シャルリア宮の第一夫君 作:倉庫から出す
「ドレスローザというのは、元はドンキホーテの一族が治めていた国のことアマス?」
「そうアマス。……シャルリアはドレスローザどころか、シャボンディ以外の下界には行ったことがなかったアマスね? 知らなくて当然アマス」
穏やかな口調で取り繕っていても、目の前の女が私より優位に立ちたがってることは容易に伝わってきた。
「ドレスローザにある花畑はとても美しかったアマスわ。以前ジャルマック様が仰っていたように、下界にもそれなりに優れた場所はある。いつまでも知らずにいられるなんて私には考えられないアマスね」
月に一度開かれる定例のパーティー。
先月のパーティーには私の夫も参加していて、会場にいたほぼ全ての女性があの人に夢中になっていた。この女もその一人。
私たち天竜人は望めば大抵のものが手に入る。
その大抵の中に入らず、まず諦めなければならないものは――同じ天竜人の所有物だ。
私の夫が社交界に顔を出すようになってから二年。これまでにあらゆる人から夫君の交換や貸し出しを提案されてきたけれど、私はその全てを断ってきた。
大人しく諦める人もいれば、この女のように私に陰湿な嫌がらせをしてくる人もいる。
どうやら今回は公の場で私の無知を知らしめて恥をかかせたいようだった。
私の隣に立っていたティアが口元で扇子を広げて眉を寄せる。
「あら……私もそうアマスわ。わざわざ遠くへ足を運ぶ気になんてなれないもの」
「……ティアンナもそうだったのアマスか」
「ええ。でも……貴女にとってはとても可笑しいことのようアマスね?」
ティアが視線を落として自身の扇子へ目を向ける。
女は行き先が不穏になってきた会話に焦りを感じていたのか、簡単に釣られて「まあティアンナのその扇子……エルエムのものはデザインまで繊細で素晴らしいアマス」と褒めたたえる。
「先日買い求めた物アマス。でもこれはもういらない。今日、シャボンディ諸島に出掛けているラースに新しい扇子を頼んだのアマス」
「シャルリアの夫……。そうなのアマスね……でもシャボンディには最高級の扇子を取り扱う店なんてなかったはずアマスわ」
「フフ。最高級品なんて私達はいつでも手に入る。あのコが私に似合うものを選んで買ってくることに価値を見出しているの」
ティアは広げた扇子の内側で笑みを浮かべる。
「……ああ、貴女はあのコから何かを貰ったことがないのアマス? 当然アマスね、あのコが贈り物をするのは特別な相手だけだもの」
社交界において、ティアだけは敵に回してはならないと女天竜人達の間で囁かれている理由がここに全て詰まっていた。
一度目をつけられたら終わり。パーティーで顔を合わせるたびにこうやって些細なことでチクチクと刺されてはマウントを取られ、最終的にはティア側の天竜人全員から邪険にされるようになる。
ティアはこう見えて影響力のある人間だから、その効果は絶大だった。
これ以上状況が悪化する前にと女は退散していき、残されたティアは満足そうにしている。
「大人気がないアマスね」
「シャルリア。お前も適当に聞き流してばかりいないで、少しはあのような者の伸び切った鼻を短くしてやるべきアマスわ」
「気に留める必要もないくらい可愛らしいものアマス」
従者が持ってきたワインに口をつける。
「退屈アマスね……」
「今日くらいは最後までいなさい。ただでさえお前とあのコは頻繁にパーティーを抜け出しているのだもの」
「ティア姉さまったら。こんな時まで口煩いのアマスか」
ティアの不愉快そうな顔が見えたのはほんの一瞬で、すぐに扇子で覆い隠されてしまう。
「さっさとあのコを天竜人にしてしまえばよかったのに。二年前に神の騎士団へ入団させていれば、このような面倒事も起こらなかったはずアマス」
