あるいは、一つの選択の結果と、救いのお話
「……すまない、黒服。私は、貴方の手を取るわけにはいかない」
まるで永遠にも思える数秒の後、先生は拒絶の言葉を口にした。
「……理由を、お聞きしてもいいでしょうか。これまでの貴方ならば、きっとこの提案には乗ったと思うのですが。信頼度の話、でしょうか?」
「…………」
正しく、先生の胸中にはいくつもの感情が渦巻いている。これで本当にいいのかと悩みもしている。
わざわざ言葉に起こすまでもなく、迷いを抱いてはいるのだ。
けれども。
それでも。
「違うよ、黒服。たとえ誰が提案していたとしても……私は先生であるからこそ博打を打つわけにはいかないんだ。彼がその命を、自身の全てを擲って創り上げた世界を託されたからこそ」
彼の最期をこのままにしていいのか。
もっと幸せな結末をあげられるんじゃないのか。
何よりも、ここまで頑張った彼はもっと報われるべきなんじゃないのか。
その胸中では、いくつもの思考が叫んでいる。
外に出せない心の代わりに悲鳴を上げるみたいに。
しかし、それでも、先生が口にした言葉が全てなのだ。
「あの子は、文字通りに何もかもを差し出して……その命も、人として幸せに生きられたかもしれない可能性も、その先に続く未来も、何もかもを懸けてこの世界を創ったんだ。ユメが生きていて、リオが罪を背負わずにミレニアムにいられて、ミカも苦しまないでティーパーティーに残れて、サオリ達だって各地を転々とするよりもよっぽど幸せだ。もう一人のシロコやプレナパテスだって…………」
青年が『知識』として有していた世界との差異は、いくつも存在する。
けれども共通しているのは、どれもが良い変化ばかりだという事だ。
「……そう。だからこそ、この世界の明日を託されたからこそ、私は博打を打つわけにはいかない。きっと、彼を蘇らせられるのならそれが一番なんだろう。でも、それが失敗したら?」
「…………」
「これは、別に貴方を問い詰めようだとか、そんな意図は無いんだ。貴方は貴方なりに彼を想って行動してくれているんだろうってことも、分かってる。それでも、私は彼の遺した世界を私のエゴで壊すことはできない。赦されない」
はっきりと響いた戒めの言葉は、茫洋とした夜空に呑み込まれるように。
溶けて消えた音は、どこか空虚にも。
けれども、これが先生に出せる最大なのだ。
やろうと思えば、他にもいくつも言葉を弄する事はできた。
例えば、その蘇生は本当に彼の幸せに繋がるのか、とか。
死んだ人間は蘇らないという世界の理に背いてもいいのか、だとか。
命の価値が軽くなってしまうのではないか、とか。
もっと空虚で、そしてもっと耳触りの良い御為倒しを口にすることはできたのだ。
それをしなかったのは、偏に彼が黒服に真摯であろうと思ったからであり、そして何よりもそこにまで堕ちたくはないという矜持故であり。
だからこそ先生は、酷く顔を歪めながらも拒絶を口にするのだ。
「きっと、これまでの私なら迷わずに貴方の提案に乗っていた。奇跡を諦めなかった。でも、これだけは別なんだ」
再度、顔は下を向いて。
沈み込むように、あるいは込み上げるものから目を逸らせずにいるように。
「ここで最善の可能性を諦めたことを、きっと私は生涯後悔する。でも、それでも……あの子はもう死んでしまったんだ。だからこそ、ここで私が私のエゴで失敗したなら合わせる顔が無くなる。彼の過去の何もかもが台無しになる。それは、何よりも赦されざる行いだ」
「…………そう、ですか」
