糸師冴の相棒 作:まっしゅないも
居駒真澄は人間社会に向いていないのかもしれない。
潔の暴言で芝を食べた友を尻目に、糸師冴は考える。仮に真澄が正気であれば「何クソ失礼なこと言ってんだ」と怒るだろうが、残念ながら彼の口は硬い芝の繊維を消化するために動くのみであった。隣では士道が腹を抱えて笑いながら何やら話しかけている。
スペインでは言葉が通じないあまり、パーティー会場の隅で体育座りをしていたような男が、言語の通じる日本でこれだ。一体こいつは、どこへ行けばまともにサッカーができるのか。
得点実績はあるし、王者たる威厳が売りのレ・アールに突如現れた期待の珍獣として人気もある。だがそのメンタルは爆弾そのものだ。
レ・アールのフロントが頭を抱えているのを冴は知っている。居駒真澄は、冴がいなくともそこそこ活躍する。だが同時に、今この瞬間のように、チームを内側から崩壊させる災厄にもなり得るのだ。
キックオフの笛が鳴る。冴はどこの山に真澄を放そうかという思考を切り替え、諸問題の元凶たる男へと視線を向けた。
潔世一。
理論の外側で生きる男を狂わせた張本人。
ただのストライカーじゃない。ピッチ上の全ての事象を読み解き、自分のエゴを作り変える。適応能力が高いとも言う。
面倒だな。
冴の脳内で、潔のプレーが再生される。その適応能力、空間認識能力は、確かにブルーロックの中でも突出している。だが冴から見れば、それはまだ「正解」をなぞろうとする優等生のサッカーの域を出ていなかった。
センスは良い。ゴールへの執着心も持ち合わせている。
だがまだ世界には届かない。体力、技術、知能全てが。
冴の視線が、再びどこか遠くを見ている友へと移る。
理屈で動く潔世一に、理屈の外にいるあのバカの動きは読めないだろう。一重に冴が苦労しているのは真澄という強力な駒を無効化された上、当の駒本人に読みを邪魔ばかりされているからである。
だがその『邪魔』は相手も同じこと、だと思っていたが……。
(凛が真澄の行動を読めたのは想定外だ)
凛が真澄に適応したら、真澄はただの足が速いだけのFWどころか敵味方の判断さえ付けられないダチョウになる。
長年の相棒、ダチョウ化。糸師冴のサッカーキャリア最大の汚点はどうしても防がなければ行けなかった。
冴は決める。今の真澄は制御できない。制御しようとするだけ無駄だ。
逆にこの『混沌』そのものを戦術に組み込む。理屈で動く潔世一にとって、理屈の外にいる今の真澄と凛は最大のノイズになるはずだ。
(クソパスは論外だが真澄の予測不能なボールの先に、俺か悪魔くんがいればどうにかなる)
発言は極めて気色悪いが、士道龍聖という男は混沌の中から好機を嗅ぎつける嗅覚とそれを無理矢理にでも可能にする身体能力を持ち合わせていた。
ボールを持った糸師冴に、潔世一が猛然とプレスをかける。思考を読むだけでは勝てない。ならば、直接叩き潰すまで。
冴は、潔の挑戦的な視線を真正面から受け止めた。
(来たか。真澄のクソザコメンタルを的確に狙い撃ちした、ド陰湿腹黒野郎が)
一方、潔の脳内も冴への警戒で満ちていた。
(来たぞ。他人の人生かかった試合を荒らす自己陶酔イカれ野郎が)
潔は、冴を止めるための一手を打つ。冴の正面に立つのではなく、冴と真澄を結ぶパスコース上にポジションを取った。守備のセオリーからすれば不自然なその立ち位置こそが、潔の明確な意思表示だった。
その動きを見て、冴が侮蔑に満ちた声で言い放った。
「技術で勝てねえクセに、一丁前にフットボーラー気取ってんじゃねえぞ3流が」
(どこから来る……?いや、どこに出す!?)
