早朝。ひとりの青年が王国の門兵と挨拶を交わし、気さくな笑顔を浮かべて城門をあとにする。鍛錬のために外へ出たいという彼の背中を見送りながら門兵たちは嘆息していた。
「我が王立騎士団の上に立つお方は非番の日でも志が高いのだな」
「俺らは非番なら寝れるだけ寝ちまうぐらいの志だよな」
濡れたような黒髪の青年は昇る朝日の眩しさに目を細めながら街道を歩いていく。ある程度行ったところから道を逸れ、やがて草木もまばらにしか生えぬ平原で歩みを止めるとやってきた道を振り返り、ほうと息をついた。視線の先には小指の先ほどに小さくなった城門があった。青年はそこで背に収めていた双剣を流れるように取り出すと、目を瞑って深く息を吸い、そしてゆっくりと息を吐いた。呼吸を意識して繰り返しながら頭の中で冷気というものを思い描き自分の周りにそれが纏わりつくことを想像する彼の周りでは次第に空気が冷え土は凍り、草花はその身をしおらせていく。彼の魔力が彼の思うように変換され、氷の魔法となって発現しているのだった。あたり一帯を凍えさせる冷気は街道沿いに王国へと向かう旅人にひととき外套を着こませるほど。両の手に握った双剣が氷を纏うように想像すればその冷気は途端に収まり、鋼の刃は冷たく凍えた一対の青き氷剣に変じていた。
「精が出るな、ランスロット」
突然に名を呼ばれ、ランスロットは目を開いた。魔力変換のための瞑想をしていたとはいえ警戒を怠っていなかったはずが、ランスロットは声をかけられるまで相手の存在に気がつけていなかった。気配を極限まで薄くしながらこちらの懐まで近づくことができ、そんな芸当をただの挨拶に使うような者を彼はひとりしか知らない。
「……ジークフリートさん!」
そこにいたのは大剣を携え漆黒の鎧を纏った剣士。ランスロットが師と仰ぐ人物だった。喜色をあらわに彼は声の主に駆け寄らんとしたが、ジークフリートと呼ばれた男は背負っていた大剣をざんと地面に突き刺してそれを制した。
「魔力を練ったところなのだろう?せっかくなら、手合わせを願えるか?」
言って楽しげに笑うと彼は深々と突き刺さった重たげな大剣をこともなげに肩に担ぎ直した。
「はい!ジークフリートさん!」
対するランスロットはより一層喜色ばむと、双剣を構え直し、恐ろしく凍てついた冷気を集約させて纏わせた。
王立騎士団が演習として使うこともある城門近くの平原に剣戟の音が鳴り、地面がめくれ、土煙が舞うのは珍しいことではないが、聞き慣れぬ物音に驚く旅人は何が行われているのかを見定めようと足を止めていた。が、ふたりはその姿を容易に捉えられるような者ではない。手数と速さのランスロットを有り余る膂力で凌ぐジークフリート。手を止めず脚を動かす彼らはお互いの剣に宿るらしさを感じ、時には互いに信を置いた一撃を放ち、いなし、口元に笑みを宿しながら手合わせを続けた。なにも見定められないことを悟る旅人は止めていた足を前に進ませる。同じように足を止め、そして諦めて歩みを進ませる幾人もの人が街道を通り過ぎようとふたりの剣は交わり続け、笑みの絶えることは無かった。
「失礼します、白竜騎士団団長殿!」
王国の門兵が松明を片手にそう声を張り上げたのは日の落ちかかった夕暮れのこと。ランスロットは土煙にまみれながらの手合わせを止めて自らの肩書きを呼んだ門兵と向き合った。
「どうした?緊急のことか?」
「いえ、あの、城門がそろそろ閉まる時刻ですので、お知らせにあがりました!」
王国の要衝を守る門は夜ともなれば魔物や不届き者の侵入を防ぐために閉ざされる。それを楽しさあまってすっかりと意識の外に置いていた白竜騎士団団長ははっとした顔をし、次にジークフリートを見た。普段から城門の外で生活している大剣持ちの男も閉門のことなど頭になかったようで、門兵の男はおろおろとその場で恐縮していた。
「ランスロット。今日一日おまえが団にいなくても回っていけるのか?」
「は、はい。非番でしたし、この時間まで急務がなければ輪番で問題ないと思います」
ふむ、と頷いたジークフリートは門兵に告げた。
「では、今晩は俺が白竜騎士団団長殿を借り受けていく。明日の朝、開門する頃には送り届ける」
はぁ、と言う声と、ジークフリートさん!?という声が上がったが、剣士ふたりのひそひそとしたやりとりのあとには眉を下げた双剣使いが門兵に言伝を頼んできた。
「白竜騎士団副団長によろしく伝えてくれ。朝には戻ると」