重く息を吐いて、黒服は答えた。
先生の言葉に間違いは無い。どこまでも正しい言葉だけで、想いだけで構成されている。
それが理解できたからこそ……先生が自分にも理解できる選択を行ったからこそ。
黒服は、くすんでしまった星を見るみたく目を細めて。
「それでは、この話はここまでで。私は退散させていただきますね。ああ、ご安心ください、この件については絶対に他言しませんから」
「ごめんね、黒服」
「いえ。選択は貴方に委ねました。ならば、そこに私が何かを言うのはおかしいことでしょう」
そうとだけ言葉を残して、黒服は二度と振り返らずに暗闇へ消えていった。
一人ブランコに座る先生は、いつまでも地面を見下ろしていた。
────────
カチ、カチ、と針の動く音が鳴る。
一定のリズムを崩さずに時の経過を告げるその音は、否応なしに世界の無情さを連想させる。
「……今日もいい天気だよ、アヤトさん」
窓から覗く青空を見上げて、桃髪の少女は呟いた。
透き通った青色は、ポツポツと浮かぶように漂う雲も相まって穏やかな様相だ。嵐の過ぎ去った後のような雰囲気は、誰かが望んだ通りのようにおっとりとしていた。
ポツリとした響きは、しかし伽藍洞な教室では嫌に目立つ。弱まりながらもたしかに耳朶を震わせた残響に、少女は顔をしかめた。
時刻は昼過ぎ。
青年がその命を使い切って旅立ってから、3日目となる日の事であった。
「……ホシノ先輩、ここにいたんだ」
昼寝をするでもなく、ただ空を見上げ続ける桃髪の少女。
どこか瞳から雫を溢れさせないために堪えているようにも映る彼女へと、声をかける少女がいた。
銀灰色の髪に狼の耳、そして水色のマフラー。
それらの特徴が差す人物は、すなわち元々この世界にいた砂狼シロコである。先輩であるホシノを探していた彼女は、目当ての人物へと慎重に声をかけた。
「シロコちゃん? どうしたの──って、ああ、そっか。会議の時間だっけ」
「そう、だけど。でも、もし辛いようなら…………」
「私は辛くなんてないよ。……っと、あー、ほら、別に怪我も何もないしさ。五体満足、おじさんは健康体そのものだから、ね?」
いつも通りに見えて、その実メッキは容易く剥がれてしまう。
下側に覗くのは、深く重いもの。
黒くて、濁っていて、背負った体を押し潰してしまいそうで。それでいて、迂闊に外から触れることはできない。
地雷にも思えてしまうソレこそが、小鳥遊ホシノという少女を苛んでいる物の正体だ。
それを受けてシロコが口を噤んでしまったのは、偏にここまで弱ったホシノを見たことが無かったからだ。
もちろん、それ以外にも要因はある。そもそも何故ここまで彼女が思いつめているのかを共有されていないから、というのが一番大きいが、それ以外にもどう言葉をかけるべきか分からないというのもあった。
けれども、いつまでもこのままでは良くないと覚悟を決めると、シロコは一歩を踏み出した。
「ホシノ先輩。無理、しないで。今の先輩は、ずっと息を止めてるみたいに見える」
遠回しながらも核心へと踏み込む言葉は、発砲音にも似た明瞭さで。
二人ぼっちの教室に、はっきりと響き渡った。
「…………」
有事の際にしか見せない鋭さを覗かせて、ホシノは固まっている。
見開かれた目に浮かび上がるのは、いかなる色か。身を灼くような熱か、何もかもを吞み込むような深さか、あるいはどう足掻いても消えようのない黒色か。
混ざり合って混沌としたソレは、その瞳からハイライトを消し去って。
