世界の為に推しとの恋愛を諦めようとしたらヤンデレ化された件   作:赤坂緑語

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第84話:カップルなら話し合いが大事な件

 

 今さら言うまでもないし、周知の事実だと思うけれど――

 僕は平和主義者だ。

 

 誰かと戦うなんて、考えただけで嫌な気持ちになるし、勝ち負けにも興味がない。

 ただ平和に、嘘をつかず、誠実に生きていたいだけだ。

 

 だから、璃奈と喧嘩なんてしたことはなかったし、これからもすることなんてないだろうと、ずっと思っていた。

 

 璃奈も僕と同じように平和主義者だし、僕たちの間には喧嘩に発展するような価値観の違いも、互いへの不満も生まれようがない――そんな、今思えば恐ろしく愚かな勘違いを抱いていた。

 

 だけど、すれ違いなんて、とっくの昔に起きていた。

 

 僕が璃奈の気持ちも考えず、ただ焦りと恐怖心だけで彼女に別れを告げたあの日から、僕たちの間には致命的な亀裂が走っていたのだ。

 

 その後のこともそうだ。

 

 僕は自分の愚かさのツケを払うことに必死で、その結果、璃奈がおかしくなってしまっていたことに途中まで気づけずにいた。

 元の璃奈に戻ってほしくて、あれこれ考えていたけれど――今にして思えば、その思考そのものが間違っていたのかもしれない。

 自分の理想を、璃奈に押し付けていただけだったのかもしれない。

 

 僕は、璃奈にちゃんと聞くべきだった。

 璃奈はどうしたいのか。

 これから先、どう生きたいのか。

 

 一番大事なことを聞かず、話し合わず、ただ自分と世界のことで手一杯になっていた。

 

 そりゃあ、璃奈だって不満を溜めるだろう。

 ――その不満の行き先が僕ではなく、僕以外のすべてというあたりが璃奈の怖いところだけれど……

 

 でも、これまで自責してきたことは、璃奈にも同じように当てはまる。

 

 彼女は聞いてくれなかった。

 僕を愛し、心配し、僕以外のすべてを憎んでいたけれど――僕と話し合おうとはしていなかった。

 

 だからこそ、このすれ違いは必然だった。

 そして、この喧嘩もまた――

 

「必然だったってことなのかな……っと、危なッ⁉」

 

 流星群のように降り注ぐ翡翠色の光を躱す。

 お返しに斬撃を放つが、当然のようにひらりと避けられた。

 

「遠慮がないね……まぁ、理性がないから当然か」

 

 多分だけど、理性がある璃奈と喧嘩になったとしても、僕は大いに手加減される気がする。

 ――それか、徹底的に殺されるかのどちらかだろう。

 

「まずは、眠っているお姫様に目を覚ましてもらわないと――ねっ!」

 

 再び放たれた翡翠色の銃撃を躱しながら距離を詰める。

 僕は遠距離の攻撃手段をほとんど持っていない。

 だからこうして接近しなければ、戦いにすらならない。

 

 翼を広げて加速し、刀を振り上げる。

 もちろん璃奈を斬りつけるつもりなんて欠片もない。 

 狙うのは、あの厄介な弾丸を放つ武器だ。

 

 火花が飛び散る。

 武器を狙った僕の一太刀は、璃奈の銃剣によってあっさりと受け止められていた。

 

「そう簡単にはいかないか……!」

 

 璃奈は射撃主体のエクソシストだが、何ともチートなことに、どの距離にも対応できる最優の万能タイプだ。

 扱いづらいはずの銃剣の二刀流を華麗に操りながら、近距離戦でも完璧に対応してくる。

 斬りかかってくる彼女の連撃を僕は必死に捌きながら食らいつく。

 ここで距離を離せば、また弾幕の嵐に押し潰されるだけだ。

 

「璃奈! 目を覚ましてくれ、璃奈ッ!」

 

 僕の刀と璃奈の双剣がぶつかり合い、鍔迫り合いになる。

 力の均衡を崩さないように耐えながら、ようやく近くで顔を見られた彼女に呼びかける。

 

 人形のように表情を失った璃奈は答えない。

 答えてくれない。

 心が折れそうだが、ここで踏ん張らなければ彼女を永遠に失うことになる。  

 その方がずっと、耐えられない。

 

「璃奈! よくもあんな趣味の悪い檻に閉じ込めてくれたねッ! お陰様で僕は堕落ニート路線まっしぐらだったよ! 全くえらい目に遭った! 僕は怒っているんだよッ!」

 

