冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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24話 邂逅と絶望

 

 鳥だと思ったのは、シャファクが翼のある生き物を鳥の他に知らなかったからだ。

 

 野鳥が木々に止まる時に本来ならばたたまれているはずの広々とした翼が、無防備に、だらりと下方に垂れ下がっていた。

 怪我をしているのだろうか。

 

 目が覚めたら襲われるかもしれないと、いっときでも考えた己をシャファクは笑った。

 これは夢だ。

 夢のなかで鳥に襲われようとかまうものか。

 

 ゆっくりとその鳥の休む木に近づいていくと、視界をいくつもの光が過ぎっていった。

 人の目にうつらないほどに小さな、草木に棲む虫のような精霊の光。

 

 それらはまるで、木に宿る巨鳥を好んで集っているかのようだった。

 

 木の真下にたどり着いたシャファクは、手当てするために声をかけるべきか、それとも木に登ってしまうか、しばし悩んだ。

 すぐに一方の選択肢を潰し、呼びかけようと木肌に手を触れる。

 

 見えない電撃が走ったかのような感覚があった。

 それは鳥も同じであったらしい。

 

 びくり、とあの大きな純白の翼が痙攣し、シャファクが声を上げる間も無く、鳥は均衡を崩して仰向けに落下した。

 

 頭上いっぱいに広がる一対の翼は、しかし地面に叩きつけられることはなかった。

 まるで風が意志を持って翼と地面の間に膜を張ったように、一瞬だけ重力を阻む盾となって鳥を護ったのだ。

 

 ふわりと優しい風がシャファクの頬を撫で、地面に落ちた葉を巻き上げる。

 風から目を庇っていたシャファクは、その時初めて鳥が鳥ではなかったことを知った。

 

 巨大な翼は、男体のような姿をした神仙の背に生えていた。

 

 翼と同じ雪のように白く輝く長い豊かな髪と、真っ白な肌を持つその神仙は、シャファクが唖然と見つめる前で、白い睫毛を震わせて眠たげに目を開く。

 

 白一色の髪と肌と翼と衣の中で、そこだけが宝石のように鮮やかに煌めくエメラルドの両眼。

 

「……君は誰?」

 

 仰向けに、己の翼を敷物にして大地に寝そべったまま、神仙は不思議そうにシャファクに問いかけた。

 

「どうして僕の夢にいるの」

 

 大人びた表情の乏しい低く平坦な声と、その子供のような口調が不釣り合いだった。

 

 少年らしさを完全に失った細身の体を起こそうとして少しの間もがいたが、己の翼の重みでどうしても起き上がれないらしい。

 

 裏返しにされた亀のようで憐れだ。

 そんなことを思っていると、エメラルドの両眼がくるりと動いてシャファクを捕らえた。

 

「失礼だな、君は」

 

 背筋が冷えるような声だった。

 考えを読まれたのだ。

 

 ぎくりと硬直するシャファクをよそに、彼は諦めたように翼の上に手足を放り出してため息をついた。

 手を貸すべきか。

 そう思ったシャファクは恐る恐る彼に近づき、そして再びぎょっとして凍りついてしまった。

 

 眉間から生え際に向かって、真っ直ぐに額が割れている。

 割れ目から覗いていたのは眼だった。

 同じエメラルドだが白目が無い、瞳孔が猫のように縦長な、不気味な第三の眼。

 

 その額の目が、不意に色を変えた。

 虹彩が氷の粒のようにきらきらと輝き、淡い光を跳ね返して虹色に光り揺れる。

 

 恐れなど吹き飛んでしまったシャファクがそれに見とれていると、やがて光は静まり、もとのエメラルドに戻って、その目は閉じられた。

 

 そこに目があったことなど忘れたかのように、額はなめらかだった。

 

 よし、と呟いた彼がおもむろに起き上がった。

 先程まで生えていた翼が跡形もなく消えている。

 

 長身だが、身の丈も少々縮んだだろうか。

 白い髪は相変わらず尋常ではなく長かったが、先程よりは随分、人間に似て見えた。

 

「それで、君は誰?」

 

 人に似た姿で彼が地面に胡座をかいたとき、シャファクの脳裏にぱちんと白い火花が散った。

 記憶に刻まれた言葉と目の前の映像が結びつく。

 

 そうだ。

 この方がそうだったのだ。

 

「貴方だ。私は貴方の身代わりだ。そうでしょう、主神サタナキアの四番目の子、冬の翼カナリアよ」

 

 彼は手繰り寄せた髪をざくざくと三つ編みにしながら、シャファクの訴えを無関心に聞いていた。

 

「どうかお願いします。本当に神々が存在するのならば、地上に姿を現してください。我が民は貴方を求めるがあまり私を貴方の身代わりに祀りあげ、人間が神を詐称する罪を繰り返している。

 私が死ねば、きっと次の聖王が祭り上げられる。慣習となってからでは遅いのです。今ならばまだ、先王の誤ちで済む」

「それの何がいけないというのか」

 

 思わぬことを訊かれ、シャファクは茫然とした。

 

「罪ではありませんか。腹は立たないのですか。貴方は気にも止めぬと?」

「僕には関係がない。君が神を名乗って騙されるのは君の民だ。縛られるのは君の一族だ。回り続ける人間の欲の輪を形作る、よくある些細な出来事の一部でしょう?」

 

 シャファクは落胆し、俯き、唇をかんだ。

 助けてくれるに違いないと、己は何故思い込んでいたのか。

 

 相手は人間ではない。

 人間の法や罪は、彼には当てはまらないのだ。

 神は国を治めない。

 存在する事が全てなのだ。

 それに寄る辺を求めるのは、人間たちの勝手な希望の押しつけだ。

 