じっとりと、重く纏わりつくような沈黙が周囲を満たした。
そうして、どちらもが何も話さずに30秒が経過して、ようやくホシノの方が口を開く。
「シロコちゃん。心配してくれてるのは嬉しいけど……違うんだよ。だって、私は笑ってないと駄目なんだから。幸せにならなくちゃ駄目なんだから」
その身を蝕む呪詛を口にした少女は、無理矢理に頬を吊り上げた。
言葉で表現するのであれば、能面に笑顔を貼り付けたような、だろうか。酷く歪で、そして痛々しい表情であった。
「……っ、ホシノ先輩! そのままじゃ────」
「────シロコちゃん。私はシロコちゃんの先輩でありたいの。それ以上は、やめて」
その見ていられない姿に二の句を継ごうとして、けれども割り込むように拒絶されてしまって。
シロコは、ギュッと唇を噛んで肩を落とした。僅かにその身が震えているのは、抑えきれない感情の表れなのだろう。
「……ごめんね、シロコちゃん。先、行っといてくれる? もうちょっとしたら私も行くから」
「…………分かった。色々と踏み込みすぎた、ごめん」
「ううん。私の方こそ、ごめんね。大丈夫、きっとすぐに前みたいに戻すからさ」
シロコが踵を返した事で、教室は再び一人ぼっちになる。シンとした静寂は、圧し掛かるようにも、慰めるようにも。
窓の外は、変わらずに青く透き通っていた。
────────
場所は少しだけ移って、対策委員会の部室。
ガラガラと横開き戸を鳴らしたシロコに、腰を上げるように室内の3人が顔を向ける。
「シロコ先輩……その、どうだった?」
「駄目だった」
おずおずと口火を切ったセリカの問いには、端的な答えが。
ふるふると首を振りながらのソレは、何かに抑えつけられたみたいな平坦さで室内に響き渡った。
いや、事実としてそれは抑えつけられた結果なのだろう。
きつく握られたシロコの左手からは、血が滴りつつあった。
「……もう、どうしちゃったっていうのよ。ホシノ先輩」
「ユメさんが起きた時は、こんなではなかったですよね…………」
「……そう、ですね。可能性があるとすれば、それはやはり」
セリカ、アヤネ、ノノミの順で会話は巡り、そうしてある人物の姿が全員の脳裏に過ぎる。
黒ずくめのその人は、今はもういなくなってしまった存在。色々な自治区を渡り歩いて、好き勝手に救って好き勝手に旅立って逝った青年。
「……でも、マクガフィンさんが死んでしまったのは」
「ホシノ先輩が箱舟から送り返された日、ですよね」
一同の疑問は、シロコとノノミの言葉に詰まっていた。
そう、もしマクガフィンの死を引きずっているのであれば、一時持ち直すようになっていた事の説明が付かないのだ。それはつまり、逆説的にそれ以外の要因が存在していることを表している。
「ホシノ先輩がああなった日……そういえば、先生がいらしていたのもその日でしたっけ」
「ん、たしかそうだったはず」
「ついでに言うと、もう一人のシロコ先輩とプレナパテスさんが来た日でもあったはずだけど」
「……あれ? あの日、そういえば途中からホシノ先輩の姿を全く見ていない気が」
推測は進み、少しずつ真実へと近付いて。
けれども、核心的な情報が無いからこそ、最後まで辿り着く事もまた無く。
「ユメさんもどっか行ってばっかりだし、もう……」
「……とにかく、会議を始めましょう。こういう時こそ、私たちがしっかりしないと」
「そうですね、アヤネちゃん」
「ん。たしか議題は、色彩の襲来で荒れた廃墟地区をどうするかだったっけ」
「はい。まず────」