「姉さまは騎士団であの人がどのような扱いを受けるか心配ではないの? 危険な任務につくことも多いと聞いているアマス。私は一瞬たりともあの人から離れたくないアマスわ」
ティアは素っ気なく「私があのコの心配なんてするはずがないアマス」と口にする。
それが本音じゃないことは分かってる。普段の私への態度も……。ティアは私が知る誰よりも強情で素直ではないから。
「おお……ここにいたのかえ、シャルリア!」
グラスに入ったワインも残り僅かとなった頃。
酔っているのか、頬を赤く染め上げた男性に声をかけられた。
「フン。今日はあの下々民はいないようだえ?」
「…………ドツゥイタローカ様」
以前は執拗に私に付き纏っていた人で、二年ほど前からぱたりと来なくなった。夫が社交界に顔を出すようになった時期と重なることもあり、やっと諦めてくださったのだと安堵していたのに……。
「父君のイテコマーサレロ様はいらっしゃらないのアマス?」
「父上様は別室だ。だからシャルリア、わちきと二人で…………ティアもいたのかえ」
「まあ。どうかティアンナとお呼びくださいませ」
ティアに気安く呼ぶなと牽制されたドツゥイタローカ様が引き気味に「わ、分かったえ……ティアンナ」と早々に白旗を上げる。
この人はドンキホーテ一族であり、ミョスガルド様の父君であるシヴァーカレロ様とイテコマーサレロ様は従兄弟同士。聖地で「これだからドンキホーテの者は」と囁かれる原因の一つにもなっている人だった。
ミョスガルド様ほどではないとはいえ、それなりに問題を起こす厄介な人物として遠巻きにされていることが多い。
「シャルリア、そろそろあの下々民にも飽きてきた頃ではないかえ? 海賊女帝の実弟なだけあって顔はまあ……悪くはないようだが、顔がいいだけの下々民なんぞ他にいくらでもいる。我々のような高貴な血が流れる者には相応しくないえ」
一度目は見逃して差し上げたのに……。
持っていたグラスを従者に預け、ドツゥイタローカ様に向き直る。
「下々民? 私の可愛い夫を二度も侮辱したのアマスね。あの人は私の夫となった時点で一時的に下々民ではなくなり、天竜人の夫君という身分が与えられたのアマス。私達の中では常識だと思っていたけれど、どうやら違っていたのアマスね」
天竜人の妻や夫を下々民だと蔑むことはよくある。それでも身分上は下々民ではなく、私達の肌に触れ子作りをする許しを与えられた特別な存在だ。
「やはりシャルリア……お前はあの穢らわしい下々民に惑わされている。でも心配しなくていい、わちきが近いうちにサターン様にご連絡を差し上げるつもりだえ!」
「…………何の話アマス?」
なぜここで五老星が出てくるのか。訝しむ私に彼は意気揚々と続ける。
「サターン様が常々丈夫な下々民の実験体を所望されているのは知っているえ? 以前にも革命軍に所属していたという女の下々民が差し出されたことがある。女は天竜人の妻であり子も孕んでいたそうだが、実験体としての役目を終えた後は下界に落とされたそうだえ」
ニタニタとした笑みを浮かべ、まるで自分を悪魔から私を救い出す救世主だとでも思っているようだった。
「お前の夫もそれなりに頑丈で使い道のある男だと聞いているえ。きっとサターン様のお気に召すはず……」
これまでに抱いたことのない激しい怒りに頭を支配された。
「何てことを……!! 私の夫が実験体に? あり得ないアマス!!」
「サターン様が望まれたらお前も大人しくあの男を差し出すしかない。目を覚ますんだえ、シャルリア!」
五老星が相手となればお父上様にお願いしてもあの人を守ることは難しくなる。今回は何とかなったとしても、この先もそうだとは限らない。
そうなったら……私はどうすればいいの?
