Vtuberが空から降ってきた。しかもそのVtuber、私がアバターとして使ってるVなんだけど……。。

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気晴らしに書きました。


ルミーナ・サリエルというVtuber

 

 

 現実問題、空から人間が降ってくる可能性は0%である。

 理由はまあ敢えて語らずとも分かる常識的な話で、人はその身一つで空を飛べない。考え方を広げればパラグライダーを使ってモモンガみたいに滑空してくる行為は地上から見れば『空から降ってきている』と見えなくもないが、こんな住宅街でパラグライダーを広げれば忽ち着地寸前に電線に翼が絡まり致命傷レベルの事故を引き起こすから普通の思考回路を持つ人間はまずそんなことをやらない。また空中で航空機が事故を起こしてその結果として人間が降ってくる可能性もあるけども、それは思考実験として扱うにしても大変不謹慎なことだし、それ以前に天文学的確率の事象なのでやはり排除される。

 

 つまり、どう考えても人間が空から降ってくることなど有り得ないのだ。

 有り得ないはずだった。

 しかし目の前の現実は、そんな頭に染み着いた常識を嘲笑うかのように私の頭上に影を作った。

 

 ───見上げれば天使がいた。

 

 天使、というのは見た目の話だ。

 汚れを知らない白色の布地は服と言えるか微妙なラインで、一本の布を身体に無理矢理巻き付けているように見える。頭の上には天使の輪っかとでも言うべきリングがふわんふわんと浮かんでいて、それが正しくテンプレートに思い付く天使そのものの出で立ち。しかも背にはこれまた大きくふんわりとした羽毛を兼ね備えた両翼を据え付けては、ばさばさと動かして空気を揺るがす……要するに羽搏いていた。

 更に夜の電灯に照らされた彼女は、天使という要素だけでなく美少女の容姿まで持ち合わせていた。

 肌はつるっとしていて、理想的な純白の肌。天使だからか毛穴1つ見えない。月明りを吸い込んだ長い金髪が直線的に背中を覆い隠し、前髪には三日月と言うにはより鋭利な形状をしたヘアクリップが付けられている。ふと視線を感じて少し視線を動かすと藍色の瞳と目が合った。ジッと観察するような眼差しで、私はどうすれば良いか分からなくなる。だってそうだよね。女の子が空から降りてきて思考停止しないはずがない。10秒くらい私と目の前の天使はお互いの顔を見つめ合って、あれ、と思った。

 

 見覚えがある。

 見た目に関して、とんでもなく見覚えがある。

 

 勿論、今まで19年と続いた短い人生の間に、私が今日みたいに何処かしらでこの天使を見たことがあるとかはたまたすれ違ったことがあるとか、現実と空想を混線させたような戯言を言うつもりはない……無いんだけども。

 電子空間───いわゆるインターネットでは違った。

 

「あのー、つかぬことをお聞きしますがここって人間界でしょうか?」

 

 空中からばさばさと降りてきた天使は、シュタっと着地して私に声をかけてきた。人通りの無い夜だから辛うじて目立っていないだけで、昼間ならばSNSに流されて大騒動間違いなしだこれは。

 

 ……というか、現実逃避してたけど滅茶苦茶聞き覚えがある声。

 アニメ声優のように甲高い、()っている時特有の私の声。

 

 やっぱりそうだよね。この子、アレだよね。

 ───私が使っているVtuberのアバターとめっちゃ似てる……下手すればそのものだよね。

 

 私は何度か足先から天辺まで何度か繰り返し確認してみる。まんまるとした双眸は深海の底を切り取ったような色で、ずっと見ていると不思議そうに小首を傾げた。流石私の半身可愛い。じゃなくて。

 

 ううむ。

 冷静に考えてリスナーからすれば正しく推し降臨、ってやつじゃないかこの状況は。

 Vtuberなんてものは現実にはいない存在で、特に私なんか『天界で天使見習いの落第生をやっていて、研修や仕事をブッチし過ぎたら罰として人間界のことを学べと上司から言われて下界へ降りきた、落第天使系Vtuberです!』という設定なので空想ファンタジーとしては良くとも現実味には著しく欠けていて、それがまた存在の軽さを引き立てている。ただファンからすればこの状況は垂涎物であるのは間違いないね。私は演者本人だけど。

 

