冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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30話 子供たちの楽園

 

「それでは、領域の門を開くよ」

 

 そう宣言し、カナンは立ち上がって皆をさがらせた。

 門を開く前に魔力の渦に巻き込まれては、どこに飛ばされるかわからない。

 

『右手に鍵を。左手に門を』

 

 カナンの言葉に呼応して、魔力が渦を巻いてそれぞれ両手に集まった。

 竜巻のように荒れ狂っていたそれは、紫電を帯びた黒い球となる。

 

 カナンは手のひらをくるりと返し、球を握りつぶした──かのように見えた。

 

 次の瞬間には、カナンの右手には鍵が握られ、左手には錠がにぎられていた。

 眼前には門。

 銀色の蔦が絡み合った繊細な装飾の、格子の門だった。

 

「行く者は前に。ブレス君は下がって。いいかい、肉体のあるものが一度行けばけして戻っては来れないからね」

 

 ごくりと喉を鳴らし壁際に下がるブレスとは対照的に、白い髪の子供たちは目を輝かせて身を乗り出した。

 

 カナンは脅したつもりだったのだろう。

 無邪気な反応に苦笑を浮かべ、仕方がない、と首をふった。

 

 鍵を差し込み、錠を外す。

 門が開くと、微風が吹き抜けた。

 あたたかな光。風のはこぶ、花と水の匂い。

 精霊たちの笑い声がくすくすと響く。

 

 白い髪の子供たちは、ひとり、またひとりと門を通り抜けて去って行った。

 金色の光の向こう側がどうなっているのか、去った子供たちがどうなったのか、ブレスにはわからない。

 

 しかし、精霊たちの悪戯だろうか。

 子供たちの笑い声は、消えることなくいつまでもあたたかに響き続けていた。

 

 最後に残ったヴァイラは、カナンに一礼してゆっくりと光の中へ消えた。

 カナンは寝台に横たえられたシャファクの体を抱き上げる。

 

 門を抜ければ、シャファクも消えてしまうのだろうか。

 それは、森の主であるカナンにもわからない。

 

 カナンはいちど、門の前で立ち止まった。

 腕に抱いた骸を、そうしてしばらく見つめていた。

 やがてカナンは足を踏み出し、門をくぐった。

 

 

 

 日もすっかり高くなった昼頃、カナンは戻ってきた。

 無言のまま門を閉じるカナンの背が、ブレスには寂しそうに見えた。

 

「……遅いですよ、先生。人が入ってきたらと思うと生きた心地がしませんでした」

「ああ、大丈夫ですよ。僕の結界を言葉ひとつで破れる人間など、君くらいですから」

「ご冗談を」

 

 魔法を基に魔術を発展させたこの国には、実力者がごろごろいるはずだ。

 シャファクの石を読んだので、今ならそれを知っている。

 ブレスなど足元にも及ばないに違いない。

 

「あちらとこちらでは時の流れが違うのです。領域での数分が、こちらでは数時間にもなり得る」

「そういうことは行く前に言ってください」

「そうだね」

 

 声に覇気がない。

 カナンは寝台に腰を下ろし、項垂れ、やるせなく吐息をこぼした。

 

「……カナンさん」

「先生と呼びなさい」

「先生。もし……もし、旅の途中で俺が死んだら、俺も先生の領域に……」

 

 突き刺さるような視線に、喉が凍った。

 白い髪の向こう側で、荒んだ暗い目がブレスを睨め付けていた。

 

「……すみません」

 

 カナンは答えなかった。

 無言のまま、髪に髪紐を編み始める。

 雪色の長い髪が黒髪に染まってゆくのを、勿体ないなとブレスは思った。

 

 今ならばわかる。

 シャファクがカナンの姿を見て、姿が変わったと言った落胆の感情が。

 肩で揃えた黒髪もカラスの濡羽のようにきれいだけれど、本来の姿には遠く及ばない。

 

 髪を編み終えると、カナンはいつもの旅装束を羽織った。

 立ち上がり、ブレスの前を通り過ぎ、部屋を出る直前で足を止める。

 

「何をぼんやりしているのです。宿に戻って荷物を纏めたら、次の町に行きますよ。……君がまだ、旅を続けたいと思うのなら、ですが」

「──もちろん!」

 

 そうか。まだ、旅に伴わせてくれるのか。

 ただその気持ちが、たまらなく嬉しかった。

 カナンが許してくれる限り、カナンについて旅をしよう。

 

 塔を降り始めたカナンのあとについて歩きながら、ブレスは白い髪の子供たちとシャファクの安寧を祈った。

 

 ──どうか、彼らがカナリアの森で穏やかに過ごせますように。シャファクの側にいたいと言った彼女らが、シャファクの側に在れますように。塔に縛られていたシャファクが、自由であれますように。

 

 神精であるカナンは、神に祈らないだろう。

 カナンの代わりに、人間であるブレスは祈るのだ。

 

 これまでもこれからも、それが己の役割なのだろうと、ブレスは思った。

 

 

 

 外に出ると、カナンは塔を壊した。

 聖王の象徴である〈白き塔〉が残っていると、新しく生まれ変わるこの国には良くない、という理由だった。

 

 かつて色に溢れていた城壁の中は、炎に焼かれて煤にまみれ、吹雪に吹かれて塗装が剥がれていた。

 見る影もない。

 人々は、冬のカナリアが現れたこの聖王の城を恐れ、近寄らない。

 周囲には人っ子ひとりいなかった。

 

 崩れ落ちる塔に背を向けると、カナンはもう振り返らなかった。

 瞳は陰り、口数も少なかったが、恐らくシャファクの死を受け入れたのだろう。

 足取りに迷いはなかった。

 

 宿に向かって歩く道すがら、ふたりは様々な人間を見た。

 

