【書籍化】人類滅亡寸前ゲーム世界で自分を犠牲に敵を倒してたら、みんなが病んでいた 作:雨雲ばいう
「第八十七歩兵師団と電信がつながりません」
眉をひそめて、その将校は静かに戦線の先をみつめた。
「おかしいな、今から歩調をあわせて兵を攻めさせるつもりだというのに。いったいあっちはなにを考えている」
霧がたちこめて、八十七師団のいる丘はよくみえない。
「伝令は走らせてみたのか」
「そうですが、誰も帰ってこないので」
将校の眉にしわがよる。
話がおかしすぎる。伝令が帰ってこないと言うことも実に将校の不安を煽った。
「……すぐさま兵たちに後退に備えさせろ」
「な、そんなことをしたらこの先の攻撃ができなくなります!」
「かまわない、作戦が初めから狂っているのだ。この攻撃ができないぐらいでおかしくなるほど軍は柔ではない」
その指揮はいっさいのよどみなく、そしてなによりも速かった。惜しむべくは、しかしすでに時遅かったことだろうか。
「へ?」
霧のむこうからすさまじい勢いでのびてきた針が、将校の頭をつらぬいた。
頭蓋骨を砕き、そのうちの脳を大地にぶちまけた針は、そのまま周りの兵たちの首をはねていく。
わずかに生き残った兵が腰をぬかした後、霧のむこうから人影が現れた。
「おーい、おーい」
人だ。
第八十七歩兵師団の旗をかかげた兵たちが、ゆっくりと歩いてくる。その頭が弾け、どんどんとうちから一つの顔が生えてくる。
賢人の妖精たちが、ニヤリと笑った。
「こんにちは! それじゃあさ……」
賢人の妖精になりかわった兵たちの腕が、ボコボコと膨れて手の先に穴ができる。そうして、その先から、赤い炎がチラチラと散った。
「今からウチに食べられてくれない?」
一瞬の後、兵たちはすさまじい業火につつまれた。
◆◆◆◆◆
「各地で賢人の妖精の伝染がとまりません! あまりもの勢いに、すでに指揮系統はマヒしています!」
「第五、第七十歩兵師団も、とにかく戦線とつながりません! こ、このままでは戦線が崩壊してしまう!」
オグダネル城跡と戦線のあいだに鎮座する総司令部。
その天幕で指揮にあたる将校たちの顔はみな青をすぎて死人のように白かった。分おきに入ってくる報告は、どれも耳を疑いたくなるようなものだったからだ。
机にひろげられた地図におかれた師団の駒が、逆にひっくりかえされていく。
戦線で戦う師団から、銃後で護衛にあたっている師団まで。おかまいなしに賢人の妖精の手のうちに落ちていく。
それは、正しく悪夢であった。
「こ、こんなこと、ありえてたまるか……」
誰もまともに頭が働いていない。ただ電信機の先から伝わってくる現実に耳をふさいで、黙りこむばかりである。気を失う者すらいた。
「……貴官らが冷静を失ってどうする! 戦線にはいまだ残された兵たちがいるのだぞ!」
雷鳴のような言葉が、天幕に響いた。
「アグラシュタイン閣下!」
天幕に、起きたばかりのアグラシュタインが、総指揮官が足を踏み入れる。
「こういう時のために考えていたシナリオがあるだろう、すぐに戦線から師団を後退させ、その地での防衛を整えさせろ!」
その冷たい瞳ににらまれてようやく我にかえった将校たちは、すぐさま蜂の巣をつついたように働きだした。
電信機が鳴りやまないなか、アグラシュタインは隣の副官にそっと尋ねる。
「どれほどやられた」
「恐らくは、残存するおよそ四五二師団のうち、二五七師団ほどが賢人の妖精に落ちたものかと……」
アグラシュタインは静かに目を閉じた。
「……なるほど、そこまで深く入りこまれていたか」
「アグラシュタイン閣下?」
その言葉には、深い悔恨がこめられていた。
そっとアグラシュタインの顔をのぞきこんだ副官は、初めて目にする上官に息をのんだ。
ギリリと食いしばられた歯からは血が滴り、その瞳は悲痛にゆがめられて今にも壊れてしまいそう。深く握りこまれた手の爪は肌をつらぬいて赤い花を咲かせる。
「……すまない、すまない」
まるで誰かに許しをこうように小さく呟く。
だが、しばらくして顔を上げたアグラシュタインはいつものように冷静な顔つきをとりもどしていた。
「ゆっくりと後退させろ、妖精に反撃の機をあたえるな! あくまで戦線は守りつつ、ゆっくりと後ろに下がらせろ!」
アグラシュタインはこの大攻勢の指揮官である。
ゆえに、ここで我を失うなど許されないのだ。
アグラシュタインの巧みな指揮によって、崩壊しかかっていた軍がまるでひとつの命であるかのように蠢き始める。
