こういう服もとってもいい。
「そうでしょうか……。いえそうならうれしいです」
それからしばらく僕たちはあれを着てこれを着てというのを繰り返した。僕たちというように僕もミク先輩やヤエカに着せ替え人形のような扱いを受けたんだけど……。
「それで? もう満足したでしょヤエカ」
たっぷり数時間にも亘るコスプレでワガママモンスターヤエカも満足してくれないと困る。
「ふっふ~ん、甘いですな」
にっししと笑うヤエカに嫌な予感を覚える。これはまだなにかあるやつだ。
「ハロウィンと言ったら
その流れで言うならいたずらも、になるんだけど。
そういってヤエカはチケットのようなものを4枚見せてくる。これは?
「じゃ~ん! スイーツビュッフェの無料券」
「さっきお前たちが着せ替えあってる間にもらったんだよ」
リン先輩が貸衣装店の方を見ながら言うのできっとルリコさんだろう。
「それまた今度じゃダメなの?」
「期限が明日までなんだって。行けそうにないからってボクらにくれたんだよね」
「明日は混むだろうな、土曜だし」
「ホントは中村ちゃんたちと行く予定だったらしいけどね~」
「ま、もったいないしな」
「とか言ってリン先輩もウキウキだったじゃん」
「片桐妹……いらんことばっかり言う口はふさいだ方がいいと思わないか?」
「イダダダッ、イタッ、ちょ、ギブ。ギブギブ」
またヤエカが折檻されていた。いい加減学習しようよ。いや、うん、付き合いも長いので無理なのは分かってるんだけど。
「行くなら速やかに行きましょう」
「で、ですね」
リン先輩にチョークをかけられてるヤエカに呆れながらも、ミク先輩がスッとチケットを取り、歩き出した。僕もそのあとを追従する。あの2人はああなったら放っておくしかないんだ……。
「わぁ~」
まるで豪華絢爛な宝飾品店のようだった。
スイーツ。お菓子。僕のイメージするものはもっと簡素で質素なもの。僕らの住んでいたような田舎にはお菓子なんてぜいたく品だったし、出回る種類も質も全然だった。砂糖だって高級品だ。牛乳、卵、生クリーム、全部そう。培養肉や人工食品が多い僕らの時代じゃ、ここに並ぶ全部がまず気軽に食べることなんてできない。それがこんなに並んでいるなんて……。
いや、多分、これもこの時代では普通のことなんだろうけど。
「うっは~、選び放題じゃん」
「驚嘆。さすがにこれほどまでとは思いませんでした」
「片桐妹、昼あんだけ食ったのに食えるのか?」
「甘いものは別腹っすよ先輩」
ふふんと胸を張るヤエカ。すごいな。僕はそんなに入る気がしないよ。
「時期だからかマロン、カボチャ、サツマイモ、ブドウとかが多いな」
リン先輩がラインナップを見ながらそうつぶやいた。目ざとい。
かぼちゃタルト、かぼちゃプリン、モンブラン、マロンショートケーキ、スイートポテト、マカロン、ブドウとマスカットのタルト、ブドウケーキなどなど……。他にもチョコなんかは定番なんだろうか? 並んでいる。
凝っているやつはなんかいろいろと飾りまでついてるし。
「お姉ちゃんそんだけでいいの?」
「そんなに入らないよ」
ヤエカは高そうなガラスの取り皿にあれよあれよとケーキを取り分けていく。
「ホントに食べられるの?」
「残すなんてもったいない真似しないって」
一生分……は言い過ぎかもだけど、それに匹敵する大量のケーキに見てるだけでお腹いっぱいになりそう。
「あっ、ミク先輩」
先に席に戻った僕を迎えたのは、ミク先輩だった。彼女の前にもさほど量は並んでいない。……まあこれが普通だと思う。
僕が選んだのはマロンやカボチャが多く、ミク先輩はブドウやマスカットが多い。まあ取り始めた位置関係の問題だと思う。真ん中にスイーツの猛獣……もといヤエカがいたから……。
「洋菓子への視線の集中を検知。……気になるものがあれば一口食べますか? お互いにシェアし合うことが合理的だと満腹中枢を基準に考えたのですが」
「そうですね。そうしましょう」
僕の胃袋を考えたら、今取ってきた分を食べてから、気になるものを再度取りに行くだけのお腹の余裕はない。もしかしたらミク先輩も同じで……、いやこの人、お昼シェイクだけだったけど。
