その左眼は誓いの為に
時間は少し遡る。
黒い拳が地面に落ちる。ひび割れて陥没しているところから見るに、その重量は人間が支えられる限界を超えている様にも思われた。
「……呆れたな」
角ばった鉤爪の様な刀身の斬魄刀を手にした死神が、億劫そうな声でぼやく。黒い右腕と白い左腕をダラリと垂れ落とした青年は、片膝をついてその常軌を逸した重さに耐えていた。
死神、吉良イヅルの霊骸は斬魄刀を青年、茶渡泰虎に突きつける。
「無理はしない方がいい。左腕は三度、右腕に至っては六度斬りつけた。既に生身の人間が耐えられる重さじゃあない。そのまま動けば、肩が外れるよ」
「ぐ……っ」
泰虎は重さが不釣り合いの両腕を引き摺って、歯を食いしばり立ち上がろうとした。霊骸のイヅルは泰虎を一瞬睨むと、左腕を斬魄刀———侘助で斬りつける。
四度目の斬撃。泰虎の白い左腕、悪魔の左腕の重さは既に本来の十六倍まで増えた。それでも泰虎は諦めず、まだ戦おうとする。
泰虎は決心していた。友である黒崎一護が、力の全てを失う事になろうとも、大敵である藍染惣右介を打ち倒したあの日から。力を失った一護の代わりに、自分が仲間を、彼が守りたい山程の人を守らなければ、と。自分の力は、その為の力のはずだと。
「ぐ……ぅおおおおおお!!」
地面が陥没する程の脚力で、泰虎は遂に立ち上がった。霊骸のイヅルは信じられないものを見る目をして、警戒と共に一歩下がる。
「……一応訊くけれど、君は本当に人間かい?」
霊骸のイヅルの問いに、泰虎は無言で以て応えた。重さ故に緩慢な動きで左腕を持ち上げ、構える。
眼鏡の滅却師と小柄な女死神を相手していた霊骸の雛森桃が、それに気付いて七枝刀の様な斬魄刀を横薙ぎに振るい、火球を泰虎に向けて放った。
「茶渡くん!!」
眼鏡の
「だから、何で防御が間に合うんだ」
霊骸のイヅルの剣が振り下ろされる。泰虎は重い両腕を引き摺って、左に跳びそれを躱した。それでも、あと一瞬が間に合わず、右腕に掠めてしまう。七度目の侘助の攻撃を受けた右腕の重さは、とうとう百二十八倍に至った。
「いい加減、これでもう動けないだろう?そこで打ち拉がれたまま、あの二人が倒れていく様を見ているといいよ」
「……ッ!ま、待て……!」
泰虎は自分を放置して雨竜と女死神、朽木ルキアの方へ向かう霊骸のイヅルを追おうとした。しかし、右腕があまりにも重く、動くこともままならない。
(クソ……ッ)
右腕ほどではないにしろ、それなりの重量になっている左腕で、岩の様に動かない右腕を叩く。動け、動け、動け、と。
———俺が守らないと。
泰虎は自分を叱責する。一護が、友が力を失っている今、仲間を守れるのは自分しかいないと。
———俺が守らないと。
肩の関節が悲鳴を上げる。それでも泰虎は懸命に、右腕を持ち上げようと奮起した。
———俺が……護るんだ……!!
