「はあ……ラップランドの奴め、到着するなり放り出すとはね。それだけでも有難いことではあるけれども」
「うむ。たとえ彼女に拾われずとも君は死にはしないだろうが、不要な労苦は負わぬに限るゆえ」
「車上で一週間は揺られていたからね。それがあまりにキツかったから非実体化まで習得する羽目になったのは、ザーロにはお笑いだっただろうけど」
ヌオバ・ウォルシーニ。
涙雨すら降らず、曇天に覆われることも殆ど無い──シラクーザでは異端とも呼べる、最も新しい移動都市。
今やファミリーの手を離れ、市民たちによって運営される未来を待つ、新しき時代の象徴。
そんなヌオバ・ウォルシーニの快晴の下で、オレは公園のベンチに身を横たえては燦然と輝く太陽に目を細めていた。
かつてレッドとルナカブの激突に巻き込まれた時に黄昏ていたのと同じ公園で、だから構造も何も変わった筈がないのだが、心なしか賑やかで人々の笑い声に満ちているような気もする。それはつまり、レオントゥッツォが早くも辣腕を振るってこの都市を運営しているということの現れだ。
明るい雰囲気で、未来に何らの障害も無いような……そう信じているというよりは、そう信じたいという感じだろう。新しい時代の到来には、未来への希望と、それと背中合わせの底知れぬ不安の付き纏うものだ。そして不安から目を背けるためには、希望を殊更に称揚するのが最も手っ取り早い。
そんな空元気じみた喧騒は、どうにもオレは苦手というか。
まるで鏡でも見ているようでどこか居た堪れない気持ちになってしまうから、オレはそれを目にしたくなくて、こうして寝転がって空を見上げているわけだ。
それでも結局は眩しくて、思わず薄目になっているのは、まあ愛嬌ということで。
「それだけの距離を、まさか歩いて移動するわけにもいかないし……獣主というのも存外に不便の多い身というのが分かったのは、幸なのやら不幸なのやら」
「いくら畏れられようとも、所詮は荒野に生きる獣でしかないからね。私からすれば、サルカズの巫術や巨獣の権能の方がよほど不可思議で羨ましいとも……そうであれば、君を荒野に放り出すこともなかっただろうに」
獣主になって分かったこと、というより実感したことだが。
この身体、人間だった頃に比べて便利なようでいて、意外とそんなことはない。
実体・非実体を切り替えられるのは確かに便利ではあるのだが、そのどちらであっても常識的な物理法則の範疇から逸脱するようなことはできないからだ。
例えば非実体だからといってシラクーザからいきなりサーミの極北まで瞬間移動できるかというとそうではないし、せいぜいが疲労を感じることなく走り続けられるというくらい。これで「獣の主」というのは、何とも名前負けしている感が否めない。
……まあ、それに関してはオレが新参だからというだけなのかもしれないが。ザーロもシルヴィアも、ある種同類になったからこそ分かるが、オレでは及びもつかないくらいに強大な存在だ。それは魂や存在の強度として、根本から。
ともあれ、そういう意味ではシルヴィアの言うようにサルカズの巫術、巨獣の権能、あるいは現代アーツの方が理外の代物だろう。
何せあれらは、己の存在ではなくむしろ外界の存在や法則を改変する力だ。
それがどれだけ高度で、また恐るべきものであるか。これまでにアーツを曲がりなりにも嗜んできた身としては、改めてアーツ……というよりは源石の深遠さを実感させられるな。
何せアーツは相応の学習と研鑽を積めば後天的に習得できるものが大半な訳で、その根源たる源石がテラに齎した影響は計り知れないのだから。
それに、どうやら獣主も源石が誕生に関わっているそうだし……どこまで行っても、この大地は源石がついてくる訳だ。
「ま、その辺りは今更何を言っても変わらない。それよりも、これからどうするべきかを考えないといけないからね」
「それを否定するつもりはないが、ではどうするつもりなのかね?我々はこの都市に何らの基盤も持ってはいないのだから」
「それが目下のところの問題だね、何せ死人に戸籍なんてものは無い訳だし……」
役所に確認を取った訳ではないが、監獄という公的機関の施設内であんな事態になって、まさか死亡判定を下されないということもないだろう。
路地裏だったり、車に引き摺り込まれたりした場合は、そもそも末路すら分からずに「行方不明」として処理されることも少なくないが。
オレの場合については、かなりの出血で独房を紅に染めていたし……何よりも、活性源石を身体に捩じ込まれた以上は感染者として死んだだろうから、その死体は源石粉塵を撒き散らす爆弾と化していただろう。
