冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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34話 不滅の人形

 

 翌日、新たな魔女がふたりやってきた。

 

 開け放たれた窓に二羽のカラスが止まり、「記憶の魔女!」「夢の魔女!」とひと鳴きすると、同時に砂がサラサラと窓から流れ込み、子供くらいの大きさの、人間の形になった。

 

 同じ背丈に同じ顔、同じ髪に同じ服。

 けれど目の色だけが違う。

 一方は空色で、もう一方は薄紅色をしている。

 

「おや? 今から出迎えに行こうと思っていたのに」

 

 マリーがカラスの声を聞いて現れると、記憶の魔女と夢の魔女は同時にぺこりとおじきをした。

 

「豊穣の魔女はいつも家のドアを壊すから」

「壊れる前にやってきた」

 

 空色の子供の言葉を、薄紅色の子供が引き継いで答える。

 マリーは「べつにドアなんかどうでもいいのに」と笑いながら、膝をかがめてふたりの魔女を抱きしめる。

 

 マリーの肩越しに、二対の目がじっとブレスを見上げた。

 底のないガラスのような、虚ろな目だ。

 

 何かおかしいと思えば、瞳孔がない。

 大きな白目に、それぞれの虹彩が月のように丸く浮かんでいるだけの、不自然な目だ。

 

「おかしいな」

「おかしいね」

 

 感情のない目でブレスを見上げ、ふたりの魔女は口々に囁く。

 

「この魔術師、記憶がないよ」

「きっと誰かに奪われたんだ」

「その割にはたくさん名前を持っているね」

「きっと訳ありに違いない」

 

 唇以外の一切を動かさずに、記憶の魔女と夢の魔女は告げる。

 瞬きさえせず、血色による肌の色むらさえもない、目の色以外は完全に同じふたりの魔女。

 

 おそらく間違いはないだろう。

 彼女たちは、人形だ。

 

 

 

 マリー曰く、記憶の魔女と夢の魔女は、悪名名高い「影の魔女」が作った〈不滅の(パーペチュイティー・)人形〉(ドール)シリーズの最古作だそうだ。

 

 影の魔女は、己の作品に魂や悪魔を閉じ込めて使役とした魔女だそうで、既にこの世にはいない。

 主を失った〈不滅の人形〉達は、魔女の死後に自由を得て、人々に混じって暮らしているのだとか。

 

 〈不滅の人形〉に死んだ魔女の魂をつめたもの。

 それが、記憶の魔女と夢の魔女だそうだ。

 

「ま、ちょっと他の子とは違うけど、中身はちゃんと魔女だから。仲良くしてくれたまえ」

「……努力します」

 

 正直なところ、ブレスはふたりの目を見るのが怖かった。

 なにも見ていないような目をしているのに、ブレスの心を見透かすようなあの目。

 まるでブレスが知らないことを知り、考えて、覗こうとしてくるような。

 

「ねぇフィー」

 

 マリーがテーブルに紅茶を用意しながら言う。

 

「さっきあの子たちが言ってたけど、お前、記憶がないわけ?」

「そんなことありませんよ」

「本当にそうかなあ。じゃあ、最初の記憶はどう? お前の記憶は、何歳くらいから始まっている?」

 

 そんなことは考えたことがなかった。

 ブレスは眉間を寄せてマリーが入れてくれた紅茶を飲みながら、今に至るまでの出来事を思い浮かべた。

 

 カナンと旅をする前は、魔術師協会に所属し、守番を勤めていた。

 魔術師協会に所属する前は、魔術師の資格を得るために、とある都市で四年ほど魔道学を学んだ。

 その前は。

 

「教会の運営する、孤児院にいました」

「ほう。それは、何歳から何歳まで?」

「出たのは十二歳です。いつからいたのかは……わかりません。でも、誰も幼児だった時の記憶なんて覚えていないでしょう?」

 

「大概はね。でも、明確ではなくても微かには覚えているものだよ。例えば……そうだな。幼くして孤児院にいたのなら、修道女の腕に抱かれた記憶はあるかい。

 親代わりの女に甘えた記憶、おもちゃを奪い合ってケンカをして泣いた記憶はあるかい」

 