泰虎が歯を食いしばり、両手を握りしめたその時。
爆炎が氷を砕く。霊子の矢が爆炎を突き抜けて、鬼道の結界に阻まれる。
雨竜は霊骸の桃の斬魄刀、飛梅の爆炎と熟達した鬼道の厄介さに歯噛みして、どうする、と勝機を探していた。
だが、飛び散る炎と氷の隙間に、角張った鉤爪の様な刀身の斬魄刀を持つ死神が———霊骸のイヅルが近付いてくるのを見つけて、ヒュッと息を飲む。
「まさか……茶渡くん……!?」
その声に、氷で霊骸の桃の爆炎を凌いでいたルキアもハッとする。霊骸のイヅルは表情を変えず、淡々と告げた。
「残念だけど、彼はもう動けない。援護は期待しない方がいいよ」
霊骸のイヅルが瞬歩で雨竜に接近する。雨竜は飛簾脚で振り上げられた侘助の一閃を寸前で躱し、崩れた体勢のまま矢を放った。霊骸のイヅルはそれを叩き落とし、破道の五十六、闐嵐を撃つ。風圧で雨竜の細い身体は、僅かに後ろに仰け反った。
その斜め上、影が一つ飛び出す。雨竜が振り返った先にいたのは、ルキアを爆破で吹き飛ばした霊骸の桃。
「弾け、飛梅!!」
しまった、と横に跳ぼうとした雨竜が、無理な姿勢が祟って蹴躓く。刀一本分の距離まで飛梅の爆炎が迫った。雨竜は衝撃に備えて、ギュッと目を固く瞑る。
……痛みは、来ない。
雨竜は覚悟していた痛みが、爆炎の熱が来ない事を不思議に思って、恐る恐る目を開ける。
「———な……っ!?」
まず雨竜の視界に映り込んだのは、
「……すまない。随分待たせた」
聞こえてきたのは、泰虎の声。霊骸のイヅルが、有り得ない、という顔をして振り返る。
「お前達に感謝するよ、霊骸。お陰で、俺は初心に立ち帰ることができた」
人間では有り得ない、重量感のある足音を鈍く響かせ、常人どころか死神や虚ですら耐えられない重さになった両腕を引き摺って、顔の左側を無骨で角張った黒い仮面で覆った泰虎が、そこにいた。
「今度こそだ。今度こそ俺は、背中を預ける仲間を守る、盾に成る」
兆しはあった。
あの時点では、瀕死の重体で意識も朦朧としていて、尚且つ引き摺り出された力の目的が不明瞭だった。だから、仮面も
だが、今は違う。
この力で何を為すのか。かつての友との誓いを、そして敬愛する祖父の言葉を、無力感の中で思い出した泰虎は、明確な意志を以て力のより深い本質へと手を伸ばし、そしてその一部を掴み取った。
「
黒い片割れの仮面の奥から覗く眼に、ジリ、と火花の様な霊光が散る。巨人の右腕の盾の紋様が淡くマゼンタ色の光を放ち、霊圧を漏出させた。
「
泰虎は重い右腕を構える。そして万全の状態と変わらぬ速度で拳を撃ち出し、霊力の砲弾が放たれた。霊骸の桃とイヅルは、背中に冷たい感覚を覚えて反射的に瞬歩でその場を離れる。
そこにいた誰もが目を見開いたのは、その威力と規模が彼らの知る
何せ、雨竜のいる場所スレスレの地面を丸ごと抉り、景色が輪郭を薄める距離まで一直線の道ができていたのだから。
「
泰虎は短く告げる。そしてこう続けた。
それこそが"
「———そして、"
霊骸の桃とイヅルは戦慄した。"
「さあ、どうする」
黒い巨人の仮面の奥の眼がギラついて、霊骸の桃とイヅルを睨む。二人は斬魄刀を泰虎に向けたまま、警戒を強めて少しずつ後退りした。
重量感のある足取りで———実際に両腕の重さは、本来ならば生身の人間が耐えられる重さではないのだが———一歩、泰虎が踏み出した、その時。
バキンッ、とその背後の空間が割れた。
全員が一斉に、割れた空間に意識を向ける。軋む様な音を立てて口を開けたそれが何であるか、雨竜達は知っていた。
「まさか……」
「
