【書籍化】人類滅亡寸前ゲーム世界で自分を犠牲に敵を倒してたら、みんなが病んでいた 作:雨雲ばいう
この世の砲兵の一種に、測距手という兵がある。
一般に大砲というものは、狙いをさだめるのがとても難しいものである。
宙を飛ぶ砲弾は風や寒暖差、あるいはかすかな照準のずれによって誤差が生じてしまう。これらを補正するためには、どれほど目標とズレたか目で調べるほかない。
これらを計測するのが、測距手である。
山や塔、時には気球などに乗りこみ、測距機をもって大砲の照準をあわせていく。
この軍務は、砲弾がもはや砲兵陣地からはみえなくなった時、つまり山越しなどに砲撃をくわえる時などはなおさら求められるようになる。
いわば、大砲の目となるのだ。
今、妖精の森を精密な砲撃で焼きはらえているのも測距手のおかげである。ゆえにこそ、わざわざ狩人をもって守らせることになっているのだ。
「ぴ!」
今、足をすべらせて転がっているアレクセイエフも、どれほどそうとは思えなくとも、そんな精鋭の測距手の一人なのである。
「こ、こちらが護衛をしていただく気球であります!」
アレクセイエフが上ずった口調で指さしたのは、青の迷彩がほどこされた小さな気球であった。
◆◆◆◆◆
その日から一夜あけた朝のこと。
オレは死にそうになっていた。
「ウゲェ、ギボジワルイ……」
ゆらゆらとゆれる気球が、胃をゆさぶってくる。気球のへりにのたれかかりながら、オレはこみあげるものを歯を食いしばってこらえていた。
「ひえぇぇ、ひえぇぇ、どうしましょう」
あたふたと慌てふためくアレクセイエフは顔を青くしている。
先日はりぼての英雄の姿を守り、アレクセイエフを落胆させないでいようと思ったばかりというのに、気球が飛んだとたんオレは情けない姿をさらしていた。
「ミッカネンさんでも、のりもの酔いするんですね」
ラディムが驚いたといわんばかりに目を瞬かせる。
ラディムはオレのことをなんだと思っているのだろう。英雄だとかなんだとか讃えられていても人なのだ。人の三半規管ははかないのである。
「汽車とか、船はだいじょうぶだったんだ。なのになんで気球だけ……ウッ」
またこみあげるものがあって、オレは口を閉ざした。
かつての人生でも、今の人生でもオレは気球になぞ乗ったことがない。なので、てっきりオレはのりもの酔いと無縁なのだと勘違いしていた。
まさか、気球の乗り心地がこんなにひどいとは思いもよらなかったのだ。
「あ、あのぉ、いったん降ろしましょうか?」
アレクセイエフの言葉に首をふる。
いくらなんでも始まったばかりの作戦をオレのために遅らせるなんて頷けるはずがない。
妖精との戦いが起きたら魔術でなんとかできるので、軍務にさしつかえるわけでもない。
ただ、それまでオレがずっと苦しむだけのことである。
「うぅぅ……」
うめくオレの背をイングラシウスがさすってくれる。暖かな手がオレの肌に伝わってきて、心なしか気が楽になってきた。
しかし、その時オレに実に馬鹿げた、しかしどこか笑い飛ばすことのできない考えがうかんできた。ありえない、ありえないとは思う、だが。
……流石に胃からもどしたものを集めたりしないだろうな。
実に失礼な考えである。イングラシウスという長年の戦友をこんなふざけたことで疑うなんて、駄目だとわかっている。
だが、心のどこかであのイングラシウスだぞと呟くオレがいるのだ。
オレの背を優しくさすってくれるイングラシウスと目があう。そのこちらへの思いが伝わってくる暖かな瞳に、オレはそっと目をそらした。
とにかく、オレがもどさなければいい話なのだ。
シュレディンガーの猫とか、そういう話である。もしもオレの胃のうちのものが現れなければ、誰も不幸にはならないのだ。
「ぐぅぅ」
オレは目を閉じてひたすらにこらえた。
「で、ではそろそろ測距を始めますね。護衛のほうをお、お願いします」