「ただでさえ女人国の出身でありながら男として生まれた者だ。サターン様の興味を引かないはずがないえ」
このままではいけない。どのような手を使ってもあの人を守らなければ。
心を落ち着かせるために深く息を吸う。余計なものをすべて吐き出してドツゥイタローカ様に向き直る。
「そうアマスね……。もしもサターン様が望まれたのなら、どれだけお気に入りの夫でも差し出すべきアマスわ」
「分かってくれたかシャルリア!」
「ええ。でも今すぐにとはいかないアマス。私、近いうちにドレスローザに行こうと思っていたの」
「……ん? ドレスローザ?」
いつも夫が
「ドレスローザはかつてドツゥイタローカ様の一族が治めていた国。とても美しい花畑があると先ほど聞いたのアマス」
「そうだえ。シャルリア、もしかしてわちきに興味が……」
「ええ。是非とも行ってみたいアマスわ」
ドツゥイタローカ様はポッと頬を染め上げる。
終始私たちの会話を見守るだけだったティアのため息が聞こえてきた。
「ですからこの件は私たちが聖地に戻ってきてからサターン様にお伝えくださいまし。私があちらへ安全に向かうためにも、
誰よりも大切で愛してるからこそ、夫にドツゥイタローカ様との件を話すことはできなかった。
あの人は私の為なら「実験体になっても耐えてみせる」だとか「神の騎士団に入団する」などと言い出すに決まってる。
そんなのは嫌。あの人が私に対してそうであるように、私もあの人に降り注ごうとするあらゆる危険から守りたいの。
ドレスローザに出発する前日の夜。
私はお父上様の部屋に招かれ、一緒にお茶を飲んでいた。
「安心しなさい。お前とラースが聖地を離れている間に、私があのバカを分からせておくえ」
「まあ……お父上様。私達がそのような野蛮なことをしてはならないアマスわ」
お父上様がフンッと鼻を鳴らす。
「あの者の言動は目に余る。己以外の天竜人の所有物を五老星に献上させようとするなど前代未聞だえ。これだからドンキホーテは」
「もしもドツゥイタローカ様がサターン様に進言なさったら、やはりあの方は私の夫を所望されるアマスか?」
「あの者の常日頃の問題行動はサターン様も耳にされていたはず。……だがサターン様は科学者であり、ラースが知的好奇心を刺激する存在であることは事実」
お父上様はハッキリとは口にされなかったけれど、肯定されたようなものだった。
「お前達は心配しなくていいえ。私が何とかする」
「お父上様……」
「それより…………シャルリア」
お父上様はゴホンと咳払いをし、少し照れくさそうな顔をする。
「ラースは……何か言っていたかえ?」
「あの人には今回のことは一切話していないアマス」
「そのことではなく、私が先日贈った剣のことだえ。気に入ったかどうか……」
こんなにもそわそわと落ち着きのないお父上様は初めて見た。
思わずくすくすと笑ってしまう。
「ええ。とても喜んでいたアマスわ。傷がついてはいけないからと、明日まで大切に保管しておくつもりだと言っていたアマス」
「そ、そうかえ。……それならいいんだえ!」
お父上様は子供のようにパッと顔に喜色を浮かべる。そして上機嫌で「さあ。お前も明日に備えて早く寝なさい」と私におやすみのキスをした。
無事にドレスローザに到着した。
道中、何度も正気に戻りかけて聖地へ戻ろうとする夫を誘惑するのは思ったより簡単だった。
そこにいるだけでありとあらゆる女を魅了してしまうこの人が、私にだけ夢中になっているこの状況は今でも奇跡のようだと思う。
「下界の花はいいアマスね。聖地のものと違って力強いアマスわ」
「聖地の植物は人工のものが多いですからね」
花屋を出た私の手には、夫に選んだもらった一輪の花がある。
「あなたにグラジオラスを贈ってもらうのは久しぶりアマス」
「今年は屋敷の庭園に紫はなかったので目に止まったんです。それに今日のシャルリアの装いには紫がよく似合う」
夫が紫のグラジオラスを持つ私を愛おしそうに見つめてくる。
いつもなら私の心も幸せで満ちているはずなのに、どうしても沈んでいく思考を引っ張り上げることができない。
もしも今回の旅が終わるまでにお父上様が例の件をどうにもできなかったら、この人は五老星の実験体になってしまうかもしれない。
そうなるくらいなら……私はこの人を連れ出して二度と聖地へは戻らないつもりでいる。
これはお父上様にもお伝えしていない。言えば絶対に屋敷から出してくれなかっただろうから。
お父上様も私の夫のことを愛してくれているけれど、私のようにこの人が下々民だとしても構わないとまでは思っていないはずだ。ティアやチャルロス兄さまだってそう……。
この先天竜人の夫という身分が揺らいだ時、この人を最後まで守ることが出来るのは私だけなの。
だからこそ早いうちにシャボンの代わりとなる装置を外した。旅の間に下界での生活に慣れる努力もしなくてはならない。
本当は何もかもが不安で恐ろしい。
聖地で天竜人として生きてきた私が、どのように下界で暮らしていけばいいの?
