幼馴染が下駄箱に首を突っ込んでいる。 作:帰り道にはえている草木
◇
「今後一生五十音のうち、一文字以外の発音が許されなくなったら、どれを選びますか?」
「は?」
「なるほど、『は』を選ぶんですね。参考になりました、ありがとうございます」
何の参考にするの? と疑問と別に「は」を選ぶをつもりはなかったのに、という二重の正とは間違ってもいえない感覚が、少女に渦巻く。
「そういうそっちはどうなの?」
「『ッツーツーッ』、ッツーッツーツー、ッッ、ツーツーツーッツー、ツーツー*1」
「バグった電話?」
「ッツーッッ、ツーッッツーッ、ッツーッツーツー、ッッ、ツーツーツーッツー、ツーツーッツー*2」
少女は突然会話が通じなくなった幼馴染から、一歩分距離を取る。どうせモールス信号だろうなぁ、と思いながら。
ついでに、それを脳内でリアルタイムで変換しつつ発声出来る声帯と大脳の回転速度への若干の羨望を抱えながら──気付く。そもそも、別にその技能が欲しくもないことに。
会話の通じない
視界に入ってくるものは、見慣れた住宅街と何処かで見たことのある人達。
何か話題になるような──具体的には。隣にある壊れた電話に人間性を付与出来るような話題がないか、とあたりをもう一度眺めて。
「そういえば、今日の授業で“gaze at”とか“glare at”ってやったよね。あそこら辺の違いが未だに理解出来ていないんだけれど。どっちも“g”始まりだし」
「そうですね……そういう時は語源を絡めたり、似たような意味を持つ単語と対比させて覚えると良いことがあります」
高校の授業で出てきた英単語一つ一つに対して語源や類義語を漁るモチベーションも時間もないものだ、と少女は反論したくなる。
が、取り敢えずは教えを乞うている立場として、沈黙を継続することにした。
「“gaze”は興味を持って相手を見る、という意味合いで“glare”は睨みつける。
数秒前まで怪電話として学校七不思議「下校途中に呻く不審者」になっていた幼馴染は、持ち前の博学才穎さを人間性と共に取り戻す。
「“gaze”の語源については断定的な事は言えませんが、“leer”と類似の意味合いも持つ、ということを覚えておいても良いかもしれません」
知らない単語を告げられた少女は、眠気を噛み締めながら時間の潮流と格闘していた授業中の記憶を何とか引っ張り出そうとする。
昨日飲み会でもあったのか、若干喉が枯れていた先生の顔面を押し退けて──微かな記憶が浮かび出てくる。
「どっちも、見つめる……凝視するって意味だっけ」
でもそれだと、二つの意味的な違いがあんまりわからない、と少女は思い直す。
「“gaze”は興味を持ってじっと見る、というニュアンスではありますが──“leer”と同様に、相手を性的に見るという意味を持たされることがあります。まあ、性的に見るというのは、確かに興味を持っていることにはなりますから」
住宅街の中。
罰ゲームソーダと紅茶、そして飲料水が売っている自動販売機へと少女達は近付く。
「ですから、私は──」
「この流れで“I gaze at you.”と類似の文章を口から漏らしたら、今日の自販機はそっちの奢りになるからね」
長い付き合いから、今後の展開を予想した少女は先手を打って対策を講じる。
ただ、問題はふたつ。
「That is not enough reason for me to stop saying “I always gaze at you”」
予想以上に流暢な英語で返されたことと、120円の飲料水では引きとめる理由として弱すぎたというだけ。
婉曲的でありながら、直接的な愛の告白をされた少女はと言うと。
「月、汚くない? 今日」
今日は2月27日。天気は雲の多い晴れ。
上弦の月にしては太く、満月には足りぬ表現の難しい月が空にぽつりと浮かんでいた。
◇
三本の水を渡された少女は、嘆息する。
その溜め息は荷物が1.5kg程増えたことに対しても向けられていたが、多くの部分は違う方向へと向けられていた。
「そろそろ学年末試験か……」
「
流れるように英語で煽ってくる──もしくは本気で応援している幼馴染を視界から外し、水を飲む。
少女の成績は、良いものではない。
この間結果が返却された校内順位が通知される試験では、総合順位としては下から両手で数えられる範疇にあることが突き付けられていた。
ちなみに最も順位が良かったのは国語、反対に最も悪かったのは数学である。
先生からも何度か成績の話で呼び出されている少女は、試験のことを終わる度に先生から呼び出されるイベントと認識している節があった。
「やっぱり賄賂かな……」
「聞き捨てならない台詞が聞こえましたが」
「じゃあどうすればいいの。私の頭脳じゃ赤点ギリギリギャンブルにならざるを得ないんだって」
そうですね、と一呼吸置いてから少女は真面目な表情をして少し考える。
黙っていれば、いつもの突拍子もない行動もせずに美少女なのに──と横顔を見て、少女は思う。
「じゃあ、山を張りましょう。試験に出そうな所を私がまとめますから、その部分だけを重点的にやってみる──というのはどうでしょうか」
「それ、本質的な勉強じゃないよね」
「どの立場で言ってるんですか、その言葉は」
助けてもらう立場としてはあり得ない台詞を少女はこぼす。
今まで最底辺で蠢いていた深海魚をまともな成績まで押し上げようとしているだけでも十分に強欲だというのに、少女は流れるようにそれ以上を望もうとしていた。
「それに、山が外れたらどうしてくれるの」
「本当にどの立場が言ってるんですか。とはいえ、私もそれで私への尊敬が崩れたら困るので──」
「元々尊敬してないし、これ以上崩れるものもないよ」
少女は紅茶を飲み、早歩きで帰ろうとする。
当然の権利を行使したまでである。
「ごめんごめん、調子乗っただけだって。ねね、私のこと好きなんじゃないの?」
「この人、いつか天罰が下ってくれないと納得行きません。発言から行動まで、何処を切り取っても調子に乗りっぱなしとしか思えません」
少女にしては珍しく不機嫌な表情を浮かべ、咎めるような視線で幼馴染を見る。
「ごめんって。ね? キス位ならしていいから」
「それをされると解釈違いなのでやめてください。それに、体を安売りされると大枚を叩きそうになるので」
自分の言動が引き起こしたことではあるが、あまりの発言が飛び出して来たことで、少女は自分の体を軽く抱き締める。
「じゃあ今度……というか、春休みに遊園地デートとかどう?」
「わかりました、それで手を打ちましょう。山を張るのは任せてください。
常識外れの幼馴染に頼れそうな伝手なんてあっただろうか、と少女は首をかしげる。
少なくともこの一年間、誰かと談笑していた記憶は──授業で必要だった場合を除いて──何処にもない。
「伝手って、どこにあるの?」
「試験のことですから、作成者に訊くのが一番に決まってるじゃないですか。高校の先生なんて年下好きしかいないので、世間話に学業の話でも混ぜておけば、自然と試験内容は透けて見えます」
何を当然のことを、と言いたげに少女は答える。
「でもそれってほぼ──」
「世間話をするだけです。その報酬として、偶然得られた先生の反応から試験問題を推測するだけですから。それか、試験中にモールス信号で答えを送るの、どちらがお好みですか?」
最悪の二択を提示された少女は、軽く天を仰ぐ。
どうしてこうなってしまったのか、と。
「……じ、自分で頑張ろうかな」
「前者ですね、準備しておきます」
本格的に話が通じていない、と少女は再度天を仰ぐ。
全世界の人類が今後一生五十音のうち、一文字以外の発音が許されなくならないかなとも祈った。
「
祈りは、届かない。
現実は非情である。