そんな状態でまさか生存など想定できないだろうし、シルヴィアの言から察するに事実としても一度は死んでいる。
そういう訳だから、オレはシラクーザにおいては既に公民としての権利を喪失したということになる。
なので行政システムを利用することはまず出来ないし、それ以外のコネについてもオレが死んだとみなされている以上はあてにはできない。
なので、この都市で何をするにもその取っ掛かりが無いということだ。
衣服は、ある程度ならオレ自身の外見・容姿の範疇ということなのか好きに作り変えられるから、まあ良いとして。
食事については、シルヴィアによれば獣主は摂食しなくとも生存することは可能らしい。けれども、だからといって一切の飲食を絶てるほどにオレはまだ割り切れてはいない。車上の旅で試しに絶食してみたが、飢餓感と空腹感だけが襲ってきて発狂しそうになったし。あれに慣れるのは当分先のことだろう。
最後に住むところに関しても、まさか野晒しで寝るなんてのはやりたくないし。これまでにも仕事の過程で野宿をすることはあったけれども、むしろそういった目的が無い今だからこそ、そういうのには耐えがたく苦痛を感じてしまうのだ。荒野で雨風に打たれて寝るよりも、文明を享受して生きる方が楽なのだから。
衣食住、三方足りて礼節を知る。
けれどもオレは食と住を手にすることも出来ていない訳で、それを他者から奪い取るなんていうこともするべきではないから、結局のところ何も出来やしないのだ。
それもまた、オレにお似合いなのかもしれないが。
「それに、こうして太陽の下に出られることも想定してなかったから、何をすればいいかも分からないしね」
「そうであろうな。いつか夜が明け闇が晴れ、そんな時が来ることを願いはしたが……まさかこのような形になろうとは、思いもしなかったと見える」
暗闇に覆われた世界で生きてきたが故に、オレの目は光には慣れていないし……むしろそれに潰れてしまう。
あまりにも眩しい世界は、オレを盲目にしてしまうのだ。
それは、今までなら何らの問題にもなりはしなかった。そもそもオレは晦冥に生き、そしてそこで死ぬつもりでいたのだから。
だが今となっては、シルウィア・アクエドリアという人間は死に、彼女が持っていたあらゆる因果も因縁も宙吊りになってしまったのだ。
それはファミリーのような裏の世界との繋がりであり、同時に表の世界への罪と、それに与えられるべき罰でもある。
特に後者は、オレ自身への裁きで以て果たされるべきものであったのにも関わらず、そうなることなく幕引きとなってしまっている。
つまりは本来オレに与えられるべき罰も無いままに、オレはこうして放り出されてしまったわけで。
あのまま命を落としていた、というのならば良かった……いや良くはないが。だが少なくともこうして悩むことはなく、一瞬のうちにオレの苦悩は消えていっただろう。オレの魂と意識と共に。
けれどもこうしてオレとしての自我が連続したままに、再びテラの大地に生きることになれば、それは影のようにオレに付き纏い責め苛む。そして光が強ければ強い程に、それは濃くはっきりとして、オレの背後にあり続けるのだろう。
「ま、この一週間で事実としてそうなのだということを受け入れはしたさ。オレがどう考えるにせよ、オレはこうして存在しているのだからね。その後にどうするべきかは、まだオレには分からないけれども……少なくとも、現実から目を背けることはするべきじゃないだろうとは思っているさ」
「……君にとっては、この都市は思い入れも少なくないと思うが。だからといってそれに縛られる必要も無ければ、逆にそれを意識してはならないということでもないのだよ。畢竟、君の生き様は君にしか決められないのだから……つくづく、私が言えたことではないがね」
「いいや、ありがとう。あのまま未練を抱いて死ぬよりかは、今の方がきっと良い……オレはそう信じたいからね」
あるいは、そう信じなければオレは折れて砕けてしまうだろうから。
オレがこれからどうなるにせよ、あの瞬間がオレの人生における最盛、絶頂であったなどと……そう思ったままで、悠久の時を過ごすなんて考えるだに恐ろしい。なら、自信も確信も無くとも、曖昧で茫漠とした未来への希望を持って生きたい……いや、そうするべきだろう。
そういう思いがあるからこそ、オレは辛うじて生にしがみつけているのだ。
それに、オレがこうなることを望んでいなくとも、ここに至るまでに数多の犠牲を払ってきたことは事実なのだ。
だというのに生を放り投げるなど、その事実から目を背けることに他ならない。