 喧嘩中ということもあり、敢えて僕が抱えている怒りをぶつける。

 微かでも璃奈の感情を呼び起こし、悪魔王の支配から抜け出すきっかけになればと思ったが――返答は、無言の剣戟だった。

 

「ッ! 私も怒ってるってかい……?」

 

 嵐のような怒涛の連撃。そのすべてを弾く――ほどの技量は僕にはないので、致命傷になりそうなものだけ弾き、残りは身体で受け、無理やり再生しながら戦い続ける。

 

「でもね、怒ってるなら言って欲しかったッ! 璃奈のことなら何でも分かるって言いたいけれど、全部は分からないんだよ……! だって、僕たちは本当の意味で一緒にはなれないんだから!」

 

 一緒にいることはできても、一緒になることはできない。

 一緒になれたら、それはもう人間じゃない。

 僕という“個”は消えるし、璃奈という“個”も消えるだろう。

 

 だから、璃奈が何を考えているのか分からないこともある。

 そして同じように、璃奈だって僕の考えをすべて理解できるわけじゃない。

 

「璃奈の苦しみを察して、何とかできればよかったけれど……ごめんね。僕はそこまで出来た彼氏じゃないんだ。精一杯努力はしているけれど、それでも僕は不完全な人間なんだよ」

 

 自分にできる精一杯を尽くしても、どうしても手が届かないものはある。

 諦めたくはないけれど、それは事実として認めなければならない。

 

「それに璃奈だって、完璧な人間じゃないでしょ……? いや、完璧なんかであるべきじゃないんだ」

 

 天羽璃奈。

 完全無欠の完璧人間――になろうとしていた少女。

 

 彼女は努力していた。

 努力していて、実際その域に手が届きかけていたほどの逸材だ。

 努力の天才だと思う。

 

 けれど、彼女自身も気づいていたはずだ。

 その完璧の行きつく先は、――人間ではない何かだということに。

 

「璃奈は僕のことを大事にしてくれていて、その結果として、あの檻を用意したんだよね。でも、僕はそんなこと、欠片も望んじゃいなかった」

 

 完璧を目指していた少女は、再び完璧を求めた。

 僕が傷つかない、彼女が思い描く完璧な世界――鋼鉄の檻でできた箱庭を。

 

「璃奈は、僕が反対することを分かっていたんだろう? でも、僕がここまでして檻から出ようとすることまでは予期していなかったはずだ。僕はなんだかんだ自分の主張を折り曲げて、璃奈の言う通りになるだろう――そう思っていたんじゃない?」

 

 出血が激しくなってきた。

 いい加減に回復したいところだが、この距離を手放すわけにはいかない。

 僕は歯を食いしばりながら、言葉を紡ぐ。

 

「でも、実際にはそうはならなかった。璃奈は読み違えたんだよ。僕のことを。君が()()()()()()()()()()()地藤優斗を」

 

 僕は出来の悪い彼氏だが、(俗な言い方で好きではないけれど)璃奈はとびきり出来の良い彼女だ。

 

 彼女は僕のことをよく理解していた。

 僕の考えを読み取り、意図を読み取り、先手を打つことができる人だった。

 

 だからこそ、僕を害する外部要因――悪魔やエクソシストといったイレギュラーを、彼女は徹底的に憎悪した。

 けれど、彼女は僕のことを理解できていなかったのだ。

 天羽璃奈が思うよりもずっと、地藤優斗という人間は――

 

()()()()

 

 はっきりと言い切る。

 

「僕、マジでバカだよ」

 

 一瞬。ほんの一瞬だけ、璃奈の動きが止まった気がした。その間に畳みかけることもせず、再開された連撃を機械的に防ぎながら言葉を続ける。

 

「璃奈は、多分すごく僕のことを過大評価してるんだと思う。地藤優斗は賢いから分かるだろう。合理的だから理解してくれるだろう――でもね、悪いけど、僕、バカなんだよね!」

 

 自分で自分を小馬鹿にするように笑う。

 

「普通に間違えるし、ノリと勢いで非合理的な選択するし、自分から楽園みたいな場所を手放すし……マジで、バカなんだよ! だからさ、璃奈の賢い選択の意味なんか、全然分かんないんだよ!」

 

