美咲が卒業式で使うコサージュを作る話です。

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この先にあなたが選び駆け抜けるすべての道よ花道であれ
(あきの つき)


(はなむけ)一輪(いちりん)

 卒業式の前日準備は滞りなく進んでいき、椅子の移動やら花の植えられた鉢による卒業生の順路のセッティングやら、色々な工程は粗方消化されお昼休み後、本来五限目にあたる時間。あたしたち二年A組の仕事は残すところ、ドライフラワーによるコサージュ作りのみとなった。

 淡い黄色、甘いオレンジ色、褪せたワインレッド。薔薇にガーベラ、ユーカリ、スターチス、家庭科室の机の上にずらりと並べられた百は下らない花々からひとつ手に取る。

 

「綺麗に乾くもんだねー……ドライフラワー」

「すごいよね! つやっつやで摘んだばっかりみたい!」

「大変だったんだかんな……」

 

 目移りして選び切れない、って感じで机の上に差し出した手をうろうろさせる戸山さんがはしゃぐのに、市ヶ谷さんがげんなりした顔で答えてた。生徒会主導の伝統企画らしいんだよね、これ。卒業していく先輩たちに任せるわけにもいかないから実質的に市ヶ谷さんが音頭を取ったわけだ。苦労話が続けられる。

 

「花自体はなんか弦巻家から提供されてるらしいけど、やっぱ手作りする方が思いがこもるから、って下拵えはこっちですることになって……下処理の仕方調べてボランティア集めて……」

 

 いやほんとに大変だな。市ヶ谷さんには悪いけど生徒会じゃなくてよかった。

 黒板に書かれた手順に目を通す。材料は土台にするフェルト、貼り付けるピン、アクアグルー、それから主役──いや、()()の花をお好みで三本まで。茎を切らず束ねるかカットしてしまうかは自由だから、人によってデザインは多少変わるわけだ。

 で、当日はそれぞれの好みや思いを込めて作られたコサージュを事前に割り当てられた先輩の胸に差して送り出す、って段取り。こっちで相手を決められないんじゃ思いもへったくれもない気がするけど、自由にしたら渡したい人たちがひとりに集中して溢れた結果知らない先輩に……ってなるわけだから、端からこの方が公平なのかもしれない。

 

「ボランティアはポピパも総出で頑張りました!」

「そうだなーいっぺんどころじゃなくグリセリンひっくり返しそうになってたすっとこどっこい」

「えへへ……熱湯と混ぜるときに手がぷるぷるしちゃって」

 

 同じクラスになってから一層思うんだけど、このふたりのやり取りってちょっと漫才っぽいな。「ま、形になったし結果オーライってことで……」なんて適当な相槌を打ちながら見繕った花を回収して作業スペースに移る。

 材料よし、手順もまあ大丈夫でしょう。とりあえずやってみるか。

 

「美咲ちゃんたちも手伝ってたよね、ありがとう!」

「なーんで戸山さんがお礼言うのさ」

「だって、こんな綺麗だもん。みんなが頑張ったおかげだよ!」

 

 フェルトを丸くカットしていると、戸山さんから良い笑顔で労ってもらえた。悪い気はしない。はぐみやこころの手綱を頑張って握った甲斐があったってものだ。「会ったらイヴにも礼言っとかないとなー」「そだね、金一封!」「ギャラが出たらボランティアじゃねえだろ」とまた小ボケ小ツッコミの応酬が始まったふたりを横目に見ながら、ああ、ふたりとも良い子だなぁ、と何度目かもわからないことをぼんやり思いつつ処理を続ける。

 そりゃ、ハロハピだって大概良い子良い人の集まりなんだけど……ポピパは全員同級生だからかウチとほんのり空気の違う朗らかさがあって、その中核に近いふたりに挟まれているとなんとなく一歩引いた心地になるというか、聞き手になってしまうのだった。観客とも言う。

 ……あ、そういえば、全員同級生ってことは。

 

「ねえ、ふたりはコサージュ渡す先輩と面識ある?」

「……いやぁ、知らない先輩なんだよな」

「私は紗夜先輩だった!」

「頼むからちゃんと作ってくれよ、いやマジで」

 

 生徒会に入ってるとはいえ交友関係狭そうな市ヶ谷さんは案の定だった。あたしはテニス部だし交流のある先輩だってそれなりにいるけど、部活とか人数多いコミュニティにいないとそんなもんだろうなぁ。そういう意味では戸山さんが若干レアな確率を引いている。

