冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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52話 三人寄れば

 

 夜闇に紛れた黒いローブの人影がひとつ。

 

 エルシオン郊外にある無人の廃屋に猫のように忍び込んだその人影は、朽ちかけのピアノに寄りかかって待っていた雇い主の姿を見とめ、す、と膝をついた。

 

「現れました」

 

 短い報せ。しかしそのたったの一言を、幾年もの間待ち侘びていた雇い主は、おお、と歓喜の声を上げる。

 

「誠にかのお方なのだろうな。間違いなく?」

 

「間違いございません。旅装束に、髪の色。姿を偽ったとしても眼の色だけは変えられない。あのエメラルド、ご覧になってくださればおわかりいただけるかと」

 

「そうか、そうか……」

 

 雇い主は感極まった様子で目頭を押さえる。

 己が身に降りかかった悲劇の物語を思い出しているのだろう。

 

 なんにせよ、雇われの身である人影には全く関係のない話。

 

「捕らえたのか」

 

「いいえ、それはまだ。ですが、蒔いた種に引き寄せらたご様子。私が協力できるのは貴方の前にかの方をお連れすることまでです。捕らえるなど……」

 

 人影は昼間垣間見たあの姿を思い出し、苦い笑いを浮かべる。

 馬鹿げている、あんな化け物じみた気配を纏うアレを、自分ごときが捕らえるなんて。

 

「機は作りましょう。そこから先は、私ごときには荷が重すぎます故」

 

「まあ良い。十年……追い続けてようやく見つけたのだ。僥倖である……王国再建のためにも、我々にはあのお方のお力が……」

 

 いつもの独り言が始まった。

 人影はどうでもいいことと聞き流し、雇い主の言葉が途切れるのをじっと待っていた。

 この男ともようやく縁が切れるのだ。

 

 しかし、懸念があるとすれば、あの赤毛の子供……。

 

 小賢しい人間のガキがついているとなれば、あれを騙すのが難しくなるかもしれない。

 ああ、面倒だ。失敗するわけにはいかないというのに。

 

 雇い主の言葉が途切れる。人影は立ち上がり、膝の埃を払う。

 

「それでは、頼んだぞ」

「ええ。必ず」

 

 いつもの言葉、いつもと同じ返事。控えめに顔を上げて微笑んで見せる。

 雇い主は満足げに頷くと、ローブを翻して去っていった。

 

 

 ⌘

 

 

 カナンが病室にこもって三日が経った。

 獏の呪いがどのような仕組みなのかを調べる作業は、思いのほか時間を必要とするものだったらしい。

 

「そもそも夢喰いとはどういう生き物なのでしょうね……」

「それですよ。生態が解れば、予測もできると思うんですけど」

 

 ブレスとデイナベルが額を突き合わせて議論する。

 

 カナンはひたすら患者の状態を見たり、頭の中を覗いてみたり、人目を盗んでこっそり額の目を開いてみたり、獏の捕獲方法を考案してみたりと忙しい。

 

 三者は皆揃って探求者の顔をしている。あんなに生徒たちの心配をしていたデイナベルも、ひとりで抱え込まなくて良くなった分だけ気持ちが楽になったのか、今はすっかり学者の顔だ。

 

「獏は夢を食べる生き物ですよ」

 

 デイナベルとブレスの話にカナンが口を挟んだ。

 

「それはわかってますよ。なんでそんなことをするのかって話しです。ね、デイナさん」

「そうですね。動機が問題です」

「動機って……」

 

 なんだか距離の近くなったふたりを妙な動物でも見るように眺めながら、ため息をひとつ。

 

「食べる動機などひとつでしょう。食事です。獏は夢を糧に生きている。それだけです。問題はそんなことではありません。その捕食能力をどう歪めて使ったら、人間がこんな状態になるのか、です」

 

 カナンの言い分にふたりはポカンと口を開けた。

 まったく、と幾度めかのため息を吐くカナン。

 

