【書籍化】人類滅亡寸前ゲーム世界で自分を犠牲に敵を倒してたら、みんなが病んでいた 作:雨雲ばいう
「あ、いや、これはすまない……。断りも入れずに棚をのぞいたオレに罪がある」
イングラシウスの唇がわなわなと震える。脇に飛び退いて慌てて言い訳を口にし出したオレに、ふらふらと歩みよってきた。
そのまま崩れ落ちる。
イングラシウスは脅えた瞳でひたすらに祈るようにオレの足にすがりついた。その顔は鼻水でぐちゃぐちゃで、まるでなにかが壊れてしまったようだ。
驚いたオレはしゃがみこんでイングラシウスと目をあわせようとする。
「おい、いったいどうしたんだ」
だが、イングラシウスはびくりと肩を震わせると、その額を床にこすりつけるようにして土下座をしだした。その唇はずっと昨夜のあの聖書の一節を唱えている。
とにかく話ができなければなにもわからない。
オレは机の上のスケッチブックを手にとってどうにかイングラシウスに渡そうとする。しかしずっと額を冷たい石の床にこすりつけるばかりで目もくれない。
オレは思いきってイングラシウスを力づくで起こした。
「頼む、いったいオレになにをして欲しいのか教えてくれ」
肩をつかんで、まっすぐな瞳でイングラシウスをみつめる。泣きじゃくりながら、イングラシウスはようやく鉛筆を手にとった。
ようやくだ、十数日ぶりにようやくイングラシウスと話ができる。
のろのろとしたイングラシウスの筆は実に遅いが、それでもオレの望みがようやく叶ったのだ。オレはすこし嬉しかった。
『オユルシヲ。ザイニンニ、バツヲ』
震える字は、オレからの裁きを求めるような悲痛さがこめられていた。
許しとか罪人とか、いったいなんのことだ。あいにくサリウス教の説法は寝てばかりでろくに聞いたことがないのだ。
オレがとまどっていると、イングラシウスの瞳が絶望にそまる。
『ユルシテクダサラナイノデスカ、バッシテクダサラナイノデスカ』
「いや、そんなことをいきなり聞かれても思いつかんと言うかだな」
イングラシウスが頭をかきむしり、その口を叫ぶように大きくひらけた。巨大な雫がその瞳からボロボロとこぼれ落ちていく。
ヒュー、ヒューと喉から風の音が聞こえた。
それはまさしく胸をえぐられるほどの苦痛にもだえる罪人のようで、そのあまりもの激しさにそのまま死んでしまうのではないかと思わせるほどであった。
『ミステラレタ、ミステラレタ、ミステラレタ』
なにを問いかけても、スケッチブックに書きこまれるのはそれだけ。
そんなイングラシウスにオレのほうが泣きそうだった。戦地でこうなってしまった兵はいくらでも目にしてきたのだ、その末路もよく知っている。
人の心は、思っているよりも壊れやすいものなのだ。
イングラシウスとは長いつきあいだ。イスファーナやアルハンゼン先生とはあまり話をしなかったぶん、パーティーでは親しくしていたほうでもある。
ともに笑い、嘆き、地獄の戦いを生き残ってきた。
オレだって情というものがある。戦地から逃げて銃後で安穏と暮らしたいとはいっても、イングラシウスにはもちろん生きて欲しかった。
だから、思わず口がすべってしまう。いや、メンバーを救うためにはこれぐらいどうということはない、後悔などなかった。
「わかった! イングラシウスがやりたいことをすればいい、それで罪を許してやるから!」
オレの言葉に、イングラシウスが暗い瞳をむける。
「思ったことをすればいい、君が思うがままに罪をあがなえばいい。だから、もう罪とやらで己を責めるのはやめろ。それでいいな」
イングラシウスの気をひけたことに胸をなで下ろしながら、そう言い聞かせる。やがてこくりと頷いたのを目にして、オレはほっと息をついた。
これでいいのだ、これで。
イングラシウスがなんの罪に苦しめられているのかは知らない。だがこれでいつもの聖人のような牧師が帰ってきてくれるはずだ。
「は、なにをして……」
だが、その考えはあまりにも甘かった。
ぱさりと音をたてて布が床に落ちる。カソックを脱ぎすてたイングラシウスはそのまま下のシャツに手をかけた。
悲しげな、しかしどこか嬉しそうな顔でボタンをはずしていく。
オレはイングラシウスの己の罪とやらをつぐなおうとしている手段に思いあたって慌ててとめようと手をのばす。