聖地からやってくるであろう追っ手からどうやってこの人を隠せばいいの?
手元のグラジオラスを包装ごとぎゅっと握った。
グラジオラスにはいくつか不穏な花言葉もある。
いつもならこのような些細なことは全く気にならないのに。今だけはどうしようもなく不安な気持ちにさせられてしまう。
「シャルリア?」
「あ……何でもないアマスわ」
心配そうに顔を覗き込まれ、急いで表情を取り繕う。
大きな手のひらが私の額を覆ってすぐに離れていく。
「……熱はないな。初めての長旅で疲れが出たのかもしれない。早めに宿に戻りましょう」
「ええ。そうするアマス」
今度こそ心からの笑みを夫に向ける。
「あなた。愛してるアマスわ」
「…………俺もです。愛しています」
涼しい顔で女に愛の言葉を囁いてきたであろうこの人の、このような顔が見られるのも私だけ。
愛しいこの人とずっと一緒にいる為なら、私は何でも出来る。何を捨てたって構わない。
……そう、初めから不安になる必要なんてなかったのね。
「シャロムに乗りたいアマス」
夫が何かを言う前に、シャロムがあっという間に長い尻尾で私達を包んで進み始める。
「……このヘビ。俺が命じた時より反応が早い」
そんな夫の呟きにまた笑って、私達はゆっくり宿に向かった。
ドレスローザでの二日目の朝。
部屋で軽く朝食をとってから服屋に来た。
「第一夫君! ドンキホーテ・ドフラミンゴの七武海脱退の件でお知らせしたいことがあります!」
気になった服を胸に当てて夫にどう思うか尋ねていたら、例のサイファーポールの男が息を切らしながら店に入ってきた。
「妻との時間に割り込んでくるとは……」
「貴方様が分かったことがあればすぐに知らせるようにと命じられたのでは!?」
「はぁ……。さっさと話せ」
サイファーポールの男は「理不尽すぎる!」と叫び、再び夫に睨まれて背筋を正していた。
男の話を信じるならば「ドフラミンゴの七武海脱退の件はサイファーポールによって誤報と
「昨日生えてきた話ってことは俺達と関係があるのか? でも俺達はアイツが七武海だろうとそうじゃなかろうとどうでもいいし……」
「あなた。どちらの服がいいアマス?」
熟考している夫に両手に持っていた服を見せる。夫はこれらの服がどれだけ私に似合っているかを述べ、さらには近くにあった別の服も褒めちぎり、最終的には店ごと購入しようとしていた。
「一着だけでいいアマスわ。あなたが選んでくださったのと合わせて、この三つを試着するアマス」
夫が外から呼び寄せてくれた侍女と共に試着室に入る。
「試着された姿を全て見たいです」
「ええ。いいアマスわ」
期待に満ちた目に見送られ、侍女によってカーテンが閉められた。
侍女が店主に渡された未開封の服の袋を裂き、中の服を試着室にあったハンガーにかける。
「失礼いたします」
両手を軽く持ち上げると慣れた手つきで今着ている服を脱がされていく。
今日は折角あの人に着替えを任せたのだから、侍女ではなく夫に脱がせてもらうべきだったかもしれない。そこまで考えた後にカーテンが閉まる前に見た期待の目を思い出す。
……あの人はどちらでも喜んでくださるだろうけれど、着替え終わった私の姿を見るのをとくに楽しみにしているようだった。
「先にそこの服を着るアマス」
「はい」
一番最初にあの人が選んだくれた服を着ることにしよう。あの人は何事も好きなものから消化することを好んでいるから。
「えっ」
侍女が夫の選んだ服を手に取った直後、体が浮いたような感覚に襲われた。
「きゃあああっ!?」
「シャルリア宮!!」
突然床が抜け、太いパイプのような穴を落下していく。
私の叫び声はどこまで続くか分からない闇の中に吸い込まれていった。
ある程度戦闘に長けている侍女が私の体を引き寄せ、パイプを抜けた先で着地する。