 ブレスは「聞えてたんだったらもっと早く教えてくださいよ」と文句を言う。

 カナンの纏う得体の知れないオーラに腰がひけているデイナベルは、そんなブレスの遠慮のなさに慄いていた。

 

(鈍いってすごい……)

 

 前方の教師がそんな失礼なことを考えているとは思いもしないブレスは、じゃあ、と質問を続ける。

 

「獏は夢から何を得ているんですか? 人間の記憶? 感情?」

 

「その両方でしょうね。ほら、夢って目覚めた時には忘れてしまっていることも多いでしょう。夢を見るからには、それに付随した感情が発生する。獏はその感情を夢ごと食べているのです。いわば不要になった魂の断片です。見た夢を忘れるという現象は獏に食べられて起こるのです」

 

 そういう魔獣なので、本来は全くの無害なのだそうだ。獏はめったに姿を見せることはないが、人間が知らないだけで案外身近な生き物なのである。

 

「……であるのならば……この子たちは、ずっと獏に夢を食べられ続けているのでは?」

 

 デイナベルが整った眉を寄せて呟く。

 

「夢を見せる。夢を食べる。それが獏の力なのであれば、夢を見せると同時に夢を食べればこの子たちは目覚めることができない。獏はそれを、永遠と続けているのではないでしょうか。牛の反芻(はんすう)みたいに」

 

「なるほど……たしかに。貴方、デイナ。賢いですね。仮面の男があの変な生き物の補佐に貴方をつけた理由がわかりました」

 

 仮面の男。あの変幻自在の魔道学舎学長の通り名である。

 それはいいとして、ブレスは物申したくて眉根を寄せた。

 

「ちょっと、ハオ先生を変な生き物っていうのやめてくださいよ」

「変な生き物は変な生き物です。君は鈍いから判らないのでしょう」

「しょうがないじゃないですか、呪い持ちなんですから!」

「なんでも呪いのせいにしない。少しは目を養いなさい」

「だったら教えてください、先生なんでしょ」

「君、最近すこし図々しくなってきたのではありませんか?」

 

 カナンの目がキラッと光り、デイナベルは思わず椅子をひいた。

 キイと床を擦る音にふたりの視線が向き、ヒュッと息を呑む。

 

「……すみません、少々席を外します……あの、お手洗いに」

「デイナさん、大丈夫ですか? なんだか顔色が悪いですよ」

「お、お気になさらず」

 

 そそくさと部屋を出たデイナを心配そうに見送るブレス。

 そんなブレスを見、カナンはふうともはや何度目かも判らないため息をつく。

 

「君は鈍すぎですが、彼は繊細すぎですね」

「また鈍いって言いました?」

 

 旅の道連れはちょっと鈍感なくらいが丁度いい。

 そんなことを考えながら、カナンは生暖かい目でブレスを見つめた。

 

 

 

 さて、獏の能力が被害者たちの症状を引き起こしているのならば、やはり獏をどうにかしなければならない。

 

 これが魔術であったのなら話はもっと簡単だった。

 どのような術であるのかを解析し、それを打ち消すような術を被害者に施せばよい。

 

 しかし、魔術師に使役された魔獣が今この時も生徒たちの夢をしゃぶっているというのならば、やはり元凶をたたかなければどうにもならない、とのこと。

 

「解呪にしか能のない私ではお役に立てませんね……」

 

 デイナベルが無力感に肩を落とした。

 

「薄々わかってはいたのです、調べても調べても魂と呪いの結び目が見えない。魂が侵食をされているにもかかわらず……これではほどきようがありません」

 

「結び目ですか。デイナ、解呪師の君の目には、呪いはどのように映る?」

 

「一般的な呪詛ならば、受けたものの魂の端に、放ったものの魂が糸のような形になって絡みついているように見えます。放った者は己の魂の糸を介して相手の魂を呪いに染めてゆくのです。〈悪意の糸〉と呼ばれるそれを解くと呪いが解けます。繋がりをほどくのです」