おどおどとしながら、アレクセイエフは測距機に手をかけた。
しかし、測距機をのぞきこんだアレクセイエフは先ほどの脅えがちな砲兵ではもうなくなっていた。
「これよりB5への砲撃の測距をはじめます。測距点での風速は1m/s、微風です。先ほどの砲撃に微修正、北に五、西に三ほど……」
先ほどまでおどおどしていたアレクセイエフは今や熟練の測距手となっていた。短く、しかし求められる情報をつめこんで電信から指令を飛ばしている。
アレクセイエフの言葉に従って砲撃はどんどんと精密となっていく。
やがて、砲弾の群れが目標とする木々をとらえた。いくつかの木の幹は鉄のかたまりの衝撃に、ミシミシと砕けていく。
そこからは実に速かった。
「交差しました。このまま砲撃を続けてください」
アレクセイエフが静かに電信に告げる。
それとともに、先ほどまでとはくらべものにならないほどの放火が遠い森を壊し始めた。地響きが鳴り渡り、どんどんと木々をへし折っていく。
宙から無数の砲弾が落ちてくる。
たまたま目標のそばにいた妖精たちの末路は悲惨であった。
鉄の暴風雨が吹き荒れ、哀れな妖精たちは下手人の姿すらも目にできずに死んでいく。砲撃はどこまでも続いていて、もはや逃げ道すらない。
やがて、黒焦げになった木々ともとの姿をとどめない妖精たちだけが残されるようになってようやく、アレクセイエフは砲撃の終了を告げた。
「目標、せん滅しました。続いてA3にうつります。まず……」
脇目もふらずにアレクセイエフは測距を続けていく。その姿を目にして、ラディムがぼそりとこぼした。
「すごい……」
胸のうちでそのことに頷きながら、オレはひたすら気球のへりにもたれかかっていたのであった。
◆◆◆◆◆
ゴトゴトと、気球をのせたトラクターの群れが山道を走っていく。
測距手でも、こうして気球に乗る種のものは妖精に目をつけられやすい。だからこそ、一日ごとに違うところから気球を上げなければならない。
夜の闇に隠れて、転々と陣地を旅していくのだ。
「それにしても、すごかったですね。砲兵のみなさん、あんな遠くの森をあの勢いで焼きはらうことができるなんて」
「オグダネル城跡で妖精をおさえているうちに、王都で嫌というほど訓練しましたからね。うちの師団は軍でも一二を争う精密な砲撃ができますよ」
トラクターの一団のどこに妖精が襲いかかってきてもよいよう、オレたちはそのまんなかの車に乗っている。
その車を運転するのは、アレクセイエフだった。
トラクターの後ろに乗っていると、アレクセイエフとラディムとの会話が耳に入ってくる。
「アレクセイエフさんもすごかったです、あんなテキパキと照準をあわせられるなんて、ほんとに」
アレクセイエフが照れくさそうに笑う。
「へへへ、これでも測距手のはしくれですから」
そうしてしばらく走っていると、トラックの群れの先頭が、とまった。
おそらくはあらかじめ軍で作ったのであろうひらけた土地がみえてくる。先についた測距大隊の者はすでにテントをはって夜に備えようとしていた。
「あ、そろそろ野営地につきますよ。つぎの朝からここでまた気球をあげます」
でこぼこの山道を走ってきたからか、腰が痛い。長い道のりにこりかたまった肩をほぐしながら、オレはトラックから飛び降りた。
つぎの日も朝から軍務だ。またあの気球に乗らなければならない。
さらに、オレたち狩人は寝ずの晩をかわりがわりにしなければならないので、休める時も短いのだ。
できるだけ休んでおくに越したことはなかった。
「ラディム、イングラシウス、さっさとテントをたててしまおう。今晩の寝ずの番についての順番についても考えるぞ……」
そうして、二人に話しかけた時だった。
「おい、数字つき! なんでまだこの隊にいやがるんだよ、この疫病神が!」
誰かが、アレクセイエフに怒鳴るのが聞こえてきた。