世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件 作:赤坂緑語
第五章開幕です。
第101話:春は出会いと別れの季節な件について
紅の戦君バルナハルトの事件が解決してから、かれこれ三か月が経過した。
あれだけの事件も「喉元過ぎれば熱さを忘れる」というやつで、その後の事後処理や日常が忙しすぎて、あっという間に記憶は薄れつつあった。
とはいえ、綺麗さっぱりと爪痕が消えたわけではない。
地元の人々に愛されていた海浜公園が一晩で消し飛んだことへの隠蔽工作は多大な労力を使わされたし、“教会”本部に僕たちのことを通報しないよう、共闘したエクソシストたちを説得するために随分と苦労させられた。
極めつけは、誰にも何にも縛られない新たな紅の戦君バルナハルトが爆誕し、その処遇をどうするか決めるために日夜話し合いに追われたことだ。
おまけに、色々と表沙汰にできない事情があったとはいえ、僕は一か月ほど学校を丸々サボっていたわけで、その間に溜まった宿題や期末テストも重なり、その月は本当に過労死寸前まで追い詰められていた。
あわや収拾がつかなくなるのではないかというほど混沌とした状況だったが、やはり頼りになるのは優秀な仲間たちだ。
エクソシストの名門出身である天羽璃奈や、教会でも実力のある武闘派の霧島先輩、ユリウスなど皆が手を貸してくれたおかげで、奇跡的に全ての出来事を揉み消すことに成功。
悪魔の手も借りたいほどの山場を乗り越え、晴れて僕たちは日常へ戻ることを許されたのだった。
悪魔と言えば。
メフィラは結局、事件が収束した後も一向に姿を現さなかった。
現れるだけでトラブルが発生する生粋のトラブルメーカーなので、現れないに越したことはないのだが……静かだとそれはそれで不気味だ。
こうして無意識のうちに彼女のことを警戒してしまうのも、既にメフィラの術中なのかもしれない。
おのれ、メフィラめ……! 頼むからもう二度と現れないでほしい。
こうして事後処理の話ばかり並べていても面白くないので、そろそろ本題に移ろう。
僕は歩きながら、視線を上げた。
街道に植えられた木に色づくピンク色の花びら。
見るだけで心が癒されるその花の名前は、“桜”である。
今は四月。
諸々の交渉を終えて日常に戻り、修行やテスト勉強を乗り越え、季節は春へと突入した。
出会いと別れの季節。
つい最近も入学式があったので、また新しい僕たちの後輩が入学してきたのだろう。
そういった新しい出会いがあれば――別れもある。
「世話になったな」
先月のことである。
僕たちの一つ上の学年だった霧島先輩は聖西学園を卒業した。
原作の“霧島ルート”の場合、卒業式どころではない騒動の最中なので、こうして彼女の卒業式を拝むことはできない。
至極当たり前の話だが、時間は流れている。
僕たちは永遠に高校生でいることはできないのだ。
僕は改めて、この世界が“原作”などというものに縛られない現実世界であるということを突きつけられた気持ちになった。
無事に卒業式を終えた霧島先輩は、彼女を慕う後輩たちの輪を抜けて僕たちと合流し、爽やかな笑みを浮かべながら礼を述べてくれた。
「お礼を言うのはこちらの方ですよ。霧島先輩には、本当にお世話になりました」
自然と言葉が口から出る。
彼女には本当にお世話になった。
もちろん、いい意味だけではない。
悪い意味でも、彼女には世話になった。
だが、僕たちが生きていて、この世界が存続しているのは、間違いなく彼女のおかげなのだ。
彼女からもらったこの吸血鬼の身体がなければ、僕はとっくの昔に肉片一つ残さず消滅していただろうし。
鏡の世界での騒動は、あちらの霧島先輩がいなければ世界が丸ごと消滅していたに違いない。
先日の四騎士との決戦だって、歴戦の猛者である彼女の助力なしでは乗り越えられなかった。
