フォルトナの喉元へと突きつけられていた刀身が、阿含の手で静かに鞘へ収まる。
そのまま柄を握り、少しだけ重心を前に倒す。
その構えだけで、阿含の意図はあからさまなまでにフォルトナへ伝わっていた。
「居合術か……」
阿含が短時間なら達人級とも渡り合える速度を持ち合わせていることは、デスパー島でのロウエンとの戦い、そして蛮刀使いとの戦いで把握済だ。
先ほど蛮刀使いを倒した零距離射程の
牙突のタネが割れた今、乱用出来ない。
ならば速さで勝る抜刀術に頼るつもりなのだろう。
「"八門遁甲 第五門 杜門" + エーテル再定義一式 でんきタイプ "
ロウエンを倒したあの時と同じ。
阿含の姿がスパークを纏いてゆらめき、霞んでいく。
フォルトナが身構えると同時、阿含の姿が消えた。
人間の視覚による捕捉を許さない、気の強化に加え電気の性質を纏いた阿含による高速の突進。
おそらくは不退転。一度の打ち込みで勝負は決まる。
(疾い……! じゃが……)
達人に登り詰めたフォルトナの瞳は、スコープ越しに迫り来る天賦の全身を朧気ながら捉えていた。
速度に重きを置く余り、これでは直線移動しかできない。
ならばカウンターを取る事は容易いではないか、と右拳を合わせるが──
「左足じゃと……!?」
度重なる悪事を重ねた悪党とはいえ、武術への愛情と知識は本物だ。
抜刀術は本来、自分の刀で足を斬らぬ様、右足で踏み込むのが定石。
フォルトナもそれは聞き及んでいる。
だからこそ、阿含が通常の間合いから更なる一歩左足を踏み込み、加速と加重を抜刀に与えたことは誤算であった。
直後フォルトナはカウンターを諦め、無意識に一歩下がっていた。
計算によるものではなく、武芸者としての直感と本能が反射的にそうさせた。
直後、稲妻の様な凄まじい衝突音が薄暗い拠点に鳴り響く。
フォルトナの腕に巻かれたガンドレットが、居合切りを真正面から受け止めていた。
受け止めたフォルトナは元より、打ち込んだ阿含の腕に、より重く痺れるような衝撃が走る。
「ッッ……!」
「ヌウウッ……! 生死の狭間で更に一歩を踏み込んだか……勇敢な一撃じゃったが、惜しむらくは──スペックの差じゃ!」
剣術、速度、気の練りは申し分無し。
だが阿含の肉体の基礎性能そのものは、妙手の域を出ない。
達人に到達したフォルトナの反射神経、膂力に及ばなかった。
単純にして残酷な実力差を見せつけたフォルトナが、刀身を払い除ける。
そのまま返しの拳を打ち込み、阿含を仕留める──はずだった。
(なんじゃ……身体が吸い寄せられる!?)
突如見えない力が、フォルトナの巨体を前方へと引きずり込む。
阿含が得体の知れない能力を使ったのか。
そう疑ったが、当の阿含はフォルトナに弾き飛ばされ、その場に踏ん張り留まるのがやっとのようだ。
ならばこの事象の正体は──
「違う、引き寄せられているのは、ワシではなく前方の空間!?」
達人の力を持つフォルトナが斬撃を捌き弾き飛ばせば、その強い衝撃で空間は歪み、一瞬の真空状態を生む。
時間差を生じて、急速に辺りの物体ごと元に戻ろうとしている。
「そーゆーこと。利用できるもんは達人の力だろうと利用しねえとな」
だが、カラクリに気付いたところで全てが遅い。
既に阿含は吸い寄せる力を利用して態勢を立て直し、二撃目を振り抜いていた。
「飛天御剣流奥義"
隙を生じぬ二段構え。
回転による遠心力で増幅した二撃目は、一撃目を遥かにしのぐ。
龍の鈎爪に抉られたと紛う程の衝撃が、フォルトナへと叩き込まれる。
「ぐおおおはああッッ!」
肉体を守護する達人の強力な気血を貫き、峰打ちではなく確かな斬撃が左
壁へと吹き飛ばされ、そのまま床へと倒れ込んだが追撃が一向に来ない。
