冬のカナリア とある魔術師の旅路   作:鹿宮鳩子

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7話 町に潜むもの

 

 テンテラが言うには、付いている娘──ロナーの過去についての噂を屋敷で聞かない日は無いということだった。

 

 ロナーは数年前、町で一番大きな屋敷に仕えていた使用人で、主人にも恵まれ、なに不自由のない暮らしをしていた。

 

 使用人のお着せも布をたっぷりと使った品のあるもので、気の利いた仕事をした時には褒美に髪飾りや美しい靴を与えられた。

 その屋敷はロナーのような働かなければならない娘にとって、最高の奉公先だった。

 

 ところが、恵まれた生活は何年も続かなかった。

 屋敷が深夜に放火され、一家もろとも焼き殺されてしまったのだ。

 

 屋敷の使用人は子供の世話のために泊まり番があり、その日の当番はロナーだった。

 ところがロナーは屋敷を抜け出して、恋人と会っていたため不在だった。

 火事はその間に起こったのだった。

 

 明け方になってロナーが戻ると、屋敷の周囲は消火のため大騒ぎになっていて、赤い炎が高々と燃え、全てを焼き尽くしているところだった。

 

 美しく高潔であった奥方も、跡取りとなったであろう利発な長男も、年頃にさしかかった双子の娘たちも、まだ幼子であった末の男の子も。

 

 家の主人はその夜、隣町に出かけていて不在だった。

 たったの一晩で家族と財産の全てを奪われた彼は取り乱し、役割を放棄して屋敷を離れていたロナーを詰り責めた。

 

 若くか弱い娘がひとりいたところで、彼女に何ができただろうか。

 主人は賢明な人物であったというから、そんなことはわかっていたはずだ。

 それでも彼は、そうせずにはいられなかったのだろう。

 

 もしもメイドがその晩きちんと控えていたら、皆殺しにされずとも済んだかもしれないのに。

 そんな希望的観測にすがりたくなってしまうほど、堅実に生きてきた彼には残酷な仕打ちだった。

 

 主人は公衆の面前でロナーを罵ったから、その場にいた誰もが娘の失態を知ることとなった。

 男と会うために奉公先の一家を迂闊に死なせた、恩知らずでふしだらな女。

 

 噂が噂を呼び、ロナーの名誉は地に落ちた。

 以来、彼女は嘆き悲しみ罪の意識に苛まれ、暗闇の中で暮らしていた、という。

 

「そうだったのか。そんな出来事があったから、あの娘は声も出なくなってしまったのだね」

 

 町の中心部にある広間、その中央の噴水の縁石に座り、カナンは思考を巡らせていた。

 揺れる水面にはテンテラの姿が映っている。

 

 ロナーの淀みは相当のものだったから、何かを抱えているとは思っていたが、これ程の悲劇が起こっていたとは。

 

『結局、屋敷の主人も死んだって言ってた。じさつしたって。じさつってなに?』

「自分自身を殺すことだよ。きっと、もう生き続けられないほど、生きていることが苦痛だったのだろう」

『ご主人様、悲しい?』

「そうだね……」

 

 カナンは薄く笑い、ゆっくりと首を否定に振った。

 

「僕には悲しむ資格がない。それよりテンテラ、僕が調べた限りここ数年で大きな事件といったら、その火事だけだった。町に歪みが生じて怪異を成すとすれば、その事件をきっかけに起こったとしか考えられない」

 

 淀みが溜まれば瘴気となり、瘴気が増幅すれば怪異となると云われている。

 怪異とは自然現象の枠の外の事象、怪奇現象を指す。

 

 つまり、怪異には必ず原因がある。

 何かをきっかけに瘴気が増幅して怪異となるのだから、怪異を解明したければ原因となった出来事を探ればいい。

 

『屋敷の人間、他の話もしてた』

「ほう?」

『占い師が神殿にいるって。なんでも言い当てるから、巫女に召し上げられたらしい。お陰でなかなか占ってもらえなくなったって、屋敷の人間、怒ってた』

「それは興味深い」

 

 それではその占い巫女に、会いに行ってみるとしよう。

 カナンは立ち上がると、足取りも軽く歩き始めた。

 

 居場所を知るには、この土地の知り合いに訊ねるのが一番だ。

 行き先は決まっている。

 

 

 

「カナンさんじゃないですか」

 

 目を丸くして驚いている青年は、守番の魔術師ブレスである。

 訪ねたのはこの町の魔術師協会、つまるところカナンはブレスに会いにきたのだった。

 

 ブレスならばこの土地の出来事に詳しいし、同業者なので話が通じる。

 魔術師協会はそれなりに知名度が高く住民の御用達なので、町の住人に訊ねれば場所はすぐにわかる。

 

 ブレスに会いたいと告げると、そろそろ戻る頃合いなので待っていてはどうかと椅子を勧められた。

 そして現在に至る。

 

「どうしたんです。俺がいたら魔物が寄り付かないって、追い払ったんじゃなかった?」

 

 やや困惑した様子で笑いかけながら、ブレスは被っていた深緑のローブを脱いだ。

 ローブの無い彼は白いシャツと黒いパンツで、赤毛で細身の好青年といった印象だ。

 

 この格好で外を歩いていたら、彼が魔術師だとは誰も思うまい。

 

「使役どころではなくなってしまいまして。どうやらこの町には、怪異が起こっているようなのですよ」

「……あー……その件でしたか」

「お気づきですよね」

「まあ、その。噂程度で、確信はありませんでしたが。俺はこの協会ではまだ下っ端なので」

「でも、知っているでしょう?」

 

 カナンはにこりと微笑みかける。

 ブレスは居心地が悪そうに人目を気にする素振りをした。

 