しかし、イングラシウスの瞳がまた絶望の黒にそまるのを目にして、歯ぎしりしながら腕を降ろした。ほの暗い喜びをうかべた笑みの下でまた布がはらりと落ちる。
イングラシウスはまるでガラスの彫像のようであった。
すこしでも指をふれてしまえば、逆らってしまえば、あっというまに粉々に砕け散ってしまう。そんなはかなさに、オレはどうしようもできない。
白雪のような肌がどんどんと露わになる。脂のひとつもない、むしろやせて気がかりなぐらいなほどのその身が露わになる。
やがて下着だけになったイングラシウスがオレの手をとった。
思わず後ずさってしまいそうになるのをこらえて、しかしどうしていいのかわからなくて、オレはただイングラシウスに従ってしまう。
こんなことはどこかが違っている、まったく正しくない。
だというのに、どうやってイングラシウスを傷つけずに断ればいいのか思いつかなくて、オレはそのままベッドに倒された。
ゆがんだオレの顔を目にして、馬乗りのイングラシウスが悲しげにほほ笑む。
そして、泣きながらその唇をゆっくりと降ろしてきた。オレは瞳を閉じ、どこで違えてしまったのか後悔に苦しめられる。
こんなことにならずにすんだはずだ、オレがもっと賢ければ……。
「おい、牧師。獣のように盛るとは、そこまで馬鹿になりさがったか」
そうして、オレとイングラシウスの口が重なろうとしたその時だった。ゴーンと音がしていきなり気を失ったイングラシウスがオレにもたれかかってくる。
オレが目をあけると、そこにはあきれた顔で夕食のトレイをふり降ろしたままのイスファーナがいた。
◆◆◆◆◆
「貴様は天才たるわたしの上官、つまりはわたしのモノなのだ。たかが牧師にされるがままなど許されるはずがないだろう」
「イスファーナ……! ありがとう!」
「っ、こっここではひっつくなこの凡人が!」
後すこしでとりかえしのつかないところだった、オレはイスファーナの助けに思わずその足にすがりつく。顔を赤くしたイスファーナはオレの頭をポコポコ殴った。
「……ごほん。とにかくイングラシウスが気を失っている今のうちに話をしておく」
そまった頬を隠しながら、イスファーナが厳しい顔をする。
イングラシウスはそのまま深い眠りについたようだった。だが、悪夢にでもうなされているのか顔がゆがんでいる。
そんなイングラシウスに目をやりながら、イスファーナが口をひらいた。
「貴様、あの牧師がいったいどういう道を歩んできたかは知っているだろう。あの妖精よりも馬鹿げた人の業を、サリウス教の罪を」
イスファーナがなにを語っているのかはすぐにわかった。
オレがイングラシウスと会ったあの時のことだ。あの、人のなしたこととは思えない残虐で吐き気を催す惨劇のことだ。
「あれが、いったいどうした」
拳に思わず力が入った。
イングラシウスは、ほかの人とくらべてかなり悲惨な生まれをしている。だから、オレはいつかそんな昔など笑い飛ばせるぐらい幸せになって欲しかった。
オレがイングラシウスと親しくしていたのも、実はそれが訳のひとつである。
メンバーのなかでもイングラシウスとについてはオレもいろいろと甘くしてしまっているのは気がついているし、正そうとも思わなかった。
そのおかげで、イングラシウスも笑えるようになったはずだ、あの惨劇を越えられたはずだ。
「馬鹿が、そんなに易いことではないだろう。牧師はいまだあの地獄に囚われている。その呪縛はこれからどれだけ生きたところで逃れることはできない」
だが、イスファーナはそんなオレの考えを笑った。どこかナイーブなオレの思いこみをつぶしていく。
「貴様は気がつかなかんだかもしれんが、牧師はいつも己を傷つけていた。あのいきすぎた優しさもまた、己の罪の思いがなすものよ」
思いあたるところはたくさんあった。
いつだってイングラシウスは戦地で先陣をきろうとする。人助けのためには己が傷つくことなど、たとえそれが骨折であろうと、ためらわない。
ただ、オレがそれから目を背けていただけだ。
「気に食わんが、天才たるわたしであってもあの牧師は救えん」
イスファーナがまっすぐにオレの瞳をみつめてくる。
「救うことができるのは貴様だけだ。貴様があの牧師を縛りつけねば、その命はないものと知れ」
わかっていた、わかっていたとも。ここ数日で、イングラシウスの昔に踏みこまねば救うなど笑い話だということを。
すでにオレには退路などなかったのだ。