 っていやいや、待て待て常識的に考えなきゃ私。何を冷静に受け止めようとしてるんだバカタレが。

 空から降ってきた女の子がVtuberとして使っている私のアバターだった───だなんて精神が病んだ人間の戯言じゃないかそれはまるで。どう考えても疑うべきは私の精神性だと思われる。私が異常、世界は正常。いつだって世界はそんな詰まらない法則で動いていたじゃないか。それが今日この瞬間だけ歯車の溝が噛み合わずに脱輪して漫然と動作していた機構が崩れ去る、そんなことが起きる訳が無いんだ。

 

「あのー大丈夫ですか?」

「あ、ええと、その、大丈夫かと言われれば大丈夫なんですけど……」

 

 私を心配するように天使は優しい眼差しを送ってきた。

 しどろもどろになりつつ何とか返しながらも、多分目の前の天使が私の想像と同一人物であるならその心配は虚偽なのだろうと内心で少し苦笑した。この天使は設定上落第天使系と謡っているが、その実は真面目系クズというカテゴリーに分類される性格をした紛うことなき駄目天使のはずだ。他人からの視線には敏感で体裁は取り繕うが、基本的にやらなくてはならないことは全て理由を付けて後回し、尤もらしい理屈を付けて人との約束より自分の都合を優先する。そんなクズが私の演じる落第天使系Vtuber『ルミーナ・サリエル』だった。因みに名字に大天使サリエルを冠しているのは大天使の系譜を継いでいるとかそう言う訳では無く、ただ天界では大物であるサリエルの苗字を肖って自称でその名前を付ける天使が過去続出して、その子孫がルミーナである……というこれまた設定である。史実でもなければ造り物だった。

 

 次に何を言うべきか、いっそのこともう今日のことは全て忘れ、この天使と現実で逢瀬したことは無かったことにして心の安寧を図るべきかと悩んでいれば、もじもじとしながら天使は言った。

 

「あの、つかぬことをお伺いしてもいいでしょうか?」

「はい?」

千古良永佳(ちこらえいか)さんでお間違えないでしょうか」

「お間違えです」

「ええ!?」

 

 しまった。名指しなんてされちゃったから「こりゃ面倒そうだな」とか脊髄経由で考えてつい反射的に否定してしまった。

 はい、確かに私は千古良永佳という名前で世を忍ぶことなどせず、陽の当たる堂々とした身分でこの19年間坂が無駄に多いが故に賃料的には多少庶民に優しい街こと横浜で暮らしていますとも。でも困っている天使に憐憫を覚えて嘘を吐いた私を悪者と罵るその前に、同姓同名の人物の可能性ってものを考慮してみてほしい。日本には1億人以上の人間が存在している。それぞれ苗字と名前を一つずつ持っていて、当然私のような在り来たりとは言えずとも全くいないかと問われればそうでもないこの名前と全く同じものをお持ちの方だっていらっしゃるはずだ。その上で私はこの天使の身の上……はインターネット上であればまあよく知っている方だと思うけど、現実となると感知する範囲にない。私の知り合いには"小学生の頃みんなの歌を開いては散々音楽の授業で歌わされた『翼をください』の歌詞を現実のものとしてしまっている存在"の心当たりなんてないのだ。よって厳密性を考慮すれば私は彼女の知る千古良永佳ではない。それは私ではない同姓同名そっくりさんを意味する。はい、QED。決して厄介事の香りが漂ってきたから逃げたわけじゃない。これは論理的思考力に基づいた正当な見解なのだ。

 

「千古良さん……ですよね?」

 

 納得いかないようにグイっと天使は私の顔を覗き込んだ。近い近い近い。人間由来ではない良い匂いが鼻孔を擽る。間近でV特有の良すぎる顔の造形を見せつけられては私としてはビビらないはずがない。

 

「はい……まああの……横浜に住む千古良永佳の一人ではあります」

 

 結果的に日和った私は良く分からない釈明と共に白旗を上げてしまった。横浜に住むという説明語句は絶対要らなかった気もする。

 天使はその不安定な返答など気にもせずぱぁーっと満面の星空を咲かしたような、などと表現に落とし込むとややプラネタリウムチックにも思えるけども、そんなしょうもない私の思考回路すら吹き飛ばすような痛烈な美少女スマイルを浮かべて、両手を軽く合わせた。

 

「ということは千古良さんなんですね! お会いしたかったです!」

 

 天使は天使の笑みを作って右手を差し出してきた。握手のつもりだろうなぁと思って恐る恐る天使の右手を握ってみる。すべすべだ。同じ人間の持つ右手とは思えない。人に触られるためだけに設計されたような触り心地の皮膚に思わず頬擦りしそうになる心を圧し折って私は心を無にした。後で絶対に保湿クリーム何を使ってるか聞こう。

 

 ……ん?

