冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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44話 結ばれた絆の糸の端

 

「さて諸君。宴の準備は整った」

 

 薄暗い部屋、蝋燭の炎がゆらめく前で、豊穣の魔女が重々しくそう述べる。

 

 集った十三人の魔女たちは一斉に葡萄酒の杯を掲げ、巻き込まれた三人の魔術師も杯を取った。

 もっとも彼らの杯の中身は普段通りのハーブティーである。

 

「長ったらしい挨拶は無し。豊穣の魔女マリダスピルの名において、あたしの、あたしによる、あたしのための宴の幕開けをいまここに宣言する! あたしにかんぱーい!」

 

 何ともマリーらしい音頭に魔女たちが「何だそりゃ」と笑いながら景気良く杯をぶつけ合う。

 

 蝋燭が勝手に火を分け合ってリビングはあっという間に明るさを取り戻し、テーブルに用意されたご馳走の数々を照らし出した。

 

 なんて美味しそうなんだろう。

 こんなに料理上手なカラスならたとえ悪魔でも一羽欲しい、と思ってしまうあたりブレスも魔女たちに毒されている。

 

 今夜ばかりは、カナンとシルヴェストリの前にもまともな食事が用意されていた。

 

 ふだん食に頓着しない彼らも、宴席でくらいは肉を食すようだ。

 もちろん彼ら自身が屠った鶏ではあるが。

 

 来る日も来る日も美味しいものが食卓に並ぶマリーの家なのに、ふたりときたら薬草茶と果実を摘む程度の日々を送っていたので、最近のブレスは二人とも光合成ができるのではないかと疑い始めていたところだった。

 

 ちゃんとした食事を摂っているのを見て安心したと呟くと、嵐の魔女が「お前はこいつらの母親か」と吹き出し、それを聞いた他の魔女たちも笑い出した。

 

 師と上司はにがりきった顔をしているが、仕方がない、安心したのは本当のことなのだから。

 

 騒がしい魔女たちの宴会についていけなくなったカナンとシルヴェストリは、食事を済ませると軽い挨拶を交わして退出していく。

 

 きっとあのふたりは今夜も書架にこもるのだろう。

 

 魔女たちの話題は尽きることがなく、オルガンも調子良く音楽をかき鳴らし、狐が音痴に歌い、カラス男たちは主人にはべって世話をやく。

 

 笑いの絶えない楽しい時間は終わることを知らず、あっという間に日を跨いでなお続いていく。

 

(けれど、もうすぐこの家ともお別れなんだ)

 

 破天荒だけれど優しいマリー。

 彼女と過ごした日々が、あまりにも楽しかったせいだろうか。

 

 ふとよぎった感傷に気付いたのか、正面に座っていたマリーがフィー、と甘い声でブレスを呼んだ。

 

「ずっとここにいなよ。あんなつまんない男共なんて捨ててさ」

「……駄目ですよ」

「どうして?」

「どうしても」

 

 進むべき道を決めた以上、止まることも引き返すことももはや出来ない。

 

「外には辛いことがたくさんあるよ。ここにいれば安全だ」

 

 そうだろうとも。だが。

 

「身の安全よりも欲しいものが、外の世界にはあるんです。先生たちがそれを示してくれたから」

 

 きっかけこそ、あのふたりの指摘だったかもしれない。

 ブレスはきっと、己の力のみで道を見つけることはできなかっただろう。

 

 けれど今となっては、それこそが生きる目的となっていた。

 

 マリーとの生活はきっと楽しくて、退屈もしないだろう。

 悩みもなく、苦しみも負わず、笑いの絶えない暮らしだろう。

 

 でも、それを得るためにこの家に留まってしまったら、ブレスは生きる目的を無くしてしまうに等しい。

 

 ブレスが「ブレス」と「エミスフィリオ」の名を捨てて、「フィー」として生きることは、どうしたって出来ないのだ。

 

 マリーは黙ってブレスの言い分を聞いていた。

 金色の目が揺らぎ、眉が泣きそうに下がった。

 

 書の魔女が眠りこけている若い魔女をおしのけて立ち上がり、マリーの手を取る。

 予言の魔女ルシアナが、黙ってその光景をみている。

 

「……あいつかぁ」

 

 やがてマリーはぽつりと言った。

 

「あいつはいつもそうだ……あたしからぜんぶ奪っていく。取り上げたくせに、自分はなんにも持ってないフリをして、そのうえ寂しがって。

 自分勝手だ。いつもそうだ。でもきょうだいだから憎めない。離れられない。かわいいから、つらい……」

 

 カナンの話をしているのだと気づいた。

 

 ブレスが冬のカナリアについて知っていることは少ない。

 わからないけれど、マリーがどうしようもなく悲しんでいることは伝わってくる。

 