こうして並べるだけでも、彼女のありがたさと、どれだけ世話になったのかが分かろうというものだ。
霧島先輩は照れくさそうに頭を掻いた。
「その、なんだ……こうして面と向かってそういうことを言われると、なんて返したらいいものか迷うな」
白い歯を見せて笑う彼女だが、その表情には一抹の寂しさが見えた。
「“どういたしまして”でいいんじゃないでしょうか。……私も、お世話になりました」
普段は霧島先輩と良好な関係とは言えない璃奈だが、それでも最後くらいはと礼を述べてくれた。
その言葉は、彼女なりの精一杯の敬意だったのだろう。
霧島先輩は一瞬目を丸くし、それから不敵な笑みを浮かべた。
「そうだな。天羽璃奈にそう言われるのであれば、胸を張って“どういたしまして”と言っておこう。滅多に聞けるものではないからな」
「むっ」
璃奈が不満そうに頬を膨らませる。
その反応が面白いのか、霧島先輩は肩を揺らして笑い、ひらりと手を振った。
「卒業はするが、私は仕事でこの街に留まることになるだろう。出張もあるだろうが……まぁ、なんだ。まだまだ縁は続くということだ」
その言葉は、別れの寂しさを和らげるような、優しい響きを持っていた。
彼女は大学進学をせず、“教会”が持つフロント企業に入社するらしい。
これまで以上に“教会のエクソシスト”としての仕事に精を出すのだとか。
そもそも、この学園に入学していたのも任務の一環だったと聞くし、霧島先輩にとっては、派遣先の職場が少し変わるだけ――そんな感覚なのだろう。
「この学園を卒業することへの寂しさはあるが……なに、人生とはそういうものだろう」
過酷な別れと出会いを繰り返してきた彼女は、穏やかな笑顔でそう言った。
死別ではないのだから、また会える。
それは霧島レイにとって、どれほど幸せな別れなのだろう。
「ではな、またすぐに会おう」
そう言って、彼女は未練など欠片も見せずに、あっさりと聖西学園を去っていった。
凛としたその背中は、まるで風に揺れる旗のように真っ直ぐで、美しかった。
思わず見惚れていると、横から璃奈に睨まれた。
――ちなみに、彼女とは教会との折衝の関係で翌日に再会した。
感動の別れも何もあったものじゃない。
「な? すぐに会おうと言っただろう?」
得意げにドヤ顔をする霧島先輩に、僕は呆れたように肩を竦めてから、早い再会を祝して笑ったのだった。
閑話休題。
そんなわけで、高校生としての霧島先輩との別れをはじめ、様々なイベントが過ぎ去り、そこからさらに一月が流れて季節はいよいよ春となった。
考えなければならないことはまだまだ山ほどあるけれど――それでも、こうして今年も桜の花を見られる幸福を、今は素直に噛みしめたいと思う。
「綺麗だね」
隣を歩く璃奈も、僕と同じように桜を見上げながらぽつりと呟いた。
その声は、春の空気に溶けるように柔らかかった。
僕は頷き、そっと彼女の手を握る。
「うん。綺麗だね」
桜の花びらが風に乗って流れていく。
その下を二人でゆっくり歩いていると、不意に胸の奥からひとつの提案が浮かんできた。
「そうだ。せっかくだからさ、お花見に行こうよ」
春と言えば桜。
桜と言えばお花見。
考えてみれば、彼女と一緒にお花見をしたことがなかったので、僕の内から生まれた欲求は自然と言葉になった。
璃奈は僕を見つめ、満開の桜のように表情をほころばせた。
「うん、いいね! お花見行こう!」
その笑顔を見た瞬間、僕は自分の提案が正解だったと確信した。
胸の奥がじんわりと温かくなる。
これはもう、楽しみで仕方がない。
僕たちは歩きながら具体的な計画を話し始めた。
日程、場所、お弁当の内容。
旅行は現地に行っている最中だけでなく、計画を立てている時間も楽しいと言うが、まさにその通りだった。
