冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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33話 予言の魔女の憂鬱

 

 ブレスがこの家に来て三日目、とうとう客人が来た。

 

「カラスが来たよ!」

 

 マリーの声に、ブレスは窓を開け放つ。

 この家に大きな窓がたくさん備わっているのは、鳥や獣たちが入って来れるようにという彼女の配慮だったらしい。

 

 大きな漆黒のカラスが窓際に舞い降りて「予言の魔女!」とひと鳴きし、マリーが「ようこそ!」と嬉しそうに玄関へ向かう。

 

 ドアが勢いよく開き、壁に叩きつけられて窓ガラスが粉砕する音が聞こえた。

 マリーは物を破壊する趣味でもあるのだろうか。

 

「まただ」「またドアを壊したぞ」「景気のいいこった」

 

 ネズミたちが足元をチョロチョロと駆けていく。

 修繕に向かったのだろう。

 

「ああ、会いたかったよ予言の魔女! 魔女の中じゃあんたが一番乗りさ」

「魔女の中では? 集会によそ者が混じりますの?」

「今回のは集会じゃない、宴だからね。たまにはいいだろう?」

「豊穣の魔女がそう言うのなら、仕方ありませんね。あ……」

 

 マリーに伴われて現れたその魔女は、黒い巻き毛を腰まで伸ばした美しい女だった。

 彼女は不満げな様子でマリーの腕に指を絡め、恋人に甘えるように寄り添っていたが、ブレスを見るなりぴたりと足を止めた。

 

 立ち上がって挨拶をしようとしたブレスは、出鼻を挫かれた形で口を噤む。

 

「どうした? あの坊やに何か見えたかい」

 

 マリーが予言の魔女の耳元で囁く。

 予言の魔女はしばし立ち尽くした後、やがて白い頬に諦念を浮かべて目を伏せる。

 

「……これも運命かしらね」

 

 予言の魔女はマリーの腕を離れて歩み寄ると、立ち尽くすブレスの頬をそっと撫でる。

 そして、寂しげな微笑を浮かべ、囁くような声音で「ルシアナよ」と名乗った。

 

 

 

 皆が集まったら呼んでくださいと告げて、予言の魔女は森へ去った。

 マリーは残念そうに彼女を見送り、興が削がれた顔で酒盃に葡萄酒をそそぐ。

 

「フィー、あの子と知り合い?」

「……わかりません。あの人は俺を知っていたのかも」

「なにそれ」

「わからないんです」

 

 ブレスは途方に暮れていた。知らない女だった。

 だが、知らないと言い捨ててしまうことは、どうしてか出来なかった。

 

 ルシアナの目の中に灯る悲しみと喜びを見てしまったからだろうか。

 彼女と目を合わせた時、なにかを感じた。

 それは形になる前に霧散してしまった。

 

 視線を離せなかった。

 彼女が視線を外すまで。

 

「ふうん。なんにせよ、いまのであたしはお前に興味がわいたよ、フィー。他の魔女たちの反応が楽しみだ」

「俺はただの未熟な魔術師ですよ、マリー様」

「あの子はただの魔術師に名前を教えるような愚かな魔女じゃない」

 

 マリーは歌うように言った。

 

「名前はとても大切だ。大切で、忌々しくて、絶対に忘れない。だけどあの子の今の名前はルシアナじゃない。過去の名前をわざわざ名乗ったのなら何か意味があるのだろう」

 

「意味。どんな」

 

「さあね、知らないよ。あたしは知ろうと思えば目の前の相手のことはなんでもわかるけど、本人が知らないことはあたしにも知りようがない。

 知りたきゃあの子に訊くんだね。でも、他の魔女の前であの子の名前を呼ぶのは駄目だ。予言の魔女と呼ぶことだね」

 

「どうしてです?」

 

「それが魔女のマナーだからさ。魔女には魔女の掟がある」

 

 魔術師にも似たような習慣はある。

 素性の知れぬ相手には名乗らないし、仲間の名前を明かすこともしない。

 

 陰に徹するためでもあるが、名前を握られると恨みを持つものに呪われる可能性があるからだ。

 

「そうですね。マリー様のことも、人前では豊穣の魔女と呼んだ方がいいですか?」

「んー? あたしはマリーでいいよ。このあたしの名をどうこうしようとする魔女なんか、いるわけないからさぁ」

 