 ブレスは口を噤み、弁解をしようとして、再び口を閉じた。

 いくら探っても、そんな記憶は呼び出せなかったのだ。

 

 覚えていることといえば、寄附された魔術の本に熱中していたことだ。

 他の子供たちとはそりが合わず、本ばかり読んでいた。

 

「じゃあ、文字を教えてもらった筈だ。それは誰から、何歳の頃に教えてもらった?」

「……あ……本当だ、どうして……」

 

 わからない。覚えていない。

 記憶が、ない?

 

「ここらの子供の教育状況だと、覚えが良ければ本が読めるようになる歳は六歳から七歳くらいだろう」

 

 ならばブレスの頭のなかの記憶は、最大で六年から七年程抜け落ちていることになる。

 それは流石におかしいだろう。

 いくら幼児の記憶が曖昧だとはいえ、人間は四、五歳にもなれば自己はかなりはっきりしてくるものだ。

 

 三歳児の頃の記憶を正確に思い出すことは難しいだろうが、曖昧な映像が断片的にでも残っているかと訊ねれば、大抵の人間は頷く。

 ブレスにはそれがない。

 

 他の孤児たちを横目に、木陰で本を読んでいた。

 それが、覚えている限り最古の記憶だった。

 

「どうして……今まで気づきもしませんでした。自分の記憶が抜けているなんて」

「何故だろうねぇ。お前ならわかるかい、記憶の魔女」

 

 ブレスは混乱し、縋るように記憶の魔女見た。

 彼女は空色の空虚な目でじっとブレスを見上げ、やがて首を横にふった。

 

「記憶の魔女にわかるのは、記憶に残っていることだけ」

「無いものはないから、わかりはしない。だけど」

 

 薄紅色の目向けて、夢の魔女が言葉を引き継ぐ。

 

「二体の力を合わせれば、もしかしたら奪われた記憶を取り戻すことが出来るかもしれない」

 

 三人の魔女の目を一身に受け、ブレスは葛藤の末に答えた。

 お願いします、と。

 

 

 

「はじめに言っておくけれど、記憶が奪われたのならそれなりの理由がある筈だ。思い出さない方が幸せかもしれないよ」

 

 マリーは慎重だった。

 記憶の魔女と夢の魔女は森の中に行き、儀式の準備をしている。

 

「いい? 幼少期の経験というものは、人格の土台だ。それがないからこそ、今のお前があるとも言える。

 逆に、記憶を取り戻してしまったらお前は変わってしまうかもしれない」

「変わる? どんなふうにです」

 

 変わると言われても実感がわかなかった。

 子供の頃の記憶はそれほど重要なのだろうか。

 重要なのであれば、なおさら取り戻したいと思う。

 

「例えば、思い出したくないようなつらい経験をしていたら? 君自身が罪を犯して、その罰として記憶を奪われたとしたら? フィーはその現実を受け入れられるの」

 

「わかりません。だけど……自分が何者であったのかを知らないまま生きることは、その……怖いし気持ち悪いですから」

 

「知って後悔するかもしれない」

 

「知らないよりはいいと思うんです。それにほら、案外事故で頭を打ったとか、そんな単純な理由かもしれないじゃないですか」

 

「フィー……でもね、秘密にはたいてい理由があるんだ」

 

 マリーは不安げな顔でブレスを見つめた。

 彼女はブレスの意志が変わらないことを悟ると、ため息をつく。

 

「確かにあたしが決めることじゃないね。だけどこれだけは約束してくれ。もし何か思い出しても、ひとりで悩まないって」

「ええ、マリー様。ありがとうございます」

 

 ブレスには世界が始まった時から生き続けている、強くて博識で経験豊富な魔術の先生がついている。

 

 たとえ己の過去になにか問題があったとしても、きっとなんとかなる。

 大丈夫だ。ひとりではない。

 

 そう信じて、ブレスはふたりの魔女が待つ森へ向かった。

 

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