やきもきとした感覚に少しずつ身を焼かれるようにしながらも、少女たちはできることをしようとするのであった。
────────
そうして太陽が沈んで、その日も一日が終わろうとしていた頃。
アビドス郊外の廃墟地区を、切れ切れになる息も気にせずに駆ける少女がいた。
ここ数日の間、毎日のようにとある廃ビルにまで探し物をしに行っていた少女の名は、梔子ユメ。
とある青年が念のために遺していた物をずっと探し求めていた、浅葱色の髪の少女である。
「あった……! あった!!」
うわ言のように同じ言葉を呟きながら、少女は全力で駆け続ける。
がむしゃらに動かされる手足は、掴めないモノを追い求めるようにも。その顔が歪んでいるのは、きっと全力疾走による息切れだけが原因ではない。
まるで何かに急き立てられているかのように、必死さをこれでもかと出しながら少女は走る。
「待ってて、ホシノちゃん……!」
胸元に抱かれているのは、黒地に白で梔子の華が描かれたシンプルな文箱と、中から一通だけ取り出された浅葱色の便箋。
内側には、まだ二通分の手紙が残されている。
すなわち、青年がもしかすれば傷を残してしまうかもしれないと思った相手へと宛てた手紙であった。
計三通のそれは、それぞれ宛て先となる相手を示す封筒に収められている。
一つは、少女がその手に握る浅葱色の封筒に。
もう一つは、曙色が夜明けの陽みたく描かれた群青色の封筒に。
そして最後の一つは、桃色の封筒に。
とめどなく流れ落ちる涙を拭いもせずに残しながら、少女はひた走る。
向かう先はアビドス本館。
きっとまだ、思い悩み苦しむ一人の少女がいる場所。
────────
夕暮れ時は通り過ぎ、疾うに過ぎ。
寒々しい夜空に月が白色の穴をぽっかりと空けているのを眺めて、少女がぽつりと呟く。
「……もう、帰らなくちゃな」
呆然と、茫洋と、言葉は響く。
後輩たちが帰路に就き、人気がなくなってから久しい校舎には、その音は贅沢過ぎるほどに目立った。
「……はぁ」
少女自身も、今のままではいけないと理解している。
恩人たる青年の望んだ姿とは程遠いのだから、当然だ。しかし、そんな信念だけで乗り越えられるほど感情は容易くはない。
漏れるように零れ出た溜息は、夜空に吸い込まれるように。
開けられた窓から入り込む夜の空気は、どうしてか暖かいぐらいだった。それこそ、誰かが寄り添おうとしているかのように。
(……ほんと、みっともないよね。そんな妄想に浸るだなんて)
脳内に浮かび上がった言葉を、首を振ることで少女は追い払う。
俯くように唇を引き結ぶ姿は、宵闇に呑み込まれてしまいそうなぐらいに弱々しい。しかし、そんな彼女の鼓膜が、かすかな変化を捉えた。
彼女自身の呼吸音でも、時計の針の音でも、ましてや環境音でもない。
表現するのであれば、紙飛行機だろうか。風を切るような音が、遠くから近付いてくる。
「…………何?」
思わず内心の疑問が言葉にまで成長してしまって、その呟きが耳朶を叩いて。
首を傾げた少女の視線の先に、遂に音の原因が見えた。浅葱色の点のように映るソレは、夜空の星とはまた違う質感だ。
いや、というよりそれは物ではなく────
「────は? ユメ先輩!? えっ、なっ、どっ、何してんの!?」
まん丸に見開かれた目には、少し前までの夜空を眺めていたような細さは残っていない。ただひたすらに、信じられない物を見たみたく瞠目している。
(いやいや何これ! なんでユメ先輩が空飛んでんの!? もしかして夢──いった! だよね違うよね!?)