僕たちは明るい未来に思いを馳せながら、これから訪れる楽しい時間について語り合った。
――けれど、僕は忘れていた。
この世界は、こういうイベントごとに対して滅法厳しいということを。
何かと嫌なタイミングでカットインしてきては、ド派手に邪魔をしてくるということを。
「ん?」
璃奈と一緒に学校の玄関へ到着した僕は、自分の靴箱に向かい、いつものように下履きへ履き替えようとした。
そのとき、指先にカサッと紙を触ったような妙な感触が走った。
首を傾げながら覗き込むと、そこには白い封筒が差し込まれていた。
「……えっ?」
思わず唖然とした声が漏れる。見間違いかと思い、目を擦ってからもう一度覗き込んでみるが、目に映る物体は変わらない。
僕は靴を履き替えてから、恐る恐るその白い封筒を取り出した。
表にはハートマークのついた封がされており、裏返せば「地藤優斗様へ」という文章が可愛らしい文字で書かれている。
まだ中身を見ていないので何とも言えないが、ラブから始まってレターで終わるタイプの白い封筒が、僕の靴箱に挟まっていた。
前世も含めた人生の中で、初めてもらったラブレター。
僕は目を丸くしながら白い封筒を穴が空くほど見つめ――
「えぇ……?」
困惑の声を漏らした。
それも当然だ。僕には可愛い彼女がいるのである。
別にこれ以上モテる必要なんて欠片もないし、むしろ彼女の機嫌を損ねる可能性もあるのだから余計なことをしないでほしい、なんて傲慢な考えすら浮かんでくるほどだ。
さらに言えば、僕と璃奈のバカップルぶりはとっくにこの学校中に知れ渡っているはずである。
現に、彼女と手を繋いで登校してきても誰にも何も言われないどころか、もう視線すら向けられなくなってきたほどだ。
もう空気と同じ扱いにまで昇華された僕たちの関係。
そんな、聖西学園公認ともいえる僕たちのバカップルぶりを知りながら、それでもラブレターを出す意味なんてあるのだろうか。
「まぁ、まだそうと決まったわけじゃないしな……」
他の生徒たちが靴箱にやって来た気配を悟った僕は、慌てて白い封筒を鞄の中へ押し込みながら、自分に言い聞かせるように呟いた。
まるで現金でも隠し持っているかのような、妙な罪悪感が胸の奥をざわつかせる。
その落ち着かない気持ちを抱えたまま教室へ向かい、席についた。
クラスメートたちに挨拶を返しながら、僕はしれっと白い封筒を机の中へ忍び込ませる。
そして始まった一限目。
周囲が授業に集中しているのを確認してから、そっと手元で封筒を開いた。
“お願いだから、ラブレターではありませんように――”
そんな奇妙な願いを籠めながら。
『地藤優斗さんへ。あなたのことがとても気になっています。放課後、屋上にきてください。私の気持ちをお伝えしたいです♡』
僕は無言で手紙を折りたたみ、机の中へ戻してから頭を抱えた。
どこからどう見ても、ラブから始まってレターで終わる類の手紙だった。
百歩譲って進路相談や人生相談だったとしても、語尾の♡は完全に狙っている。
つまり――璃奈に見られたら、その瞬間に修羅場確定ということだ。
「おーい、地藤。頭を抱えてどうした? 具合が悪いのか?」
「はい、先生。とても具合が悪いです」
「その割には声が元気そうだが……」
「とても具合が悪いです」
「二回繰り返されてもな……」
先生の小言を華麗に聞き流しながら、僕はこれからどうするべきか考え込む。
璃奈に知られたらまずいのは目に見えている。
かと言って、隠していたことが後で発覚したらもっと大事になるのも分かっている。
特に、“隠していた”という事実が知られたら完全にアウトだ。
「どうしたもんかな……」
「保健室に行きなさい」
机の上で頭を抱えながら悶々と過ごす。
しかし、このことを知った璃奈が、お相手の方を半殺しにしない保証もない。
むしろ最近の彼女なら、積極的にそういうことをしそうで怖くて仕方がない。