 手触りの良さを堪能していて一瞬聞き逃しかけたけど、天使さん何か言わなかった?

 お会いしたかった……?

 まるで私に用件でもあるような口ぶりじゃないか。でも考えてみれば当然かも。私の名前を知っている時点で或る程度は想像できることだろう。

 でも用件ね……用件かあ。

 私が使っているアバターと同じ見た目をした天使が私に話しかけてきた理由……なんかとても不安でしかない。肖像権侵害とか言われたらどうしよう。無断使用とか言われたら真っ当な反論は私には出来ないし。

 でも私にだって言い分はあるんだよね。あのアバターは個人として使ってるわけじゃなくて、所属事務所から絵師さんを通じて出来上がったアバターが目の前の天使風美少女で、それを事務所から設定と共に下賜されてそれを私は普段の配信で使用しているという経緯があるのだ。つまり割合で言えば私が3割、事務所が7割くらいで悪い。事務所の方が瑕疵がデカいのだから文句があるのならまずは事務所を通してほしい。その後にクレームが残っているんであれば3割分は聞いてあげようじゃないか。うん。だから天使さんが行くべきは私の下じゃなくて事務所だ。

 

 とか筋道立ててどうにか逃げれないものかと考えていると、天使は握った私の右手を力強く力を込めてきた。あのー私の右手はハンドグリップじゃないよ? そんなに力を込めても握力なんて鍛えられないからね?

 天使の逆鱗に触れないようそっと手を解こうと試みてみる。でも軽く解ける程度の力ではなく本当に強めの握力で掴まれているため、全くビクともしていない。チラリと一瞥する。

 

「あはは、逃がしませんよ」

 

 あはは、バレてるわーこれ。バレないように解こうと思ったんだけどなあ。

 

「ええと……何でそんな掴むんですか?」

 

 擦られ過ぎて手垢塗れのヤンデレ彼女みたいな台詞を吐き出す天使に恐る恐ると聞いてみたら意味深に笑みを深められた。やだな。何なのこの子。怖いしヤバいって絶対に。天使の格好がコスプレだったとしてもヤバいしコスプレじゃなかったらよりヤバい。てかコスプレは違うかあ……空飛んでたしなあ……。絶対に関わったら日常が一変する系のラノベヒロインだよねえこの子の存在感。

 

「千古良さん……本物の千古良さんです……」

「そうですが……本当に何なんですか? 警察呼びますよ?」

 

 怖いので虚勢を張ってみる。これで多少でも動揺してくれれば話の主導権を私側へ手繰り寄せることが出来ると信じての言動だったけど、ダメだ。天使は全然動揺してくれない。寧ろより笑顔に獰猛さがアタッチされた気がする。

 

「あの、千古良さん」

「な、なんでしょうか……?」

「好きです、永久永劫寄り添うことを前提に結婚してください」

 

 ……………………?

 なんて??

 

「間違えちゃいました。一緒に暮らしましょう。ずっとずっと♪」

 

 思考停止と再起動を繰り返す私を目の前にキャピっと天使は言った。8分音符じゃないのだよ。間違えも何も前後で微塵も変わってないのだよ台詞の中身が。ショックで語尾がおかしくなる私であった。そしてそれを自覚出来ているので実は案外余裕なんじゃないかなとか考えてみたりして。

 

 告白……なんで告白をされたんだろう私。初対面なのは間違ないし。

 疑懼を抱きながら天使を見た。天使は私の右手を相変わらず力強く握りしめながら小首を傾げて、まるで自分が言った発言の影響度合いとか一切分からなそうな顔をした。

 一緒に住むって意味ちゃんと分かってますー?

 それってパーソナルスペースに他人を入れるってことですよー?

 

「同棲って互いの素敵ですね!」

 

 とか思っていたけどなんか分かってそうだった。

 え、てか私今心読まれた? 悟り妖怪? サイコメトリー?