せめて何からも目を逸らすことなく向き合って生きようと……かつて、遅すぎたにせよそう心に決めた身なのだから、それを違えることなどできやしない。
そう心の中で嘯いて、ベンチに横たえていた身を起こす。
寝癖のついた灰色の髪が目にかかるのを払いのければ、そのくすぐったさからか思わず欠伸が漏れて、獣主になったというのに肉体に縛られているのが滑稽にもなるけれど。
「ともかく、こんなところで油を売っている訳にもいかないということさ。……何分、周囲の人からの目が突き刺さるようでいて居心地も悪いし」
ヌオバ・ウォルシーニはファミリーの介入を許さない。
それはつまり、路地裏のゴミ箱や公園の木陰に誰のものかも分からない死体が転がっているということも無いわけで。この公園もかつてはあまり人通りが多くはなかったのだが、今では恋人だったり親子だったりで賑わっている。
……そしてオレは、そんな人から奇異なものを見る目を向けられている。
まあ当然というか、公園のベンチで真っ昼間から横になっている成人女性なんぞ不審者以外の何者でもないだろう。しかも厚手のコートを着込んで、目元以外顔も見えないというのだから。
普通ならファミリー関連の厄介ごとを想定するだろうが、この都市はファミリーの介在していない筈で。つまりオレは、そういった事情とは無関係の純粋な不審者として見られているということだ。
それは何というか、今までオレに向けられてきた血の匂いを忌避するような冷めた視線とはまた違っていて、ある意味では温かい……というか生暖かい。まあマシではあるが……。
「それは余人には、君が一人で目に見えぬナニカと会話をしているように見えるからだがね。何分、私は君以外には見えておらず、声も届いてはいないゆえ」
「は、はあ!?」
思わずあげた大声を慌てて手で口を抑えて留めようとするが、時既に遅しというか、オレに突き刺さる視線がより鋭いものになったのが肌で感じられる。
居た堪れなくなってコートの襟を立て、帽子を作り出して目元も隠した。
余計に不審者っぽくなった感じもするが、ここから挽回できる気もしないので、こうする他に無かった。少なくともオレにとっては。
そういえばシルヴィアが白昼堂々と姿を現しているのに周囲の反応が薄いなとは思っていたけれども、まさかオレにだけ見えるようにしていたとは。
オレからすれば、見えているのがオレだけなのかそうでないのかの区別も出来ないから、とんだトラップだった訳だ。
そうなる可能性があることは分かっていた筈だし、何ならオレだって似たようなことも出来るのだが。
「確かに、オレも誰からも認知されないようにすることはできるが。常日頃からそうするのは、流石にと思っていたんだけれども……うーん……」
「はっは、そこは慣れていくしかないかな?いやさこんなものは君にとっては些事であるから、拘らずとも良いのだがね」
今度は小声で、というよりシルヴィアにしか聞こえない声で会話する。
してやったりとばかりに愉快そうな雰囲気を纏ったシルヴィアに思わず手を出してしまいそうになるけれども、それも側から見れば奇行以外の何物でもないので自重しなければならない訳で。
仕方なしに、鬱憤を晴らすようにその毛皮に勢いよく体重を預けて再び天を仰ぐ。
相も変わらず、最っ高に良い感触で羨ましくなる……というのも、オレが変化したオオカミは、どういうわけか毛並みが悪く触り心地も良くないのだ。どうせオオカミになれるのなら、そこも拘りたかったな……。
そんなことを取り止めもなく考えていれば、一つの人影がオレの側まで近付いて立ち止まった。
その人物はオレのことを見て驚愕したかのように一瞬硬直し、けれども直ぐにオレのことをまっすぐ見つめて。
その姿には、その黄金の瞳には、オレも見覚えがある。むしろ嫌というほど待ち望んできたと言ってもいい。
「不審な行動をしている人物がいる、との通報があったので来てみましたが……まさか、シルウィアさんですか?」
「そういうそちらはラヴィニア裁判官……ええ、お久しぶりですね」
初っ端から大幅に遅れて申し訳ありません。
そしてこれからも暫くは投稿が不定期になるかもしれません、先にお詫びしておきます。
主人公のオペレーターとしてのゲーム内性能について考えて下さった方もおられるようで、そちらについては元々は決めていなかった(プロファイル部分だけ書くつもりだった)のですが、性能についても作成してみたいと思います。
その際には皆様のアイディアも参考にさせていただきます、ありがとうございます。