月雪ミヤコの恋愛録 作:一等星の夜
雪が降っていた。
積もるほどではないが、ふわふわと。
朝方なのに空はどんよりと暗くて、より一層寒さを感じてしまう。
スーツの上から羽織ったコートのポケットに入れたカイロで手をあたためながら、私は子ウサギ公園の一角に建てられたテントの前で立ち止まり、深く吸い込んだ息をゆっくりと吐き出した。
……いやいや、べつに緊張するほどのことではないだろう。告白しにきたわけでもあるまいし、ケンカをしていたわけでもない。
ただ普通に、調子はどうかとかたあいのないことを訊ねて、くだらない会話に少し付き合ってもらうくらいでいい。
……ええと、まずは外から声をかけてみて。……なんと声をかければいいのだろうか。インターホンもないし、ノックをするのもおかしいし、ええと……なんで誰も外に出ていないんだ。
まあいい、普通にやっほーとか言ってパネルをめくってやればいい。よし、緊張する必要はない。
ちなみにどうでもいいことではあるが、パネルというのはテントの出入り口部分の名称らしい。本当にどうでもいいのだが。
「……」
「……」
決心して、パネルに手を伸ばしたのと同時に、中から出てきた空井サキとばっちり目があってしまった。
「おい! 不審者だ! 不審者がいるぞ! モエ、ミユ、武器を持て!」
「ちょっと!?」
サキは有無を言わさず後ろを振り返り、中の2人に声をかけていた。
「なになに、このくそ寒い日に……って先生じゃん」
「あ、こ、こんにちは……」
中からのそのそと出てきた2人は私を見て、とくに驚いた素振りも見せず、呑気なものだった。
「先生がここに来るなんて珍しいね?」
「ああ、いや、調子はどうかと様子を見に──」
「心配しなくても、なんの問題もない」
モエの問いかけに応えようとした私の言葉を遮って、サキはなぜだかドヤ顔を浮かべている。
「あ、先生、あの……ありがとうございました……!」
その横で、よくわからないがミユは私に向けて感謝の言葉を述べている。
本当によくわからない。私はたった今ここに来たばかりなのだが、なにかありがたいことでもしたのだろうか。
「いや、私はお礼を言われるようなことはなにも──」
「おい! ずるいぞミユ! なんで先に言うんだ!」
「抜け駆けってやつじゃん、それ!」
またしても言葉を遮られた私は、状況が飲み込めずただその場に立ち尽くして、なぜだか揉めている3人を見守ることしかできなかった。
私を完全に蚊帳の外に放り出して、3人だけでなにやら話を進めているのだが、私は一体いつまでこのまま放置されるのだろうか。
ていうか、そういえば月雪ミヤコの姿が見当たらないのだが、もしかして彼女はなにかの任務にでもあたっているのだろうか。
だとすれば間が悪すぎたのかもしれない──
「……」
と、頭の中で考えを巡らせていると、後ろから服の裾をちんまりと摘まれて、ちょんちょんと引っ張られたのでゆっくりとそちらを振り返る。
「──月雪さん」
瞳孔が開いていくのを感じた。
べつに、たかだか2、3ヶ月ほどの話なのに、数年ぶりに会ったかのような感覚に陥った。
月雪ミヤコは上目遣いで、不思議そうに私を見上げていたが、私の顔がよほど間抜けだったのか、やがて握った手を口もとへあててくすくすと可笑しそうに笑った。
「あ……っと、どこにいたの、月雪さん」
「あちらの水道で顔を洗っていました。先生は、どうしてこちらへ?」
「……ほら、今までは月雪さんがみんなに朝食を届けてくれてたけど、いなくなってからはそれもできなくなってしまったから、どうしてるかなって、様子を見に来ただけで、」
うまく話せているのだろうか。
視界には、こくり、こくりと相槌を打つように頷いてくれる月雪ミヤコの姿だけがあって、自分が今なにを話しているのかもわからなくなってくる。
「それで……」
「ありがとうございます、先生」
そう言って微笑した月雪ミヤコに目を奪われて、私は次に話す言葉がすぐには出てこなかった。
「先生。私たちもずっと、先生にお礼を言いたかったんだ」
「本当はこっちから出向いてお礼を言いたかったんだけどね。うちの小隊長が、だまされてあげてほしいって言ってたから」
「……」
月雪ミヤコがシャーレへとやってきて間もない頃、私はキリノに頼んで朝食を子ウサギ公園へ届けてもらったことがある。
月雪ミヤコからの差し入れだと言って。
