夭逝(ようせい):年が若くて死ぬこと。わかじに。夭折(ようせつ)。

ー岩波国語辞典第六版より引用



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初恋

 

 

 

 気がつけば、目線の先にある白い天井をぼんやりと眺めていた。ようやく慣れた自室の天井ではない。でも何度となく見てきた天井。人生で一番長く見てきた天井だった。首を少し下に動かすと、左腕から点滴のチューブが生えている。小さく、溜息を吐いた。

 

 別に珍しいことではない。朝起きて強いめまいが襲って来たと思ったら、地面が無くなるような感覚になって身体から力が抜けていったことまで覚えている。たぶん倒れて病院に運び込まれたんだ。最近、また調子が悪くなってきてまた検査する予定だったから、それが想定より早まっただけ。これまでだって何度も入退院を繰り返してきたし、もう慣れっこだ。目線を点滴パックからその向こうの窓に移す。青い空に羊雲が群れを成していた。

 

 ……また、母さんたちに心配かけちゃったな。それと、店長に謝っておかないと。父親が店長と知り合いで、その伝手で働かせてもらっていたコンビニでのアルバイト。大体、半年ほどいたけれど、検査入院を機に辞めると伝えていた。でもあと一回シフトが残っていたはずだから、シフトを空けてしまうことになる。最後のシフトがこんなことで行けなくなるなんて、とても申し訳ない。羊雲を眺めながら、はぁと溜息を吐いた。

 

 ガラガラと病室の扉が開く音がする。看護師さんが薬品や採血用の注射器などが詰まっているであろうカートを押して入って来た。すぐさま目線が合う。看護師さんは慣れた様子で意識を確かめ、ベッドの横の呼び出しボタンを押す。たぶんこれから、先生たちが集まってきて診察を受けたり、病状の説明を受けたりすることになるんだろうな。呼び出しを受けて、両親も来てくれるだろう。……どのくらい、悪化しているかな。

 

 

 


 

 

 

 入院してからは、治療や処置、主治医の先生との面談でたまに病室を出ることがあるくらいで、大体は一日の大半を個室の病室で過ごすことになる。スマホで音楽を聴いたりネットサーフィンをしたりするか、母さんや父さんに持って来てもらった本を読むか、床頭台に備え付けられているテレビを見るか。採血や見回りで来てくれる看護師さんたちや先生たちと話すこともある。比較的元気な日は、何かしらするようにしていた。そうでもないと、暇で暇で仕方が無い。飽きをどう乗り越えるか。入院中の悩みは、専らそれだった。

 

 入院して三週間も経つと、やはり飽きが来た。長時間のスマホ使用は止められているし、そもそもネットサーフィンや動画を見るのは目が疲れるし首にもくるから限界がある。テレビは案外見たいものが無いし、今ある本はもう何周もしている。寝たりぼーっとしたりするだけは……避けたい。見たくない夢を見てしまうし、考えたくもないことを延々と考えてしまうから。……考えてみれば、飽きというよりも、不意に押し寄せる恐怖から目を背けるために何かしていないとおかしくなってしまいそうだったのかもしれない。

 

 そんな状況での唯一と言っていい楽しみは、経過観察のために先生の診察を受けに行く日だった。母さんか父さんのどちらかは必ずいるから、話し相手がいる。しかも、面会時間ギリギリまで。普段は病室で一人ぼっちの時間が長いから、とても嬉しい。それに病室から外に出られる日でもある。病気が進行してきて、最近では歩行が難しくなってきていた。もう一人では病室外に出ることもできない。

 

 倒れてから、一ヵ月。診察を受けた後、母さんの押す車椅子に乗って病室に帰る途中、日用品を買い足すために売店に寄った。レジの列に並ぶために飲料の並ぶ棚の前を横切ろうとしたときのことだった。

 

「あ」

 

 目が合った瞬間、お互いに声が出ていた。

 

 ウェーブのかかった赤茶色の髪。元々ぱっちりとしている若草色の目が大きく見開かれている。見間違えるはずもない。

 

 今井リサ。倒れる前まで働いていたコンビニで同じくアルバイトをしていた女の子。そして。

 

 

 

 僕の、初恋の人。

 

 

 


 

 

 

