5話の予告の最後の祥子を見て、そろそろ燈に動いて欲しいなぁという思いを形にしました。
Pixivからの転載。
5話放映後なので鮮度は落ちましたが、お楽しみいただければ幸いです。
一人になってしまった。
元々初華にはsumimiがあり、Ave Mujicaは必ずしも必要なものではなかった。祥子がお願いしたからやってくれていただけだ。
海鈴も同じだ。10を超すバンドを掛け持ちしている彼女にとって、Ave Mujicaはその一つに過ぎなかった。20が19になったところで、痛くも痒くもない。
にゃむは初めからバンドにこだわりがなかった。Ave Mujicaを利用するつもりはあれど、愛着はなかった。そもそも祥子の計画とは違うタイミングで仮面を外したことが崩壊に繋がったのだが、彼女の野心を見誤ったのは祥子自身である。それに、海鈴の言う通り、あのメンバーでは遅かれ早かれだった気もする。
睦はよくわからない。今はまだ芸能界の片隅で存在感を放っているが、彼女自身がこの先どうしたいのかもわからないし、正直なところ興味もない。少なくとも今は、自分のことを嫌いだと言い放った人間と交流を続けるような余裕はなかった。
自分のことしか考えていなかった。そよに言った台詞をそのまま返されて、そうだったかもと今となっては思う。初華と睦が無条件で味方をしてくれていたから、祥子の方でも二人を大切にしているつもりになっていた。結局、祥子も二人を利用していただけなのだ。
バンドが好きだった。その思いに偽りはない。だからCRYCHICを作った。ただ音楽のことだけを考えていられたあの頃は楽しかったし、もちろん解散などしたくなかった。
すべての元凶が父親なのはわかっている。今でも憎み切れないが、向こうは祥子を必要としていないようなので、家を出たままだ。
しかし、Ave Mujicaがなくなった今、初華の部屋に居続けるわけにもいかない。初華は理由を察しているのか、何も聞かずに祥子にずっといていいと言ってくれたが、祥子にはそうすることが出来なかった。ちっぽけな自尊心だ。
そういう頑なさもなく、人に頼れる性格だったら、そもそもCRYCHICだって続けられていたかも知れない。
Ave Mujicaを結成した後も、海鈴やにゃむにビジネスライクなバンドメンバー以上の感情が湧かなかったように、そよや立希、燈にも特別な感情はなかった。そよがCRYCHICの復活に固執していたのが意外なほどで、もしかしたらあそこがやり直せる最後の分岐点だったのかも知れない。
友達も家もなくなってしまった。今はAve Mujicaの活動で得たお金で部屋を借りているが、卒業まで続けるのは難しい。そもそも学費は出してもらっているし、所詮はまだ高校生の子供に過ぎない。このままではいずれ、あの父親の部屋に戻るか、祖父に泣きつくしかないだろう。
どうせプライドを捨てるのなら、後者の方がいいかも知れない。少しでも父親の力になれると思い、CRYCHICを捨ててついて行った結果があの一言だ。しかし、それでも父親の部屋に帰ることを漠然と想像してしまうのは、きっと過去の自分や自分の選択を後悔したくないからだ。
正しい選択をした。正しい選択をした上で、行きついたのが一人きりの今であると。
誰もいない音楽室。ピアノのそばに立ち、鍵盤の蓋を指先でなぞっていると、音楽室のドアが音を立てた。顔を上げると、同じ学年の高松燈が、中学時代と変わらないおどおどした様子で立っていた。
CRYCHICのボーカル。今でも祥子の心の一番深いところで特別な思い出になっている曲の詩を書いた人。つまり、祥子にとってとても大事な一人なのだが、きっと友達とは呼べない関係だし、何度も歩み寄ってくれたのをことごとく突き放してきた。
今日は、一人になってしまった祥子を憐れんで、慰めにでも来たのだろうか。笑いに来るような性格の子ではないが、祥子が同情を嫌う性格だと理解できないほど鈍い。もしくは、それをわかっていて、嫌われる覚悟で歩み寄ってくれているのだろうか。
いや、燈はそんな難しいことを考える子ではない。後先を考えず、あるいは考えられず、感情と感覚だけで行動している。
「何か?」
祥子から口を開くと、燈は音楽室のドアを閉めて3歩ほど祥子に歩み寄った。視線を祥子の足元に落としたまま、たどたどしく言葉を発する。
「春日影……弾いてほしい」
