【書籍化】人類滅亡寸前ゲーム世界で自分を犠牲に敵を倒してたら、みんなが病んでいた 作:雨雲ばいう
アレクセイエフは、気球のカゴで静かに息を整えた。
そばには護衛の狩人もいる。新たな師団に転入するまであと数日、これが第五砲兵師団でのアレクセイエフの最後の軍務だった。
「今日はやけにネズミがいますね」
未だ年若そうな狩人が、首を傾げた。
みると、測距大隊の陣地のあちこちをネズミが走りまわっている。ネズミがでるのはいつものことだが、これほどまでの数となると気になった。
だが、軍務にはまったく困らない。
アレクセイエフたちの乗った気球はどんどんと天に昇っていった。
◆◆◆◆◆
「こちら測距手、聞こえますか」
電線に言葉を投げかける。
すでに気球は上空はるかかなた。砲撃の目標が遠ざかるにつれ測距手も上昇を求められ、今や気球は雲の上である。
地上は、気球から目にすることはできない。
ケーブルでつながれた、電信機だけが頼りの綱だった。
「もしもし?」
今日は機械の調子がおかしいのか、なかなかつながらない。困ったアレクセイエフが電信に語りかけるのもこれで八回目だ。
「はい、こちら測距大隊電信中隊。これよりそれぞれの砲兵陣地につなぎますので修正願います」
ようやくだ、アレクセイエフは胸をなで下ろした。
背後の狩人たちはたわいもない話をしている。
これで狩人に護衛されるようになって数週ほどたったが、妖精のよの字もない。狩人たちが気をぬいていてもしかたのない話であった。
「それでは、目標B9に照準あわせます。初め、右……」
「いえ、目標が異なります。目標はA1としてください」
アレクセイエフの言葉を地上の兵が正す。
しかし、新たに告げられた目標は、アレクセイエフの手もとにある指令書とはかけはなれた地点だった。アレクセイエフは問いかける。
「それはどういうことでしょうか。こちらの指令書と異なりますが」
「こちらでは目標はA1となっておりますが、そちらの書類に誤植があったのではないでしょうか」
たしかにヒューマンエラーであってもおかしくない、とアレクセイエフは頷きかけて、ふと気づくことがあった。
手もとの地図をみつめる。アレクセイエフの顔から血の気がひいた。
「そ、その目標はオグダネル城跡ではないですか! こちらが正しいに違いありません、そちらのほうがおかしいでしょう!」
妖精の森から人類を守ってきた大城塞を己の手で壊してしまうところだったと気づき、アレクセイエフは思わず電信機に叫ぶ。
「まあ、これでもうわかったでしょう。では、目標をB9とします」
すんでのところで助かったと胸をなでおろすアレクセイエフはしかし、電信機から聞こえてきた言葉に頭が白くなった。
「いえ、それで違いないですよ。われわれの今の目標はオグダネル城跡であり、こちらが正しいのです」
あっけらかんと、電信機のむこうが告げる。
訳がわからない、アレクセイエフの頭は混乱していた。
もしかするとオグダネル城跡にのっぴきないことが起こり、城跡ごと吹き飛ばすこととなったのか。そんな考えも頭をよぎる。
しかし、その時ふと恐ろしい考えに囚われた。
もしも、この電信機の先の兵がもう人ではないとしたら? 誰かにその身を操られ妖精のほうへと落ちてしまっていたのだとしたら?