手合わせに興じていたふたりは埃っぽくなった身体や頭髪を清流に濯ぎながら、それぞれの怪我の程度を検分していた。大剣で地面から抉られた土塊を幾度も飛ばされたランスロットには防ぎきれなかったそれらが当たってできた打撲がいくつか見られ、冷気の込められた双剣を数え切れぬほどいなしてきたジークフリートには軽い切創と凍傷がいくつか見られた。ジークフリートはせせらぎの音を聞きながらランスロットの手が治癒のためにほのかに光を発しているのを見つめていた。かつて前身の騎士団で副団長であった頃の彼にも剣の才はあったが手合わせでやすやすと傷をつけられるようなことはなかったように思う。それがいまや軽度とはいえ手負いにさせられるほどの剣が彼には備わっている。ただの部下だった頃よりも、執念深く自分を追っていた頃よりも、今の彼に心惹かれているのはなぜなのだろうと、ジークフリートは物言わず思案に耽っていた。
細かな傷も凍傷もすでに癒えていたがランスロットの手が名残惜しく肌を離れようとしないことにふと気付いたジークフリートは微笑み、自らの手を重ねる。
「俺に魔法の心得があれば、おまえの怪我をすぐさま治してやれたんだがな」
軽微な怪我は率先して治したくせをして自分を治す時間は惜しいのか、と暗にからかわれたランスロットには打撲の痕が至るところに残っている。恥じらいを見せる彼の身体を引き寄せ、できた痣を手で撫ぜ唇を落とせば体温の上がる身体は息を呑んだ。いいのか、と問う声に、はい、と答える声があった。せせらぎの音から遠ざかり、土と砂にまみれた鎧からひととき目を逸らして狭い天幕へともつれ込んだふたりは濡れそぼった髪も身体もそのままに互いの熱を確かめ合い、高め合った。怪力を誇るジークフリートの手が肌の上や身体の中を繊細に彷徨い、自身を昂らせていくことにランスロットは感じ入り、骨まで凍らせんとするほどの氷魔法を操るランスロットの指先から肚の中までもが血の熱さを宿して心地よく暖かいことにジークフリートもまた感じ入った。ランスロットは白竜騎士団団長という立場上、頻繁には国を離れられない。ジークフリートはどこにも属さない。ゆえに一つどころには留まれない。会いたくとも会えぬ時に感じた想いの丈を託すかのようにふたりは欲に溺れながら長く求めあった。
逢瀬を覆い隠していた夜の帷が明けゆく気配をジークフリートは天幕の中から感じ取って目を覚ました。昨夜の情事をほのかに思い返しながらランスロットの寝顔を伺っていると閉じられたまぶたが緩やかに開き湖のように青い瞳に見つめられた。ふと微笑み朝の挨拶を口にするランスロットにジークフリートはくちづけを落とし、明けきらぬ薄闇の中で彼を胸に抱いた。
身のうちに沸く竜の血の気配をいつか自分は抑えきれなくなる。そうなるまでに対策を見つけられることを祈りながら、そうなってしまった時のことをジークフリートは幾度となく思いを馳せてきた。自分を討つことのできうる者。そしてその死に囚われずに生きうる者を今この胸に抱く彼は、密やかに思い描く。おのれの心臓にランスロットの手がぞっとするほど冷たく鋭利な刃を迷いなく突き立ててくれるのを。思い描くことができるのなら、それはきっと想像のままに発現できる。ジークフリートはこれまでに幾度となく想像した光景に今もまた僅かながら安堵していた。
「ジークフリートさん?」
何も知らぬように名を呼んだランスロットにジークフリートは髪に顔を埋めて尋ねる。口元には微笑みを宿しながら。
「おまえはいつか、俺を殺すことができそうか?」
ランスロットにしてみれば脈絡もない突然の問いであったが、彼はジークフリートに向き直ると微笑みながら答えた。
「……殺すことはできるでしょう。でも、あなたを苦しませずに殺すには俺の剣は遠すぎる」
彼もまたジークフリートの身に流れる竜の血のことに幾度も思いを馳せてきたのだった。双剣を握り慣れた硬い掌はジークフリートの肌に触れ、密かに思い描いたことの再現のように心臓を撫でていく。
「だからもっと鍛錬を積みます。あなたが死を望んだときにちゃんと終わらせることができるように」
ジークフリートは肌に触れる温かな手に自らの手を重ね、強く握り込んだ。
「……すまないな」
「いつか来るそのときが本当は来なければと思います。でも、もしその選択しかできなくなったなら、俺がそうしたいんです。他の誰にも任せたくない」
ランスロットはジークフリートに身を寄せると縋るように抱きついた。
「もしあなたが他の人の手にかかるようなことになったら、俺はきっと、あなたの後を追ってしまう」
ジークフリートは睫毛を震わせ輝くような涙を零すランスロットの顔を上げさせ微笑んでみせた。ランスロットに惹かれる理由の一端を垣間見たジークフリートもまた、ひとすじ涙を流していた。宥めるように、慈しむように、彼は涙の跡にくちづけ、ランスロットをしかと抱きしめた。涙の匂いの漂う天幕には朝の光が差し込んでいた。