 死を悼む者。痛みに呻く者。

 路頭に迷う者。希望を無くした者。

 傷を手当する者。

 子供の命があったことに安堵する者。

 再会に涙する者。

 燃えた家々の瓦礫をわけて、新たな今日を始めようと働く者。

 

 人々の中には、聖王シャファクが残した言葉がたしかに息づいている。

 

 神官たちの死骸を荷車に積んでゆく者もいた。

 殆どが宵の色、紺色のトーガを纏った神官だ。

 カナンはそれを一瞥したが、すぐに関心をなくして通り過ぎた。

 

 ブレスは彼らの死体が凍傷を受けたように変色し腫れていることに気づいて、民が手を下すまでもなく神官たちが落命したことを知った。

 

「無差別ではないよ。罪の意識と恐れに応じた結果だ。後ろめたいものは僕を恐れる。その恐れの淵に、吹雪は吹き込む」

 

 物言いたげな視線に気づいたのか、カナンが振り返りもせずに言った。

 

「そう……ですか」

「あの色の意味がわかるか」

 

 一拍遅れて、〈白き塔〉を囲っていた色円のことだと気づいた。

 それは神官たちの衣服の色でもある。

 

「序列や階級を示していることはわかりました。色円はたぶん、その由来なのかと思いましたが」

 

「そう。あれは循環の円だ。生まれ、育ち、熟し、老い、死ぬ。そしてまた新たな命が血を流して産まれる。日が昇り、朝が訪れ、昼と夕が過ぎ、夜が覆う。そしてまた日が昇り、光を齎らす」

 

「……春から冬に、冬から春に。ならば宵の紺は、冬ですか」

「その通り。第四子を信仰するこの国の神官にとって、最も高貴な色」

 

 面白くも無さそうに、カナンは淡々と述べる。

 クッ、と自嘲する様に笑った。

 

「どうも冬神を信仰する人間というものは、道を誤りやすいようだ」

 

「でも、先生が信仰者を誑かしているわけじゃない。彼らが勝手に、見たいものを見ているだけなのではないですか?

 冬の強さばかりを盲信し、本質を解ろうとはしない。死や夜や冬は、等しく己にも降りかかるということを忘れている」

 

「……本質か。そうかもしれませんね」

「だいたい、円を描いておきながら色に優劣を持たせるなんておかしな話ですよ」

 

 円には終わりも始まりもない。

 どこか一部を取り上げて祀りあげたところで、円が途切れた以上、その力は永遠には続かない。

 

「きっと死んだ神官たちは、魔道学を学ばなかったのだろうね」

「地位の上に胡座をかくと、人は学ばなくなるのでしょう」

「君は、その年の人間にしては物分かりが良すぎますよ」

 

 ブレスの答えに、カナンは力無く笑った。

 

 寝泊まりしていた宿は、暴動の猛火を逃れていた。

 城壁から離れた位置に宿を構えていたことが幸いしたようだ。

 

 ブレスが荷物を纏めている間に、カナンは壁に刻んだ〈目〉と〈耳〉を消した。

 印はカナンが手のひらで撫でると青い炎を上げて燃え、跡形も残らなかった。

 宿屋の壁は全くの無傷である。

 

「残しておけば役に立つこともあるのでは?」

「こういうものは用が済んだら消す。安全のためです。手練れの魔術師は、印の魔力が誰のものであるかを見極める。においを追って後をつけてくる輩もいます」

「なるほど……それは厄介ですね」

 

 魔力に個人を特定できる性質などあるのだろうか。

 

(いや……思えば、〈目〉から〈目〉、〈耳〉から〈耳〉と繋がる先を指定できるのだから、それぞれ個別の、何かの違いがあってもおかしくはない。そうでなければあかの他人が描いた印に通じてしまうこともあるはずだ。指紋のようなものが、魔力にもある……のか?)

 

「君、荷造りの手がとまっていますよ」

「あ、はい。すみません。……というか、先生は荷物とかないんですか?」

「路銀があればそれで足りますので」

「……そうですか」

 

 その金の出どころは何処なのだろうか。

 労働して稼いでいるはずもないし、流浪の旅人が領地を治めているわけもない。

 

「先生、まさか神殿の寄付金から抜いてないですよね?」

「は?」

 

 恐る恐る訊ねるが、カナンは何の話だ、という顔をしていた。

 再び荷造りを催促され、ブレスは考えることをやめた。

 

 空が仄かに枇杷色に染まり始めた頃、旅支度を終えたふたりは宿を後にした。

 宿屋の主人は「この時間に出かけるのかい」と心配していたが、カナンは「昨日あんなことがありましたので」と答えた。

 

「だけど、この辺りには人喰い狼がでるんですよ。魔物も多い」

「大丈夫、旅慣れておりますから。親切に感謝を」

 

 カナンは微笑み、宿屋の主人に金貨を差し出した。

 大金貨が一枚あれば、一家が一年は暮らしていける。

 

「復興にお役立てください」

 

 そう告げてカナンが背を向けた瞬間には、宿屋の主人はカナンの存在を忘れていた。

 忘却の操作をされたその男は、手元に金貨があることに仰天して慌てて宿を飛び出した。

 

 入国した時とは違い、ふたりの旅人は正門から国を出た。

 昨日の出来事のせいか、門を守る兵も多くは問わない。

 

「次はどこへ向かうんです」

「さて、どこだろうね」

 

 ぬるい風が外套をゆらす。

 季節は夏を迎えていた。

 

 




4 シャムスの人柱 終
この章はカナンの過去の精算のお話です。
正体を知ってなお、ついていくことを決めたブレス。
カナンにとっても、ブレスが真の意味で旅の相棒となったきっかけの出来事でした。
次のお話から、次章「魔女たちの饗宴」です。
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