頬を自分でつねって、それで自分で顔をしかめる少女。
力加減を失敗したのか、その柔らかな頬は少しだけ赤くなっている。
「ホシノちゃぁぁぁああああん! う、受け止めてぇぇぇええ!」
「いやそもそもどういう状況なの!?」
そもそも、人間は空を飛ばない。
一部の翼を持つ子どもならともかく、人は空を飛ばないのだ。約一名、そんな常識を鼻で笑うように神秘で翼を創っていた青年もいたが、人間に空は飛べないのだ。
だがしかし、浅葱色の少女が──つまりは梔子ユメが空を飛んでいることは間違いない現実であり。つまりそれは、彼女が青年の真似をしようとして失敗したという事なのだろう。
pathを通じて何度も見ていたからこその『まあ私にもできるだろう』という挑戦は、結果として高く付いたワケだ。
幸いであったのは、ホシノが気まぐれに窓を開けて夜風を浴びていた事だろうか。
結果として、少女は窓ガラスに衝突することはなかった。
「うわぁぁああ!?」
「きゃあっ!?」
……代わりに、と言っていいのかは怪しいが。
ユメはその勢いを一切緩めずに、ホシノへと全速力で衝突したのだが。
がしゃーん、とテンプレートの効果音みたいな音を立てて、二人の少女が吹き飛ぶ。
室内であるからか幾分マシにはなっているものの、砂埃が立ち込めた。
「いたた……じゃなくて! ユメ先輩!? どうしたの!?」
「あ、あはは……ごめんね。ちょ~っとだけ、制御に失敗しちゃったみたいで」
「…………“ちょっと”?」
じとーっと、湿度の高い視線。
相手の言葉を反芻する内容は、分かりやすくその内心を告げていた。
「うっ……かなり、失敗しました」
「はぁ、ですよね。あれが“ちょっと”だったらユメ先輩の価値観を疑わないと駄目になってましたよ」
「ひぃん……ご、ごめんね?」
「……まあ、いいですよ。結果的には、誰も怪我していないわけですし」
いつかの日々を思い起こすような展開によるものか。
ふいっと目を逸らした少女の口調が、おっとりとした今の調子ではなく、昔の固い敬語調のソレに戻る。
そんな彼女の姿を見て、少しだけ相好を崩すと、梔子ユメは懐から文箱を取り出した。
「ホシノちゃん、これ。読んで?」
「……手紙?」
中から差し出されたのは、桃色の封筒に包まれた一通の手紙。
すなわち────
「────あの子の。アヤト君の遺した、ホシノちゃんに宛てての手紙」
「…………っ!」
ハッと鳴り響いたのは、息を呑む音か。
先とはまた別の感情で目を見開く少女の瞳には、いくつもの想いが揺れていた。
────────
「…………」
手紙を渡してユメが立ち去ったことで、再び一人になった教室で。
浅い呼吸を繰り返して、少女は封筒を開いた。
内側に収められていた便箋に、記されていたのは。
拝啓、小鳥遊ホシノさんへ
いかがお過ごしでしょうか。
おそらくこれをあなたが読んでいるという事は、私はもう消え去った後なのでしょう。そして、ユメ先輩がこの手紙を渡す程度には、あなたは苦しんでいるのでしょう。
だから、まずはこの言葉を贈らさせてもらいます。
私の選択を、歴程を、勝手に背負わないでください。どれだけ外部からの影響があったのだとしても、これは私が自分自身で考えて、そして納得して選び取った物です。
一度言いましたが、たとえあなたであっても、それを私から奪い去るのは許しません。これこそが、私なんです。
これを書いてからあなたと話をするのか、するとしてどんなことを話すのか。分からないのであえて明記しておきます。私は、この生涯に後悔していません。この終わり方に、心から満足しています。
だから──あなたのせいじゃないんです、ホシノ。
何があっても、あなたが罪に思う必要はないんです。
たとえ誰がどう言おうと、誰でもない私が断言します。あなたは悪くない。あなたのせいじゃない。
だから、苦しまないでください。悲しんでもらえるのは嬉しいですけど、でも、きっと前を向いてください。
私は、あなたの笑顔が好きなんです。
太陽に照らされて、柔らかく緩むみたいにはにかむ。そんなあなたの笑顔が。
もし一人で乗り越えられないなら、周りを頼ってください。
