ウチはアキと玲さんに連れられ、帰路に就いた。
歩く道には冬特有の少し強めの風が吹き抜ける。
日は出ているものの、気温は低い。
日本に来て二回目の冬。
ドイツほど寒くはないけど、それでも頬を切るような風はとても冷たい。
去年の今頃はこんな冷たい風に震え、身を縮こませていた。
でも今のウチはそんなことちっとも気にならない。
この二日間でアキから貰った愛。
それをいっぱい、いっぱい胸に詰め込んでいるから。
去年の冬には無かった、こんなにも暖かく、こんなにも幸せな気持ちでいっぱいだから。
それにしてもこの二日間、アキにべったりだったな。
抱っこしてもらって、抱き枕にして。
それでさっきも……。
ウチ、どれだけアキにくっつきたいんだろう……。
……あ。そっか。
きっとこの一ヶ月間、足りなかったのってこれなんだ。
寂しさを感じたり、遠く感じたりしたのって、そういうことなんだ。
ウチ、ずっとこんな風にアキと触れ合いたかったんだ。
どうして忘れていたんだろう……。
これがずっと思い描いていたアキとの毎日だったはずじゃない。
そもそも今まで
確かにもう乱暴しないって誓ったけど、それは触らない理由にはならないはずよね。
ウチが変に臆病になっちゃっただけなのかな。
……
よし。決めた。
明日からはもっとアキに触ろう。
ウチらは付き合ってるんだから遠慮する必要なんてないものね。
でも、だからと言ってずっとくっついてるわけにはいかないわね。
まだ須川たちはアキを狙ってるみたいだし、美春も諦めてないみたいだし……。
どうしようかな……。
「どうしたの? 美波」
「えっ?」
アキに呼び掛けられてようやく気付いた。
並んで歩いていたはずなのに、ウチは二人より数歩遅れて歩いていた。
いけない。いつの間にかこんなに遅れてた。
「なんでもない。ちょっと考え事」
ウチは小走りに駆け寄り、アキに並んだ。
「考え事って? 僕でよければ相談に乗るよ?」
「あ、ううん。いいの。ウチの問題だから」
「問題? あぁ、数学の問題とか? それじゃ僕には無理だね。あははっ」
えっと……そうじゃないんだけどな。
アキったら相変わらずの勘違いね。
まぁいいか。
考え事の内容を教えるわけにもいかないものね。
勉強ということにしておこうかな。
それにしても『相談に乗るよ』なんて、やっぱりアキは優しいな。
これくらい自然に愛の言葉もかけてくれると嬉しいんだけど……。
……
そうだ。この二日間で分かったこと、もうひとつあった。
ひとつは、ウチはもっとアキと触れたくて……もっと近くに感じたかったってこと。
それともうひとつ。
それはアキがものすごく恥ずかしがり屋だってこと。
嘘を言ってウチを誘ったのも。
愛の言葉を口にしないのも。
それは全部恥ずかしかったから。
いつもはバカ正直なアキでも、こういうことだけは素直じゃないんだ。
素直じゃないのはウチだけじゃなかったんだ。
なんか、ちょっと嬉しいかも。ふふ……
でもこういうのは素直に言えるようになってほしいな。
そうじゃないとウチもアキの思ってることが――――
あ……。
そうだった。
ウチ、一カ月前のあの時に変わっちゃダメって言ったんだった。
自分で言ったことと矛盾してるじゃない。
……やっぱりウチってわがままだなぁ。
都合のいい時だけ変わってほしいだなんて……。
ウチは少し罪悪感を感じ、アキの顔色を伺うつもりで隣に視線を送ってみた。
ところがそこにアキの姿は無く、またさっきのように少し前を歩いていた。
あれ……。また遅れちゃってる。
考えながら歩くとすぐこうなっちゃうな……。
そう思いながらも、ウチはそのままぼんやりとアキの後ろ姿を眺めながら歩いた。
アキは玲さんと何やら話しをしている。
でも話している内容はぜんぜん耳に入って来ない。
それはまるで音声の無い無声映画のようで、アキの口の動きのみがウチの目に映っていた。
……
ごめんねアキ。
やっぱりこれだけは変わってほしい。
だ、だってほら、人を好きになることは恥ずかしいことじゃないって玲さんも言ってたし。
ウチもその通りだと思うし。
それにお互いが素直になればきっと、もっと素敵な毎日になると思うから。
でもアキのことだから、ウチが言ってもあの時の約束をバカ真面目に守るんだろうな。
急には変われないというのもあるだろうけど。
う~ん……どうしよう。何かいい方法は……。
っと、いけない。
