【書籍化】人類滅亡寸前ゲーム世界で自分を犠牲に敵を倒してたら、みんなが病んでいた 作:雨雲ばいう
このごろ、オグダネル城跡には息がつまるような、なんとも言い難い恐怖が漂っていた。
妖精の猛攻があったとか、狩人たちがどんどん戦死しているとかではない。
むしろその逆だった。
オグダネル城跡目がけて駆けてくる妖精の数は日を重ねるごとに小さくなっている。妖精たちが森の奥へと退いていく姿さえあった。
これまでずっと鳴り響いていた大砲も、このごろは黙りこんでいる。暇をもてあました兵には、戦地でトランプなどの遊びに興じる者すらいた。
だが、誰も喜んでなどいなかった。むしろ、脅えていた。
なぜなら、知っているのだ。かつてもこのように妖精たちの攻勢が静まったことがあったと、そしてその後になにがあったかを知っているのだ。
はるか千年も昔、戦争が始まったころから、ひとつの言い伝えがある。
いわく、この世にはひとり妖精と言えるかも疑わしい妖精がいる。
いわく、いかなる勇者でもその妖精と戦えば殺されてしまう。
いわく、その者が現れる時は妖精すらも恐れ、逃げていく。
それは迷信などではないことを、人類は数えきれないほど学んできた。人の心に飢えている妖精がそれでも逃げるその時こそ、ほんとうに恐ろしいのだと。
すべて星天の妖精の訪れを告げているのだと、誰もが気づいていた。
オグダネル城跡から銃後へと、数えきれないほどのトロッコが転がっていく。兵や武器を積んだそのトロッコは後ろの防衛線へと運ばれていた。
これはアグラシュタインの命である。
狩人のほかはこのオグダネル城跡に兵を一人たりとも残さない。それが軍の作戦であった。
「ついに、か」
星天の妖精との戦いにおいて、ただの兵器はまったく無駄である。
砲弾や銃弾、爆弾で星天の妖精を殺すことができるのなら苦労はしない。あの妖精はそれを越えたところにいるのだ。
ずっとわかっていたことだった。
聖女に皇帝、賢人まで魔王が蘇っていたのだから星天の妖精だけが違うはずがないと。かの妖精はふたたびこの地に降りたっているのだと。
だが、それでも信じたくはなかった。
「おやおや、怖い顔をしているね。もっとリラックスしないと」
耳もとで鈴を鳴らしたような音でささやかれる。オレが後ろをむくと、ニコニコと笑ったモルグレイドがオレの肩に手をまわしていた。
オレたち狩人だけはこのオグダネル城跡に残り、星天の妖精をむかえうつ。これを断ることのできる狩人など誰もいなかった。
ここで負ければ、後はどうなるかは想像できる。
妖精の森を封じていたオグダネル城跡を壊されれば、人類の領土に一気に妖精が流れこむだろう。そうすればまた人類は滅亡に追いやられることになる。
原作ではこんな作戦はなかった。
そもそも星天の妖精の名は影もかたちもなかったのだ。
だからこそ、オレが星天の妖精を殺さなければならない。人類が勝つというシナリオのレールの上に戦地を帰さなければならない。
遠くではアルハンゼン先生が地下工場の建設で指揮していた技術者たちが去っていくのをみつめている。
アルハンゼン先生だけはその頭脳を惜しんだ王都の軍部と戦力として欲しがったアグラシュタインの論争の末に判断を委ねられたが、ここにとどまることになった。
イングラシウスはひたすらに拳法を磨いているし、イスファーナは魔術の修練に勤しんでいる。
「いざとなれば僕がなんとかしてあげるとも。なにしろ命を救われた恩があるからね」
ほがらかに笑うその瞳の奥の光は、よくわからなかった。
「べつにかまわんさ、あれはオレがしたかったからしたことだ。ここに残るのもオレがやりたいと思ったからだ」
「……なら、いいけどね」
なにやら思わせぶりにモルグレイドは口ごもった。