 救いようのないバカ。それが地藤優斗だ。

 璃奈はそれを分かっていない。全く分かっていない。

 いや、もしかしたら心の底では気づいていたのかもしれない。

 けれど――僕を持ち上げたいばかりに、見て見ぬふりをしていたのだろう。

 

 その証拠に、ほら――

 

「――っと! 図星を突かれたからって、すぐ暴力に訴えるのは良くないなぁ」

 

 先ほどよりも明らかに剣戟の勢いが増した。

 今頃、悪魔王は焦っているに違いない。

 手の内に置いているはずの少女が、急に暴れ出したのだから。

 

 残念だったね、ベルファルド。

 璃奈は鎖で繋いでおけるような女性じゃない。

 

「……分かってくれとは言わないし、僕もバカは卒業したいけれど、生憎とこれが今の僕だ。君が付き合っている地藤優斗という人間なんだ。否定してくれるのは嬉しいけれど、事実は事実として覚えておいて欲しい」

 

 同じ思考回路、同じ価値観を完全に共有できない以上、互いの認知が歪むことは避けられない。

 だからこそ、すべてを理解することはできない。

 けれど――事実を事実として受け止めることは大事だ。

 

 ムキになって否定するくらいのことなら、なおさら。

 ただ、それはそれとして――

 

「でもね、やっぱり僕は璃奈のことが好きだよ。地藤優斗をバカ呼ばわりする僕に怒る君が、好きなんだよ」

 

 悪魔王に封じられている“怒り”を、こんな些細なことで湧き上がらせる天羽璃奈の愛情深さ。

 それはきっと、僕にはもったいないほど素敵なものだ。

 

「だから、現実を全部理解した上でもう一度言うよ、璃奈。――僕と、話し合いをしよう」

 

 僕は鏡の霧島先輩から譲り受けた刀を虚空に仕舞い、彼女を迎え入れるように両腕を広げた。

 露骨な隙晒し。

 戦闘中にこれは、「殺してくれ」と言っているようなものだ。

 

 だけど、僕には自信があった。僕のために封じられた感情を絞り出してくれた彼女なら――きっと何とかしてくれるという自信が。

 

 悪魔王に操られた天羽璃奈が黒い翼を広げ、真っ直ぐにこちらへ突進してくる。

 銃剣の切っ先を突き出し、一直線に迫る。

 僕は璃奈の眼を真っ直ぐに見つめ、その瞬間に備えて歯を食いしばる。

 

 漆黒に染められた翼を羽ばたかせ、天羽璃奈は減速することなく銃剣の間合いへと接近し――

 

「ぐっ……!」

 

 ――彼女の持つ銃剣の切っ先が、僕の身体を貫いた。

 

 心臓と右肩にも突き立てられた双剣。

 間違いなく致命傷だ。

 璃奈の背後で誰かがニヤリと笑ったような気配がした。

 僕の賭けは失敗――そう思うだろうが、生憎と成功だ。

 

 璃奈は接近時、明らかに心臓と僕の顔を狙っていた。

 だが、顔に刺さるはずだった剣は肩に刺さった。

 彼女が直前で軌道を変えたからだ。

 

 つまり。

 

「捕まえ、た……!」

 

 僕は璃奈の両腕を掴み、ニヤリと笑った。

 肉を切らせて骨を断つ。

 まぁ、そんなところだ。

 

 璃奈が離脱しようとするが、そうはいかない。

 僕はしつこい男なんだ。

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)、発動――」

 

 顔を――つまり口を塞がれなかったことで、僕の切り札が起動する。

 僕の意図に気づいた悪魔王が急いで璃奈を動かそうとするが、遅い。

 

 僕は璃奈の眼を見つめながら、口を開いて――

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 眠っていた意識が、不意に覚醒したのを感じた。

 

 水面へと意識が浮上していく。

 けれど、完全に外界へ戻るわけではない。

 例えるなら、深海まで沈んでいた意識が、海面近くまで引き上げられたような感覚。

 

 理由は分からない。

 分からないけれど――私は怒っていた。

 

 何かに怒っていた。

 

 ――何に?

 

 そんなの決まっている。私の感情が動くのは、あの人のためだけだ。

 

 ――あの人って、誰?

 

 あの人は……あの人だ。

 世界で一番賢くて、優しい、あの人。

 

 ――その人がどうしたの?