あんまり考え込んでると置いて行かれちゃう。
今考えるのはやめておこう。
このことは家に戻ってからゆっくり、ね。
ウチは二人に追いつこうと走り出そうとした。
でも足を踏み出した時、ふと目にしたものが気になってその足を止めた。
気になるものとは、アキの左手。
その手は血色悪そうに少し白みがかっていて、とっても冷たそうに見えた。
……アキ、手袋してないんだ。
ウチは自分の手に視線を移し、その手の平をじっと見つめてみた。
ウチの手も寒空の下ですっかり冷えてしまっている。
そういえばウチも手袋してないな。
……
よし……。
ウチは見ていた手に拳を作り、アキに視線を戻した。
そしてアキの手に目標を定めて駆け寄り――――
「捕まえたっ!」
その手を両手で包み込んでやった。
「ん、美波? って! ちょ、ちょっと美波っ……!」
アキは慌てた様子でウチと玲さんを交互に見ている。
玲さんの視線を気にしているみたい。
その玲さんはウチらの行動を見て微笑んでいる。
握ったアキの手は思った通り冷たかった。
ウチは体を寄せ、アキの手を片手に握り直して指を絡ませた。
冷えきったアキの手を暖めるつもりで。
うん。
いい方法を思いついた。
一緒に帰る時の条件を一個加えさせてもらおう。
その条件は……。
──── 一緒に歩く時は必ず手を繋ぐこと ────
これでウチは毎日アキを近くに感じることができる。
それに毎日こうしていれば、アキの恥ずかしいって気持ちも次第に薄れて行くと思う。
早速明日の帰りからこの約束を入れさせてもらおう。
それで、いつか……。
アキが素直に言ってくれるようになったら……。
「アキ」
「うん?」
「Ich moechte mit dir alt werden」
「へ? いっひめひ……なんだって?」
「あら。これはアキくん責任重大ですね」
「え゛っ? なに!? 責任ってなに!?」
「玲さん意味が分かるんですか!?」
「えぇ分かりますよ」
「そっ、そうなん……ですか……」
しまった~……。
まさか玲さんがドイツ語も分かるなんて思ってなかったわ……。
どうしよう……こんなの聞かれちゃうなんて……。
「姉さん、なんて言ったのか僕にも教えてよ」
「あああ玲さんっ! そ、それは――――」
「アキくんが勉強不足だから分からないのですよ? 知りたければ反省して勉強することです」
「えぇ~そんなぁ……。いいよそれなら分からなくたって……(なんだよ、姉さんのケチ)」
「何か言いましたか?」
「いやなんにも!」
あぁよかった……。
玲さん教えるつもりは無いみたいね。
「美波、なんて言ったのか教えてよ」
「えっ!? だっ、ダメよ! 自分で勉強しなさいっ!」
「え~……いいじゃんか教えてくれたってさぁ……」
そんなの教えられるわけないじゃない。
分からないようにドイツ語で言ったんだから。
でも玲さんにはバレちゃったのよね。
あの様子ならアキに教えるなんてことは無いと思うけど……。
黙っててくれるわよね……?
ウチはアキの体越しに玲さんの様子を伺ってみた。
すると玲さんはすぐにウチの視線に気付いたようで、にっこりと微笑みを向けてきた。
その笑顔にウチは愛想笑いを返すしかなかった。
だって、あんな言葉を聞かれて恥ずかしかったから。
いくら好きって気持ちは恥ずかしいことじゃないって言っても、これはさすがに恥ずかしいわ……。
……
でも────
「アキくん、早く一人前にならないといけませんね」
「へっ? 一人前? どういうこと?」
「内緒です」
「もう……なんだよさっきから責任とか一人前とかってさ……。僕、なんか悪いことしたっけ?」
いいか。
アキは分かってないみたいだし。
「「ふふ……」」
うん。
今はこれでいい。
それで……。
(アキが一人前になったら……)
「ん、なに? 美波」
「ううん! なんでもないっ!」
アキが一人前になって、責任が取れるようになったら……。
日本語で。
「アキ、早く責任取れるようになってね」
「だからその責任ってなんなのさ!」
「ふふ……なーいしょっ」
『ウチと彼と深層心理』
── 終 ──
最後に作中のドイツ語について補足しておきます。
Ich イッヒ
moechte メヒテ
mit ミット
dir ディーア
alt アルト
werden ヴェアデン
プロポーズのような言葉と思ってください。
妄想にお付き合いいただきまして、ありがとうございました。