「ここは一体…………?」
実際に見たことはないけれど、下界にあるというゴミ処理場のような場所に見えた。
足元にはこの国で何度も見たオモチャ達が散乱し、物言わぬただのガラクタと化している。上を見上げれば私達が落ちてきたと思われるもの以外にも無数の穴があった。
「シャルリア宮。先にお召し物を」
先ほどまで周囲を警戒していた侍女が、私の肩に着るはずだった服をかける。
「店主の仕業でしょうか。天竜人であらせられるシャルリア宮に何てことを……!」
侍女が必死に外への出口を探すも、落ちてきた穴以外に外に繋がっていそうな場所は見当たらなかった。
ただの服屋の店主が独断でこのようなことを企てるとは考えられない。間違いなく後ろにドンキホーテ・ドフラミンゴがいる。
私はドフラミンゴという男がどのような者か知らない。夫があれほどまでに警戒していたのだから、あの男にはそれに値するだけの何かがあるはずだ。
「…………夫が来るまでここにいるアマス。すぐに異変に気づくはずアマスわ」
ここは大人しく夫の助けを待とう。あの人なら必ず私を見つけてくれる。
夫が来るとすれば私達が落ちてきた時の穴だろうかと再び天井を見上げ、視界に入ったものに絶句する。
「あれは……シャルリア宮!!」
私達が落ちてきた別の穴からドロッとした粘着質な液体が落ちてくる。
「きゃーっ!? 何アマス!?」
液体は意思を持っているような動きで私の身体に纏わりつく。そのまま勢いよく上に引っ張り上げられ、どこかに投げ出された。
「ん!? んねー、二人まとめて持ってきちまったか?」
「うう……何なのアマスか、このネバネバしたものは」
「んねー! ネバネバじゃなくてベタベタだ! 気持ち悪くもねェ、これはおれの粘液! ベヘヘヘ!!」
ここに夫がいれば「喋り方がキモい」と発砲していただろう。
「粘液……!?」
物体の正体にゾッとして抜け出そうにも、まるでとりもちのように粘着質で引き剥がせない。
どうやら私はこの粘液ごと何かの台の上に乗せられているようだった。そのせいで立ち上がるどころか、懐から銃を取り出すことすら出来ない。
側には粘液の持ち主と思われる醜悪な大男と、頭に王冠を被った緑髪の少女が立っていた。
「くっ……シャルリア宮に対してなんたる無礼! 今すぐこの世界の神である天竜人の拘束を解け!!」
私の身体を覆う粘液にしがみついていた侍女が叫ぶ。
「んねー、先にコイツからでいいー? コロシアムの連中には劣るとしてもパワータイプだ」
「何を…………ッ!?」
少女が侍女の体に触れ…………いつの間にか、目の前に見知らぬオモチャが存在していた。
私とそのオモチャを拘束していた粘液の一部がドロッと溶けるように台の下に流れていく。
オモチャだけが拘束から逃れ、なぜか私の名を何度も叫んでいるオモチャに少女が宣言する。
「契約よ。『人間に危害を加えないこと』そして、『ファミリーの命令には従うこと』」
「私は天竜人にのみ忠誠を誓っている! お前達のような者に従うわけが……」
「黙れ。余計な口はきかずに働いてこい」
今にも暴れそうだったオモチャの動きがぴたっと止まる。そして、ぎこちない動きで扉の先へ消えてしまった。
「…………急にオモチャが?」
「べへへへ! お前もこれから
「無礼者! 天竜人である私に軽々しく触れるなど……奴隷にしてやるアマスわ!!」
「お〜怖い……なわけあるかァ〜!! ベッヘヘヘヘ!! この状況で天竜人の権力を行使できると思ってんのかァ〜?」
大男は下卑た笑い声を上げ、首を曲げて私の顔を覗き込んでくる。
「おれも忘れちまったが、今さっきオモチャになったのはお前の知ってる人間だ。このシュガーの能力でオモチャになったヤツは世界中の人間の記憶から消える!!」