 薔薇の茎を少し切った。

 

「コサージュ関係なく、紗夜先輩と燐子先輩にはあとでプレゼント用意するけど……そういう奥沢さんは?」

 

 尋ねられた。あたしから振ってんだから当然だけど。

 一瞬だけ心構えをして、努めてなんでもないようにあっけらかんと、ラッキーじゃんって顔をして。

 

「あたし、花音さんだった」

「おぉー!」

「じゃあ気合い入れないとじゃんな」

「……そうだね」

 

 薔薇とガーベラを束ねて見栄えを整えていく。指先に触れる感触はさらさらしているような、湿っているような、不思議な質感だった。

 未だに実感が持てないままでいる。というか、同じバンドだから卒業しても一緒にいるってわかってて、それが別れを薄めている気がする。

 気合い入れて、思いを込めて作らないといけない。でも、相応しい熱量まで高められる薪になる感情を、あたしの中に上手く見つけられないでいた。

 

『──千聖ちゃんとルームシェアするんだぁ』

 

 卒業してからどうするんですか、なんて話はあんまりしていない。だって、就職とかするわけじゃないし。バンドも一緒だし。同じ学校じゃなくなって、生活リズムがズレて、日常で重なり合う時間が減るのがちょっとだけ、寂しいってくらいで。

 だから何にも変わることのない日々が続くつもりで、他愛のない雑談のつもりで尋ねたら、花音さんは幸せそうに言ったんだ。

 

『……え』

『ふたりなら家賃的にも選択肢も増えるし、両親もね? 一人暮らしよりは誰かがいてくれる方が安心できるって』

『それは……そうですね。芸能人と暮らすなら、セキュリティもいいとこになるでしょうし』

『言ってた言ってた、お父さんもそこで認めてくれたの』

 

 別にさ。それでいいんだよ。

 あたしと出会う前から親友同士なんだし。

 仲の良い二人がもっと仲良くなって喜びと一緒に報告してくれるんだから、仲間の幸せにこれ以上ってないでしょ。

 

『今はまだ部屋を決めただけで、本格的に移るのは春休みからなんだけどね……』

『あぁ……当たり前ですけど、家具とか、食器とか、これから揃えるんですよね』

 

 我ながら馬鹿なこと言ってるなーって笑いそうになった。生きていく上で必要なものがそこらから生えてくるわけでもなし、環境は少しずつ自分で作っていくものだ。

 ただ、なんでだろう。

 

『うん、ちょっと大変だけど……でも、それも楽しみなんだ』

 

 花音さんの生活って、休日どこにいくとか何して過ごすとかはなんとなく思い浮かんでも。食器とか、歯ブラシとか、もっとパーソナルな部分ってピンと来なくて。

 

『ある程度整ったら、美咲ちゃんも遊びに来てね』

 

 あたしは、なんて答えたんだっけ。

 部屋に表れるのは実生活じゃなくて生き方だと思う。こうありたい、こんな場所にいたい、そしてそこに相応しくありたいっていう望みが滲み出る。

 そこに、誰の色を見ることになるんだろう。

 花音さんらしさなのか、白鷺先輩らしさなのか、ふたりの混ざった色なのか。

 あたしの思いをどれだけ込めて綺麗なコサージュを拵えても、花音さん諸共に新しい生活に撹拌されて知らない色に成り果てるのなら意味がないように思えてしまう。それでいて、あたしのそんな浅ましい穢さだけは他所行きのワンピースに普段着から色移りするみたいにくっきりと残ってしまうような気もする。

 どんな気持ちで、コサージュを──

 

「わぁー! 美咲ちゃんのコサージュきれい! お店みたい!」

「え……」

「えっどれどれ? わ、すごーい!」

「ねえねえ奥沢さん、コツとかない? なんかバランス悪くてさぁ」

「リボンの付け方とかオシャレだね、いいなぁ……」

 

 はっと顔を上げると、フェルト工作に慣れたあたしの手はいつの間にかそれなりに見栄えのするコサージュを作り上げていて。

 戸山さんの声に興味を惹かれて集まってきたクラスメイトたちに囲まれて揉みくちゃにされながら、取り巻く賛辞があたしの中になんら響かずカラカラと音を立てていることに気づいていた。

 

