漫画で歴史に残る女   作:充椎十四

15 / 15
愛と正義を描く女4

 かつて金に釣られて描いた渾身の大作・ドクタケ忍者隊はなんとほとんどの巻が歴史の波に消えてしまい、最終巻ほか五巻ほどしか現存していないらしい。学園長は再会してすぐの頃に「すまんのぉ」と謝ってくれたけど、古い資料は散逸するものだから仕方ないし、そもそも学園長が失くしてしまったわけでなし。

 

 が、私が描いたあれやそれやの話になった時――きり丸くんがぽつりと言ったのだ。

 

「あの絵草紙、冷めたチンゲンサイが主人公ってのは横に置いといて……めっちゃ面白かったんだよな。そっか、もう読めないのかぁ」

 

 そんなこと言われちゃったら描くしかない。私はいそいそと筆を執った。が。

 

 なんか、筆の感触が違う気がする。書き味とか線の強弱とかが微妙に違う気がする。……もしかしてそれがお値段の差だとか? かつては尊奈門くんに融通してもらっていた筆は、懐に余裕のある城の備品。鎮西殿でお勤めし始めてからは、皇族をトップに引っ張ってきた政所の備品。ううむ、やっぱりお値段の差かなぁ。

 買ったのは一本二千円ちょっとの筆だから安物ってわけじゃないんだけど、メーカーの違いもあるかもしれない。と、いうわけで。

 

 は組にお邪魔した日、「ちょっとボクトイレ!」で乱太郎くん一人を連れ出したのだ。

 

「カクカクシカジカなんだよ。良い筆知らない? 好みの筆を置いてるお店とかでもいいんだけど」

 

 乱太郎くんなら知ってるんじゃないか――知っててくれ――知ってるだろうきっと。乱太郎くんは特徴をとらえた似顔絵が上手で、公立保健委員会でも絵を描いてもらうことが多かったからね。植栽や景色といった平和なものから戦場の様子や怪我人のあれそれなど、色々描いてもらったものだ。

 私たちの描いたものが重要文化財になってる、と聞いたときは顔を見合わせたよね。

 

 重文仲間の乱太郎くんは困り顔で頭を横に倒し、「うーん」と唸る。そして言葉を選ぶようにゆっくり話し出す。

 

「わたし、前線を飛び回ってたじゃないですか」

「そうね」

「筆入れをなくす不運なんてしょっちゅうでしたし、折れることもたくさんありましたから……高価な筆は買えなかったんです。だから筆の穂の良し悪しとか全然気にしたことがなくて」

「……そっかー。流石は乱太郎くん、弘法は筆を選ばずってことだね! うん、教室に戻ろっか!」

 

 すみません、甘えたことを抜かしました。

 

 でもほら……私ってばたくさん描く予定だからさ、書きやすい筆があるならその方が良いじゃん……弘法だって「あえて書きづらい筆記具を使いなさい」なんて言ってないわけだし。

 良い筆がほしい。ほしいけれど、今の私は小学生の身分なので二千円ちょっとの筆一本で三ヶ月分の小遣いが飛んでいく。お年玉はまだまだ残っているとはいえ、好みの筆に出会うまで買いまわっていては破産してしまう……というわけで、どうするか。

 尊奈門くんにお強請(ねだ)りするんである。

 

 家に帰って、固定電話から尊奈門くんに電話をかける。

 

「もしもし、尊えもーん? 筆を探すの手伝ってよ!」

『いきなりどうしたんだナナ太くん、どんな筆が欲しいんだい』

「書きやすいの!」

『そりゃ必須の要素だろう』

 

 電話の向こうの尊奈門くんは「なるほど、それなら詳しそうな奴らに聞いてやろう」と自信たっぷりの声で頼まれてくれ、翌日かかってきた電話で週末に滋賀へ行くぞと伝えられた。筆を求めて湖西線に乗るらしい。

 

「滋賀? 湖西線ってあれでしょ、京都側だよね。それなら私、坂本にある日吉大社と、日吉東照宮と、西教寺と、坂本城址に行って、そうそう坂本ケーブルから琵琶湖を眺めて今は改修中っていう根本中堂(こんぽんちゅうどう)の彫刻を見たいな。お土産は大津絵ね。それと」

『そのルートで回るとかなりの時間の無駄が出るぞ?』

「そうなの? まあ、思い浮かんだ順だから順番はどうでもいいよ。なんせ一度も行ったことないから」

 

 今生における私の滋賀旅行(日帰り含む)は彦根城だけだ。家族みんなで長時間電車に揺られ、ひこに◯んの写真を撮りグッズを買って終わった。

 

『今回滋賀に行く主な目的は筆だし、目的地は高島市だ。観光はまた今度にな』

 

 高島市と言われてパッと思い浮かんだのは高島屋、名前から分かる通り発祥の地だ。次に浮かんだのは鮒寿(ふなず)し。

 

「そうだった、メインは筆だったね。わざわざ行くってことはすごく良い筆屋さんなんだ?」

『ああ。忍軍の中には筆記用具狂いがいるんだが、そいつにどこの筆が良いか聞いたらその工房を教えてくれたのだ! 見学の予約もしたから店の者に色々と話を聞けるぞ』

「ほんと? 尊奈門くん流石〜助かる〜有難う!」

 