 それを知っていたのに、いざ本物を前にすれば己も同じことをしてしまった。

 

 ああ、なんだ、やはり私はただの人間だったのだ。

 諦観と共に悔恨が霧散する。

 諦めてしまうことには、慣れている。

 

 神々は、地上の出来事になど、興味がない。

 それだけの事だったのだから。

 

「もう諦めてしまうの?」

 

 シャファクの諦念を知ったカナリアは、編み終えた髪を背中に放り投げてつまらなさそうに言った。

 

「しぶとさが人間の特徴だと思っていたのに」

「反論してほしかったのですか?」

 

 シャファクは苦笑した。

 

「どちらにしろ、私はもうじき死ぬ身ですから。命が終われば、その後の世界で何が起ころうと関係がない」

「君、死ぬのか。……そうか。それは、すまなかったな」

「なぜ冬の君が謝るのです」

 

「知りたいか。それは〈死〉を造ったのは僕だからだ。そして僕の造った〈死〉を父神ナークは多くの生き物にばら撒いた。僕が〈死〉を造らなければ、お前は死ななかったということだ」

 

「それは……ぞっとするな」

「そうだろうな。すまない」

「いえ、そうではなく……死なない人間が、です。そんな人生、とても耐えられそうにない」

 

 退屈そうな彼のエメラルドが、シャファクの言葉を聞いて見開かれた。

 

「君は死にたいのか?」

 

 エメラルドがきらきらと輝いている。

 前のめりにそう問う神の子に、シャファクは心底戸惑い、しかし同時に魅入られた。

 

 まるで初めて成果を褒めてもらった、子供のような純粋さと驚きと喜びに満ちた目。

 見つめ返すシャファクの胸にも、その喜びが伝染する。

 感じたことのない感情を、眩しいと思った。

 

「僕の兄姉は僕が〈死〉を造った時ひどく僕を責めたんだ。エッタは怒り狂ったし、サハナは残酷な子だと言ってしばらく口を聞いてくれなかった。優しいライラさえ、はじめは僕の作品を受け入れてくれなかった。

 姉と兄が産み、育て、熟れさせたものを僕がそれで奪い取ってしまったから。でも当の君は、それを求めると言うの?」

 

 シャファクの頭の中を、父や家庭教師たちに言い聞かされた神話が巡る。

 

 春を象徴とするプライラルムは生みだす者。

 夏を象徴とするヘリオエッタは育む者。

 秋を象徴とするサハナドールは熟れさせる者。

 冬を象徴とするカナリアは終わらせる者。

 

 ──ものを知らぬ者は、冬のカナリアを恐れ、不吉とし、忌避する。

 しかし、地上のすべてが成熟したままこの世界に存在し続けるとしたら、春と夏は存在意義を失い、秋は歪むだろう。

 シャファクよ、忘れるな。全ては冬が在るからこそ廻るのだ。冬が在るからこそ、我々は春の歓びを幾度も得るのだ。

 

 父王は口癖のようにシャファクにそう言った。

 民の前で演説することもあった。

 それが父の本心であったのか、それともシャファクを聖王として樹立させるための建前であったのか、シャファクは知らない。

 

 だがそんなことは些事だった。

 他の誰でもない、シャファク自身が冬に、自らの死に焦がれていたのだから。

 

 言葉に出さずとも、思考を読めるカナリアにはシャファクの本心が伝わったのだろう。

 彼は煌めく双眸をいたわるように細め、その白い両腕を伸ばしてシャファクをゆっくりと抱きしめた。

 

 シャファクの頬を涙が伝う。

 これでようやく終われる。

 

「シャファク……君の気持ちはよくわかった。嬉しいよ。君のような人の子もいると知れて良かった。僕の作品は無駄ではなかったのだ。でもねシャファク、だからこそ僕はまだ、君が終わるべきではないと思う」

「な……何を言っているのです……?」

 

 この腕の中で、自分はやっと終われるのではないのか。苦しみから解放されるのではないのか。

 カナリアの、どこまでも優しい声を聞きながら、シャファクは心が凍りついてゆくのを感じた。

 

 低い声が、歌うように囁いている。

 

「だって、君はまだ熟れていない。熟れているのは君の病だ。君は種子の頃から病を抱えていた。君はまだ若木にもなっていないというのに、先に熟れてしまった病が君の肉体を道連れにしようとしている……だからね、シャファク。僕が君の病を、終わらせてあげよう」

 

 違う! 私はもう終わりにしたいんだ、生きながらえたくなどない、もうあんな世界で、塔の中でたったひとりで、偽りの己に縛られたままどうして生き続けなけれなければいけない、何の理由がある、苦しむために戻れというのか!

 

 叫び、拒絶しようともがいたが、声も出なければ身体も動かない。

 カナリアに抱きしめられたまま、足元から霜が降りて身体が氷に覆われていく。

 

 喉元から吐き気がせりあがる。

 何かがシャファクの腹に集まり、大きな種子となって発芽した。

 それが喉を通って口から蔓を伸ばし、蕾をつけて沢山の花を咲かせた。

 

 大きな黒い花弁が毒々しく一斉に開花するのを、シャファクは苦痛に滲む視界に見た。

 花はすぐに萎れ、実をつけまた種となって、火薬のように弾け散った。

 

「春になったら会いにゆくよ。だからそれまで、君は眠って待つといい。君の望む死は、君の魂が熟れてから訪れるだろう……」

 

 遠のく意識の中で、かろうじてカナリアの言葉を捉える。

 その低く歌うような囁きに声なき悲鳴を上げながら、気づけばシャファクは人々に囲まれた寝所で目を覚ましていた。

 

 奇跡だ、と誰かが叫ぶのを、酷い悪夢を見ているような心地で聞きながら。

 

 

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