潔は一歩踏み込み、冴へのプレッシャーを強める。その瞬間、冴は嘲笑うかのように、あえて真澄の方向へ強烈なパスを出すと見せかけるボディフェイントを入れた。
(お前のその浅ぇ思考ごと、ここで終わらせてやる)
潔の思考が、冴のフェイントに食らいつく。
(また
潔はフェイントを警戒しつつ、他へのパスコースにも対応できるよう半歩、体を寄せた。彼の読みと身体が完璧にシンクロした、最善の守備。
——しかし、その半歩こそが冴の作り出した空間。
潔が半歩動いた、その数秒の隙。それこそが冴の本当の狙いだった。冴はフェイントから一転、爆発的な加速で潔が空けた中央のスペースへとドリブルで切れ込む。
潔の最善の「読み」が、未熟な技術により致命的な「隙」へと反転する。
「お前の
抜き去り際に放たれた冷徹な一言が、潔の脳に突き刺さる。
時が止まったかのような錯覚の中、冴の足から、吸い込まれるようにボールが放たれる。そのパスは、潔が自らの技術不足で明け渡してしまった絶望の空間へと、完璧な軌道を描いていた。
ボールは閃堂の足元へ寸分の狂いもなく届く。
(あの混戦でこのラインが見えてたのか!?視野が広すぎるだろ!)
潔は自分のミスが生んだ決定機を、ただ見送ることしかできない。
だがその絶望の空間に、予測していなかった影が滑り込んできた。
「相変わらず足元が緩いな。凡」
烏旅人だった。彼は冴と潔の攻防を見ていなかった。ただ、冴がボールを持った瞬間に生まれるフィールドの力学だけを分析していた。
閃堂がシュートを撃つ、その刹那。烏の伸ばした足が、ボールを寸前でかっさらう。
その光景に、冴は思わず舌打ちをした。
「頭も技術も勝てん相手に、同じ土俵で挑んでどないすんねん。アホか」
烏はボールを奪うと、視線を上げる。
「氷織!」
カウンターの起点を探し、冷静な分析眼を持つMF、氷織羊へとボールを繋いだ。氷織は正確なトラップでボールを収め、即座にフィールド全体を把握する。
(潔くんも凛くんも、敵を引きつけすぎてる。ここは僕が運んで、サイドから……)
氷織がドリブルで持ち上がろうとした、その瞬間。
「行かせねぇ!」
U-20の仁王和真が猛然とプレスをかける。氷織は咄嗟にボールをコントロールしようとするが、フィジカルの差で押し負けた。仁王は体勢を崩しながらも、執念でボールを大きくクリアする。
「ナイスフォロー仁王!」
閃堂が声を掛けながら、クリアボールの回収に走りに向かった。
高く蹴り上げられたボールは、誰の意図も介さず、中盤のぽっかりと空いたスペースへと落下していく。
誰もがその落下点を予測し、次のプレーへと動き出そうとした。
そのボールが、まるで引力に引かれるかのように、転がった先に
——居駒真澄がいた。
閃堂秋人は顔を引き攣らせる。
糸師凛は深く息を吸い込む。
士道龍聖は口元を歪める。
士道の脳内で、麻薬のようにシナプスが爆ぜる。始まったのだ。士道と凛による……居駒真澄を巡る、生命の争奪戦が。
ピッチにいる凡人どもが思考を停止させる中、士道の細胞だけが歓喜に打ち震える。
そうだ、この瞬間を待っていた。あの空っぽの瞳、誰のものでもないボール、そしてこれから始まる予測不能な生命の爆発!