アレクセイエフは、それがありえない話ではないことを良く知っていた。
かつての己は妖精に従い人を殺した。そうでなくとも、人に伝染し、その記憶も姿もうばってしまう妖精を一人アレクセイエフは知っている。
「あの、その……」
ドキマギと心臓がうるさい。
乾いた口から絞りだしたその音に、電信機のむこうは笑った。
「あは、バレちゃった?」
かつて己を従えた賢人の妖精が、殺されたはずの魔王の一人が電信機越しにアレクセイエフに語りかけていた。
「おひさー! ムビョー息災にしてた? ウチはねえ、ちょっち死んじゃってたよ! んでねんでね、会ったばっかりなんだけど聞いて欲しいお願いがあるんだ!」
ゾッとするほどのトラウマがアレクセイエフをおそう。
「いいでしょ? 昔はウチの言うことはなんでも従ってくれたもんね?」
かつて、己は命を助けてもらうかわりにこの妖精に従った。この妖精のために人を殺し、大罪を犯し続けた。
ふと、首に冷たいものが伝わる。
「バアッ! ウチはこっちにもいるよ!」
腰のナイフを手にとった狩人が、どこかおぼえのある無邪気な笑顔でアレクセイエフの首に刃をむけていた。
ロープを伝ってきたのか、足もとには数えきれないほどのネズミが蠢いている。すでに測距大隊は病におかされ、壊滅しているようだった。
「そう、昔と違わない。キミはウチの言うことを聞く、よくしつけられたペット。そうだよね?」
膝が笑っている。
手は震えてろくに電信機をもてない。
失禁してしまいそうなほどの恐怖に囚われながら、アレクセイエフは言葉を絞りだした。
◆◆◆◆◆
オレたちは森を駆けぬける。
第五砲兵師団の測距大隊が妖精におそわれていると一報が入り、たまたまそばにいたオレたちがむかうことになったのだが……。
「アレクセイエフさん……」
ラディムがぼそりと呟く。
顔を知った人が危ういと聞くのは、どれほど長く戦地にいようとも辛いものがある。いまだ狩人として幼いラディムはなおさらだろう。
だが、オレたちにできることは妖精どもを殺すことだけ、そのためにも一歩でも速く走るほかない。
「そろそろ大隊の陣地につく。なにがあってもよいよう心がまえをしておけ、たとえそれが知人の命を絶つことになったとしてもだ」
「……」
ラディムはうつむいたままだ。
その時、オレの肩をイングラシウスがたたいた。ふりむいたオレに、そばの木にかかった電信機を指さす。
「なるほど」
もしかすると話ができるかもしれない。オレはほかの二人に妖精に気をつけるよう言って電信機を手にとった。
「こちら、狩人のミッカネン。測距大隊の救援にきたのだが、そちらはどうか」
だが、誰もこたえない。
沈黙の続くスピーカーにオレが諦めかけたその時だった。かすかな雑音の後、聞きなれた言葉が耳に入ってくる。
「……こちら第五砲兵師団測距大隊、いまだ生存者あり、陣地にて防衛しています。はやく救援を求めます」
どこか口調が震えているような気がする。だが、これはたしかにかつて聞いたアレクセイエフの言葉だ。
「わかった」
電信機をきる。ちょうどその時、森から一人の兵が転がってきた。
「あ、ああ、ミッカネンさん!」
オレの顔を目にして歓喜の叫びをあげたのは、いつぞやの調理兵だった。
「よかった、大隊はギリギリです! もう、ほんとに数えきれないほどの妖精がどこからともなく現れて、どんどん殺されていって、とにかくついてきてください!」
オレにむかって駆けよってくるその兵を、オレはじっとみつめた。
「イングラシウス、頼む」
砲弾よりも速く、イングラシウスの拳がくりだされる。
調理兵の首は吹き飛び、頭が後ろの木にたたきつけられて弾けた。ピンクの肉があちこちに飛び散る。
「な、なにをして……!」
ラディムが悲鳴をあげるが、その兵の胸がボコリとふくれたところで気がついたのだろう、黙って魔術をその手に宿した。
「こいつは妖精だ」
イングラシウスの拳がくりだされたその時、あの兵の目ははっきりとその軌道をとらえて避けようとしていた。この兵はすでに妖精にやられている。
ボコボコと泡だつ肉から、人の顔が生まれた。
「わヵチャったかぁ! どうして気づいたか教えてくれるかい!」
「黙っていろ」
オレはすぐさまロングソードでその心臓をとめた。息絶えたその妖精をながめながら、オレはさとる。
「っ、賢人の妖精か」