 

 馬鹿にされている。

 誰かに、徹底的に馬鹿にされている……気がする。

 

 そんなの、許せない。

 

 あの人を馬鹿にするもの。

 あの人を困らせるもの。

 あの人を害そうとするもの。

 

 そのすべてを、私は許さない。

 

『僕、マジでバカだよ』

 

 けれど、その声は間違いなくあの人自身のものだった。

 彼は、自分で自分を傷つけていた。

 

 悲しい。

 そんなこと、言わないでほしい。

 

 私は、あの人の全部が好きだけれど、

 唯一、自己評価が低いところだけは本当に気に入らなかった。

 

 あの人が怒らないから、私が代わりに怒るのだ。

 この役目だけは、誰にも譲れない。

 

『……分かってくれとは言わないし、僕もバカは卒業したいけれど、生憎とこれが今の僕だ。君が付き合っている地藤優斗という人間なんだ』

 

 諭すような声が聞こえる。

 今度は、さっきよりもはっきりと。

 

 私は「そんな馬鹿なことあるはずがない」と突っぱねようとした。

 けれど――他でもない、あの人の声だから。

 耳を傾けざるを得なかった。

 

『否定してくれるのは嬉しいけれど、事実は事実として覚えておいて欲しい』

 

 事実。

 あの人がバカだという事実。

 そんなもの、事実ではないと言いたい。

 事実無根だと叫びたい。

 

 けれど――彼の選択がいつも正しかったかと言われれば、そうではないことを私は知っている。

 

 十六夜唯のために何度も死にかける必要なんてなかった。

 彼を吸血鬼に変えてしまった霧島レイを助ける必要もなかった。

 間に合わなかった私のせいでもあるけれど、鏡の霧島レイと融合なんてしてほしくなかった。

 

 ――他の女のことなんか放っておいて、私だけを見ていてほしかった。

 

 だから、もしかしたら少しだけ――ほんの少しだけ、私には彼を罵る権利があるのかもしれない。

 

 全部を守ろうとする優しい彼に、「私だけを見てよ……バカ」と。

 

『でもね、やっぱり僕は璃奈のことが好きだよ。地藤優斗のことを馬鹿と連呼する僕に怒る君が、好きなんだよ』

 

 私も、好きだ。

 

 そう答えたいのに、水の中だから声が出ない。

 そこで初めて、私は自分の意識が正しい場所にいないことを自覚した。

 

 ここにいてはダメだ。

 私は、あの人の隣にいないと――。

 

『だから、現実を全部理解した上でもう一度言うよ、璃奈。僕と、話し合いをしよう』

 

 話し合い……私も、したい。

 だって、できていなかったから。

 

 ……ううん、違う。私が避けていたんだ。

 

 怖かったから。

 自分の独占欲を、自分勝手な願いを、あの人に否定されるのが怖かったから。

 

 私にはあの人しかいない。

 でも、あの人には私以外の選択肢がたくさんある。

 その現実を直視するのが、恐ろしくて仕方がなかった。

 

 耐えられない現実を見たとき、私は自分を制御できる自信がない。

 もしかしたら、あの人を困らせてしまうかもしれない。

 それは本意ではないし、もし嫌われたりしたら――私は生きていけない。

 

 だけど。

 

 そうやって何もかもを怖がって、檻の中に閉じこもっていたら、あの人に近づくことなんてできない。

 あの人の隣に立つことなんてできない。

 

 目を開ける時がきた。

 深海から海面へ浮上し、現実へと戻る時がきたんだ。

 

 私は、私を呼ぶあの人の声に耳を澄ませる。

 

 そして、不意に――あの人の声が、狂おしいほど嬉しくなる言葉をくれて。

 

 私は微笑んで目を開き、手を伸ばした。

 

 

 

 

♰♰♰♰♰ ♰♰♰✜♰♰♰ ♰♰♰♰♰

 

 

 

 

 ずっと考えていた。

 

 戦いながら、ずっと考えていた。

 

 悪魔王とかいう、逆立ちしても勝てないような格上の相手から、どうすれば璃奈を取り戻せるのかを。

 

 奴はメフィラの上位互換のような存在だ。

 よほど筋の通った屁理屈でなければ、璃奈を取り戻すことはできないだろう。

 

 考えて、考えて、考えて――気が付いた。

 考える必要なんて、何もないことに。

 

悪魔の屁理屈(ワンダー・トリック)、発動――」

 

 性格の悪い悪魔の権能が発動する。

 身体に突き刺さった刀身の痛みに耐えながら、僕は璃奈の両腕を掴んで離さない。

 

「天羽璃奈は、地藤優斗を“自分のものだ”と宣言した」

 