戦闘不能となり、致命的な隙を晒すフォルトナへ追い打ちをかけることなく、阿含は刀についた血を拭き取り鞘へと納めた。
「そこでじっと止血しとけ。オッサンにはまだ
「うぐぐ……役割じゃと?」
その問いに対し、阿含から返答が返ることはなかった。
フォルトナとは反対方向、何も無い空間を警戒しながら睨んでいる。
その時、薄暗い虚空の中から強い気配を纏い、阿含が反応した者が正体を顕にする。
「こいつぁ驚いた! 蛮刀使いだけでなく、ミスターフォルトナをもボウヤが追い詰めるとは……」
「これが"100年に一人の天才"か。噂にあったより一回り凄まじい使い手ではないか」
短い柄の斧をぶら下げたメガネの男と、直刀を構える仮面の老人。
"フランキスカ・フリークス" シェルマン・カミューと"スクラマサクス・マスター" セドリック・カスケンが阿含を塞ぐように並び立つ。
フォルトナや蛮刀使いの様な、いわゆる
弟子クラスの上澄みが10人集まろうと、一縷の勝機も望めぬ別格の使い手である。
フォルトナから増援要請を受けたことで、阿含にとって最悪のタイミングで前線へと駆けつけていた。
「普段ならば、達人に挑む前途ある勇敢な武人を見逃してやりたいところだが……今は戦争中だ。気が進まないけど、裏切り者は始末しないとねえ」
「
阿含の頭脳は瞬時に解答を主に伝える。
八門遁甲の反動が身体に来ている今、戦闘はおろか逃走すら到底不可能。
確実な詰み盤面を前に、敗北を享受する時が来た。
「秘剣 "薄刃陽炎"!」
暴雨の様な剣気が、その場全員の武芸者全員の肌を突き刺した。
その中で光の鞭がうねり、シェルマンの全身を蝕み喰らい尽くす。
「のはあああッッ!?」
不規則にうねる音超えの斬撃──自身の奥義を解き放った男。
刹那丸の刀身を惚れ惚れしながら見下ろし、紀伊陽炎が更に拠点の奥からのそりと現れた。
「んー、やっぱり達人の斬り心地は違うにょ。極上の赤身肉の様な食べ応えだ」
「紀伊陽炎殿!? 貴殿まで裏切るとは……血迷ったか!?」
「裏切りゅう? 私は自身の剣を極めたいだけですよ。報酬だって最初から受け取るつもりは無いにょ」
即座に反応して斬り掛かったカスケンの斬撃を、陽炎はあくび混じりに刹那丸で弾き飛ばす。
カスケンがA級に辛うじて食い込む程の達人ならば、陽炎はさしずめ特A級の上位。
様子見の状態ならともかく、既にトップギアまで昂ぶっている陽炎が、手をこまねく相手ではなかった。
「"心刃合錬斬"!」
「な、なんと……武器使いの極地の技を!?」
武器を身体の一部にできるカスケンの、更に上の境地。
刹那丸と一体化し、一筋の大きな光となりてスクラマサクスごとカスケンの胴に一閃を浴びせる。
長年達人として積み上げた研鑽を一瞬で無に帰す、圧倒的な剣技の前にカスケンは崩れ落ちる。
シェルマン共々どうにか息はあるが、傷は深く武人としての再起は難しいだろう。
「ナイスタイミング、仮師匠。マジで助かったわ」
額の冷や汗を拭い、阿含は一息つく。
演技ではなく、本当の窮地だったのだろう。
謀反を起こした師弟を見上げ、フォルトナが苦笑う。
残っている特A級達人以上の戦力は、軒並み各々の役割を果たすべく控えている。
自由には動かせぬ今、陽炎の庇護を得た阿含の暴走を素通しするしかない。
「ぬぅ……陽炎殿、まさかお主が乱心するとは……
「ふふ、否定はしませんよ。この仮弟子はまだまだこの武術界を掻き乱して、我が剣技を更に昇華するきっかけを与えてくれそうですからねえ。ちょっと捨てるのが惜しくなったんですよ。……さて本丸はこの奥だろう」
ふと陽炎が顔を上げ、見据える先。
ユーステッドの私室が控える最終防衛拠点へと向かおうとすると、当の阿含は明後日の方向を振り返っている。