あなたの周りには、たくさんの人がいます。対策委員会の後輩たちも、先生も、そしてユメ先輩も。きっと、力を貸してくれます。
いつかあなたが言っていたように、人は一人では生きていけないんです。だから一人で抱え込まないで、周りを頼ってください。
……もしかしたらあなたは、私を一人にしてしまったと思っているのかもしれませんが。実のところ、私だって一人ぼっちではなかったんです。
それに、途中からはあなたも手を差し伸べてくれたでしょう? それを拒絶した私が何を言うのか、という感じでもありますが、それだけで私には十分過ぎたんです。
あなたが、私は一人ぼっちではないのだと気付かせてくれたんです。
それに、ユメ先輩が生きていることを知ることができたのも、あなたのおかげなんです。これは皮肉でも嫌味でもない、純粋な感謝です。
ありがとう、ホシノ。
そう。全て、あなたのおかげなんです。
私が敵に、悪役に徹しないでもいいと教えてくれたから、色彩の襲来ではもっと子ども達のために戦うことができました。
あなたが赦してくれたから、素直に子ども達のために戦えたんです。
だからきっと、私がするべきは謝罪じゃなくて感謝だったんでしょう。
今になっては遅いかもしれませんが……本当にありがとう、ホシノ。あなたのおかげで、私は最後の最後で幸せを見つけることができました。
きっとあなたがいなければ、私は最期まで自分を呪い続けていたはずです。そこに幸せを、前向きな何かをくれたのは、誰でもないあなたなんです。
本当に、ありがとうございました。
だから、笑ってください。
あなたは、悲劇に塗れた私の歴程に光を与えてくれたんです。私の人生に、幸福の色を付けてくれたんです。私に……罪悪感なんかに縛られないで、自由に生きてください。
きっと、あなたにならできるはずです。
緩いようで誰よりも強くて、かっこよくて、周りの事を考えられて……そして何よりも綺麗なあなたになら。不安定な脆さの消えたあなたなら、きっと大丈夫です。
……正直、あなたに宛てるならいつまでも文を書いていられそうですが、これ以上は無意味に長くなってしまうだけだと思うので。
この辺りで、締めさせてもらいます。
最後は、この言葉で。
どうか、あなたの行く先に、これからも続くその未来に。最大限の幸が、有らんことを。
「うっ……ううっ…………」
頬を伝い落ちる雫は、宝石のように光を反射して。
どこまでもまっすぐに伝えられた青年の想いは、少女の呪いをゆっくりと解くように。
嗚咽を漏らす少女は、読み終えた手紙をぎゅっと胸に抱きしめた。
皺が入らないように、けれどもしっかりと力を入れて。
何よりも大切に、幼子が宝物を抱えるように。
その温かさは、毒だった。
その優しさは、毒だった。
その柔らかさは、毒だった。
抱え込んだ、背負い込んだ黒く濁った罪を、溶かして解いてしまうようだったから。
それで救われてしまう自分が、酷く浅ましいようだったから。
(でも……きっと、あの人の望みは。それなんだよね)
救われたくない自分と、救いを望むあの人と、そして救われたい心と。
絡み合って、混ざり合って、それは雫となって瞳から溢れる。
きらきらと。
さらさらと。
流れ出て、流れ落ちて、流れ去って。
軽くなっていく心に、少女はひどく
「流れ、星……?」
きらりと夜空に光を残すのは、箒星の軌跡。
それがいくつも、無数に流れていく。流星群のようにも映るソレは、けれども本来ならばありえないもの。だって、この時期に流星群など見えるはずがないのだから。
「きれい……」
思わず、少女は言葉を零す。
潤んだ瞳に光を反射する流れ星は、どこかへ向かうように夜空を進んで行く。
────まるで、もう帰らない誰かのように。
「…………っ、もしかして」
そこまで思考が行き着いて、少女は弾かれたように駆け出した。
そこに論理的な筋道はなく、言うなれば直感による産物である。けれども、どうしてか彼女には確信できたのだ。
きっとあの場所に行くべきだ、と。
向かう先は、小鳥遊ホシノが初めて薪浪彩土と出会った場所。
数少ない、青年がこの世界を生きていたのだと証明する明確な
すなわち──砂に埋もれた、旧校舎。