 リサとの出会いは、小学四年生の頃。今まで入退院を繰り返していて、あまり継続して通えていなかった小学校に通えるようになってから。それでも、月に一回は学校を休んで大型病院へ受診しに行かなければならなかったし、免疫力が弱いからか、体調を崩して休むこともしばしばあった。そのとき、学校からの手紙や宿題のプリントを持ってきてくれていたのが、その年から同じクラスになったリサだった。休んだ人の分の学校の手紙や宿題は、クラスの中でその人と家の一番近い人が持って行く仕組みになっていた。学校に行けるようになったら、僕は彼女の席に行ってプリントを持ってきてくれたことにお礼を言いに行った。そこで一言二言交わしたら、自席に帰る。最初は、お世辞にも仲が良いとは言えなかったと思う。

 

 俺がお礼を言いに行くと、リサはいつもたくさんの友達に囲まれている。リサに声を掛けると、目線が一斉にこっちを向いた。いつもそれから逃げていた。

 

 クラスの皆から見て、僕は物珍しかったのだと思う。学校はよく休むし、運動はお医者さんから止められていたから体育はいつも見学だし、休み時間も一斉に運動場へと飛び出していくクラスの皆を横目に、一人教室で本を読んでいたから。それに、人見知りで話すのも上手くなかったのもあったから、遠巻きにされている感覚もあった。学校中どこにいても、どんな場面でも、彼ら彼女らの好奇の目線が突き刺さる。

 

 四年生になって二ヶ月くらいが経った。その日は、時間割変更で社会の授業が体育になっていた。クラスの皆は喜んでいたけれど、僕は憂鬱だった。当然参加できないし、授業中だからと好きな本は読ませてもらえないし、硬い地面の上に体育座りさせられて楽しそうに動き回るクラスメイトの様子を一人でただぼうっと見るだけになるから。

 

 ただ、いつもと違うところがあった。もう一人、僕と同じく見学になった子がいた。その日、たまたま体操服を忘れたリサだった。見学中の自分の隣に、誰かが座っていることなんて今までほとんどなかったから、とても不思議な感じ。体育係に準備体操を任せた先生が、運動場に四角く白線を引き始めた。今日の授業はドッジボール。皆楽しみなのか、心なしか体操のカウントのペースが速い気がする。僕とリサはそれを後ろの位置から見ていた。

 

「今日は寂しそうじゃないね」

 

 突然、そう言ったリサの方を見る。リサの目に他の同級生のような好奇の色は無い。細くなった目の端が少し垂れている。ただただ優しい、慈愛に溢れた目線だった。

 

「今日は一緒だね」

 

 ようやく小学校に通えるようになったのに。たくさんの子達がクラスにいるのに。面会時間が終わって、消灯時間を迎えたあの暗くて寒々しい病室みたいだった。そのリサの一言で、ようやく初めて一緒なんだと、もう一人じゃないんだって信じられた。

 

 

 

 リサは、あの頃僕が欲しかったものをくれた、救世主だった。

 

 

 


 

 

 

 夜、面会時間が終わって、病室には僕一人。ベッドの上で本を開いていた。さっきから文字を食い入るように見ているはずなのに、何も頭に入ってこない。原因は明白だった。

 

 先日の、まさかの再会。そして、今日のお見舞い。

 

 日を改めて今日、リサはお見舞いに来てくれた。開口一番、また会えてよかった、心配したって潤んだ目で言われた。申し訳ないなと思いつつも、やっぱり変わらないなとしみじみ思ってしまった。小学生の時も、僕がこちらに戻ってきてあのコンビニで一緒に働き始めてからも、何かと気遣ってくれて。今日も長い時間、おしゃべりに付き合ってもらってしまった。……きっと、病状について聞かれなかったのも気を遣ってくれていたんだ。

 

 小学校で初めての友達になってくれて。一人だった休み時間にもおしゃべりしに来てくれるようになって、そこから他の子達とも繋がることができた。放課後もどちらかの家に宿題を持って行って一緒にやったり、終わってからおしゃべりしたり。あの頃から僕は、リサにもらってばかりだ。バイトを始めてからも助けてもらいっぱなしで、いくらお礼を言っても言い足りない。……何も、返すことができない。

 

 段々朽ちていくこの身体では、これからももらってばかりになってしまう。どうしても、心苦しい。未来の無い僕の時間が、リサの貴重な時間を奪ってしまっているように思えるから。できることなら、僕のことは忘れていて欲しかった。リサにコンビニバイトを辞めると言わなかったのも、連絡先を交換しなかったのも、そうすれば関係が切れると思っていたから。

 

 でも、また見つかってしまった。お見舞いにも来てくれた。来週もまた来てくれるとさえ言ってくれた。

 

 離れたいのに、離れなきゃいけないと思うのに。リサに会えるのが、こんなにも嬉しい。

 

 

 

 あの頃からの初恋を、どうしたって諦められない。

 

 

 


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