「話します。話しますから、外に出ません? ここにいるとその……あなたは人目をひくので……」

 

 気づけば協会所属の魔術師たちが興味を引かれた様子でふたりを遠巻きに見つめていた。

 カナンは素知らぬ顔で「では、どこか静かなところでもあれば」と席を立つ。

 

「すみません。ここの会長も相当見目麗しい人なんで、みんな見慣れてるはずなのになぁ。ただならぬものがお前を待ってるって同僚に聞いたものだから、何事かと思いましたよ」

「それはお騒がせしまして」

「もう本当、血相変えて、化け物でも見たような顔で。大袈裟だよなあ」

 

 にこにこと言葉を受け流しながら、カナンは出口へと向かう。

 ブレス魔術師は好青年だが、危機察知能力がやや欠けているようだ。

 

 

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 一方その頃。

 カナンと談笑しつつ出て行くブレスを見送った魔術師のひとりが、恐々として呟いた。

 

「あいつ、ただ単にものすごく鈍いのか、それとも相当な大物なのか、どっちなんだ?」

「人間の気配じゃなかったですよね……」

 

 彼らがカナンを遠巻きに眺めていたのは、けして見た目だけが理由ではなかった。

 同僚たちが冷や汗をかきながら身を縮めていたことを、ブレスは知る由もない。

 

 

 

 

 昼時ですし昼食でも、というブレスの提案でふたりがやってきたのは、魔術師向けの食事を提供することで評判な「ボーメイン」という喫茶店だった。

 

 生きているものを取り込むこと、という制約を守る魔術師はなにかと食事の制限も多い。

 木の実や果物、採ったばかりの野菜を主食とし、肉や魚を食すときは己で屠ったものしか食べることが出来ない。

 

 干し肉などの死んで時間が経ったもの、それから砂糖や小麦粉などの精製されたものを大量に摂れば体内の魔力回路が滞ると言われている為だ。

 

 一般的に、若い魔術師ほどこの決まり事を守らなければいけないとされている。

 

「ここの店主も魔術師なんです。協会に勧誘しているんだけどなかなか承諾してくれなくって……まあそれはいいか。とにかくここは野菜の栽培も彼女がやっているし、肉はないけど、生簀があるから魚料理は食べられる。ありがたい限りだ」

 

「そんな店が出来ていたとはね」

 

「けどちょっと排他的なとこがあって、ご新規は常連の紹介でしか入れてくれない。だから他の店より客層に信用がおけるんだ。人に聞かせたくない話をするにはちょうどいいんです。あ、あの店ですよ」

 

「あれが店……ですか?」

 

 ブレスが指したのは、木製の、背の高い柵でできた箱のような建物だった。

 

 柵の隙間からわずかに中を見ることもできるが、外から見るだけではなんの建物なのか全くわからない。

 あからさまに人目を遮る作り。

 

「あの柵の中に店があるんです」

 

 ブレスは慣れた様子で四方を囲う柵の一面の前に立つと、「こんにちはー」と気の抜けた調子で右手を掲げた。

 カナンが視線を上に向けると、柵の上部には人間の目を簡易化したような印が描かれている。

 

 簡単な遠視の魔術で、術者はこの目の模様を通してその場の風景を見ることが出来る。

 ブレスは掲げた右手に、魔術師の証であるペンダントを握っていた。

 なるほど、魔術師専用の店──知らぬ者には入れない。

 

 ずずず、と目の前の柵の一部が動いた。

 どうやらここが入口だったようだ。

 

 柵が地面に沈み終わると同時に、緑のドアが現れた。

 銀色のドアノブに白い薔薇のつぼみでつくった小さなリースがかけてある、一見普通のドアだった。

 ドアノブを回すが、鍵がかかっている。

 

「初見の人はこの薔薇の棘に指を刺してもらうことになっているんですけど……」

「構わないよ」

 

 カナンは躊躇いなく指先を押し付け、薔薇の棘で指を切った。

 すると、白い薔薇の硬く閉じられた蕾が綻び、見事な青い薔薇を咲かせたではないか。

 

「わー、青なんて初めて見たなあ。これ、大抵は白いまま咲くんですけど」

「ああ、なるほど。これで鍵が開く仕掛けですか。面白い」

「鍵がかかっているのは初見さんがいる時だけなんです。一度血を登録すれば、出入りは自由になる。店主が拒否しない限りは、ですけど」

「賢いやりかたですね」

 

 こういうまじない道具は大抵、生き血でないと発動しない。

 いざというときの良い避難先になるだろう。

 

 ふたりがドアを通り抜け、柵の内側に足を踏み入れると、そこはドーム型のサンルームだった。

 全面ガラス張りのそれはまるで大きな庭のようで、至る所に花が咲き乱れ、果実を実らせている。

 

 外から見るより遥かに広々としている室内には、ガゼボがいくつも点在していて、白く華奢な作りのテーブルが設置され、それが客席になっていた。

 

「美しいでしょう」

 

 ブレスはカナンを席に連れて歩きながら、幾度も訪れているであろうこの場所を賛辞した。

 ガゼボの柱に咲く薔薇の芳香に口元を綻ばせながら、カナンはうっとりと目を閉じる。

 

「嗚呼、まるで楽園のようだ。子供たちは時に芸術を生み出すから愛おしい」

「お気に召して頂けたかしら」

 

 突如響いた女の声に、ブレスは驚いて振り返った。

 

「フローリスさん! まったく、いつも突然現れるんだから」

 

 カナンが向き直ると、サンルームの花々に囲まれて、生気に満ち満ちた女性が溢れるような笑みを浮かべて立っていた。

 

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