 それでも彼女は、それだけを言うと凪いだ笑みを浮かべた。

 あたたかな、優しい笑みだ。

 

 彼女が魔女に落ちる前は、きっといつもこんな顔で笑っていたのだろうと思えるような。

 

「いつまでも待ってる。あたしたちは長生きだから。もしフィーが傷ついて疲れて立ち上がれなくなった時は、あたしの家においで。困ったら呼んで。豊穣の魔女が助けてあげる」

 

 マリーはそう言ってブレスの手を取り、自分の指から指輪を外してブレスの指にはめた。

 

 マリーを思わせる真紅の柘榴石(ガーネット)

 石に込められた言葉は、情熱や友愛や実り。

 まさにマリーの石だった。

 

 ブレスが惚れ惚れと指輪に見惚れていると、嵐の魔女が突然「あたしも!」と叫んでブレスの首にペンダントをかけた。

 

「あたしのことも忘れないで」

 

 きょとんとするブレスに言うだけ言って、彼女は足早に階段を上がってゆく。

 

「あーあー、あの子、やっぱりフィーに本気になっちゃったんだ」

「よりによって魔術師が相手とは、これは報われないねぇ」

「きっと寂しくて泣いてるよ」

 

 にまにまと笑いながら好き勝手に冷やかしを始めた魔女たちがたちどころにやってきて、ブレスの髪を撫で、耳を引っ張り、腕を取る。

 

 触れたところには彼女たちからの贈り物が光っていた。

 腕輪やブローチや耳飾りに、首から下げる匂い袋まで。

 

「愛されてるわねぇ、全身お守りだらけじゃないの」

「……何かお返しできるものを持っていればよかったんですが」

「それじゃ、また会ったときにでもお返ししておくれよ」

 

 貌の魔女と獣の魔女の言葉に、ブレスは頷く。

 そうだ。

 また会えばいい。

 きっとそうなるだろう。

 

 そんな予感を抱きながら、ブレスは魔女たちと約束した。

 

 

 

 いつまでも続くかと思えた祝宴も、終わりを迎えた。

 過ぎてしまえばあっという間に思える。

 

 楽しい時間は長い夢を見せてくれるが、抜け出してしまえば二度と戻れない儚いもの。

 だからこそ価値があるのだ。

 

 シルヴェストリは協会を心配して、日の出と共に出ていった。

 協会長は魔女のお守りに包まれているブレスを見て何とも複雑そうな顔をしていたが、結局口出しは控えることにしたらしい。

 

「お前の大成を楽しみにしている」

 

 帰り際にそう告げた彼は、片手にカナンの髪の束を持っていた。

 彼の片割れである、風妖精の餌である。

 もらうものはしっかりもらって帰るあたり、何とも協会長らしい。

 

「冬のお方、竜が見たいんだってね」

 

 見送りに出てきたマリーに並んで、書の魔女が言った。

 カナンが怪訝な顔を向けると、坊やに聞いたのだよ、と書の魔女はブレスを顎で指した。

 

「……ああ。北の女帝は確か、白雪花竜(はくせつかりゅう)の友でしたね」

「その通り。対価に何を払う?」

 

 ふたりのやりとりを、ブレスは内心はらはらしながら見守った。

 カナンを冬のカナリアだと知りながら堂々と対価を要求する人間が、この世に存在するとは。

 

「何言ってんのフィー、あいつが魔術師として生きている限り施しを受けたら対価を払うのは当然のことだよ。魔術師ってのはできる限り借りを作らないもんなのさ。〈古きもの〉は特にそう」

 

 そう言うものなのか。

 マリーの話を聞いているうちに交渉を終えたらしい書の魔女が、身替わりの魔女を呼んだ。

 しずしずと歩み寄った身替わりの魔女が、優雅に一礼する。

 

「彼女が白雪花竜」

「……え?」

 

 呆けてしてしまったのはブレスだけではない。

 カナンもまた驚いている。

 

「マ、マリー様。身替わりの魔女の(ティアラ)の由来って、まさか」

 

「そのまんまだよね。身替わり、変身、変化。置き換えること。彼女は魔術師の使役になっていた経験があって人型になれる稀有な竜だったんだけど、年月と共に知恵を得て魔術師になって、最終的に魔女に片足を突っ込んだんだ。面白い人生だよね」

 

 そんな希少な生き物を「面白い」で済ませてしまうマリーもマリーだが、もはやいまさら過ぎて突っ込む気にもなれない。

 

 なにしろマリー自身が魔女でありながら、秋の娘サハナドールなのだ。

 なってしまったものは仕方がないし、存在するものは存在するのである。

 

 ──ああ、協会長がこの機会を棒に振ったと知ったら悔しがるだろうなぁ。

 

 そんなことを考えていると身替わりの魔女の変化が始まった。

 白雪花竜は力強く、そして美しい竜だった。

 