残存した師団は集まり、たがいにたがいの戦力を補いながら、戦線を守る。賢人の妖精が伝染した師団から逃れていく。
そうして、ほんのかすかな希望が総司令部に生まれたその時だった。
「と、とんでもない魔力が集結しています!」
悲鳴じみた報告が上がった。
総司令部の天幕でひたすらに目を閉じて情報を探っていた一人の軍人、妖精の魔力を探知する魔術をもつ狩人が叫んだ。
「こ、これは星天の妖精の魔力すらはるかに越えている! ありえません、賢人の妖精がたった一つに集まって、とんでもない力です!」
その狩人の目から、タラリと血が流れた。
「こ、こんなの勝てるはずがない……」
一瞬の後、その狩人は穴という穴から血を吹いてたおれた。すぐさまかけよった兵が首に手をあてて、首を横にふる。
しばらく遅れて、総司令部の兵たちにいきなり鳥肌がたった。
魔術を知らなくとも、狩人でなくても、なにかがやってきていることに気がついてしまう。それほどまでにその妖精の力はけたはずれで、おぞましかった。
「ミッカネンは?」
「賢人の妖精の情報があった戦線の東に未だ釘づけにされているものと思われます」
「……あらゆる手段をもちいて、ミッカネンをここまで運べ。この惨劇をくつがえせるとするならば、それは英雄しかいない」
アグラシュタインはそっと懐から拳銃を手にとった。
長らく火の入っていなかった魔術炉に魔力を流す。さびついた手足が悲鳴を上げるのも気にせず、アグラシュタインは天幕を後にした。
「それまで、我々はなにがなんでもアレを食いとめなければならない」
◆◆◆◆◆
「ウチ、今とっても幸せ……」
賢人の妖精が、そっと目をひらける。
ドキドキと叫ぶ心臓をぎゅっと握りしめ、二千万もの命を食らった力に酔う。一瞬でこれほどの命を手にしたのは、初めてだった。
暴れ狂う力をおさえて、賢人の妖精はあでやかに笑う。
「……じゃあ、やろっか」
その言葉をきっかけに、各地に散った賢人の妖精の力がすべてたった一人に流れこむ。はちきれそうな力に、賢人の妖精の女の子の姿は字句どおり膨れ上がった。
群のけた違いの魔力が、たったひとつの血肉に集結する。
あまりにもの魔力に、骨は砕け、血は白く輝き、肌はすきとおった。熱風が吹き荒れ、それだけで周りの岩をとかしていく。
それは、まるで神話の光景だった。
賢人の妖精の背がどんどんと大きくなり、まるで巨人のようになる。純白に輝く、巨大な人の姿。
頭上には魔力でできた白銀の冠を頂き、吐く息はそれだけで魔力の嵐を巻き起こす。
それはもはや、人智を超えて目にしただけで狂気に駆られそうであった。
魔力は集まり、弾け、暴れ狂う。すべての賢人の妖精の力を結集したたった一人の賢人の妖精は、城塞の大きさをした瞳をぎょろりとうごかした。
「みぃつけた」
人類の兵たちが退いていく先。
総司令部の先。
オグダネル城跡の奥。
人類が安穏に暮らす、大地。
賢人の妖精が、目指すところ。
ただの妖精ならば、その地にみちる心に心躍らせ、人類を食いつくすことしか考えられないだろう。
だが、この後におよんで、賢人の妖精の心にうかぶのはたった一人だった。
「ミッカネン……」
賢人の妖精は、戦線の端で先ほど目にしたその愛しい人を思い起こす。
絶望と、恐怖と、様々な情が入り混じった、芸術のようなミッカネンの姿。
それは、賢人の妖精が初めて目にした顔だった。
「欲しいなあ……」
ポロリと心からの言葉がこぼれる。
初めて知った人、力ではなく、あの人の心が欲しい。
群としてでしか生きられず、ただ己がない賢人の妖精が、どうしても手に入れたいと思えたミッカネンという男。
それを、賢人の妖精は食べたいのだ。
「これから、ウチはミッカネンの守ってきた人を殺す。そうすれば、あの心に隙ができる、ほころびが生まれる」
後はそこに入りこむだけ。
戦線の端の端、帰ってこれたとしてもなにもかもは終わっている。
賢人の妖精によって兵のほとんどは殺され、オグダネル城跡は壊され、妖精が人類の地に雪崩れこんでいる、そんな地獄しか目に入らない。
そんなミッカネンを、手に入れた記憶に従って責めたてる。
兵の死を、人類の滅亡を、なにもかもをミッカネンに罪としておしつけて、そうなればいくらミッカネンでも壊れるだろう。
その時こそが、賢人の妖精の願いが叶う時だ。
「心を壊したミッカネンに、ウチだけは優しくしてあげる」
賢人の妖精は、恍惚とした笑みをうかべた。
「ウチ、ミッカネンのことは好きだから」
巨人が、一歩足を踏みだした。