朝食を終えたウチらはお母さんとの約束通り午前中のうちに帰るため、支度をはじめた。
ウチは着替えるだけだったのですぐに準備は終わった。
ところが同じく着替えるだけだったはずのアキがなかなか戻って来ない。
ウチは玲さんに言われ、そのアキを呼びに部屋に向かった。
あれ? 扉が開けっぱなしじゃない。
いつもは閉まっているのに……。
扉が開いていることを多少の疑問を感じつつも、ウチはあまり気にせず部屋に入った。
「アキ、入るわよ。玲さんがそろそろ行こうって……あれ?」
漫画でも読んでいると思っていた。
でもそんな姿を思い浮かべながら入った部屋にアキの姿は無かった。
どこに行ったのかな……。
着替えでも取りに行ってるのかな?
昨日アキの服も脱衣所に干してあったし、きっとそうね。
しょうがない。ここで待たせてもらいましょ。
すぐ戻ってくるでしょう。
ウチはベッドに腰掛けてアキの帰りを待った。
でも数分待ってみてもアキは戻ってこなかった。
遅いな……。何してるんだろう。
シャワーでも浴びてるのかな。
暇だったウチはそんなことを考えながら、何気なく部屋の中を見渡していた。
……
思っていたより整然としている部屋。
アキの部屋。
いつも見ていたアキから想像して、もっと散らかっていると思っていた。
だから初めてこの部屋に入った時、思っていたより綺麗にしていて意外だった。
そういえばこうしてアキの部屋をじっくり見るのって初めてかな。
何度か来てるけど、いつも瑞希たちと一緒だったし。
部屋にはベッドや机、それに本棚がある。
置いてある物はウチの部屋とほとんど同じで、ぬいぐるみの代わりにゲーム機がある所が違うくらい。
机にはペン立てなどが置かれているが、
やっぱり勉強してないのね。
まぁあの成績からして勉強してるわけないか。
その机の横にはの本棚があって……?
?
なんだろう。
この本棚……何か違和感を覚える。
なんとなく気になったウチは本棚に近寄ってみた。
近くに寄ってみてその違和感の正体が分かった。
本棚には当然だけど本がぎっしり詰まっている。
問題はその本。
立てられている本の背表紙はカラフルなものからシックな色のものまで様々。
その高さも不揃いで、とても見栄えが悪い。
これは……。
漫画とゲームの本ね。それと……参考書?
なにもかもごちゃ混ぜじゃない。
整頓されているようでもよく見るといいかげんね。
しょうがないなぁ……。
よしっ。
暇だし、アキが戻ってくるまでちょっと整理してあげますか。
ウチ、こういうのは得意なのよね。
……
そういえば昨日、ウチが本棚を見ようとしたら必死に阻止してたわね。
……いやらしい本なんか出てきたら処分してやるんだから!
ウチは少し警戒しながら本棚の整理を始めた。
参考書は机に近い右側に。ゲーム関係や漫画は左側に。
本を抜いて同じ種類の本を探し、見つけてはその横の本と入れ換えて。
そんな作業を続けているうちにウチはパズルを解くような感覚になり、妙に楽しくなってきた。
ただ、よく見るとそれらの本は使われているものと、そうでないものがはっきりと分かれていた。
漫画やゲーム関係の本はよく読むのか、折り目が付いていたり、汚れているものも多い。
それに対して参考書は開いた形跡もなく、伝票が差し込まれたままのものまである。
はぁ……。
観察処分者返上の道は険しいわね。
もっとウチが見てあげないとダメかなぁ……。
楽しさの中にため息を交えながら整理を続け、半分くらい並び替えた頃だろうか。
本棚の真ん中の仕切り辺りにひとつだけ他と違う本があることに気付いた。
それはいやらしい本とかそういうものでなくて……。
背表紙は破け、薄汚れたみすぼらしい本……?
その背表紙には辛うじて古典という文字が書かれているのが見える。
これ、去年の教科書じゃない。
どうしてこんな物とっておいてあるんだろう。
しかもこんなボロボロなのを……。
一年の科目を復習するため?