「ねね、知ってる先輩だったりするの?」

「お、同じバンドの先輩で……」

「すごっ運命じゃん! いいなー……好きな先輩に、こんな綺麗なコサージュあげられたらなぁ」

 

 クラスメイトのひとりがそんな風に羨んでいた。

 

「……手伝えることないかな、あたしに」

「いいの? ありがとう奥沢さん!」

 

 羨んでもらえるほど綺麗かな。

 わかんないけど、今は、そういうことにしておきたかった。

 

 

 

 

 完成したコサージュは、製作者のクラスと名前を書いたタグを括り付けてそのまま家庭科室に置かれることになった。明日の朝登校したら回収するようにとのこと。まあ気楽で良い。自分で持ってたら壊しちゃいそうだし。

 放課後になったけど、部活は今日はなし。講堂の飾り付けとかは昨日以前に終わってて几帳面な一部の人が細かく確認してるくらい、テニス部での卒業祝はまた今度だから来る人はいない、CiRCLEで慣れ親しんだバンドの先輩たちも今日は見かけなかった……と思いきや。

 

「……あれ?」

 

 あとはもうやることもないかな……と何をするでもなくきょろきょろ歩いていると、あたしたちの教室の前で花音さんと、白鷺先輩を見つけた。

 ……邪魔しちゃ悪いかな。

 鞄の肩紐を握る手に力がこもるのを抑えられなかった。頭を振って、気を使いすぎるのもおかしいと思い直す、ことにする。

 

「どうも、花音さん、白鷺先輩」

「あっ、美咲ちゃん!」

 

 小走りで駆け寄ってくる花音さんに手を振り、後ろから苦笑を浮かべて付いてくる白鷺先輩にはきちんと頭を下げた。

 

「まだ残ってたんだ」

「こっちのセリフですよ。どうしたんですかこんなところで」

「思い出話かしらね。校門前とか、一年のときの教室とか、よく使った自販機とか……ふたりで話しながら順繰りに回ってたのよ」

 

 懐かしげにプレートを見上げる横顔は大女優じゃなくて、あたしとひとつしか変わらない……あたしと同じ、二年A組の女子生徒だった。テレビで見かけるアイドルの顔か有名な女優の姿し知らなかったけど……花音さん的には、こういう白鷺先輩の方が見慣れてるんだろうか。

 三人で中に入る。三年生の教室だったら黒板いっぱいにメッセージでも書いてあったりするのかもしれないけど、二年A組は何の変哲もないただの教室としていつも通りの姿だった。16時を指す白い丸時計、消し跡の白く残る黒板の端に流れ着いた磁石たち、時間割や細々した掲示物の中に紛れ込んだ誰かの落書きやメモ、棚に置かれた先生チョイスと思しきハウトゥー系の文庫本やら流行りの小説やら、申し訳程度に参考書とか。

 あたしにとっては見慣れたいつもの教室なんだけど先輩ふたりには違ったらしく、「流石に雰囲気は全然違うわね」「あ、でも窓から見える景色は変わんないよ」「あの桜?」「そう!」なんて懐かしそうにしていた。

 それから花音さんは真ん中あたりの、白鷺先輩は廊下側後方の席に座って顔を見合わせ、クスクス笑い合う。

 

「おふたりの席だったんですか?」

「ええ、ここだったの。仕事で抜けるときに邪魔にならなくて、ほどほどに黒板が見えやすい位置。席替えのたびにそうお願いしてたからほとんど固定だったわね」

「私はここじゃないときもたくさんあったけど、なんとなく覚えてて……」

「……実はそこ、あたしの席です」

「そうなの? ふふっ、お揃いだね」

 

 人の気も知らないで口元を綻ばせ、花音さんは愛おしそうに机の天板を撫でた。

 わかってる。あたしじゃなく、そこに込められている過ぎ去った日々を愛でていることくらい。

 ただ、寂しいだけ。

 

「──美咲ちゃん、窓を開けてもいいかしら」

 

 差し込まれた声に暗がりから引っ張り出された。千聖さんはいつの間にか立ち上がって窓際に佇み、窓枠に手を添えていた。

 

「だ、大丈夫です。飛んじゃうようなものもないですし」

「ありがとう」

 

 気、使わせちゃったかな。

 白鷺先輩は窓を「えいっ」とわざと戯けたように開け放ち、それから束ねてあったカーテンの留め具を解いた。春風がその手をゆったり取って、ふわりと涼やかに踊り始める。

 