「君の行く先はあっちだろう。……どうした? 仮弟子よ」
「……あーいや、後方でケンイチの気が爆ぜたような……」
「ああ、あの武器の申し子の弟子か。才能のカケラも無い少年だったねえ。
とまあ、かつての私ならそれ以上の感想は持ち合わせていなかったが、君が目をつけているということはあのボウヤにも何かあるのだろう」
陽炎の全身に巡る武人のセンサーは、阿含よりも鋭く正確だ。
阿含の懸念通り、しぐれの弟子と思わしき闘気に尋常ではない事態が起きていることを察しながら、陽炎はムホホと含み笑った。
「あいつはただの凡才クンじゃねえ。自分でなんとかすんだろ。
それより……アンタの言う通り、先に進まねえとな」
一瞬、ケンイチの方へ引き返そうか迷った末阿含は先に進む。
達人を2人下し、陽炎という強力な軸を味方につけた。
だというのに、これまで数々の勝利と成功を修めてきた天賦らしからぬ、言い知れない不安が増していた。
***
「ケンイチさんッッ!」
「バ、バカな! 鎬断に触れれば全ての気血は絶たれるはず!」
美羽から漏れた魂の咆哮、そして鍛冶摩の動揺が静寂の拠点に木霊する。
自衛や仲間を守るためではない。
初めて自らの意思、武人として身を投じた鍛冶摩との一進一退の戦いは、最終局面へ。
非情と謳われる鍛冶摩の師匠、現一影ですら使用を禁じていた最凶奥義、"塊・鎬断"が見事と言えるタイミングで炸裂していた。
ケンイチの全身から気血は絶たれ、細胞は壊死を始め、心の臓は鼓動を停止する。
なおも容赦せぬ鍛冶摩により、ダメ押しの鎬断が叩き込まれた──まさにその時、
必殺の拳はまるでキャッチボールするかの様に、静かに添えられたケンイチの掌に掴まれた。
叶翔に代わり美羽を守る。
そしてこの島の巨悪に立ち向かうため、金剛阿含と同じ領域に並び立つ。
ケンイチの信念と願い、これまで培った力が噛み合い化学反応を起こす。
「"気の掌握"!」
流水深層制空圏の理論を応用し、自身は愚か相手の気すらも完全にコントロールするまでに至った。
口伝で伝えられたのみで、未だ修得は遥か先であるその場の武術家達を驚愕が包む。
「なんだと……"気の掌握"を体得したというのか……! 白浜は気の運用という一点において、達人級に足を踏み入れた……」
「この瞬間……ケンイチさんは私よりも明確に強くなりましたわ!」
今のケンイチにとって、鍛冶摩が死ぬ思いで編み出した塊・鎬断すら児戯に等しい。
「"流水無拍子"!」
なおも死を賭して襲いかかる鍛冶摩を、完全に無力化する突きが撃ち込まれる。
だが、その突きは廃人同然に追い込まれる程に傷ついた鍛冶摩の気の流れも、同時に癒す。
自身を、そして相手をも活人した。
ありとあらゆる才能ある者に勝ち続けたYOMIのリーダーは、生まれて初めて己以下の才の者に敗れながらも、安堵のままに意識を途切らせた。
ライバルへの称賛、そして武がさらに発展した事への歓喜が、敗北感を凌駕したのだろう。
阿含──そして未だ島に蠢く闇の達人とケンイチの間にあった途方もない力の差が、一時的ではあるが縮まった。
この一戦の影響により、ユーステッド島の結末は変化することとなるのだが、それは少し先の話。
("気の掌握"に至ったことで、ボクのセンサー……感知能力がかつてない程に研ぎ澄まされている。この拠点の奥で……誰かが戦っている気配,状況まで、伝わってくる!)
今まさに視線の遥か先、目的の場所で二つの闘気がぶつかり合っている。
一つはおそらく達人……そして、もう一つの格下と思われる者の気が削がれていく。
このままでは2,3分と保たず、その灯りは消えるだろう。
次回は月曜日に投稿いたします
また定期投稿の推敲ができない場合はあとがきで予告いたします。