「どうして? 燈にはもう、それを演奏してくれる仲間がいるでしょう?」
今さらあの曲の作曲者を主張して、演奏を禁止するような真似をするつもりはない。自分の手を離れ、違う形で人々に伝わっていくのもまた音楽だ。
燈は言葉を探しているのか、何度か唇を開きかけては閉じた。理由が見つからないのか、言いたくないのか。隠したり、嘘をついたり出来る子ではない。ただ弾いてほしいだけで、そこに祥子が勘繰るような理由はないのかも知れない。
「わたくしは、あのバンドにはふさわしくありませんわ」
はっきりそう拒絶すると、燈は驚いたように顔を上げて、ブンブンと首を横に振った。
「違う……。今、ここで……」
「貴女方のバンドに加入して欲しいという勧誘ではないということですの?」
再度確認すると、今度は燈は勢いよく首を縦に振った。小さな子供のような動きだ。
正直に言えば気乗りはしないが、確認しておいて結局断るというのも決まりが悪い。それに、何度も突き放されながら、再び音楽室のドアを開けることに、燈は少なからず勇気を出したはずだ。その覚悟を無下に扱うのも申し訳ない。
そんなふうに思ったのは、やはり祥子自身が弱っていたからだろう。燈が希望したから仕方なくと言いながら、内心では昔の自分を知る人間が話しかけてくれて嬉しかったのかも知れない。
椅子に座って蓋を開け、鍵盤に指を落とす。前奏を弾きながら、歌は歌うのか確認するように燈を見ると、もちろんそのつもりのようで、燈は胸の前で両手を組んで口を開いた。
「悴んだ心、ふるえる眼差し、世界で」
歌が上手くなっているというのが、祥子の第一印象だった。声質とか歌い方の問題ではなく、慣れと自信から来るものだろう。逞しくなったと感じると同時に、自分から巣立っていったような寂しさも覚える。
しかし、変わらないところもある。必死で真っ直ぐで、不器用で融通が利かない。頑固なのではなく、柔軟性がないのだと思う。そういうところは、まだこの曲を歌うのにふさわしいと思える。もしも燈が世間に慣れて、人付き合いも出来る子になったら、この曲は輝きを失う。
オーディションでも受けているように、燈が真顔で歌っている。それがちょっと可笑しくて、祥子は少しだけ笑った。
それにしても、いい曲だ。
歌詞も好きだし、メロディーも好きだ。自画自賛ではない。このメロディーは歌詞によって引き出されたものだ。燈と出会わなければ、CRYCHICはまったく別のバンドになっていただろう。出会えて良かった。
そんな感傷。気が付くと涙が込み上げてきて、曲が終わる頃には歌詞のように頬を伝っていた。
音と声の余韻が消えて、涙をハンカチで拭う。
「これで満足ですの?」
泣いてしまったのが恥ずかしくて、理不尽に強い言葉を投げつける。燈はこくりと頷いてから、「ありがとう」とお礼を言った。祥子のためではない。ただ自分がそうして欲しかっただけだと言わんばかりに、それ以上何も言わなかった。
ピアノを閉じて立ち上がる。「また」と思わず口にして、続きが出て来ずに唇を閉じた。
また、なんだろう。
また一緒に音楽をする?
燈にはすでにMyGO!!!!!というバンドがあり、掛け持ちできるような器用な人間ではない。もちろん、祥子にMyGO!!!!!に入りたいという気持ちはない。
そもそも、また燈と音楽がやりたいのだろうか。今この状況下で、祥子のやりたい音楽はこういうものではない気がする。
今この瞬間は楽しかった。けれどそれは、Ave Mujicaが解散し、数ヶ月一緒にいた仲間を失ったことから来る感傷で、明日にはなくなっているかも知れない類のものだ。そんな不確かなもので、一生という単位でものを考えている燈を引き留めてはいけない。
結局祥子は、続きを口に出来なかった。しかし燈は、祥子の「また」をそう言ったのだと解釈したのか、少しだけ頬を緩めて頷いた。
「うん。また」
それだけ言って、小動物のような動きで音楽室を出て行く。心配になるほど単純でわかりやすい人間だ。それでも、本心のまるで読めないような人間とずっと一緒にいたせいか、とても落ち着いた気持ちになる。
状況は10分前と何も変わっていない。部屋に戻れば、またお金と未来についてひたすら思い悩むだろう。
それでも、もしかしたら自分は一人ではないのかも知れない。
そんなわずかな明かりが、暗闇しかない祥子の心には眩しい。