とにかく、この場はお互いにちょこっとずつ食べ合うのがベストだと僕も思う。お行儀は悪いかもしれないけれど。
「あの2人はまだ帰ってこないみたいですし、先食べましょうか」
僕の視線の先ではぎゃーぎゃー言い合いながらスイーツの取り合いをしているリン先輩とヤエカが……。
「ではいただきましょう」
「はい」
モンブランを装飾の入ったキレイな銀のスプーンですくって一口食べる。
「美味しい……」
「ふむ。細部を観察すればわかりますが均一性、成分などを見ても手作業で一つ一つ作っているのでしょう」
ブドウのゼリータルトを食べながらミク先輩はそうつぶやく。
フォークで切り、すくい、それを僕の口元に運ぶ。
「どうぞ」
「えっ……、あ、はい」
恐る恐るそれをパクリと食べる。
「美味しい……です」
ボキャブラリーのなさを痛感する。でも美味しい。先輩が気を遣って果肉もきちんと入るように切り分けてくれたから、ゼリーのプルンとした食感と果肉の強めの食感とみずみずしさ、そしてタルト生地のザクザク感が混然一体となって口に広がった。
「あっ、こちらもどうぞ」
僕もモンブランをすくって、恐る恐るミク先輩の口元へと運ぶ。
パクリ。口からスプーンを離す動作ですら色っぽく艶があった。
「ありがとうございます。美味しいですよ」
優しいほほえみ。
「では、……あーん」
慣例に習ってかそんなふうな言葉と共にブドウケーキを僕に差し出す。
ちょっと恥ずかしいけれど、僕はそれをあーんと口を広げてパクリと食べた。
そんなふうに何品か、食べたり食べ合いさせたりを繰り返す。
美味しいって言うのはもちろんそうだけど、それ以上にミク先輩とこんなふうにお菓子を食べ合うなんてことができたのがうれしかった。今度茶道部の部室でお茶をたてているときにでもお茶菓子の差し入れをしようかな。そんなことを考えていたら、ミク先輩がぐっと身を乗り出して、僕の眼前に迫っていた。
ぐいっと片手が僕の頬をつかみ、顔をまっすぐミク先輩と向き合わされる。
か、顔が近い……。
「クリームがついています。ふき取るので動きを止めてください」
「うぇっ」
は、恥ずかしい……。というか言ってくれたら自分でぬぐったのに。
「ふふっ、取れました」
「あ、ありがとうございます」
たぶん顔は耳まで真っ赤だ。熱いのが分かる。
そんな気恥ずかしさに悶えていると、トレー2つにこんもりスイーツを盛ったヤエカとそれに比べたら控えめだがやや多めのリン先輩がやってきた。
「随分とイチャついちゃってまあ」
「ヤエカ」
僕に耳打ちするようにニヤケて言うので、肘で脇腹を軽く小突く。普段ならともかくトレー二つ抱えてる今では防御できまい。
「そんなに食べられるのですか?」
「甘いものは別腹なんで」
「? 別腹という臓器は存在しませんが」
「いや慣用句だからな、ミク」
「知っています。冗談です」
「お前の冗談は分かりにくいんだよ……」
いや本当に。ミク先輩の場合は本気で言っているのではないかと思う場合が多々あるから困る。
ちょっと困惑する僕たちをよそにヤエカはスイーツを食べていた。それはもうむさぼるように。何度か行儀が悪いと止めたくらいには。
「まさか本当に全部食べ切るとは……」
「ふっふ~ん、女の子はスイーツ大好きですから」
ポンっと自分のお腹を軽く叩いて不敵に笑う。
「女の子としてその食い意地はどうなのさ」
「食べれるときに食べとかないといつ食べれるか分からないじゃん」
「それは……そうだけど」
きっとこのヤエカはそんなに重い意味で言っていないと思うけど、でも確かに食べられるときに食べないと、なんて思うことはある。僕らは特に。
「太っても知らないからね」
「うぐっ。ま、まあ運動するから大丈夫っしょ」
「声が震えてるよ」
「うう……」
「まあ、その……、なんだ。昼の分も合わせて、しばらくはキツめのトレーニングな」
「うへ~、分かりました……」
「リンも概算にはなりますが平時の摂取カロリーを大幅に超えています。自己管理の意味もあるのでしょう」
「そういうことは言わなくていいんだよ」
まあ僕ですらオーバー気味だから。ミク先輩はお昼がシェイクだけだったのでそこまでじゃないのかな?