 天使はニコニコとしていて、よく表情を見れば頬を赤くしている。流れるように告白をする天使でも流石に告白をするときは緊張と気恥ずかしさから表情に出すんだなあとか本当にどうでも良い感想を抱いて、天才私、気付いた。

 

 ルミーナ・サリエル。

 私の演じるVtuberは昔、百合キャラであった。

 それも他の同期や先輩後輩など年齢や派閥を問わず、自分の嗜好に合ったタイプの女性Vtuberに粉を掛ける面倒系のキャラだった。

 

 勿論私の本意ではない。ルミーナの百合キャラの由来は、事実を掘り返せばリスナーには非常に悪いけど『落第した天使が百合っぽい性癖だったら面白いんじゃね?』みたいな事を考えた事務所の安直な指示によってえっさほいさと私が行った百合営業の結果根付いたキャラ性でしかなかった。一ミリも永続的にやろうなどと感じなかった私は一年計画を立ててキャラを壊した。簡単に話せば、最初の半年だけはそういうキャラを事務所へのアリバイ作りのために全うして、その次の半年で徐々に頻度を落とし、その後現在に至るまでは一切百合営業なんかはしなくなった。なにせ望んでなかったし封印してしまいたかったからね。きっとその百合営業の様子を楽しみに見ていたリスナーもいるだろうけど私から言えるのは一言だけ。通常配信で我慢してねと。

 

 しかし、このルミーナ・サリエルが私がお上から言われて仕方なく百合営業を仕掛けていた百合奴隷期間(事務所所属のVになった最初の一年間を勝手にそう命名している、言わずもがな非公認)の設定を未だに引き摺っているのであれば話はまた変わってくる。

 それはつまるところ「目の前の天使=ルミーナ・サリエル」という図式が成立してしまうに他ならない。それも今のルミーナではなく過去のルミーナである。

 

 分からんないね……何も分からない。

 つまりどういうこと?

 再度自問自答する形になるけど演者の前に自身が使っているVtuberアバターが現れて告白されるだなんて、現実として有り得るだろうか? 心の中の冷静な部分はいやないと答えたいところだよ。私が男だったらそういう安い恋愛ラノベになりそうだけど、私ってばどこに出しても恥ずかしくないというか出不精で何処に出ないけど性別的に確かに女なんだけどなあ。意味が分からないよ。まだ未来の私が現れて『私は2040年に起きる戦争を止めるべく貴方の人生を変えに来ました』とかSF映画が始まる方がよっぽど現実的だろって思う。いや現実的って何だ。混乱しすぎてるぞ私。

 

「とりあえず同棲とか置いてさ、何処かでゆっくり話をしない?」

 

 私が切り出すと、嬉しそうに天使はピコンと旋毛を天に立たせる。そういう機能まであるんだ。

 

「家をご案内してくれるんですね! 嬉しいです!」

 

 どうやら天使は私が口にした『何処か』という場所を脳内変換で私の自宅と認識してしまっているらしい。これがルミーナ・サリエル誕生初年度に植え付けられた百合本能によるものだとしたら私は今本気で事務所を恨めしく思う。ニコ〇コ本社爆発時の爆風で消し炭になってほしい。

 一先ず今後近いうちに事務所を五寸釘で呪う配信の予定を組み込むことは確定として、自宅ツアーを開催することは訂正をしなきゃならない。

 

「いや、そういうわけじゃ……喫茶店とかどっか」

「千古良さんのご自宅にお招きされるなんて私、嬉しいです!」

「じゃなくて」

「さあ行きましょう、千古良さんのご自宅ってこの坂の上にあるマンションの三階ですよね」

 

 全然話聞いてくんないし何なら私の家の住所知ってるの怖いです。ストーカーじゃんマジモンの。活動初めてから初めて見た。

 謎の感慨を覚えながら私の手は強く引っ張られる。さっきまであった美少女の手は気持ちいいなとか香水何使ってるんだろうなとか、肉体的接触に伴って副次的に産まれた思考は霧散していき、代わりに心の奥底から噴出してきたのはこれからどうなるんだろうという強い不安だった。例えるなら落とし穴に落ちてしまって、自由落下中に「この穴ってどのくらい深いんだろうなあ」と漠然と過る疑念に似ている。このルミーナ似の天使によって私はボコボコにされるのか。或いは婚約届でも書かされるのか。前者だろうと後者だろうと回避策は全力逃走であるのは明々白々としているので、どうにか言い包めの口述でも考えねばならないだろうなとグロッキー状態の私はそう考えた。

 

