幼馴染が下駄箱に首を突っ込んでいる。   作:帰り道にはえている草木

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「世間ずれした」帰宅路雑談

 ◇

 

「正しい言葉を使うのって難しくない?」

 

「私達はすべからく正しい言葉を使うべきですから」

 

 少女は普段の荷物と同量か、普段より少ない荷物を持ちながら答える。

 すべからく、というのは全て(・・)という意味ではない──誤用が起きやすい言葉である。

 

「とは言っても、言葉を使う時に一個ずつわざわざ辞書を確認しないからさ。無意識的に間違えることってあるじゃん?」

 

 辞書をめくるようなジェスチャーを少女はする。

 

「『はぁ、と私は溜め息をついてから憮然*1として立ち去った。確かに誤用をおしなべて*2排除するのは困難ではある──それ自体は認める。だが、指摘されても慣用表現だと開き直り、悪びれる様子が一切ないというのは鳥肌が立つ*3ものだ』」

 

 一方、少女は何かを(そら)んずるかの如く、軽く瞳を閉じながら言を紡ぐ。

 突然の反応に、少したじろいだ少女は今までの言葉遣いに何か誤謬がありはしないか、と軽く言動を振り返ってみる……が、正しいと思って自分自身が使っている以上、わかるわけがないと息を吐く。

 

「ちなみにそれ、出典は何処?」

 

「矢庭に借問するのは、ぞっとしない*4ですよ」

 

 幼馴染が完全に自身をからかうモードに切り替わったことを認識した少女は、とりあえず理解することを諦めた。

 

 最初から、幼馴染が自身の水準に語彙を合わせてくれているのは知っているのだから。

 

 今日は3月9日。天気は快晴。

 終業式であり、学年の終結が告げられる日。

 

 あるいは。

 また一歩、学年を進める為の準備期間──その始まりの日である。

 

 

 ◇

 

 少女が正しい言葉を使うのが難しい、と愚痴をこぼしたのは返却された現代文の試験に起因していた。

 マルとバツが程よく散在する解答用紙の最後のほうにある、数問の記述問題。

 それぞれの問題で、おおよそ三割から四割の点数は取れている少女であったが──ひとつだけ、一点のみしか貰えていない問題があった。

 

「『本文全体をふまえて、第六段落の段落のさわり(・・・)を八十文字以内で答えろ』って問題。意地悪じゃない?」

 

 試験に出題された評論文の核心部分。

 身体(からだ)の拡張性について論じたその文章において、話のさわり(・・・)を論ぜよという問いであった。

 

「そもそも、普通はさわりなんて言い方しないでしょ。てっきり最初の部分(・・・・・)から良い感じに取り出せって問題にしか見えないって」

 

 少女は返却された時に軽く驚き、即座に出題した先生のところまで駆け込む──程度には行動力があった。

 そして、自らのいたらなさと、「さわり」の正確な意味*5。加えて出題者の「性格の悪さ」とでも言うべきものに少女が気付いたのは、その三分後の話である。

 

「ホントに、煮え湯を飲まされた気分……どう? 今のって賢そうじゃない?」

 

 少女は、この使い方だとどちらの意味だとしても正解になってしまう、と思った。

 そして同時に、どちらにせよ正解になるから誤用が広まったのだとも*6

 

「耽美主義に惑溺(わくでき)しないでくださいね。あの沼に変な落ち方をすると──」

 

 少女はちらり、と幼馴染を見る。

 彼女から年相応の純粋無垢な視線が向けられていることに気付き、一抹の愛おしさを心の内側でのみ感じてから。

 

非本質的(・・・・)本質主義に傾倒することになってしまいますから」

 

 少女は、幼馴染には理解されないであろう空虚な言葉を吐く。

 空間にすらも意味を帯びさせる感性というものに、理性は何処まで論証を続けられるのか──なんてことを、考えながら。

 

「ホントに何言ってるかわかんなくなっちゃった」

 

 この話のさわり(・・・)は頭でっかちにならないようにという忠告である、と受け取った少女は自動販売機に駆け寄る。

 少女はいつものように百円玉を入れようとして、自身の財布にそれが入っていないことに気付く。

 