「早く……急がなきゃ」
段々と白みはじめた空は、夜明けが近いことを示している。
けれども、そんな空を箒星たちは変わらず降り注いでいた。
夜闇が薄れても見える光は、燃え尽きる寸前に強く火を輝かせる蝋燭のようにも。
それを見上げながら、少女は駆ける。
そうして見えてきた旧校舎の近く、今なお砂面に黒々と刻まれていた青年の痕跡は。
「────あ」
眩いぐらいに、光を放っていた。
否、それはその場所だけでなく。
例えばそれは、アビドス郊外の廃ビルであり。
ミレニアムの要塞都市、エリドゥであり。
トリニティの自治区端にある通功の古聖堂であり。
アリウス分校にあるバシリカ跡地であり。
関連性などないようにすら思える各地で、しかし青年がその痕跡をどこかしらに遺していた各地で。
光が、溢れ出ていた。
それはやはり、消え行く灯が最期に精一杯輝くように。
その地に遺された神秘を使い切るように、光は放たれていた。
「……そっか。本当に、逝っちゃうんだね」
再度、その瞳が水気を帯びて。
くしゃくしゃに、顔が歪められて。
けれども、少女は納得の言葉を呟いた。
「うん。分かった。私は、生きていくよ。あなたの遺してくれた世界で、あなたの分まで。だから、見ていて」
光が差す。
太陽が、昇り始める。
いよいよ、夜が明ける。
その光に照らされるようにして、少女はけれども声を震えさせずに。
はっきりと、言の葉を紡いだ。
ふと、そこで気付く。
光を放つ砂面の中に、一つだけ種類の違う白色が混じっていることに。
「────っ! ああ、もう。折角、泣かないようにしようと思ったのに」
少しだけ屈むようにして取り上げたのは、光で編まれたブライダルベールの花。
その花言葉は、“幸せを願う”。
そして────“鮮やかな人”。
どこまでも
改めて少女は雫を溢れさせて、そして少しだけはにかむ。
「私は生きていく。きっと幸せになってみせる。あなたの分まで」
やがて、太陽が完全に昇り切って。
箒星は空から旅立って、砂面も元の砂色の地平へと戻った。いよいよ、青年の痕跡は世界から消え去ったのだ。
けれども。
その中でも確かに残った一輪の花を、桃色の便箋と一緒に抱きしめて、少女は宣言する。
「でも、あなたの事は忘れてあげない! あなたの遺した罪悪感は、一生引きずってやる! 一生、これからずっと!!」
その苦い感情もまた、彼の遺したものであるからこそ。
大切に抱きしめて、少女は叫ぶのだ。
「きっとそうすれば、あなたは死なない!」
人が真に死ぬときとは、誰からも忘れ去られたときだと言う。
ならば、きっと薪浪彩土は生き続けるのだろう。
苦くて、甘くて、柔らかくて、突き刺すようで、優しくて、残酷な。
そんな少女の感情と一緒に。
「ずっと背負って、その上で幸せになってみせる! だから────」
涙は流し切った。
もう、その顔に無理のするような色は残っていない。全て、青年が拭い去っていったから。
だからこその表情で、小鳥遊ホシノは言い切った。
「────だから、さようなら! ありがとう、アヤトさん!!」
返事はなく、けれども温かな風が吹き抜けて。
それが背中を押すように、少女には感じられて。
だから、一歩を踏み出す。
遺された物はある。
傷も、痛みも、幸福も、祈りも。たくさんある。
過去には、いつまでも縛られてはいられない。
世界は変わらずに回り続けるのだから。陽が沈んで、また昇って。時には雨が降って、虹がかかって。
それは残酷なようで、それでいて慈悲深いようで。褪せているようで、美しくもあって。
流れ続ける時は、全てを平等に過去のものへと変えてしまう。
「でも、残るものはある。きっとどこかに。そして、どこかへと」
託して、託されて。
繋いで、繋げられて。
コクリと頷くと、小鳥遊ホシノはアビドス本館への帰路に就く。
小さなその背は、しかしどこまでも大きくて、そして眩しくて。
「……ばいばい」
最期の声は、風に流されるように空へと溶けた。
青くて、透き通っていて、どこまでも気持ちのいい青空に。
新しい少女たちの一日が、始まった。
~fin~
これにて、一つの幕引きと相成ります。
ありがとうございました。