「最後だもの、なんとなく風を浴びたくて」

「……いい天気ですからね」

 

 日もすっかり伸びた。青空はかすかに傾いて白く薄らんでいるけれど暮れるまではしばらく掛かりそう。下校してしまうには、放課後はまだまだ長い。

 あたしはふたりを交互に見て、どっちに向けたらいいんだかもあやふやなまま拙く口にした。

 

「……あの、もう少しだけお喋りしませんか」

「うんっ、いいかな千聖ちゃん」

「もちろん。……可愛い後輩とゆっくり話すのも、きっと良い思い出になるもの」

 

 あんまり関わりのないあたしの申し出に嫌な顔ひとつせず頷いてくれた白鷺先輩に頭を下げ、話題を探して視線を巡らせ──その矢先。

 

「──奥沢さんっ!」

 

 ドアが開け破られて。

 

「奥沢さんの、コサージュがない!」

 

 真っ青な顔で飛び込んできた市ヶ谷さんが叫んだ。

 風とカーテンのダンスが止まって、肌寒さだけが取り残された。

 

 

 

 

 

 

 今にも泣き出しそうな市ヶ谷さんがへたり込むのを抱き留めた花音さんは、彼女が落ち着くのを待って尋ねた。

 

「家庭科室なんだよね、コサージュが置かれてたの。鍵は……?」

「掛かってませんでした。私、さっきまで生徒会室で先輩たちに渡すものとか、いろいろ確認してて……それで今、帰ろうとしてたんですけど」

 

 生徒会室は特別教室棟の三階、少し奥の方にある。昇降口に向かうなら同階を横断して普通教室棟まで来てから階段を降りていくか、先に近くの階段を降りてから一階の渡り廊下を出ていくか、ってところだ。市ヶ谷さんは三階の理科室だの家庭科室だのを通り過ぎて普通教室棟に向かうルートを通ったらしい。

 

「なんとなく、自分の作ったやつが気になって覗きに行ったんです。そうしたら、私のコサージュの隣りに置いてあったはずの奥沢さんのが、どこにもなくて。探して、見つかんなくって……せめて、せめて伝えなきゃって」

 

 インドア派なんだっけ、全力疾走で息絶え絶えな市ヶ谷さんはつっかえながらもそう説明してくれた。

 ……妙なことになったな。

 頬をかいて、細く長く息を吐く。思わぬとこでケチがつきそうだ。

 

「……とりあえず、戻ってみる?」

「奥沢さん、ごめっ……」

「いやまあ、びっくりはしたけど。無かったらまあ作り直すなり、きちんとしたの見繕って買うよ」

「でも、せっかく花音先輩のために──」

「えっ私?」

「あ」

 

 目を丸くする花音さんの素っ頓狂な反応に市ヶ谷さんが益々青くなった。……相当気が動転してたなこりゃ。いつもだったら花音さんに気負わせないために伏せるくらいの頭は回ってるだろうに。

 薄々わかってるだろうけど、聞いた方がいいと判断したらしい。白鷺先輩が苦笑してあたしに尋ねる。

 

「コサージュって、もしかしなくても卒業式で使うものよね。花音に渡すの担当が美咲ちゃん……ということでいいの?」

「……サプライズ台無しじゃないですか」

「ごめんなさい。でも公然の秘密だわ、私たちの代もやったし」

 

「造花だったけれど」と肩を竦める白鷺先輩が、奇しくも今この場で一番あたしの内心を理解してくれている人だった──大事にするのは本意じゃない。

 

「……でも、そうね。美咲ちゃんの言う通り、まずは確認しに行きましょうか」

 

 白鷺先輩が先導するように歩き出すので、あたしもずっと持っていた自分の鞄を机に引っ掛けて追従する。一瞬遅れて、背後でふたりも追いついてきた。

 

「…………」

 

 さて、気まずい。何が気まずいって渦中にいるのがあたしであるところが。

 ある程度割り切ってくれているらしい白鷺先輩はともかくとして花音さんと市ヶ谷さんの視線が居心地悪い。変なことに巻き込んで申し訳ないなぁと思いながら振り返ったら、あたしが謝るより先に「ごめんっ、奥沢さん……!」と頭を下げられてしまった。

 