オモチャになると記憶から消える? 先ほど突然目の前にオモチャが現れたのも、まさか……。
「天竜人に危害を加えると海軍大将が来て厄介だが、その天竜人の存在自体を全員が忘れちまったらどうなる? ベヘヘヘ〜!!」
「そんなこと、あるはずが……」
最後まで口にする前に、私の左足にシュガーという少女が触れる。
瞬きしている間に私の腕や足はブリキのような素材に変わっていた。
身体のサイズが変わったせいだろうか。粘液に囚われていたはずの両腕が少しだけ動かせるようになっていた。
シュガーが私の足に触れたまま口を開く。
「じゃあ契約よ。人間には、」
「――――死ぬアマス、人間の子供!!」
なぜかこの体の使い方はすでに理解していた。いつも扱っている天竜人の銃のように馴染みがある。
両腕を大男とシュガーのそれぞれに向け、手のひらを腕の部分に収納して光線を放つ。
「んなァ〜ッ!?」
「きゃああああ!!」
至近距離で放ったにも関わらず、大男が咄嗟にシュガーを硬めの粘液で突き飛ばしたのが見えた。
大男に向けて放ったものは粘液部分に穴が空いただけだった。粘液と言っていたけれど、自然系の能力者だったのかもしれない。
大男の意識がそちらに逸れたおかげで、私を拘束していた粘液はとっく解かれている。
私の攻撃によって半壊した部屋を離れ、部屋の外にまで広がっていた混乱に乗じて無事に工場らしき施設から逃げ出した。
「本当にオモチャになっているアマス……」
足元に転がっていたガラス片に映る自分の姿は、どこからどう見てもブリキのオモチャだった。
とにかく夫の元へ行こうと服屋に向かったら、臨時休業になっていて中には入れなくなっていた。ガラス越しに中の様子を確かめても人の気配すらない。
「一体どこへ行ってしまったのアマスか」
あの人が私を置いて行くはずはないけれど、それなりの時間が経ってしまった。
私を探す為に遠くまで足を伸ばしているかもしれない。それともホテルや船に向かっている頃合いだろうか。
あのネバネバとした男が言っていた「世界中の人間の記憶から私が消える」という話の真偽はともかく、このような姿では誰も私がシャルリアだとは分かってくれないだろう。
でも夫であれば言葉を交わせばきっと気づいてくれるはず。
今は天竜人の権力を行使して誰かを従わせることもできない。私だけの力であの人を探し出さなければ……。
「オモチャがこの国一番の高級ホテルに何の用だ」
ホテルに戻ってみたら、今朝まではあれほど丁寧な物腰だったホテルの人間の態度がガラッと変わっていた。
これまで生きてきて、下々民どころか同じ天竜人相手にもこのような無礼な態度を取られたことはない。
……でもこれが現実。オモチャにならなかったとしても、下界であの人と暮らしていくことになればいずれ直面していた問題だった。
無礼者だと口にしたい気持ちを抑え、不遜な態度をとり続ける目の前の男に向き直る。
「…………ここに天竜人の夫が宿泊していたはずアマスわ。あの人はここに戻ってきているアマス?」
「
「そうアマスか……」
あの人がまだ天竜人の夫ということは……。私に関する記憶が消えたなんて、こちらを動揺させるための嘘だったに違いない。
「まあ……逃げ出したならここには戻ってこないでしょうね」
「何の話アマス?」
男が言うには、あの人は服屋で従者や衛兵達の目を盗んで逃げ出したそうだ。今では出航する船は全て止められており、海に出ることは不可能な状況になっているらしい。
「何かの間違いアマスわ!! あの人が逃げ出すはずがない……その必要がないもの……」
「私共もそれ以上のことは存じ上げませんので」
男からそれ以上の情報は得られそうになかった。追い出されるような形でホテルを出る。
「何かがおかしいアマス……」
どうしてあの人は逃げ出したの?