「そういうの、嫌にならないのかい。そうやってずっと歩いていくのは、後悔はしないかもしれないけど、とても苦しいでしょ」
「しかたがない」
生まれ故郷で、親友にかばわれて命を救われた。
そうして、オレはなんとしてでも原作のシナリオまで人類を守りきらなければならないと、それがオレの義務なのだと思った。
だから、オレにはこの戦いから逃げることはできない。
「……そう。わかったよ」
モルグレイドは、静かにため息をついた。
「貴官をラディムの指導の軍務からとく」
オグダネル城跡の地下から姿を現したアグラシュタインは、そうオレに告げた。
たかが鋼鉄の扉など星天の妖精にとってみれば布のようなものだ。その気になれば易々と壊されてしまう。
だから、アグラシュタインは戦地に顔をのぞかせるまでになっていた。
「ラディムを指導する狩人はもはや貴官ではない。あの時とは戦争が違ってしまっている、貴官がそれを務められるほど人類は穏やかではいられない」
星天の妖精がくるとわかってから、知っていたことだ。
人類の妖精への勝ちを至上命題とするアグラシュタインが、オレを放っておくわけがないと。
それこそ人類の危機に、アグラシュタインはたとえ数万人の命を失うことになろうとオレを戦地にたたせるだろう。
だから、オレは頷くほかなかった。
もう逃げることはできなかった。星天の妖精をかつて殺したのはオレで、そしてそれが故にオレは逃げることを許されない。
「星天の妖精が蘇ったことは疑うべくもない。星天の妖精がくるとわかっていて貴官を遊ばせるほど馬鹿な指揮官ではいられない」
アグラシュタインの鋭い瞳が、オレを刺した。
「たかだか夢想と戦地の違いに落ちこんだだけの新米狩人に、貴官の時をとられるわけにはいかないのだ」
その懐に隠された拳銃を目にして、オレはため息をついた。
「……わかったとも。だから、その拳銃だけは撃たないでくれ」
「努めよう」
その言葉にはなんの重みもなかった。まず違いなくアグラシュタインはオレが負けそうになればその魔術を放つだろう。
それだけは、嫌だった。
アグラシュタインの魔術は、あまりにも重すぎる。あれは奥の手も奥の手、たとえ敵が星天の妖精であっても易々と放っていいものではない。
だが、そのためにはオレがなんとかして勝たなければならない。
「だが、時によっては本官の魔術が求められる。すべては貴官の戦いぶりにかかっていると思ってくれ」
なんとも英雄と言うのは荷が重いものである。
その日、戦地は嫌なぐらいに静まっていた。いつも山のように攻めてくる妖精は今日は影さえも失せている。
久しぶりに砲煙から逃れた天は青く輝いていた。
「……きたな」
オレは、静かに呟く。
妖精の森の奥から、おぞましいほどの魔が伝わってくる。ぞわぞわとする背筋をこらえながら、オレはオグダネル城跡を背にたちつくした。
ふと、陽が陰った。
まるでこれから訪れる妖精に脅えるように日はオグダネル城跡のむこうに沈んでいく。天は端からだんだんと黒に染められて、夜の闇がひたひたと忍びよっていた。
海が、大地が、なにもかもが暗闇に失われていく。
そのかわりに、瞳に飛びこんできたのは恐ろしいほどに美しい星の瞬きだった。
天で、海で、土で、青や赤、煌びやかな光を放つ星々が瞬いている。それは、星天の名の由であり、そしてこの妖精の魔術の証でもあった。
ひたひたと足音が無音の戦地に響く。
その妖精の姿をオレが目にすることはない。できるはずがない。
ただ、星の光に照らされて大地に描かれた無数の女の子の影がその妖精の訪れを告げていた。
魔王のうちもっとも力ある、太古からの妖精。初めて人類が妖精を魔王と恐れるようになった根源。
星天の妖精が、きた。