そうしなければ、私を嫌っている彼女らが素直に受け取ってくれるはずがなかったから。
それ以降はずっと月雪ミヤコが朝食を届けに行ってくれていたのだが、どうやら最初からバレていたらしい。
下手な芝居が見透かされていて、しかもそれを直接伝えられると、恥ずかしすぎて消えたくなる。
「私たちのこと、それからミヤコのことも、ありがとう、先生」
「本当に感謝してるんだよ。先生、変だけどおもしろいところもなくはないし? ミヤコが懐くわけだよね〜」
「なっ……懐いているとか、そういうのではありません……。私と先生は……」
動揺する月雪ミヤコを、サキとモエが揶揄っていて、それを横でおろおろしながら止めようとしているミユがいる。
あの日、月雪ミヤコがシャーレに来なければ、こんなふうにみんなと笑い合って話せる未来はもしかしたらなかったのかもしれない。
それも、数あるうちのひとつの分岐点に過ぎなかったのかもしれないが……それでも私は月雪ミヤコに感謝しているし、月雪ミヤコと出会えてよかったと、心の底からそう思う。
だから────
「ごめん、ちょっとだけ小隊長を借りてもいいかな? 少しだけ、2人で話がしたい」
月雪ミヤコの手を取って、私は他の3人に問いかけた。
彼女は驚いたように目を丸くして私を見上げていたが、その手を振りほどくことはしなかった。
「少しだけだぞ」
「ごゆっくり〜」
「み、ミヤコちゃんが嫌じゃなければ……」
まあ、本人の許可は取っていないのだが、3人とも快諾してくれた。
月雪ミヤコの手を取ったまま、公園の端に置かれてあるベンチまで移動して、そこに腰をおろして私は隣をぽんと叩いた。
彼女は動揺していたが、やがて私の隣に腰をおろすと、「なんの用ですか」と訊ねてきた。
「……理由がなければ、ここへ来てはいけないと、月雪さんに会ってはいけないと、そう思ってた」
「……」
「でもそれは、私が面倒くさいだけで、捻くれているだけで、どうしようもないだけで。ただ会いたいから会いに来る、それだけでよかったんだ」
「……らしくありませんね。誰かの──トキの入れ知恵ですか?」
「鋭いね」
微笑した私に、月雪ミヤコはひとつため息をついて応えた。
しかしこちらを向いた彼女はふっと目を細めて、私の髪に手を伸ばして、優しく私の頭を撫でた。
「寝癖がついています。朝はちゃんと起きられていますか?」
「まあ、なんとか」
「きちんと食事はとれていますか? 抜いたり、カップ麺などで済ませてはいませんか?」
「それは、まあ、ノーコメントで……」
「面倒くさい書類をあとまわしにして、期限を過ぎてしまったりしていませんか?」
「え、なに、どこかから見てた? なんでわかるの」
若干引き気味に返答した私を見て、彼女はもう一度ため息をついてから、苦笑した。
「わかります。先生はわかりやすいですし、それに、誰よりも近くでずっと────ずっとあなたを見てきましたから」
……彼女の言葉ひとつひとつに意味を見出そうとするのは、私の願望だ。
そうであってほしいと、そう願っているのだ。
彼女もまた──私と同じであってほしいと、そう願っているのだ。
「月雪さん。私も、」
──君をずっと見てきた。
「いや。私は、これから先もずっと、君に見ていてほしい」
「それは、どういう……」
「君が見ていてくれないと、私はどうしようもないからね。朝起きるのも精一杯で、食生活は終わってるし、仕事だってすぐにサボってしまう」
「それは怠惰なだけです……」
月雪ミヤコは呆れたようにひとつ息を吐いて、説教でもしてやろう、といったふうな表情を浮かべた。
「だからね、月雪さん──」
言って、彼女の左手に右手を重ねると、彼女はびくりと肩を跳ねさせて、頬を赤くして、困ったように上目遣いで私を見上げた。
「傍にいてほしい」
「──……」
大きく見開いた目を丸くして、固まってしまった月雪ミヤコの手を握り直して、指と指を絡めた。
「私の仕事を手伝ってくれるのは、私を支えてくれるのは、私の傍にいてくれるのは──全部君がいい。君以外じゃだめなんだ」
傲慢だと、君はそう思うだろうか。
独りよがりだと、君は怒るだろうか。
非常識だと、大人として間違っていると、世間は私を非難するだろうか。
けれど、そういう面倒くさいものを全部取っ払って、うそをつくのをやめたとき、最後に残った答えはそれだったんだ。
私は君の傍にいて、君に傍にいてほしい。