 ということで、片道二時間近くかけて滋賀の工房を訪れたわけなのだが。

 私は歴史系の本を特に好んで読んでいるとはいえ、他のジャンルの本だってたくさん読んできたつもりだ。しかし世の中は広く……知らないことなんていくらでもあるのだと、改めて知った。

 

 明治以前と明治以降では固め筆の構造が違うだなんてこと普通は知らないってばよ! え、光る◯へでまひろが使ってた? アッ、そうなんですね、不勉強ですみません……。

 

 なお、固め筆というのは「新品の時には穂先が糊で固められている筆」のことで、小学校で買うお習字セットについているのがこれにあたる。固めてあるのが固め筆なら固めてないのもあるわけで、それは捌(さば)き筆という。筆の穂が尖っておらずふわふわしている、書道部のライブパフォーマンスとかでよく見かけるアレだ。

 

 で、固め筆の構造が今と昔では違うというのはどういうものかといえば、実は、昔の筆は内側に紙を巻いている。

 構造はこうだ。まず、穂先になる毛(馬毛、兎毛、狸毛などなど)で芯の毛束を作る。見た感じ直径1ミリから2ミリ程度だった。その芯を麻の糸で縛り(苧(お)締めという)、筆先になる先端を出して紙をぐるぐる巻く。それに毛(芯の毛とは同じ毛にしなくて良い)をくるっと巻いて覆い苧締めをし、また紙を巻いて毛で覆って苧締めし――という手順で作るのだという。だから「紙巻き筆」や「巻筆」と呼ばれている。

 紙巻き筆に対し、今の一般的な筆は紙を巻いておらず、オール毛。こちらは通称「水筆(すいひつ)」という。

 

 筆は筆であってそれ以上もそれ以下もないと思ってた。全く知らなかった……。世の中は広く、物事は深いのだね……。

 なお、紙巻筆を作っているのは日本で唯一この工房のみらしい。時代の流れって残酷だよね、資料も技術もじわりじわりと流れの狭間に消えていく。

 

 ――今はまだ子供のそれな自分の手を見下ろし、ぎゅっと握りしめた。




作中で出てきた地名やらなんやらについてさっくり説明していくぜ!

・坂本の日吉大社〜以下略
 日吉大社:いわずもがな日吉神社の総本宮。厄よけの神様。
 日吉東照宮:日光東照宮を建てる前に「同じ形式で」建てた宮。つまりここで鍛えた腕を日光で再び奮った、ということなので、「技術の伝達」に縁がある神社だとこじつけることができなくもない。
 西教寺:聖徳太子の命で建てられたがだんだん寂れてしまい、室町時代後期になって真盛というお坊さんが戒律と念仏を大事にする寺として再建した。
 根本中堂:ここでは延暦寺の本堂のこと。なお本堂というのは根「本(・)」中「堂(・)」の略らしいので(※延暦寺のお坊さんから受けた説明による)、延暦寺の根本中堂だけが根本中堂なのではなく、本堂というのは「根本中堂」が正式名称なんである。うーむ根本中堂がゲシュタルト崩壊しそう。2025年末現在絶賛改修工事中! 屋根の葺き替え作業を見られるのは今だけ! みんな行こう! 浄財しろ!

 ちなみにだが延暦寺門前町の坂本(大津市)では、湖西線・比叡山坂本駅から日吉大社にズバンと通る参道・井神通などについて、「古都大津の風格ある景観をつくる基本条例」に基づき――数年前に、石垣(・・)を積み直している。
 なんだぁ石垣かよと思われるやもしれないが、この石垣はただの石垣じゃあない。穴太衆(あのうしゅう)の石垣なんである。
 な、なんだってー!? 叡山はもちろん徳島城などでも堅牢な石垣(野面布積み)を積んだ穴太衆の石垣を積み直してしまっただなんて! どこの工務店にやらせたんだ大津市を訴えてやる――なんて焦る必要はない。かつて穴太衆が積んだ石垣を積み直したのは、現代を生きる穴太衆の職人さんなのだ。
 ちなみに現在、穴太衆の技術を継ぐおうちは一軒しかない(らしい)。わあ、歴史好きや城郭好きには下手なホラーより怖い情報だね!

・筆の工房
 高島市の安曇川にある筆工房。紙巻筆を作っているのは今やここしかない。筆に限らず「この技術を残してるのはウチだけですね」の多いことよ。
 工房は事前予約すれば見学可能。上品な奥様たちが迎えてくださるし柔和で親切な当主いろいろ教えてくださる。とりあえず現物を使ってみるなら、通販もされているので遠方の方は通販という手もある。





参考文献
・日本史を支えてきた和紙の話
朽見行雄著、草思社刊
・穴太衆積みと近江坂本の町
須藤護著、サンライズ出版刊
・正倉院紀要 第43号より『正倉院宝物特別調査 筆調査報告(日野楠雄・荒井利之・橋本貴朗・藤野雲平・向久保健蔵)日野・新井・橋本・藤野・向窪』
↑こちらのみ正倉院HPでネット公開されている資料だが、スマホから読むのは字が小さすぎるのであまりお勧めしない。A4印刷推奨。

すぺしゃるさんくす
攀桂堂様
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
点
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。