 しかしなんかどうもならなそうだというのも同時に悟っていた私は徐々に何とも嚙み切れぬ後悔が募ってきた。人間いよいよ二進も三進も行かなくなる見込みが立ち始めると、ありもしない幻想を夢見始めるのが世の常だ。私もそんな脆弱な精神持ち合わせた人間だったためにその例に漏れず、こんな夜更けに外に出た10分前の自分を責め始めていた。一切不必要な外出だったのが特に良くなかった。

 深夜2時、私は空腹を覚えた。カップラーメンを食べるには多すぎるけど、のど飴一粒で誤魔化すにはちょい足りないっていう微妙な腹具合だった。この絶妙な量の軽食が家には無くて、薄ら眠い中で外に出るかどうかを20分スマホを見ながらダラダラと考えたのちにスエットの上にウインドブレーカーを羽織るというその辺を歩き回るのに適したラフ過ぎるファッションにて身を包み上げると私は家を出た。これが結果的に不正解、外に出なきゃ私は現状みたいな現実とは思わしく不可解な状況に巻き込まれなかったって訳なんだよこれが。

 

 何で外に出たかな私。

 何で小腹空いたなあで買ったチョコバーを片手に天使に拉致されてるんだろうね私!

 

 考えてたらとっても後悔してきた。これさえなければ数時間後には「あ~いい朝だなぁ」とか言いながらきっと欠伸交じりにコーヒーを啜る素晴らしい朝が始まっていたはずなのに。

 

「なんで私なの?」

 

 家に着く直前で私はつい自棄で天使にそう訊ねた。

 天使は私の目をしっかり捉えてこう言う。

 

「私の半身ですから!」

 

 駄目だ、回答になってない。

 

 

 

 

 部屋に到着するとワクワクとした目で何故か天使に見守られながら私は部屋の鍵を開けた。今更ながら私は天使の名前を未だに聞いていない。というのも聞くのがちょっと怖いんだよね。これで「私、ルミーナ・サリエルです!」と言われて事実が確定してしまったとき、何かを喪失してしまう気がして。でもそうじゃなかった場合はただ普通に何も関係ないストーカー天使を家に上げただけになってしまう。どちらがいいかと言えば悩ましいところかもしれない。

 

 なんてことのない一人暮らしワンルームに入ると、天使は非常にはしゃぐように声を上げた。因みに家に入った時点でようやく右手は解放された、自由最高。

 

「見たことある部屋です~すごいですね! これが配信部屋ですか!」

「見たことがある?」

 

 この言葉はスルーされた。天使は自由なのである。いや知らないけど。

 

「とってもいい匂いがします!」

「やめて」

 

 新居に興奮するトイプードルみたくクンクンと匂いを嗅ぎ始めるのを私は至って真面目な顔で止めさせた。そんなことをされても現実は不愉快なだけだった。だってスメハラだし。出るとこ出たら私の勝ちだ。しかし不思議と気持ち悪さを感じないのはアレかな、普段自分が使用しているアバターだからなのかね。

 

 これ以上考えたら負けな気がした私は少し気不味くなって、視線を一度上下に巡らせた挙句最終的には天使の顔へと辿り着く。天使は今にも空気をかき集めて瓶詰めしそうなほど名残惜しそうな表情をしながら、それでも私の言葉を遵守する意思はあるのか唸りながら翼をポリポリと搔いている。搔く度に白い羽根が床に落ちた。それはそれで止めてほしいな……。

 

 ジロジロと見ていたからか天使は私の視線に気が付くと、心を撫でつけるような純粋無垢な笑みを向けた。それを見ると何故か罪悪感が来た……私何も悪いことしてないのに……。

 堪えて堪えて、私は漸く口を開けた。

 

「あの、名前とか聞いても?」

 

 ぶっきらぼうで些か冷淡だったかもしれない。でもそこは許して欲しい、私の素はこんなもんなんだよ。これで本当に眼前の天使が私のアバターかストーカーかはっきりするのだからそりゃ緊張で言葉も固くなるってもんさ。とまあ、そんなのは後付けの理屈で本音は理性由来の不審者に対する警戒心から来ているだけだったけど。それを敢然と言う必要性はあるまいて。

 

 天使は大きな声で、まるで配信開始直後の挨拶みたいなノリで口を開いた。

 

「天界から来ましたルミーナ・サリエルです!」

「ルミーナ……」

「はい!」

 