「私には君が必要なんだ。だから──ミヤコ。私の傍にいてほしい」
「なん……で、そんな……。ずるい……です」
ぽろぽろと、こぼれる涙を空いた手の母指球で何度も拭いながら、月雪ミヤコは震える声で言葉を繋げた。
「うそつき……」
「うん」
「鈍感……」
「うん」
「変な、人……」
「それでも、私はミヤコの傍にいたい」
「……っ」
嗚咽して、呼吸も上手くできなくて、それでも言葉を繋げてくれる月雪ミヤコが、ただ愛おしかった。
「私も……っ、……傍にいたい……いてほしい、です……先生……」
「私も──」
「もう一度、呼んでください……」
「……ミヤコ」
「もう一度……」
「これから先、何度でも呼ぶよ。ミヤコ」
「……はい」
雪が降っていた。
積もるほどではないが、ふわふわと。
朝方なのに空はどんよりと暗くて、より一層寒さを感じてしまう。
けれど、繋いだ手はたしかにあたたかくて。
この小さな手を、あたたかな手を、月雪ミヤコのこの手だけは──生涯握りしめたまま、手放したくはないと、そう思った。
× × ×
「え、タイトル変えるんだ?」
「はい。中身の方も大幅に修正しましたので」
本日も大量に積まれた書類をひとつずつ処理しながら、いつもの席に座るミヤコとたあいのない会話を弾ませる。
以前からミヤコが書いていた恋愛小説の話だが、どうやらタイトルと、それから内容もまるっと変わってしまったらしい。
「叶わない恋の物語も、それはそれで美しいものではありますが、初めて書くものなので、やはり最初は幸せな恋の物語の方がいいかと」
「なるほどね。でもほとんど完成してたのに、よく書き直せたね」
「未練はありましたが、それ以上に書きたいものができたので」
「まあどっちにしろ凄いよね。私だったらきっと最後まで書ききれないし」
小説など書ける気がしない。
語彙力がなさすぎるし、表現力もない。根気もなければやる気もなくて、きっと書きたい部分だけを書いてそれで満足して、一生世に出ることはないだろう。
「それで、提案なのですが」
「……?」
カリカリと動かしていたペンを止めて、ミヤコは書類に落としていた視線をこちらへ向けると、少し気恥ずかしそうな表情を浮かべた。
「先生に読んでいただいて、タイトルをつけてもらえたら、と」
「え? 私が? 畏れ多いんだけど」
「先生がいいんです。いえ、先生以外ではだめなんです」
なんとも嬉しい言葉ではあるのだが、本当に私でいいのだろうか。
月雪ミヤコの処女作になるのだ。その小説のタイトルを、私なんかが。……私ごときが。
「……ふふっ」
心の中で葛藤していたのが、表情にまで出てしまっていたのだろうか。
ミヤコは握った手を口もとにあてて、やわらかく微笑した。
「心配しなくても、先生以外に読ませるつもりはありませんので。先生のセンスが最悪だとしても、問題はありません」
「……」
揶揄うように、いたずらに笑ったミヤコの言葉に、私はなにも返すことができなかった。
まあたしかに? 私のセンスは終わっているかもしれないが? そう言われると……いや、まあ、間違ってはいないのでなにも言い返せないか。
私は鈍感でうそつきで変な人で、それから面倒くさくて捻くれていてどうしようもなくて。ついでにセンスが最悪だ。
……フルコンボだドン。
「……わかった。その代わり、どんなタイトルをつけても笑うのはなしだよ?」
「ふふっ。大丈夫です、笑いません」
もうすでに笑っているのだが、まあよしとしよう。
私は置いていた書類を端に寄せて、PCの電源を入れた。
「じゃあ早速、読ませてもらおうかな」
「しかし先生といえど、目の前で読まれるのは少し恥ずかしいですね」
頬を染めて苦笑したミヤコから、視線をPCへと移して、私はフォルダを開いた。
× × ×
〝第1話〟
「任務ですので、致し方なく」
月がきらめく夜に、ふわふわと雪が舞っていた。
最近やけに調子の悪い暖房器具が、ガタガタと音を鳴らしながら暖かい風を吐いている────
完結です。
評価、感想、お気に入り、ここすき等くださった方々、本当にありがとうございました。
とても嬉しかったです。本当に。
最後まで読んでいただけて圧倒的感謝です。
ブルアカは月雪ミヤコとトキとヒマリとカヨコとアルちゃんとシロコ*テラーとマルクトと生塩とハルナとサオリとアツコとミカとアキラと連邦生徒会長1択です。