冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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22話 聖王の要求

 

 異様な沈黙が場に満ちる。

 

 その青年はカナンに似た顔で、カナンと同じように静かに、しかしその両眼だけは食い入るようにカナンを見つめて、その空間に座っていた。

 

 白き塔の上階の一室のさらに奥まった場所に在る薄暗い小部屋。

 そこが彼の居間であり、寝室であり、玉座だった。

 

 足元には毛足の長い雪狼の毛皮が幾重にも敷かれ、その毛並みのなかには、魔道具らしきものが多数見え隠れしている。

 天井からは卵のようなものがいくつも下がり、中に火が点って彼をぼんやりと照らしていた。

 それ以外のものは何もない。

 

「お姿が変わっておられる。その御髪の色はなんです」

 

 先に口を開いたのは聖王だった。

 

「なぜ本来のお姿を隠されるのですか。それに、その者は。なぜその者にはべる栄誉をお与えになるのです。私には、平凡な人の子としか思えない」

 

「相変わらず質問が多いね。百年前と少しも変わらない。だが、君の方こそ姿が変わったのではないか。まるで僕だ。また肉体を乗り換えたか、シャファク」

 

「ええ。あの時あなたと話をした肉体は十五年前に死にました。この身体は、あなたに近づくために作ったのです」

 

 カナンはクッと口角をあげる。

 

「その忌まわしい因習を止めるようにと言った僕の言葉を、君は聞かなかったというわけだ」

 

「私に拒む権利などないのですよ。どうせ身体をかえるのならば、私の好きにして何が悪い。

 だいたい、因習とは。貴方がそれを仰りますか。よりによって、貴方が」

 

 凪いだ湖面に波が立つように、聖王の声が乱れた。

 ブレスは直感する。

 彼は苦しんでいる。

 カナンは苦渋の表情を浮かべ、不穏に双眸を煌めかせる。

 

「答えよう。はじめの質問だが、本来の姿でいないのは、僕がいま人に交じって旅をしているからだ。

 ふたつめの問いの答えは、ある者より彼を教育するようにと、預かっているため。今のところはそれだけの縁だ。

 それで、シャファク。僕は答えた。次は君が話す番だ。君は僕を待ち伏せてまで、僕に何を望む?」

「……待ち伏せとは、ひどい言い様ですね」

 

 相変わらず静かな声音だ。

 だが、ブレスは聖王の静かな表情が、悲しげに、微かに歪むのを見てしまった。

 

「わたしの望みは」

 

 聖王は銀刺繍の袖を重たげに持ち上げ、自らの胸を示す。

 

「この私と、この国を滅ぼすこと」

 

 カナンを真正面から見つめ、シャファクははっきりと告げた。

 対するカナンの答えはいたって簡潔なものだった。

 

「断るよ」

 

 そう告げるカナンの横顔に、ゆっくりと微笑が滲むのをブレスは見た。

 哀しげでもあり安堵しているようにも見えるその笑みは、シャファクの自尊心をひどく傷つけたに違いない。

 

 しかし、シャファクはあくまで静かだった。

 彼はカナンの答えを予見していたのかもしれない。

 

「そう……ですか。ならば、あなたをここから帰す訳にはいきませんね」

 

 シャファクは徐ろに素早く腕を伸ばし、天井から下がる白い玉の灯りをするりと撫でた。

 目を凝らせば、その白い玉のひとつひとつに複雑な印が刻み込まれているのが見えただろう。

 

 これらは魔術具だ。

 しかしいま、そのいとまは無い。

 カナンの足元から無数の白蛇が沸き立ち、脚や腕に絡みつきながら身体中に毒牙を立てる。

 

「先生!」

 

 ブレスは悲鳴を上げて蛇を引き剥がそうと腕を伸ばしたが、いつのまに潜んでいたのだろう、白き塔の入り口で跪いていたあの紺色の衣を纏った男たちがブレスを背後から拘束した。

 

「はなせ! この……っ!」

「その者は地下牢へ繋げ」

 

 シャファクの淡々とした命令に逆らおうとブレスはもがく。

 しかし所詮は多勢に無勢、抵抗虚しく引きずられていくブレスが最後に目にしたものは、閉まる扉の隙間からわずかに振り返って人差し指を唇に当てた、白蛇に埋もれかけた師の横顔だった。

 

 

 

「……話すなっていわれてもさぁ」

 

 冷たい石の壁に寄りかかり、同じく冷たい石の床に両脚を放り出したまま、ブレスは天井を仰いだ。

 もっともそこにあるものといえば、単なる石の天井にすぎない。

 

 何もない。

 傍らには蝋燭が頼りなくちらちらと燃えているが、初めはそれすらも与えられなかった。

 地下牢に閉じ込められ、片足を鎖で繋がれた後、最初のパンを恵んでもらった時に必死に頼み込んでようやく手にした灯りである。

 

 窓もない地下牢では時間の感覚もない。

 暗闇ほど気が滅入るものはなかった。

 それに、燃え尽きるまで蝋燭を燃やしておけば、少なくとも一定の時間は測れる。

 

 時折尋問しにやってくる神官は、言葉巧みにブレスの名を聞き出そうとした。

 それでも言わずにいると、食事の質を上げようとか、窓を開けて光を通してやろうとか、餌をぶら下げるようになった。

 

 名前を教えるなと言われていなければ、あっさり名乗ってしまっていたかもしれない。

 ブレスは手中に丸パンをもてあそびながら、種と光があったらな、と思わずにはいられなかった。

 

 普段より地上の生命エネルギーを体内に蓄えている魔術師は、一般人と比べれば遥かに飢えには強いが、目の前に糧があればひもじくもなる。

 毒でも混ぜられていてはたまったものではないので、当然ながら食べることは出来ないのだ。

 

(パンに種を植えて、もらった水をかけて、あとは光があれば……時を早送りして新鮮な野苺なりアケビなり収穫できるんだけど……)

 

 こう何もないと、色々と欲しいものが思い浮かんで仕方がなかった。

 時計が欲しい。湯を使いたい。着替えも必要だ。

 手に入らない想像に、虚しさは募るばかりである。

 

 地下牢に入れられていく日経っただろうか。思わずため息がこぼれる。

 石の壁に閉じ込められた魔術師は遅かれ早かれ死ぬ。

 魔術師でなくとも、それは同じことかもしれないが。

 

 喉の渇きを覚え、ブレスは無意識に水を探した。

 蝋燭が三本燃え尽きる前に看守が置いていった水差しが牢の隅に押しやられている。

 

 しばらくそれを眺めてはみたものの、結局飲む気にはなれなかった。

 聖王シャファクは魔術を使った。あの白蛇の召喚がそうだ。

 飲水に細工をするなど雑作もないだろう。

 

 そうか、尋問官が名前を聞き出そうと躍起になっていたのも、魔術に組み込むためか。

 この国には魔術師が多いらしい。

 

 ──カナン先生は、無事だろうか。

 

 そう彼の身をあんじる一方で、ブレスはどうしようもない不安に取り憑かれていた。

 カナンは強い。

 それに、どうやら聖王とは面識がある。

 むしろ因縁というべきか。

 それでもきっと彼一人ならば逃げ出すことも容易だろう。

 しかし。

 

 カナンは足手纏いのブレスをこの場に残して旅立ってしまわないだろうか。

 そんな懸念と疑いが、胸中に渦巻いていた。

 

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