彼の目には、居駒真澄のプレイで生まれる混沌と混乱するピッチが、生命の源泉そのもの——最高の子宮に見えていた。そして、そこに群がるストライカーは精子。あの糸師凛という男は、力ずくでこじ開けようとする野蛮人だ。
だが自分は違う。
真澄の混沌を愛し、最高の
士道の思考とシンクロするように、糸師凛が猛然と真澄へと走り出す。
それを見た士道は、対抗するように足を動かす。
凛の猛追。それを、真澄はまるで背中に目があるかのように感じ取っていた。彼はドリブルを選択しない。ただ、迫りくる破壊の化身から逃れるように、本能のままにボールを高く、ゴール方向へと蹴り上げる。
それはパスというにはあまりにも雑すぎた。速く、歪み、そして大雑把すぎた。
だが、その無軌道なボールに、糸師凛は意味を見出す。まるでそれが自分への挑戦状であるかのように、反転して落下点へと走り込む。
「もう
その光景を、士道は見逃さない。
凛が落下するボールに合わせようと、トラップモーションに入る。だがその瞬間、二人の共鳴が作り出した聖域を、暴力的なまでの生命力が蹂躙した。
「ゴマちんのあのキックはな、お前へのパスじゃねえんだよ!『この混沌を最高の
士道龍聖が、凛の横から、いや、上から現れた。
凛が驚愕に見開いた目の前で、士道は圧倒的な跳躍力で空を制圧し、凛が受けようとしたボールを、そのまま頭でゴールへと叩きつけた。
ボールが、ゴールネットに突き刺さる。
——
ゴールを決めた士道は、着地すると同時に、ゴールを奪われ憤怒に震える凛へと振り返り、挑発的に笑った。
「ザンネーン、リンリン。俺の勝ち♡」
「クソ害虫が……殺す……!」
「あのキックはな、ただのボールじゃねえ。ゴマちんの『俺をめちゃくちゃにしてくれるヤツはどこだ?』っていう魂の叫びなんだよ。お前みたいな、お兄ちゃんの影ばっか追ってる弟クンには重すぎんだぜ」
「キメェこと言ってねえでとっとと死ね!」
「わかるか? これはゴマちんのハートをキャッチできた方が勝つ、愛のサバイバル♪」
あの最後のシュート……士道の爆発を邪魔するものは何も無かった。
真澄が士道のためだけに用意した
居駒真澄が天才か、変人か、など士道には関係ない。アイツが誤解されていようと、糸師冴がコントロールしようとして頭を抱えていることも、生命の本質と快感を求める士道にとってはどうでもいい。
(そういやゴマちん、もうすぐ誕生日だって言ってたな。誕プレ何がいいかな)
それでも士道が真澄に執着するのは、彼は士道が初めて見つけた初めての『同類』だからである。
士道が初めて会った時、真澄は拘束された自分を見ても、他の奴らのような恐怖や侮蔑の目を向けなかった。理屈で判断しなかったのだ。ただそこにいる「生命」として、純粋な好奇心で「一緒にサッカーしようぜ」と言った。
練習が始まれば、その本性はさらに剥き出しになる。道理を無視して理屈を超えた
士道が求める「脳がイく」感覚を、居駒真澄は無自覚に、無尽蔵に生み出していた。
『士道くん、バカみたいに走ってシュート決めるのが一番楽しいよな!』
居駒真澄は、思考で自分を縛らない。本能のままに動き、本能のままに孕ませる。身体的快感こそが居駒真澄のサッカーの根源だ。
だから、奴の周りでは常に最高の『爆発』が起きる。あの意味不明なコース取り、あれは技術じゃない。本人が何も考えていないのならばそれはただの運だ。
だが、その運こそが才能の正体。理屈も戦術も超えて、あいつは『サッカーの神』に愛されてる。
だからこそ士道がその爆発を最高の
士道はペナルティエリア外にいる真澄へ向けて助走をつけ飛びかかった。
「ゴマちん!見た!?俺たち2人で作った愛の結晶だ!俺たちのガキをたくさん作って世界をめちゃくちゃにしようぜ!」
「キモ……!」
その禁断のワードが、真澄の意識を強制的に現実に引き戻した。
ガラス玉のようだった瞳に、光が宿る。
「そんなツレないこと言うなよ!似たもの同士だろ、俺たち♡」
「あはは!そんなわけねえだろ〜」
「アレ?ゴマちんおはよう」
目の前で士道くんの顔がどアップになってる。
あれ?俺、何してたんだっけ?口の中に残る青臭い後味と、やけにクリアな視界。まあいいや。
普段の俺ならドン引きしてるところだが、頭がスッキリしてて気分がいい。俺は背中に張り付いたままの士道くんを気にもせず、そのままおんぶするような体勢で笑った。
その平和な時間は、一瞬で終わった。
視界の端に、鬼が見えた。
いや、鬼の形相をした糸師冴だ。
(やばい、なんか知らんけどめっちゃキレてる)
パァン!
乾いた破裂音が、スタジアムの喧騒を切り裂いた。
頬に燃えるような熱が走る。何が起きたか理解するより先に、審判が笛を吹きながら走ってくるのが見えた。黄色いカード。
俺を平手打ちした冴は近寄る審判に目もくれず、俺の目を覗き込む。
「おい。お前が避けねぇから、イエロー貰っただろうが」
こいつ、イカれてやがる……。
俺は頬を押さえながら、普段の理不尽を遥かに上回る冴の行動に呆然とした。
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