 口にするのは、事実。

 僕を檻に閉じ込めた時、璃奈はそう言って悪魔のように笑っていた。

 

「それは正しい。僕は、天羽璃奈のものだ」

 

 地藤優斗は、天羽璃奈のもの。

 それを事実として認める。

 

「一方で、僕は天羽璃奈の心臓を契約で手に入れている」

 

 血の迷宮で血の大公と対峙したあの時、僕は璃奈の願いを受けて彼女の心臓を受け取り、彼女に不死性を与えた。それもまた、紛れもない事実だ。

 つまり――

 

「天羽璃奈」

 

 僕はただ、

 

「君は、」

 

 事実をそのまま口にする。

 

()()()()()

 

 心臓を――いや、心を手に入れているという事実。

 僕は世界に対して宣告する。

 この少女は僕のものだと。

 

 だから、

 

「悪魔王だか、なんだか知らないけれど――さっさと、僕のところへ帰っておいで」

 

 次の瞬間、錆びついた鎖が壊れるような音がした。

 

 虚無に囚われていた紫の瞳に輝きが戻る。

 禍々しい黄金の光が静かに消えていく。

 彼女の身体を蝕んでいた刺青が消え、漆黒に染まっていた翼が純白へと戻っていく。

 

「優斗、君……?」

 

 光を取り戻した璃奈が、僕の名前を呼んでくれる。

 僕はようやく再会できた喜びを噛みしめながら、彼女の名を呼んだ。

 

「璃奈」

 

 彼女は僕を見上げて微かに微笑み――次の瞬間、表情が青ざめた。

 

 僕の身体には銃剣の切っ先が突き刺さっている。

 そして、その銃剣を握っているのは――璃奈自身だ。

 

「あ、ああああああああああああああああ……」

 

 壊れた機械のような声が漏れる。

 璃奈の瞳が大きく揺れ、焦点が合わなくなる。

 彼女の手が震え始める。

 

「わ、私……わた、し……っ」

 

 呼吸が乱れ、肩が大きく上下する。

 顔色は紙のように白く、唇は震え、目の奥が恐怖と自己嫌悪でぐしゃぐしゃに歪んでいく。

 

「いや……いや……いや……っ、優斗、君……ごめ、ごめ、ごめ……!」

 

 言葉にならない謝罪が、喉の奥で潰れて漏れ出す。

 涙が溢れ、頬を伝い、僕の胸元に落ちる。

 僕は掴んでいた璃奈の両腕をそっと離し、震える彼女をそのまま真正面から抱きしめた。

 

「大丈夫」

「優斗君……?」

「大丈夫だから」

 

 何も心配することはない――そう伝えるように、心配性な彼女へ優しく告げる。

 

「で、でも……! 銃剣が……!」

「それは、後でいいよ」

「よ、良くないよ……! だって、痛いでしょ――?」

「正直めっちゃ痛いけど……後でいいよ。今はもっと大事なことがあるから」

 

 傷は治る。

 痛みは我慢できる。

 だから今は、優先すべきことを優先する。

 

「璃奈……ごめんね。もっと、君と話し合うべきだった。僕が考えていること、僕がやりたいこと、僕が怖がっていること……全部、君に話すべきだった」

「優斗君……」

 

 僕が今、最優先すべきこと――それは、璃奈との話し合いだ。

 理性を取り戻した彼女の瞳を覗き込みながら、ずっと伝えたかった言葉を紡ぐ。

 

「ごめんね、璃奈。君のこと、何度も置いて行ってしまった」

 

 身勝手な悪魔連中のせいとはいえ、僕は彼女を何度も置き去りにしてしまった。

 

「不安にさせちゃって……ごめん」

 

 璃奈の様子がおかしくなっていると分かっていたのに、僕は世界のことに掛かりきりになっていた。

 だから、謝る。

 璃奈は俯いた。

 

「……私の方こそ、ごめん。何も聞かずに、好き勝手なことしちゃって……」

 

 普段は凛としているその声が、震えていた。

 

「私、どうしたらいいのか分からなくて……優斗君がまたいなくなることを考えたら、頭がおかしくなりそうで……!」

 

 大きな紫の瞳から、雫が零れ落ちる。

 

「優斗君が平和を望んでいるのは知っているよ……? でも、君と私がどれほど平穏な生活を望んでも、それを壊しにくる奴らがいるの……! 私はただ、二人だけの世界を守りたかっただけなのに……! だから――」