まさかね。
アキがそんなことするなんて考えられない。
それができていたらもっと成績上がってるだろうし。
きっとアキのことだから、ここに入れていることも忘れちゃってるのね。
汚いし、捨てちゃいましょう。
もし必要だって言われたらウチのをあげればいいし。
!!
その教科書を抜き出して床に置いた瞬間、ウチは凍りついた。
え……?
突然目の前に現れた理解できない物。
普通に考えたらそこにあるはずのない物。
それが今、ここにある。
どういう……こと……?
あの時の記憶が蘇る。
言葉が分からず、誰も相手にしてくれなかったあの時の記憶。
お父さんやお母さんに学校が楽しいと嘘をついていた時の記憶。
辛かったあの頃の記憶……。
ウチが今、こうして楽しい日々を過ごせるのはこの部屋の主のおかげ。
その主の部屋に保管されているウチの辛い記憶の象徴。
分からない。
確かにあの時、いつの間にか直っていた。
間違って書いたはずの自分の名前が。
あの時、あの人が一生懸命に言っていた言葉と笑顔が蘇る。
―― ちゅうぬぶどれぱどぶにいるもなみ ――
この言葉の意味が分かった時、最高の幸せを感じた。
あの時、ウチはあの人に惹かれはじめた。
何故これがここにあるのか。
分からない。分からないけど……。
きっと、あの人のことだから。
あのアキのことだから。
ウチの知らないところで何かをしてくれたに違いない。
きっと……。
ウチは全身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
汚れた教科書を手に取ってみると、あの時からのアキと一緒の毎日が脳裏を駆け巡る。
いつもバカなことをやっていて。
問題を起こしては先生に叱られて。
でもウチが困っていると、いつも近くにいてくれて。
心配してくれて……。
ただ、見当違いなことを言うことも多かった。
でもそれはアキなりに一生懸命に考えた結果で。
親身になって考えてくれた結果で……。
だからきっとこれも。
アキが一生懸命に考えた結果が、この教科書なんだと思う……。
「あれ? 美波? 何して────あっ! それは!!」
教科書を手に呆然としていたウチは扉の方から聞こえたアキの声に正気を取り戻した。
でもその声のする方へ視線を送ってみるとそこにアキは姿はなく、ウチの手からは教科書が忽然とその姿を消していた。
不思議に思って教科書の行方を探すと、ベッドの前で何かを後ろに隠すような仕草をするアキが目に入った。
「アキ……? それ……」
「わーっ!! なななんでもない! なんにもないよ!」
慌てふためくアキは腕をばたばたと振り、この教科書の存在を必死に否定する。
この反応からして、この教科書に関する何かをやったのは想像するに
知りたい。
アキが何をしたのか。
「アキ、教えて。どうしてそれがここにあるの?」
「い、いやっ……これはその……えぇと……な、なんでかなぁ? そ、そうだ! きっと雄二の仕業だよ! あいつがいたずらで僕の本棚に入れたんだ! きっとそうに違いない! まったく雄二は子供だなぁ。あはっはははっ……」
アキは嘘を言っている。
落ち着かない様子と視線を逸らす仕草を見て、ウチにもそれが分かった。
ウチは乾いた笑いで誤魔化すアキの目に真剣な眼差しを向けながら訴えかけた。
「アキ。そんな嘘で誤魔化さないで。ウチは真面目に聞いてるの」
「う……ご、ごめん……でもこれはちょっと……」
きっと知らないうちに恩を受けている。
ウチの直感がそう告げている。
どうしても知りたい。
アキが何をしたのか。
なぜ名前の欄に『島由美彼』と書かれた教科書がここにあるのか。
「お願いアキ。教えて」
「ど……どうしても言わなきゃダメ……?」
「言わなかったら一生追求するわ。明日から朝の挨拶は『おはよう、教科書』よ」
「わわわ分かった! 白状しますっ! だからそんな変な挨拶にしないで! あぁもう……恥ずかしいなぁ……あんまり笑わないでよ……?」
ウチは黙って頷いた。