私を見つける為だとしても、あの人にはすでに私に近い権限を与えてある。衛兵達を足手まといと見做して置いていくとは考えられない。
私の知るあの人であれば、衛兵達に指示を飛ばした後に従者を数人だけ連れて私の捜索にあたるはず。わざわざ逃走したと誤認させるなんて非効率なことをして何のメリットが?
それ以上におかしな点がある。
「天竜人である私が姿を消しているのに、どうしてそのことにホテルの者は触れなかったのアマス」
あまりにも嫌な予感がして、私自身も触れることができなかった。
もしも本当に私に関する記憶が消えていたのなら……いいえ、そんなはずはない。あの人が私を忘れるはずがないもの。
私達の船を停めてある港へ向かってみると、出港しようとする船は全て衛兵達によって止められていた。
「第十七夫君は見つからないのか!?」
「まだ国内にいるはずだ」
私の前を衛兵達が駆けていく。
「………………第十七夫君?」
言い間違いだろうか。それに一年前から、聖地の者達にはあの人のことを「第一夫君」ではなく名前もしくは第一を抜いた状態で呼ぶように指示してある。
…………夫が逃げ出したと思った衛兵達が、あの人には礼を欠いても良いと勝手に判断したのかもしれない。
彼らが問題を起こす前にあの人を見つけ出さなければ。
一歩足を踏み出し、重心が前方に傾いてからもう片方の足を前に出す。単純な動作を繰り返すだけで景色はあっという間に変わっていく。
腕や足をこうやって動かすだけで、まるで自分が風そのものにでもなったかのよう。
このブリキで出来た体は腕や足を曲げようとするだけでギギギと不快な音を立てるけれど、今だけは全く気にならない。
私はこれまで全力で走ったことがなかった。走ること自体、幼い頃に兄さまに駆け寄る際に何度かやったことがある程度だ。
「今、オモチャらしき残像が」
「……オモチャってあんなに走るもんだったか?」
走っていてもすれ違う人間達の言葉は耳に届く。私の姿に驚く声や、他のオモチャと他愛のない会話を楽しむ声、今日行われているというコロシアムの話。
「さっき見かけたのよ、例の天竜人の夫君!! フードを被っていたけど間違いないわ。あの新聞がどうしても手に入らなくてガッカリしてた過去の私に教えてあげたい……。この幸運が続いているうちに、キャベンディッシュ様にもお会いできないかしら」
――――見つけた。
その場で急ブレーキをかけたせいで、声の持ち主である女と周囲の人間が悲鳴を上げる。
「キャアアアアッ!? …………オモチャ?」
「天竜人の夫を見たと言ったアマスね。……あの人はどこにいるの」
「なんでオモチャにそんなこと教え……すぐそこのスクリーン前! コロシアムの中継を見に来たのか、人混みの中に消えてしまったから追いかけられなかったのよ!」
光線が出せる腕を向ける。女は危険なものだと一瞬で判断したらしく、すぐにあの人を見かけた場所を口にした。
「オモチャが人間を脅していいと思ってるの!? ……ってもういないじゃない!!」
さっき通り過ぎたスクリーン前にはかなりの人だかりができていた。私があの人を見つけられなかったのも無理はない。
すぐにコロシアムの映像が流れるその場所に戻って、そこで私はようやくあの人の姿を見た。
スクリーンは爆破でもされたのか煙が出ている。夫はスクリーンには興味がない様子で、オモチャの馬に乗って離れていく女の後ろ姿を見送っていた。
「――――あなたっ!」
夫はいつも通りすぐに振り返ってくれた。瞳には困惑が滲むものの、私と目が合った瞬間にパッと見では分からない程度に柔らかさを取り戻す。
夫は最後に見た時から随分と格好が違っていた。質素な服に身を包み、その上から砂漠の国の住民のようなマントを羽織っている。頭に被っていたフードはほとんどずれ落ちていて本来の役目を果たしていない。
そのおかげで夫の首元もよく見えた。……寝る時以外常に身につけてくれている首輪がない。
「あなた……? なぜ首輪を外しているのアマス」
夫が怪訝そうに眉を顰める。私の問いかけには答えずに「オモチャにしてはやけに美人だな」とだけ口にした。
そしてため息をついたかと思えば、興味を失ったように私から視線を外す。
「オモチャでも俺のことを知ってるんだな。俺はもう天竜人の夫じゃないんだ。いつまでもふざけた首輪を付けているはずがない」
――――シュガーの能力でオモチャになったヤツは世界中の人間の記憶から消える!!