「まあアレだ。気になるなら一駅くらい歩くか」
「東京の一駅ってなんの足しにもならないと思いません?」
「……そうだな」
いや足しにはなるんじゃないの、ごくわずかでも。ダメだ……、2人の顔から「ちょっと今運動するのは面倒臭い」というのが感じ取れてしまう。
「素直に帰るか」
「そうっすね」
どこか遠い目で2人は言った。
駅前の雑踏を流されるように歩く。道行く人が死んだ目をしていた。
死ぬ覚悟の目はよく見た。死ぬ気の目は幾度と見た。死んだ人の目も見た。でもそれらとはベクトルが違う言い知れぬ怖さがある。
僕には慣れない人の波が、僕らのことなんて気にもせずに動き続ける。
「ちょっと時間あるな……。ちょっとお手洗い行ってくるわ」
「あ、ボクも」
電車までの時間が少しあるからと、リン先輩とヤエカがお手洗いに。
残された僕とミク先輩は人波の邪魔にならないように、駅構内の壁際に立つ。
「うわっ」
前を見ていないのか、それとも気にする余裕もないのか、壁際の僕らですらスレスレだったり、ぶつかりそうになることが多い。
「大丈夫ですか?」
僕を庇うようにミク先輩が壁に押し倒す。リン先輩が好きなマンガで言うところの壁ドンのように。……普通逆じゃないかな。
「あっ」
ミク先輩の背中にカバンがぶつかり、前のめりになり、僕と顔がぐっと近づいた。
その距離に思わず顔が熱くなるのが分かる。心なしか、ミク先輩の顔も赤い気がした。
そして、その距離が不意に縮まる。僕らの距離はゼロになって重なった。
「…………っ」
訳が分からず固まる僕に、ミク先輩は赤らめたほほえみで
「ふふっ、今日はこのくらいにしておきましょう」
そう言った。
今日は……? それって……。ごくりと思わずのどがなった。
「おう、待たせたな」
「いや~、混んでた混んでた」
立ちすくむ僕と対照的に、ミク先輩はいつものように淡々とロボット……もといアンドロイドのようにヤエカたちに対応している。
「どったのお姉ちゃん、顔真っ赤だけど」
「あ、ああ、うん」
ヤエカがなんか言っているのは分かるけど、言葉が耳に入ったまま逆の耳から流れ出るような気分。聞こえてるはずだけど、なにも残ってない。
「ちょっと……、おーい。……ダメだこりゃ」
「なんかあったのか、あれ?」
「ええ、少し」
「少しってなにしたんだよ……」
「秘密です」
「……まあほどほどにしとけよ」
「それじゃああたしらはこっちだ」
「ボクらはこっちなんで」
駅のホームで互いがそれぞれ逆方向の電車。僕とヤエカ、リン先輩とミク先輩。
「んじゃ来週な」
「うぇ~」
「返事はハイだろ」
「ハイ」
そんなやり取りをのぼせた頭で聞き流しながら、僕はヤエカと電車に乗り込む。
……電車が揺れる。
幸い、僕たちが乗った電車は空いていた。行先の問題か、ミク先輩たちの電車は混んでいたので、座れるかどうかも怪しいすし詰め状態。
「ミク先輩となにかあった?」
「うぇ……」
僕が思わず漏らした声に呆れたような反応が返ってくる。
「分かる?」
「そりゃあね。お姉ちゃん分かりやすすぎ」
「そんなに分かりやすいかな……」
「今日ばっかりはさすがに」
まあアレだけ顔が熱くなるくらいだったら、そりゃあバレるよね。特にヤエカはこういうのに鋭いから。
「ま、お姉ちゃんが楽しかったならいいよ。で、楽しかった?」
「うん、楽しかった」
振り回されたから素直に答えるのはシャクだけど、それでも間違いなく楽しかった。
「ふぁあ。なんだか眠くなってきちゃった」
「んじゃちょっと寝る? 起こすよ」
「……うん、お願いできる?」
「にっしっし、任せなさい」
「不安だなぁ……。うん、でも、今日はホントに楽しかったよ」
「そう」
「うん。だから、……今度は。……アカリも、一緒に。みんなで。……」
「……お休み」
パッパラー。
起床のラッパで飛び起きる。
「おはようございます」
素早くベッドのカーテンを開け、いつものように朝の挨拶を告げた。
「はい、おはようございます」
いつものようにニコリと笑うミク先輩のほほえみが、駅での赤らめたミク先輩の顔と重なり、ドキリと心臓が高鳴った。
いつもの日常、いつもの光景、いつもの習慣。
夢。そう、あれはきっと夢だった。
それでも……。
「ふふっ」
僕の中には確かに残る確かな記憶があった。
「ってアカリ! 起きないと遅刻するよ!!」
そんな感傷に浸る余韻もなく、僕は現実に立ち戻る。
「アカリー!!」
寝坊助を起こしながら僕は思う。夢なんていつも死にかけたようなそんな悪夢ばかりだ。今でも飛び起きることがある。
でもこんな夢なら、また見たいな。
そんなことを思いながら、僕らの日常がいつも通りに始まった。