 ご存知ですよね? とでも言いたげな双眸で見られると少し困る。確かにご存知ではあるけどそれはネットにて忍ぶVtuberとしての名前であって、対面で名乗られると違和感が拭えない。加えてその名前は本来私が名乗る側であって名乗られる側を経験していないというのも違和感を際立たせているような。

 

「じゃあその、ルミーナは何をしにここへ?」

「婚約届を市役所へ提出しに」

「そういうボケはいいって」

「ボケじゃないですよ?」

 

 ボケとして扱わないとこっちもどう取り扱えばいいか分からないんだってことを気付けこの天使。そもそも天使に日本国民としての戸籍謄本無いんじゃないかなって。天使は人間じゃないから人権も適用されないだろうし。

 

「いや違くてね、ぶっちゃけ話をするとルミーナってその、Vtuberだよね?」

「ですねー」

 

 そんなに関心が無いように天使はベッドにぽふりと座った。勝手に座っちゃってさ……まあいいけども。

 

「つまり電子上の存在ってことになるよね? 質問が難しいんだけど……どうやってここに来たの?」

 

 これもまた本質の質問とは少し違う気がしたけど、天使は顎に手を当てて考えを纏め始めた。なんてことのない仕草すら神聖さと可愛さを両立させるんだから羨ましい。でも多分これは褒めるべきは絵師さんなんだろうね、うん。

 

「会いたいなぁ~って気持ちが爆発したら出て来れました! いやはや神様って凄いてすよね」

「同意を求められても……」

「いえいえ! 私としては永佳と一緒に過ごせれば何も入りません!」

「申し訳ないけどもうちょっと会話しようか? あとさり気ない名前呼びも止めてね?」

「はわわ!」

 

 はわわじゃないよ。どこの軍師気取りだこのぶりっ子天使め。容姿がいいからぶりっ子に見えないのもこれまたズルい。

 

「分かった、一旦難しい質問を止める。その代わりに簡単なことを一つ聞くけどいいかな?」

「答えられることならどうぞ!」

 

 言外に答えたくないことは答えないと話す天使を私はスルーした。そうそう、ルミーナは純白に見えてこんな感じでアチコチに予防線を張るんだよね。あー……第二の自分みたいなもんだけどこんな人間とは真っ向から付き合ってられないよ。

 ともあれ、私は了承されたつもりで軽く聞いた。

 

「何で私と結婚したいの?」

 

 これが深夜の路上で会ったときからの疑問だったのだ。会って2秒で惚れたみたいな一目惚れRTAされた訳ではないだろうし、何より持続性のあるこの巫山戯たテンションだ。ルミーナの当時百合営業に対して抱いていたスタンスを鑑みてもきっと打算かギャグで言っているに違いない。なぜなら私がそうだったから。おかしいな、客観的に事実を口にすると本当にろくでもない人間みたいに聞こえる。でも露骨な口説き文句に落ちる女Vtuberも今時居ないし、純然たるコンテンツに昇華することに成功したと思えばセーフだよセーフ。なんならビジネス的には大成功。まあ私はノーマルだからそんなビジネス1年で廃業したんだけどね。

 

 ともかく、暴走乙女のプロポーズを思わせるルミーナの言動の数々だって本気度合いは低いはずだ。あくまでVとしてだけど、私がルミーナだったからルミーナも私を知り尽くしている。だからしょうもない理由を言ってね天使ちゃん。

 

 天使はキョトンと感情だけ抜け落としたかのような顔になった。それも束の間、ぶり返しのように一気に天使のミルクセーキみたいな色白の頬が紅潮して言った。

 

「あの……ええとですね……何だかんだ面倒見が良いから……です」

 

 何マジになってるの?

 なんて言おうものならリスナーからぶっ殺されそうなほどの乙女顔で、私は5秒後前の私を撲殺したくなっちゃった。

 今までウザいくらいに元気だったのが俯いちゃってるし。

 なんでこんなことに……。

 私が悪いのかな……これって私が悪いのかな……。

 

 一応この場の空気を妙にした責任は私にも砂粒1つくらいはある。

 しょうがないから私は責任を取って、「うおっほん!」と大きく咳払いをすることで話を有耶無耶にすることに決めた。

 だけどただ責任を取るのは何だか癪なので、自分へのご機嫌取りの為にもう一人の私を脳内に生やす。

 ───偉いぞ私。

 ───えへへありがと。

 と、自問自答で自己肯定感を耕すのが社会の厳しさを渡り切る秘訣だったりする。

 