「ねね、百円玉って持ってる?」

 

 尋ねられた少女は、自身の財布を眺めて──山桜の意匠が施された硬貨を取り出す。

 山桜の花言葉を思い出してから、軽く幼馴染に笑みを向けて。

 

「ありますよ」

 

「ならちょっと貸してくれる? あとで……うーん、遊園地に行く時にでも返すからさ。ほら、お釣を自販機から回収すると内臓が爆発四散する先天性の難病を患ってるじゃん? 私って」

 

 少女は聞いたことのない病状に悩まされていると威風堂々に宣言する幼馴染へ、二枚の百円玉を渡す。

 渡された少女は軽く感謝を述べてから、いつものように飲料水と紅茶を購入し、その片方を幼馴染へと渡す。

 

「今思い付いたんだけどさ。『誤用をするたびに十円募金させる』って遊び、学校で流行らないかな。勉強にもなるし、一石二鳥じゃない?」

 

「賭博罪*7の成立要件の詳細まではわからないので、何とも言えませんが……恐らく、もう十円ですよ」

 

「えっ、どこで!?」

 

 誤用するたびに周囲の人から十円分の寄付をつのる。

 そんなゲームを幼馴染が想定しているわけがないという確信から、募金(・・)という言葉が誤って使われていると少女は考えた。

 

 募金とは、「寄付をつのる」ことで「寄付をする」という意味にはならないのである。

 

 その旨を幼馴染に解説する少女。ついでに、その言葉自体はここ五十年未満で使われるようになってきた、比較的新しい言葉であるという補足を添えながら。

 

「もう何を話してもダメな気がしてきた……」

 

 見るからに脱力した様子の幼馴染を、少女はじっと見つめる。注視、或いは凝視と表現しても適うであろう視線。

 

「な、なによ……さっきのにも間違いがあるって?」

 

「いいえ、ただ可愛いなと思って見つめていただけですよ」

 

「むぎぎ、姑息な手を……」

 

「十円、追加ですね」

 

 姑息なという言葉には、卑怯なという意味は存在しない。

 その言葉に刻まれているのは、その場しのぎの、という意味合いである。

 

 まあ、一部の辞書には既に「卑怯な」という意味が掲載されているものもあるのですが、と少女は呟く。

 

「え、正解教えてくれないの?」

 

(しばら)(やす)む。転じて、一時の間に合わせという意味が……元々の意味ですね」

 

『礼記』あたりが出典であったと記憶しているものの、いまいち自信がない少女は元々の意味、と誤魔化す。

 同時に、「姑息な」という言葉の意味を正しく認識している人が二割を切っている、という統計結果があったことも少女は思い出す。

 

「そういえば、最終的に試験結果はどうだったんですか?」

 

「まあ私にしては上出来ってとこかな。全教科四割以上取れるって快挙を成し遂げたからね! 崇め奉っても良いんだよ?」

 

「頑張った甲斐がありましたね。努力の成果がきちんと出ていますよ」

 

 累計点数にして、二倍以上の格差があるであろう相手からの惜しみ無い称賛を、素直に喜べるほど少女は無垢ではなかった。

 

「本気で思ってる? 煽りとかじゃなくて」

 

 むっとした表情。不満を前面に押し出し、少女は言う。

 

「思っていますよ。努力は正当に評価されるべきですから。それが例え結果を伴わないとしても」

 

「やっぱり煽ってるよね」

 

「穿った見方をすれば──そうかもしれませんね」

 

「……信じるからね?」

 

 

 ──『穿った見方』。

 それは、ひねくれた見方をするという意味では決してなく。

 物事の本質を捉えた見方、という意味でしかない。

 

 

 言葉を正しく認識することは、肝要である。

 

*1
失望して落胆した様子

*2
全て一様に

*3
恐怖や寒気で怖くなる

*4
感心しない

*5
要点、肝心なところ

*6
「敵から酷い目にあわされる」が誤用であり、本来の意味は「信頼していた相手に裏切られる」

*7
刑法第185条、第186条

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