あの男の下品な笑い声が脳内に響く。すべてを裏付けるように、夫は私を冷ややかに見つめる。
「アマス……その口調、自認天竜人か? この国のオモチャってのは命知らずなんだな。あんな連中になりたがる思考も理解できないが」
この人がかつて私たち天竜人に対してマイナスの感情を抱いていたことは知っていた。それでもあの人は私に一度もそのような態度を見せず、私の身分関係なく愛してくれた。
「どうして……あなたが私にそのような酷い言葉を投げかけることができるのアマス。かつて私を愛してると言ってくれたその口で、私を傷つけるなんて」
目の前の夫は本当に私に関する記憶を失ってしまったのだろうか。
あなたと共に生きる為ならば、私は故郷すら捨てるつもりでいた。なのにどうして、他でもないあなたがこんなことに。
「今度は俺の恋人気取りね……。オモチャを口説いた記憶はないんだがな」
そう言った夫の姿には見覚えがあった。……心底どうでもいい存在を見る時の目。
夫に縋りついた腕はあっという間に振り払われ、私の体は驚くほど簡単に後ろに倒れる。
唖然とした。この人が私に心無い言葉を投げつけ、あまつさえ私を粗雑に扱うなんて……受け入れ難いことだった。
私の愛する夫に戻ってほしい一心だった。手のひらを収納した両腕を夫から少しずらした方角に向け、光線を放つ。……私があともう少し冷静であったなら、この人が光線という名のビームに興味を持たないはずがないと分かったはずなのに。
私の手首を掴んでビームを己に向けさせようとした夫に心臓が凍りつきそうになった。私の反応が遅れていればこの人も無事では済まなかっただろうに、夫はキラキラと目を輝かせていた。
「すごいな、今のビーム! パシフィスタみたいに手のひらや口から出すのも良かったけど……お前のが今まで見た中で一番カッコいい……!! とくに手の部分を収納してから撃つところが最高だ!」
この人のこのような姿を初めて見たのは、チャルロス兄さまと虫の話に夢中になっている時だった。
私と過ごしている時の夫は良くも悪くも大人びていて、私を愛するがゆえに私の望みを己の望みとし、常に私の方から夫の本心を探る必要があった。
だからチャルロス兄さまと子供のような話で盛り上がり、無邪気な笑みを浮かべるあの人の姿を目にした私がどれだけ兄さまに嫉妬し、羨んだことか。……私ではあの人にあのような顔をさせてあげられない。
もう一度ビームを自分に向けて撃ってくれ、それが無理ならせめて片腕ずつ交換してくれないかと懇願してくる夫を見つめる。
「……ズルいアマスわ」
ブリキのオモチャとなり、愛する人の記憶からも消されてしまったのに――あれほど望んでいた「夫に無邪気な笑みを向けられる存在」になれてしまうなんて。なんて皮肉なことだろう。
「あなたは記憶を失っても、残酷なまでに私の大好きなあなたのままなのアマスね……」
ブリキの体では涙を流すこともできない。ただただどこにあるのかも分からない心臓が痛むだけだ。
「お前…………」
何かを言いかけた夫が急に顔を上げる。
「チッ、ドフラミンゴからの追手か」
私には何も見えなかったけれど、夫は何者かの気配を察知したようだった。
「こんなところで足止めされている場合じゃないんだった」
「まっ、待ってくださいまし! 私も連れて行ってほしいアマス」
「なんで俺が……」
「私を連れて行ってくださるなら、好きな時に好きなだけあのビームを見せてあげられるアマスわ」
「仕方ない。ドレスローザにいる間だけだ」
夫はフードを深く被り直す。そして私に背を向けた状態で顔だけで振り返った。
「これからコロシアムに向かう。……ついてこられなければ置いていくからな」
「ええ」
今の私はあなたに笑いかけることもできない。でも、
「私……走れるようになったの。もっと早くにこうあるべきだったのアマスわ」