だが、やはり言わない方が問題になるだろう。
ここは覚悟を決めるしかない。
よしっ――
「先生、決めましたよ」
「あぁ、そうかい。じゃあ、さっさと席に座って授業を受けなさい」
「はいっ!」
元気よく返事をした僕は教科書を開き、物凄い勢いで板書を開始した。
◆◆
何故かやたらと教師から問題回答を指名される地獄のような授業を乗り越え、ようやくお昼休みになった。
僕はいつもより緊張を抱えながら、璃奈との待ち合わせ場所へ向かう。
彼女と合流していつもの屋上へ上がり、彼女が作ってくれた絶品のお弁当を平らげ、幸せな時間を過ごしてから――
「璃奈、話があるんだ」
決意を込めて切り出した。
「どうしたの? 急に改まって」
紅の戦君との戦いの前は精神状態が不安定だった彼女だが、最近は驚くほど落ち着いている。
一度大喧嘩をして、しっかり話し合ったことが大きかったのだろう。
相変わらず溢れんばかりの愛情が暴走することはあるが、以前のように全てをかなぐり捨てて突っ走る気配はない。
――だからといって油断していいわけではないのが、彼女の怖いところなのだが。
そんなわけで、今から話す内容は慎重に扱う必要がある。
僕は璃奈の情緒が安定していることをしっかり確認してから、鞄の中からそっと白い封筒を取り出した。
「実は、ラブレターらしきものを貰ったんだ」
「はっ?」
温度が、五度くらい下がった。
春の温気が凍りつき、桜の花びらたちは我先にと逃げ出した。
紫の瞳に闇が渦巻き、先ほどまでの穏やかな美少女の雰囲気が消え去り、氷の世界に君臨する女王のような凍てつく視線が僕――ではなく、白い封筒を射抜く。
反射的に封筒を隠しそうになったが、
「見せて」
臣下の騎士に命令を下す女王のように、ひらりと差し出される手。
僕は頭を下げ、それこそ騎士のように恭しく手紙を差し出した。
「ははぁ――」
お納めください。
全ては陛下の御心のままに。
「……へぇ」
手紙を無言で拝読した女王陛下は、ぽつりと一声漏らした。
その「へぇ」にどんな感情が籠められているのか僕は知らないし、知ったらまずいことになる気がビンビンしているので推測するつもりはない。
意外にも――というと失礼かもしれないが、璃奈は読み終えた短い手紙を丁寧に折り畳んで封筒に戻し、僕へ返却してくれた。
それからゴホンと咳ばらいをして凍てつくような雰囲気をガラリと切り替え、いつもの穏やかで、しかし真剣な表情に戻って口を開いた。
「ごめんね、急にラブレターなんて言うから動揺しちゃったの。優斗君が陰でまた誰かを惚れさせたのかと思ったから」
「いや、僕は璃奈以外の女性を口説いた記憶なんて――いや、なんでもないです。ハイ」
凍てつく女王の視線が復活したので、僕は氷漬けにされないよう誠心誠意温かい返事を心掛ける。
璃奈は鷹揚に頷き、話を続けた。
「だけど、考えてみれば動揺するのもおかしな話だったんだよね。だって、優斗君ほど魅力的な人はモテて当然だし、ラブレターの一通や百通送られることが当然なんだから」
「いや、別にそんなことは――いえ、当然ですよね。うん。太陽が璃奈を中心に回っているくらい当然のことです。ハイ」
思わず反論しそうになったが、ギラリと輝く紫の眼光に射抜かれれば、反論する気力などごっそり削られてしまう。
僕は壊れた人形みたいにうんうんと頷きながら、彼女の言葉を肯定した。
「だから、そのこと自体に思うところはないの。ただね、私が言いたいのは――これだけ私たちの仲を見せつけているのに、それでも下品なアプローチを仕掛けようとしてくるのはどうなのかなってことなの」
璃奈の言いたいことは分かる。
僕も思ったことだが、校内でこれほど知れ渡っているバカップル――いや、健全なカップルに対して、それでもアプローチを仕掛ける意味がよく分からない。
勝ち目などないだろうに、何故勝負をしてくるのか。