そしてその向こうからは、目の荒いやすりの様な攻撃性とゲリラ豪雨の様な迫力のある霊圧が漏れ出る。霊骸の二人は全身の細胞が本能的恐怖から震え上がる感覚を覚えた。
そこから出てきた存在は、雨竜とルキア、泰虎にとってはある意味で希望であり。同時に、霊骸の桃とイヅルにとっては絶望が人の形を取ったものであった。
「よお。随分楽しそうにしてんじゃねえか。俺も混ぜてくれよ」
鋭い眼光に眼帯を着けた傷面。十二の数字を印した羽織。刃毀れした斬魄刀を肩に担いだその死神こそ、最強の死神の称号を継承する十二番隊隊長。更木剣八である。
「……雛森くん。ここは一旦退こう」
霊骸のイヅルは緊張から発汗した汗を拭い、霊骸の桃に耳打ちした。
「な……ッ。何で!?ここまで戦ってきたのに、今更撤退なんて……」
「冷静になるんだ。原種よりも強いとはいえ、いくら何でも護廷十三隊最強の称号である"剣八"の名を冠する"更木剣八"には、僕たちじゃ逆立ちしても勝ち目が見えない」
「でも……!」
「どちらにせよ、奴の解放を許すまで戦いを長引かせてしまった時点で、実質的に僕らの負けだ。だから今は退いて、次に勝つ為の手段を整えるべきだ。例えば、
説き伏せられ、霊骸の桃は少々不満そうに顔を歪めながらも、渋々剣を下ろした。
その頭上に穿界門が開く。霊骸の二人は同時に跳んで、開いた穿界門へと飛び込んだ。
「っ!待て!!」
雨竜が穿界門へ飛び込んだ二人に弓を向ける。番た矢を放つ前に無情にも穿界門は閉じて、霊骸の二人は消えてしまった。
クソ、と雨竜が悪態を吐く一方で、剣八はつまらなさそうに溜め息を吐く。
「なんだよ。尻尾巻いて逃げやがって……つまんねえ奴等だ」
トン、と斬魄刀の峰で肩を叩く剣八の背後から、人影が二つ現れた。
「そりゃあ、隊長相手に他所の隊の副隊長なんかじゃ、何人束になったって勝てっこねえんすから逃げますよ。俺らは全然戦いますけどね」
「それに、あの霊骸の口振からして、お楽しみの機会は存外すぐに来るかも知れませんよ。それこそ、隊長の霊骸とか」
髪を一切剃り落とした坊主頭の死神、斑目一角と、華美な睫毛のエクステを着けた線の細い中性的な死神、綾瀬川弓親が、剣八を宥める様にそう言った。剣八は数秒黙って考え込むと、それもそうだな、と凶悪な笑みを浮かべる。その肩によじ登って、幼い少女の死神が顔を覗かせた。
「剣ちゃん、剣ちゃん!お散歩行こ!ミラぴに現世のおみやげ買いに行きたい!」
「バカ言えやちる。義骸着てねえだろ。先に浦原んとこ行って他の連中と合流すんのが先だ」
「そっすね。ただ、迷子にならんでくださいよ隊長」
「僕ら探しませんからね」
足をパタパタと揺らしてはしゃぐ少女、やちるを制して、剣八は茶化す一角と弓親に、うるせえ、と睨みを効かせる。二人はその眼光に慣れ切っているのか一切臆さず、やれやれ、と肩を竦めた。
「ざ、更木隊長……よくぞご無事で……」
おずおずと、ルキアが一歩前に出る。
「十一番隊揃い踏みか。やちるちゃんの言い方だと、ミラ・ローズさんはいないのかい?」
「あぁん?ああ、アイツなら過労で布団に無理矢理叩き込まれたらしいぞ。知らねえけど」
「過労」
「んで、代わりに来たのがコイツら」
剣八が親指で後ろを指し示す。まだ閉じていない
「ご紹介に預かりまして、私達ですわ」
「ですわー!」
前髪の毛先を真っ直ぐに揃えた艶やかな黒髪の華奢な女
「お前は……ピカロ!?」
「それに君は……」
泰虎はスンスンに抱えられるピカロ・
「お初にお目に掛かります。私、
「は、はあ……これはご丁寧に……」
