旅立ちが近づく、三月のある日。幼馴染を振り向かせる最後のチャンスに、秀一(しゅういち)は挑もうとしていた。その後起こる、大爆発があるとも知らずに……。

1 / 1
幼馴染との、ちょっとした大爆発

「それじゃあ、頼んだよ! 出発しんこーう!」

「任せとけって」

 

 やっとのことで手に入れた、『男』を見せる絶好のチャンス。期待を背に受けて、秀一(しゅういち)はペダルを漕ぎだそうとしていた。

 湖上に、他のスワンボートは見当たらない。平日の昼間は、そういうものだろう。秀一たちの独占だ。

 

 左手に身を置く千紗(ちさ)は、秀一の長いようで短い幼馴染。近づいては離れてを繰り返し、今はもう何度目か分からない近接期なのだ。

 

 ……これが、ラストチャンスかもしれないからな……。

 

 小学校、中学校、高校と、敷かれたレールを適時爆破して同じ道を歩んできた。と言うよりも、選択肢が一個しか無かった。田舎とは、そういう場所である。

 

「秀ちゃん、何かあった? 目が迷子だよ?」

 

 千紗の促しに引きずられ、秀一の意識がスワンボートに帰還した。

 

 彼女の光沢ある黒髪は、惜しくも肩につく手前で止まっている。秀一の感覚として、いくら伸びても飽きないくらいだ。

 

 ペダルを足裏でしっかり捉える。出航の準備は完璧だ。

 

 貸出屋に頼んで、ペダルのギヤは一番重いものに設定してもらった。自転車と同じ仕組みであった事を初めて知り、己の無知を悔いたのもつい先ほどである。

 客船の眺めを、彼女に体験してもらいたい。横で無心に汗を流す姿に、少しでも淡い感情を抱いてほしい。二つの異なるベクトルが、空間を交差する。

 

 秀一は、ペダルを目一杯踏み込んだ。備品が壊れてしまったら、どう弁解しよう。その不安が膨張してくるまでに、秀一は熱が入っていた。

 

「……秀ちゃーん? 風の思うがままも、悪くはないけど……」

 

 動く気配がしなかった。ペダルを回転させることはおろか、一ミリも押し下がらない。普段からジムで鍛えているならまだしも、一高校生の秀一にコンクリートで固められたようなペダルを漕ぐことは不可能だった。

 

 不審な様子を察した千紗に、頭を傾けて見つめられる。ネタなのか本気なのか、測りかねているようだ。水分が潤沢に蓄えられた唇が、フリーズを起こして揺れていた。

 

 ……動け、動けってば!

 

 まさか、ギヤをわざわざ変更した上に動かせないとあっては、面目が丸つぶれ。語り草にはなるだろうが、それは決して秀一の描く未来と一致しない。

 

「……何か、ロックでも外し忘れてた気が、する……」

 

 空いている右手で、レバーなりボタンなりを探った。簡素なスワンボートに、自動車並みの設備があるはずもなかった。

 

 千紗の顔色が、前進から困惑へと変化していく。規則正しく並んでいた彼女の眉が、波を打っていた。頭上から、はてなマークが取り出せそうである。

 

 彼女を、満足させることも出来ないのか。自分から散々要望を聞いておいて、動かすこともままならない。

 秀一の計画は、その端から崩れ落ちた。

 

 このまま隠し通しても、言い訳が思いつかない。

 

「……ごめん、千紗。出発前にギヤを変えてもらったら、全く動かなくて……」

 

 これにて、千紗との密接な関係は終わるのだろう。進路の分岐は、すぐそこまで迫っている。『親友』というカテゴリは、いとも簡単に風化する。各々、新天地に順応し、過去の記憶は薄れていくだけだ。

 

 ……結局、何も踏み出せなかった俺が悪いってことか……。

 

 時間はたっぷり残っていた、そのはずだ。能動的なアクションを起こす事が出来なかった。一緒に居られれば、それで満足。心理的な余裕が、いつも初めの一振りを先延ばしにさせたのだ。

 

 その身体がリズムに合わせて揺れている、秀一の相方。心の拠り所になってくれた、活発な少女。存在を、自ら手放したくない。

 

「……秀ちゃんで無理なものは、だれでも無理だと思うよ……? 謝ることなんて、なんにもない」

 

 ふんわり温かみを持った手が、秀一の肩に乗る。

 

 ……だから、離れたくなくなるんだ……。

 

 お世辞にも、学校ではグループに馴染めていない秀一と千紗。仲間同士ということもあって、度々行動を共にしてきた。

 人前では意見を出さない彼女が、秀一の横では羽を伸ばしている。そのことだけで、疲労など天の彼方へ吹き飛ばしてしまえる。

 

 起きてしまった事は、元に戻せない。ならば、先を見据えるだけ。

 

「……どう、帰ろうか……。発端を作ったのは、俺だし……」

 

 移動手段を失った今、ボートは自然に身を委ねている。いつの間にか岸は小さくなり、千紗の熟した頬と霞む山々が同じサイズに見えていた。

 

「貸出屋の人も、なんで意地悪したんだろう……。重すぎて、全然動かないよ……」

 

 千紗の目線は下に落ち、無言を貫くペダルに向けられていた。なるほど、彼女もまた踏ん張っていた。

 

 ……踏ん張ってる……?

 

 右側と左側で、対称な構造になっている漕ぎペダル。一本の鉄製の棒で、繋がっていた。

 

「千紗、漕ぐのをいったん止めてみてくれないか……」

 

 再起不能だと思われていた逆転計画が、地中の底で復活の時を待ち望んでいる。

 

 言われるがまま、千紗がペダルから足を浮かす。瞬間、重荷が取れた。

 水面を斬って、スワンボートが前進した。いつもであれば気にも留めない動作が、秀一のやる気を再始動させた。

 

「……あれ、私……?」

 

 物事を行き詰まらせていた原因を、千紗も掴んだようである。次々と生み出される水面波と、触れたらケガをしそうな回転数のペダルを、交互に見比べていた。

 

 何度も瞬きをし、顔をうずめた。震える両手で目を覆い、居ても立っても居られない、と暴れている。緊急脱出ボタンが搭載されていれば、すぐにでも飛び出したことだろう。

 

 千紗と秀一が拮抗して、ペダルが動かなかった。真実は、それだけである。

 

「……秀ちゃん……。ああ、もうなんでもいい……」

 

 表情を見せられない彼女の髪の毛に沿って、引っ張らないよう手を滑らせる。程よく冷えて、引っ掛かりもない。神に恵まれたツヤだ。

 

 起き上がらない千紗をよそに、スワンボートはぐんぐん加速する。まだ目覚めない春の陽気な風も、吹き抜けて心地良い。

 

 ……このまま、もうちょっとだけ……。

 

 高校生の男女を乗せて、湖をかき分けるボート。外からは覗けない想いを秘めて、ひたすら前進していく。

 

 

 ーーー卒業式も終わり大学へと旅立つ、その前日であった。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。