よく見れば、怒っているだけに見えた璃奈の表情には困惑が混じっていた。
彼女も戸惑っているのだ。どうして急にこんな手紙が届いたのかについて。
「優斗君は最近まで学校を休んでいたわけだし、その魅力を知らしめる機会が少なかったよね? なのに、このタイミングで手紙を送ってきた意味がよく分からなくて……」
「……一目惚れとか?」
絶対にあり得ないが、なんとなく脳裏に浮かんだ単語を口にしてみる。
璃奈はハッとした表情を浮かべ、
「それだ!」
「いや、それじゃないでしょ」
自分で言っておいてなんだが、すぐに否定しておいた。
別に僕は絶世の美男子というわけではない。
吸血鬼化の影響で体型や肌質が常に全盛期になるようになっているので、容姿が悪いわけではないだろうが、それでも見惚れるほどのものではない。
「人にはその人の好みの顔や雰囲気があるんだよ」
「……じゃあ、僕は璃奈にとって好みだったってこと?」
話は逸れるが、なんとなく気になって今更なことを尋ねてみる。
璃奈はキョトンとした後、妖艶な笑みを浮かべて頷いた。
「そうだよ。私のタイプは優斗君なの」
「そ、そうですか」
「うん。せっかくだから、具体的にどこら辺がタイプなのか全部説明するね」
「い、いや遠慮しておくよ」
その後、滅茶苦茶どこら辺がタイプなのか説明された。
嫌な気はしなかったが、滅茶苦茶恥ずかしかったとだけ言っておく。
◆◆
「それにしても、どんな人なんだろうなぁ……」
「心当たりはないの?」
「ないね。全くない。だって、学校はほとんどサボっているし、関わる異性は璃奈、霧島先輩、唯ちゃんくらいのものだから」
陽気で温厚で人格者な僕なので友達は多いと思われがちだが、意外にも交友関係は非常に狭い。
今言った面々に加え、あとは十六夜蓮とユリウスくらいのものだ。
話す人がいないわけではないが、どうしたってクラスメートの域を出ない人ばかりである。
「文章の感じからして、今挙げた人たちとは性格が違うもんね……」
璃奈は手紙の文面を思い返しながら、すぐに首を振った。
普段から接している友人たちの誰かが送った可能性を疑っていたらしいが、あの濃い面子と♡つきの手紙を見比べれば、合致するはずもない。
……いや、正直に言うと、ああいう捉えどころのない文章を書く知り合いを一人だけ知っている。
相手を揶揄うためならどんな労力も厭わない、性格の悪い女を。
ただ、奴の名を口にすれば本当に奴が来そうなので、敢えて口にしないだけだ。
手紙の主を推測しながら昼休みを過ごし、午後の授業を終えると、あっという間に放課後になった。
璃奈と相談した結果、僕は屋上で手紙の主を待つことにした。
しっかり話を聞いたうえで丁寧にお断りするためである。
それ自体は元よりそのつもりだったので異論はない。
問題は――
「……なんで、璃奈もいるの?」
「優斗君の彼女として、一言物申したいからよ」
腕を組み、ふんすと鼻息荒く仁王立ちする女傑――天羽璃奈氏。
昼休みの相談では僕の方針に異議を唱えていなかったはずだが、まさか土壇場になって同席を希望するとは思わなかった。
「いや、流石にそれはちょっとどうかと思うんだけど……」
「私がいて何か問題でもあるの?」
不満そうに頬を膨らませる璃奈。
問題ありまくりだ。
「そんな怖い顔をした美人さんに睨みつけられたら、この手紙の主も言いたいことを言えないと思うよ?」
「むぅ……」
流石に自覚はあったのか、璃奈は自分の頬を触って悩ましい声を漏らした。
その仕草が可愛くて、少しだけ心が揺らぐ。
同席を許したい気持ちが芽生えるが、僕の理性がそれを押しとどめた。
誰にだって、余程の事情がなければ誰かに好意を伝える権利はある。
それは、本来なら手の届かない天羽璃奈という存在に手を伸ばした僕が、誰よりも知っていることだ。