「何処に住んでるの?」

「……住所は無いです」

 

 先程の話は無かったことにして代わりの質問を投げかけると、天使も空気を読んでくれたみたいで未だ熱の余韻が残る面持ちを引きずりながらも上目遣いて私を見た。仄かに涙が溜まっているのか、最近の美少女アニメくらい瞳が煌びやかに乱反射を繰り返している。私もこのくらい円らでキラキラお目目になりたいよ。とか本気で思った現在深夜二時半。そろそろ眠いです私。

 欠伸を口内で殺しながら続きの質問をする。

 

「住所が無いって言うのはホームレスってこと?」

「いえ、天界に帰れば家はあるんです……けど帰れません。それにここは私の暮らす世界とはまた違う世界みたいで」

「違う世界?」

「先程私が電子的な存在と永佳は言いましたけど本当は違うんです。違う世界の人間界で暮らしていて、或る日私は神様からの試練でこの世界に飛ばされました。飛ばされた瞬間にこの世界での私───つまりVtuberとして活躍している私の記憶が雪崩れ込んで、あ、そういうことだったんだってこの世界の事情をかなり理解しまして」

「……何を言ってるのか理解が追い付かないよ?」

「ごめんなさい、難しいですよね。要約するとそうですね……私は別の世界からやってきた天使ですけど、この世界でVtuberとして永佳と活動した記憶もあるってことになります」

 

 真面目な顔をして何を言ってるんだろうかと私はこの天使の脳内環境を疑いたくなった。

 まあこっちから聞いた以上、私にも今の発言が愉悦出ない限りは理解をある程度する義務はあると思っているわけで。そこで精一杯咀嚼してみたんだけど、つまりは例え話を持ち出せば「元は普通の女の子として生きていたけど或る日別の世界のアスリートの自分の憑依をしてしまってその世界の自分の経験や知識も引き継がれた状態で迷子になっている」って解釈が最も近いんじゃないのだろうかと私は思った。憑依対象がVtuberのアバターと言うこの世に肉体を持たない存在だったから理解が難しかっただけで、実際はきっとこの例と状況はあまり変わっていない気がする。ならなーんで私に告白してきたのかがちょっと意味が分からないけども、聞いたら湿度潤沢とした変な空気になるから流石に二度目は気軽には行けない。それに謎は謎のまま置いておいた方が良いことも世の中には沢山あるんだよ。蓋を取り払って出てきたのがヤンデレだったら私も大いにびびっちゃうわけ。あ、別に面倒だから逃げてるわけじゃないです。これはホント。千古良ウソツカナイ。

 

 Vtuberとして私と過ごした……と言う部分も若干気にはなる。だって私は飽くまで一人で活動していた訳でルミーナはアバターだ。実際に会話をしたわけじゃない。もしそうだったら私が観客ナシでパペットマペットをやるヤバい奴になってしまう。

 うーん、悩ましいけど聞くにも勇気が要る気がするなあ。それに今重要なことでもないからねえ。

 

 とどのつまり、色々と曖昧模糊でルミーナについては分からない事ばかりではあるものの、一つ確定したことがある。

 それは戸籍ナシ、住所ナシ、恐らく金銭すら持ち合わせていない無一文だってことだ。ふへー凄い。私始めて見ちゃった無一文。しかも天使っていうんだからレア度も察するべしって感じだ。

 

「真面目な話さ、これからどうするの? 世界がどうこうは一旦置いても、天使だから天界に戻らなきゃならないよね?」

 

 色々と天使の身の上を考える間にも私は哀れに思えてきてしまった。

 元の世界には戻れず、元がどうかは存じないけどもこの世界には多分天界なんてものも無く、ついでに住所不定無職ときた。私とVtuber活動した記憶など何の飯の種にもならないからね。

 

「そうですね、なので永佳の家に泊りたいなと考えています」

 

 結構凹んでいるんだろうか、とか勝手に思いながら天使の様子を窺うと意外にも平気そうなご様子。至って平常心で天使は淡々と言った。息を吸うように私のパーソナルスペースを侵害してこようとする件については最早キリが無いから内容については一度思考を保留とするとして。

 多分アレだ、天使だから人間とは感性の構造が異なるんだきっと。天使がどんな暮らしをしていたかはしらないけど、翼がある分人間よりはその身一つで出来ることも多いだろうからあまり苦に考えていないのだろう。

 