 

「糸を切るのではダメなんですか?」

 

 ブレスの問いかけに、デイナベルは肯定とも否定ともとれる微妙な反応をした。

 

「呪者の執着が強すぎて、どうしてもきれいに解けない時などは糸を切ってしまうこともあります。ですが、最終手段ですね……呪者の悪意が魂に残ったままになってしまうのは、やはり良くないですから。それに呪者の方も魂を傷つけられて痛手を負います」

 

 呪った方をまで思いやるとは、デイナベルはどれだけ優しいのだろう。

 ブレスが敬意の目を向けると、その意を汲み取ったらしいデイナベルは苦笑いを浮かべて首を振った。

 

「違いますよ。魂の一部を失えば、呪者の精神が余計に不安定になるのです。呪者が人を呪うのは、己の悪意をひとに移して安定するためです。

 そのための糸を強引に引きちぎるようなことをしては、呪者は更なる痛みと憎しみを抱え込むことになる。

 危険人物が余計に危険になる……呪いで済んでいたものが、ある日突然刃物を持って相手の前に立つ、というようなことにもなり兼ねません」

 

 実感と感傷のこもった声だった。ブレスはうつむく。

 きっとデイナは、それを身をもって知ったのだろう。

 

 現在の彼がこの若さで魔道学舎の教師となるほどの腕を持っているのは、過去の失敗の積み重ねのためなのだ。

 その度に辛酸を舐め、悔い、それでも呪い向き合い続けて、この優しくて少し臆病なデイナになった。

 

 彼は傷を知っている。呪う側の傷も、呪われる側の傷も。

 

「敵が魔術師であるのならば、解呪に精通した貴方がこちら側についているというだけでも皆は相当に心強いことでしょう」

 

 カナンが珍しく人を慮るようなことを言った。この師はどうやら、傷ついた者に対して罪悪感を抱くらしい。

 

 きっと病だの死だのといった、不幸の元凶を作り出してしまったことに対する負い目があるのだろう。

 

 旅の道中でも、カナンはそういった人々に対して施しをしたり病を取り払ってやったりしていた。

 

 ブレスはそんなカナンを見て、不思議に思ったものだった。当時はカナンが何者であるかを知らなかったから。

 

「獏を捉えましょう。一刻も早く」

 

 カナンが言う。

 

「話はそれからです。獏が本来無害なのは不要な記憶、不要な魂の断片を食べているからです。強制的に永遠と夢を見せ夢を食べ続けているのならばこの子たちの魂は確実にすり減ります」

 

「ですが、捕まえられるのですか? 姿を見た者は居ないも同然なのでしょう」

 

 そうだ。獏について解っている情報は夢を食べて生きる魔獣であるということだけ。

 

 どうするつもりなのか、とブレスが師を見上げると、カナンは不敵な笑みを浮かべてエメラルドの目をきらきらさせていた。

 

 これは好奇心を掻き立てられ、面白いものを前にした時の顔だ。

 

「いまの獏は、食べたくもない夢を無理やり食べさせられている状態です。それならば餌を用意してやればいい。極上の、思わず寄り付きたくなってしまうような極上の夢をね。僕が囮になりましょう。なに、その魔術師に出来たのだから、僕が獏を捕らえられぬはずがない」

 

 カナンが愉しそうで何よりである。ブレスは「今夜みる夢」を選び始めた師にぬるい目を向けて、デイナベルに向き直った。デイナは呆然とカナンを見ている。

 

「デイナさん、俺たちは先生が作戦に失敗した時のための予備策でも考えておきましょうか?」

「え、ええ……それもそうですね。では……」

 

 この自信で先生が失敗したら面白いんだけどな。

 

 デイナと次の作戦を考えつつも、ブレスはそうはならないだろうなと確信していた。

 この師が何か読み違いをするとすれば、それは人の内面についてだけだ。

 

 魔物や魔獣を操ることにおいて、カナンの右に出る者は居ない。

 

 

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