仮に相手が僕に好意を持っていて、それを伝えたいと思っているのなら、しっかり受け止めたうえで断るのが誠意だと僕は思っている。
だから、
「悪いけど、同席は控えて欲しい」
誠心誠意の気持ちを込めてお願いすると、璃奈は不満そうな顔をしながらも渋々頷いてくれた。
「分かった。優斗君がそこまで言うなら、少し離れたところで見守っているよ」
そう言って璃奈は屋上にある貯水タンクを指さした。
あの上か、後ろで隠れているということだろう。
同席はしていないが、そもそも話を盗み聞きしているなら意味がない気がする――まぁ、いいか。
どうせこの手紙の主と話した内容は彼女に伝えるつもりだったので、それが早いか遅いかだけの違いだ。
僕が了承すると、璃奈は「気を付けてね」というよく分からない忠告をしてから軽々と跳躍し、貯水槽の上に降り立って姿隠しの秘術を使った。
準備が整った僕は、屋上のフェンスに凭れ掛かりながら手紙の主を待つ。
断ることは決まり切っているので緊張する必要はないはずなのに、何故だか無性に緊張する。
落ち着きなく歩き回りたい気分だったが、璃奈に監視――もとい見守られているので、クールな立ち姿を保ちたいという妙なプライドが働き、それもできない。
春の穏やかな風を受けながら佇んでいると、不意に吸血鬼としての聴覚が階段を上る足音を捉えた。
いよいよ、お相手の到着らしい。
タイミング悪く知り合いが来たのかとも思ったが、僕が知る誰の歩幅でもなかった。
均一で、無駄がなく、スムーズな体重移動。
まるで訓練された兵士のような、研ぎ澄まされた足音。
僕は緊張がMaxに達したのを感じながら相手が現れるのを待って――
不意に、嫌な予感がした。
そんな鍛え抜かれたような足音を持つ生徒など、この学校にはいない。
強いて言えば霧島先輩やユリウスが近いが、彼女たちの足音はもっと個性が滲んでいる。
しかし今聞こえる足音は違った。
もっと機械的で、個性が塗りつぶされたような、
その気になれば、足音さえ消せるのだろうと確信できるほどに虚ろな歩幅。
そんな歩幅を持つ者が、普通のはずがない。
僕は慌てて璃奈に伝えようとしたが――遅かった。
屋上のドアノブが回る。
ゆっくりと扉が開き、その人物は、現れた。
「あっ、ちゃんといるじゃん! よかったぁ! いなかったらどうしてやろうと思っていたところだったよ! ハッピー、ハッピー! やっぱり私はついてるなぁ!」
春のように陽気な声が響き渡る。
虚ろな足音が嘘のように、軽いステップを踏みながら、彼女は喜色満面といった様子でこちらへと近づいてくる。
足が軽やかに跳ねる度に白い髪が揺れる。
銀色の瞳はキラキラと輝いていて――逆に恐ろしい。
「あ、あなたは……?」
原作で見覚えのあるその姿を前に、僕は自分の顔が恐怖で引き攣っているのを自覚しつつ、震える声で誰何した。
人形のように整った顔を笑顔の形に歪めながら、制服を身に纏った彼女は名乗った。
「慈悲ネリア!」
偽名のようにも聞こえる、不気味な名前。
彼女はするりと距離を詰めると、僕の手を勝手に両手で握り、ぶんぶんと上下に振り始めた。
「よろしくね! 優斗君! あっ、私のことはネリアでもネリネりでもいいからさっ! あれ? なんか肩に力入っているねぇ。そこの力抜いていこうよ。ボクシングだって肩を弾ませてパンチ撃てって言うでしょ? そういうことなんだよ。世界には慈悲が必要だよねぇ」
意味の分からないことをペラペラとまくし立てる彼女を前に、僕は全身から汗を噴き出しながら心の中で絶叫していた。
いやお前、エクソシストの元帥様じゃねぇか……⁉
原作における最強キャラの一角が、飛んだり跳ねたりしながら笑顔で僕の手を掴んでいる光景を前に、僕は泣きそうになっていた。
春は出会いの季節。
そりゃあ、
こうして桜の花びらが舞う中、僕の新しい冒険の幕が開いたのだった。