 

 下手くそな呼吸をしながら、璃奈は溜め込んだ息を吐き出し、胸の奥の想いを吐露する。

 

「――嫌いッ! 悪魔も、エクソシストも、全部、全部、嫌いッ! 大っ嫌いっ! 私は、君以外の全部、いらないの!」

 

 まるで駄々を捏ねる子供のようだった。

 

 これまでの天羽璃奈の姿からは想像もできない――

 いや、違う。逆だ。

 

 これこそが、天羽璃奈という少女の()()()姿()なのだ。

 

 母に愛されず、憎悪されながら呪いを受けて育ち、自分の全てを我慢しながら背伸びをしてきた女の子。

 

 彼女は飢えていた。愛情に。

 そして、憎悪していた。

 思い通りにならない世界のことを。

 

 愛されて育てられなかったから、常に心の中で不安が渦巻いていて。

 駄々を捏ねることも許されなかったから、怒りの発散の仕方が分からない。

 

 皆が思うよりもずっと繊細で――ずっと、子供。

 

 僕は、そんな天羽璃奈に、何をしてあげられるのか。

 恋人として、どうすべきなのか。

 

「優斗君……?」

 

 僕は改めて、彼女を抱きしめた。

 銃剣が刺さったままの腹部は、あり得ないほど痛いけれど、そんなものは気合でどうにでもなる。

 

 璃奈を腕の中に収めながら、そっと耳元で囁く。

 

「大丈夫だよ」

 

 不安で押しつぶされそうになっている彼女を、少しでも安心させるように。

 

「大丈夫だから」

「で、でも……!」

「いいんだよ」

 

 母に裏切られ、誰も信じ切れずにいた少女へ告げる。

 

「僕を信じても、いいんだよ」

「――――」

 

 璃奈が息を呑んだのが、はっきりと分かった。

 

 信じろ、ではなく。

 信じても、いい。

 

 璃奈が僕のことを信じたいと思っていることは痛い程伝わってくる。

 だから、「信じろ」なんて言ったところで何の意味もないのだ。

 今、彼女に送るべき言葉は、肯定だ。

 彼女の背中を優しく押せるような、そんな言葉。

 

「大丈夫。最後に勝つのは、きっと僕だから」

 

 根拠も保証もないけれど、力強く宣言する。

 これから先、とんでもない敵たちが待ち受けていることは百も承知だけれど――それでも、最後には何とかして見せるのだと宣言する。

 

「……でも、何かあったら――」

「その時は、その時に考えればいい。璃奈はさ、色々と考えすぎなんだよ。もうちょっとバカにならないと、人生息苦しくなっちゃうよ」

 

 おどけたように言うと、璃奈は微かに微笑んだ。

 

「……優斗君ほど、バカにはなりたくないな」

「ハハハ、言ってくれるねぇ」

 

 これまでの璃奈なら、冗談でも僕を貶すようなことは言わなかった。

 だからこれは、大きな一歩だ。

 僕は喜んでその悪口を受け入れる。

 

「信じても、いいんだよね……?」

「もちろん。僕は、嘘をついたことなんてないよ」

「……もうっ」

 

 少し拗ねたような顔で――それでも、璃奈は僕の胸に頭を預けてくれた。

 空の上で、二人抱きしめ合う。

 

「璃奈?」

「ご……ごめん、その……」

「……いいんだよ。大丈夫だから」

 

 違和感を覚えて視線を下げると、僕の胸に顔を埋めている璃奈の肩が震えていた。

 声を掛けようとした瞬間、理由が分かった。

 僕は静かに彼女の頭を撫でる。

 

「大丈夫だから」

 

 その言葉が、最後の一押しになったのだろう。

 璃奈は、堰を切ったように大声で泣き出した。

 

「うわああああああああああああああああああああああ!」

 

 僕の服を鷲掴みにし、震えながら、感情のままに涙を流す。

 

 失ってしまった子供時代を取り戻すように。

 誰かを信じて甘えたかった自分自身を救うように。

 全身全霊で、ただ泣きじゃくっていた。

 

 こんな天羽璃奈は、初めて見た。

 原作でも見たことがない。

 でも、だからこそ――その姿は、胸が締め付けられるほど愛おしかった。

 

 僕は彼女を抱きしめながら、頭を撫で、背中を撫で、そっと微笑む。

 

 怖がりで、寂しがり屋の少女が泣き止むまで、ずっとそうしていた。

 

 

 

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