「ミラ・ローズねー。かくれんぼ苦手なのに頑張っていっぱいかくれんぼしてたから、ヘトヘトになっちゃったのー!だからぼく、かくれんぼ得意だから代わりに死神たち助けに行くよって言ったんだけど、ひとりじゃ危ないから行っちゃダメって」
「なので、保護者として私がこの子と一緒に救出活動に出ることにしましたの」
「な、成る程……」
ピカロ・
「あのねあのね!ぼく、いっぱいかくれんぼしたよ!それで変な目線からぼくとスンスンを隠してね、トゲトゲのおじさんとツルツル頭のおじさんと、お兄さんかお姉さんかわかんない人をぐるぐる〜ってしてる鎖をね、スンスンがバキバキって蛇さんの手で噛み砕いたの!」
ルキアと雨竜は噴き出した。スンスンは得意げな顔で長袖を捲り、ピースサインを掲げる。おじさん……と静かにショックを受けた一角の肩を、弓親は慰める様に叩いた。子供って容赦がないからね、と。
「よく頑張ったな。
「えへへ〜」
泰虎に褒められて、ピカロ・隠密師はふにゃふにゃの笑顔で照れた。笑いのツボから這いずり出て、微笑ましい気持ちでその光景を見ていた雨竜は、ハッとして市街地の方へ目を向ける。
「そうだ、井上さん達!」
雨竜のその言葉に、ルキアも泰虎も、そしてスンスンも雷に打たれた様に市街地へと意識を向けた。
「……霊圧が二つ消えましたわね。それぞれ違う経緯で」
「わかんのかよ」
スンスンが
二つの戦いが幕を下ろし、それぞれがお互いと合流するために移動を始めて暫く。
ウルキオラと九条望実、そして気を失った織姫を背負う有沢竜貴は、遂に雨竜達と合流した。
「チャド!石田!朽木さん!……と、死神がいっぱい……?」
「有沢。無事だったか」
「スンスン!?それにピカロ……何故お前達が」
「ミラ・ローズが過労で倒れたので……」
合流してすぐ、互いに状況を伝え合う。ウルキオラ達は霊骸の十番隊を撃退した事。その際に織姫が
「そろそろ過剰戦力というか……浦原商店で匿うにも限界が来そうだな……有沢竜貴を送ったら、浦原に相談してみるか」
「それが良いだろうな。
十一番隊が周囲に目を光らせる中、ウルキオラとルキアは今後を相談し合う。最初の霊骸との戦いで心理的な距離が妙に縮まっていた二人は、かつて敵同士として剣を向け合っていたとは思えない程気安かった。
後ろから二番目の距離をトボトボ歩いていた望実は、そんな二人の背中を見つめて、グッと両手を握りしめる。
「……ウルキオラ」
「?何だ」
呼び掛けられ、ウルキオラは足を止めて振り返った。それに合わせて、他の面々もまた足を止める。
「……ウルキオラ。傷、痛む?」
「えっ。いや、まあ……もうほぼ治っているから、あまり」
目線を明後日の方向に向けたウルキオラは、少し歯切れ悪く答えた。ルキアはそれを半目で見つめる。
「ウルキオラお前……また無茶をしたのか?」
「なっ!してないしてない!よしんばしていたとしても、取り返しの付く範囲でしかしていない!」
「つまりしているんだな」
「超速再生があるからといって、それにかまけて自分を蔑ろにして良いということではありませんわよ」
スンスンが横から口を挟んだ。うぐ、とウルキオラは言葉に詰まって、ガックリと肩を落とす。
望実は握りしめた右手を胸に当てて、ギュッと閉じた目を、意を決して開いた。
「ウルキオラ」
声に強い意志が乗る。望実はゆっくりと歩み出て、ウルキオラの右手を取った。
「私も戦う。強くなる。ウルキオラが……もう、酷い怪我しないように」
「…………は?」
望実の宣誓に周囲が騒めき、何人かは俄かに色めき立つ中、ウルキオラは望実の言葉を理解するのに、暫くの時間を要した。
Q.今回随分時間かかったな?
A.チャドを活躍させるのがどれだけ難しいか実感したのとそもそも乱戦を描くのがむずい