 葡萄酒をあおり、マリーの機嫌はなおったようだ。

 マリーはにへらっと笑って杯に葡萄酒を注ぎ足した。

 

 次の客人が間を空けずにやってきて、その夜の食卓には五人の魔女が集まった。

 賑やかな夕食だ。

 

 炎の魔女、水晶の魔女、獣の魔女、嵐の魔女、そしてマリー。

 

 新たにやってきた魔女たちは物珍しそうにブレスを見たものの、特に興味を示さなかった。

 進んでで名乗った者もいない。

 

 予言の魔女ルシアナは夜になっても姿を見せず、マリーも「あれは呼ぶまで来ない」と言って肩をすくめた。

 宴の主催がその調子なので、ブレスもそれ以上はなにも言わなかった。

 

「それにしてもマリダスピルとは」

 

 ミートパイと葡萄酒の瓶を両手に、行儀の悪い嵐の魔女が言う。

 

「いい響きじゃないの。意味わかんないけど」

「意味なんかどうだっていいのよ。そりゃ最初はこだわりもあったけどさ」

 

 と答えたのは炎の魔女。

 

「結局は(ティアラ)じゃない? あたしは炎。ああん、我ながらいい冠だわぁ」

「あんたの冠が炎なのは十九回も火刑に処された間抜けだからでしょ」

 

 にたにたと笑い、辛辣な冗談を言うのは獣の魔女。

 それを聞いた水晶の魔女は頭を抱え、

 

「火炙りはもう嫌……火炙りの話はやめて……」

 

 とぶるぶる震え始める。

 マリーは水晶の魔女の肩を抱き、彼女の耳に熱烈なキスをする。

 囃し立てる女たちに囲まれて、水晶の魔女は顔を真っ赤にしてテーブルに撃沈した。

 

 目の毒だ。

 この夕食が宴の日まで何日も続くかと思うと、気が遠くなってくる。

 

 ブレスは魔女たちから目を逸らし、食事に徹しようとスープの器に手を伸ばす。

 その手を嵐の魔女が掴んだ。

 視線を上げると、目が合った。

 

「ねえ魔術師の坊や、今夜はあたしの褥においでよ。男とふたり旅なんて気が滅入るだろ? 

 息抜きが必要じゃない。あたしが相手してあげる。大丈夫、痛くしないからさ」

「……お言葉ですが、嵐の魔女」

 

 ブレスは食器を置いて、臆せず、真っ直ぐに目の前の両眼を見つめた。

 何事かと会話を中断した魔女たちの視線を感じつつも、知らん顔で笑って見せる。

 

「俺はあなたの相手に相応しくありません。嵐の激しさと荒々しさの前では、足も立たない無力な雀も同然です。

 とはいえ数十年、数百年後に俺がまだ生きているとするならば、きっと大鷲程度にはなっているでしょう。

 時の流れを経てなお貴女にまだその気があったなら、その時はどうぞ貴女の風のひと吹きに乗せてください。お声がかかるその時をお待ちしています。いつまでも」

「あ……? えっと、んん……」

 

 きっぱりと言い切り、にこりと笑う。

 お返しだ。

 

 嵐の魔女はしどろもどろになって目を泳がせた。

 掴んでいたブレスの手をそろそろと離し、椅子に座り直して、こくんと頷く。

 

 炎の魔女と獣の魔女が奇声をあげ、頬をあからめる嵐の魔女を口々に揶揄った。

 

 ふう、と息を吐いて黙々とスープを食べ始めたブレスを、マリーがにやけながら肘でつつく。

 

「おい、やるじゃないか。魔女を誑かすなんてさ」

「誑かすなんてとんでもない。先生の話し方を真似しただけですよ。それに、もしこういうことになったらどうやって言い逃れようかずっと考えていたので」

「へえ……ちょっと感心しちゃったな。でも魔女を口説くってのはお勧めしないよ。後がこわいからねぇ」

「もちろんです」

 

 口説いたつもりない。

 逃げただけだ。

 

 初対面が下着姿だったマリーに比べれば、嵐の魔女のわかりやすい誘惑など動揺に値しない。

 ブレスは女に揉まれ、女に慣れたのだった。

 

 カナンやルシアナのことが気がかりでたまらず、それどころではなかっただけかも知れないが。

 

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