 姿は鳥類に近い。

 極寒の地に住んでいるためだろう、全身は純白の羽毛に覆われている。

 長い尾と鉤爪の前足と後ろ足を持ち、大きさは四頭だての馬車ほど。

 

 翼も鳥ものにちかく、雪景色に馴染む白。

 なるほど名前の通り、白雪だ。

 

 目は海の色だった。

 澄んだ水色の目がブレスを見、カナンを見、カナンの影の中に半分沈んでいるテンテラを捉えた。

 

 テンテラは深紅の目を大きく見開き、白雪花竜を食い入るように見つめていた。

 赤い目がマリーのガーネットのようにきらきらと輝いている。

 

「……ありがとう、書の魔女、身替わりの魔女。得難い経験になったようだ」

 

 人型に戻った身替わりの魔女は、どういたしましてと再び優雅に一礼した。

 

 この人があの竜。

 目の前で見たとはいえ、世界は不思議だ。

 

「最後にフィーと話したいって子がいるんだ」

 

 マリーの言葉に振り返ると、そこに立っていたのは予言の魔女ルシアナだった。

 

 彼女は初日に言葉を交わして以来ずっと森に篭り、宴会が始まってもほとんど口を開かなかった静かな女だ。

 

 ルシアナは逡巡した様子で立ち止まり、マリーに背中をそっとおされて前に進みでる。

 目の前に立つ、綺麗な黒髪の、若緑色の目の女。

 

(……あれ?)

 

 こめかみでチカっと記憶の断片が光る。

 それについて考え始める前に、ルシアナはそっとブレスに触れ、背に白い手を回し、柔らかく抱きしめた。

 

「ごめんなさい……」

 

 耳元で呟く彼女の声には聞き覚えがある。

 

 ごめんなさい。許して。

 母様は駄目ね。

 

 あのときは彼女の腕に抱かれ、この綺麗な黒髪を握りしめていた。

 ブレスは目を見開く。

 

「いまはまだ出来ないけれど、いつか必ずあなたの真名を返すわ。どうかその時まで元気で、生き延びて」

 

 潤んだ目と見つめ合いながら、ブレスは言うべき言葉を探した。

 けれど、だめだ、言葉が出てこない。

 

 ルシアナはそっと微笑み、再びブレスの頬に触れて、最後に手を取った。

 マリーの指輪の隣にもうひとつ、緑の石のついた指輪をはめると、ブレスの目を見つめて「幸せになって」と言った。

 

 言葉は相変わらず出てこない。

 けれど、言わなくても伝わることだってあるはずだ。

 

 ブレスはしっかりと頷き、力強く笑った。

 泣き笑いのような顔になってしまったかもしれない。

 それだってかまうものか。

 

 ルシアナは雲の晴れ間の日差しのように、やさしく笑い返してくれた。

 

 

 

「次はいつ会えるのやら」

 

 秋の娘が冬の翼と向かい合う。

 さあ、と肩をすくめる弟の胸をマリーは小突いた。

 

「そっけないぞ。姉上になにか言うことはないわけ」

「そうだね。では、礼を」

「礼だって?」

 

 弟からこんなに殊勝な言葉が出る日が来るなんて。

 マリーは驚いたことを誤魔化そうと、痒くもない頬を掻いてみる。

 

「僕が落ち込んでいるのを知って、家に招いてくれたのだろう」

「そうだよ。あんまり憐れだったからさ」

「サハナはいつも僕を想ってくれる。だから、ありがとう」

「なんかカナン、変わった? 素直過ぎて気持ち悪いぞ」

 

 あの純粋無垢な人の子が、側についているせいだろうか。

 

「まあいいや。それで、気は晴れたの?」

 

 カナンは頷く。

 薄く、けれど穏やかに微笑みながら。

 

 それならいいや、とマリーは笑う。

 そのまま踵を返そうとしたマリーは、ふと振り返って言った。

 

「ねえカナン。あたしの可愛い歌い鳥」

「なに、サハナ」

「姉様を……ライラをあんまり信用しない方がいいよ」

「いまさら、どうして?」

 

 そんなことを言われるだなんて、思いもしなかったのだろう。

 

 カナンの顔に浮かぶ感情は困惑と不安。

 それから大好きな姉を貶めるようなことを言われたことに対する微かな怒り。

 

 それらを見つめ返し、マリーはふう、とため息を吐いた。

 肩の力を抜いて、いつも通りに、にへらと笑う。

 

「そんな気がしただけさ」

 

 




5 魔女たちの饗宴 終
ブレス君について掘り下げた章でした。
マリー様ことサハナドールは何かを知っているご様子。
タイトルの「絆の糸の端」を握っているのはルシアナ。
次話は番外編、使い魔たちのお話です。

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