「はあ……私の家ね」

「嫌、ですか?」

「嫌だ」

 

 溜息を吐いたら美少女光線を浴びせられて何かムカついたので言い切ってやった。えへへ、くたばれ。

 天使の事は嫌いじゃないけどそういう可愛い子が可愛い仕草をしてくると腹が立つんだよね。ほら、女の子が嫌う女の子の言動ってこんな感じじゃん? 私も漏れなく見るだけでムカつくからそこはしっかりと態度で表さなきゃと思ってるのだ。因みに私の性格がこんなんだから百合営業時代はホントに苦痛でしかなかったのは言うまでもない。特に女Vtuberなんて男性リスナーに可愛い態度を示してナンボの職業なので、私とは致命的に合わなかった。今じゃ関わりのある女Vtuberは一人もいない。ついでに男性Vtuberもいない。男性は男性でリスナーが嫌うから、関わるだけ損という思考なんだよねーこれが。私賢い。頭働かせた結果ぼっちになっちゃった。えへ。しんど。

 

 静かに凹んでいると、天使が私の言葉にがっかりと肩を落とした。

 ぼそりと言う。

 

「そうですか……。私の身体を使って沢山稼いだのに、私には何も還元してくれないんですね」

「ちょっ……!」

「私のことを見境無い同性愛者みたいな扱いに仕立て上げて別世界とはいえ実在する私のイメージを棄損したのに、永佳さんは甘い汁を吸うだけ吸って後はさよならって言うタイプなんですね」

「ぐっ……!?」

 

 今の状況を極めて客観的に考えると……!

 なんも……!

 何も反論が出来ない……!!

 

 ルミーナになってから私はがっぽりと稼がしてもらったのはホントの話だ。同性愛者という言い方は聞き捨てならないけど、事務所からの圧によって百合系として女の子同士の絡みで初期は登録者数や動画の視聴回数伸を伸ばしたのもまた事実。それを圧し折ってから徐々に再生化数は右肩下がりの登録者の増加数は逓減しちゃったわけなんだけども、それでも私はルミーナのアバターを使って美味しい思いをしたという言葉を否定できる立場には一切無い。Vtuber活動で生計を立てているのだから猶更否定なんてしようもないよねってことで。

 

 道理を無視して天使を追い出しても私の良心は多分痛まないだろう。自分の事だから一番自分で分かってる。私は結構そういうところがドライと言うか、クズなんだよ。道で倒れている人は助けないし、電車で席は譲らない。一応私が判断基準としている程度があって、命に関わる場合は別枠として介入をやむを得ないと考えていたりするけど、基本は一切他人の人生に介入しようとは思わないのが私のポリシーでもあったりする。

 

 しかし、それって筋が通らないよねって思いの方が私の中では強かった。一大勢力だった。

 努力もあったとはいえアバターによって沢山良い思いをしているわけだから、ここで天使を見過ごしてホームレスにしてしまうのは何だかとっても心象が悪い。気持ち悪いし後味がゴーヤチャンプルーくらい苦くなる。苦いのは嫌いだ。人生は辛みと甘みの両輪だけあれば、温度差でそれなりに刺激的で楽しくやれるんだから。

 

「……分かった、納得する。天使さん……じゃなかった、ルミーナちゃんはここに暫くいて良いよ」

「ありがとうございます!」

 

 面倒なことになったなあと考えながら私は顔を背けながら私はポツダム宣言並みに気を重くしながら言葉を発した。

 天使はそれを聞いて、流れるようにガッツポーズを取った。多分この天使、ああいえば私が自身の主義思想を優先して折れると理解していたんだと思う。これだから真面目系クズは嫌なんだよね。打算が過ぎるんです。もっとピュアピュアな女子小学生と一緒に私は暮らしたいってのになあ……はあ。

 

 こうして素性不明、種族落第天使との共同生活が幕を開ける。

 普通ならばこれからどうなるんだろうかと見通しの立たない先行きに不安になるのかもしれないけども、私がまず考えたのはワンルームで暮らす上での懸念点。

 ───二人でどうやって八畳一間に住もうかな。

 加えて寝具も日用品も服も無い。

 揃えるのは楽だけど捨てる時に面倒だとか考えながら、私は嬉しそうに口元を綻ばせる天使を傍目にベッドへ横になった。

 





自分の作品の二番煎じをしてしまった。
気分転換で書いた作品なので続きは反響とか見て決めます。

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