「私が、コサージュ作った後にちゃんと鍵の確認してれば……」

「こらこらこら、最後に鍵掛けたの誰か忘れてない? あたし本人なんだけど」

 

 なるべく軽い調子で手をひらひらさせながら止めさせると、白鷺先輩が綺麗な目を丸くした。

 

「……そうなの?」

「実は、はい、なんか……コサージュを褒められまして。教えてくれって言われたので、最後まで残って何人か面倒見てて……」

 

 羨ましいって言ってた子とか、近くに居合わせた子とか、数人に軽く教える羽目になっていたのだ。居残っていたのもそのせい。

 それから先に終わった市ヶ谷さんたちが出ていき、先生もあたしたちが危ないことはしないと信じてくれたようで職員室でやることがあるからと戻っていったので、鍵はあたしが最後に締めた……はず、と付け足さなきゃいけないけど。

 

「ちゃんと締まってなかったかなぁ……ま、失くなったのがあたしのだけなら別にいいんだけど」

「……奥沢さん、すげえ熱心に作ってただろ。いいのかよ」

「え、熱心だった?」

「……脇目も振らず黙々とって感じだったよ。なのに、台無しになっちゃ、報われねーじゃんか」

 

 ……報い。報いかぁ。あれを渡せたら、きちんと報われてたのかね。もう今更だけど。

 

「……ま、気にしないでよ。さっきも言ったでしょ、作り直せるって。それに騒がれる方がしんどいから……ね」

「……わかった」

「あと……花音さん」

「……うん」

 

 振り返って呼び掛けると、悲しげに目を伏せていた花音さんが足を止めた。潤んだ瞳と視線を合わせると、胸を掻きむしりたくて堪らなかった。なるべくあたしの醜さが映り込んでしまわないように、万にひとつも花音さんの中に滲んでしまわないように、笑顔を作る。作る。作れ。

 

「ごめんなさい、ちょっとだけ待っててください」

「……大丈夫。美咲ちゃんがくれるものだもん。きっと素敵だよ」

 

 心配を掛けまいとしているのが明らかな、萎れた花みたいな笑みだった。

 悲しみと怒り、あたしへの親愛によってかき乱され曇っているその表情が、取り繕うのではなく心からの信頼で綻ぶのを、一瞬、喜びそうになってしまった。

 

「ハードル上げないでくださいよ……なんてことないコサージュですし」

「後輩に祝いの言葉と一緒に花をつけてもらうなんて、先輩冥利に尽きるってものじゃないかしら。楽しみにもなるわ」

「そういうものですかね……」

 

 来年になったらあたしもわかるんだろうか。

 話しながら歩いて家庭科室にたどり着く。責任感からか罪悪感からか市ヶ谷さんが扉に手を掛けて「……あれ」と呟いた。

 

「……鍵、掛かってる」

「……有咲ちゃんは走って戻ってきていたし、ここまでも10分は掛かっていないわよね」

「そうだね……きちんと時間を見てたわけじゃないけど、有咲ちゃんが飛び込んできてからまだ……うん、まだ16時08分。大して経ってないよ」

「……たまたますぐ鍵が返された、とか」

 

 あたしの希望的観測を鵜呑みにする人は誰もいなかった。考えるまでもない説が黙殺されて一瞬の後、「……なんであれ」と白鷺先輩が顎に指を添えて考える。

 

「鍵は誰かがさっきまで持っていて、今しがた使用された。これは確かと見ていいはずよね」

「……有咲ちゃんが家庭科室を見る前に誰かが鍵を借りてここに来て、美咲ちゃんのコサージュを、その……どうにかして。それから鍵を掛けたのが今さっきのはず……ってこと?」

 

 白鷺先輩が頷く。施錠はマスターキーの可能性もある気がしたけど、尋ねると「それなら最後に借りたはずの美咲ちゃんなり、その後の誰かなりにまず確認を取っていると思うわ。紛失していたら事だし」と否定された。それもそうか。マスターキーで締める前に鍵探したりはするだろうから、その場合はまっすぐ家庭科室に来たあたしたちの方が早く着くはず。

 

「じゃあ、職員室で誰かが鍵を借りたか確認すれば……」

「容疑者をひとりくらい挙げられる、かしらね」

 

 方針を定めて話が進んでもなんら達成感のない、湿った不愉快さが全員の顔に浮かんでいた。優しい人たちだから、犯人探しをすること自体が乗り気じゃないんだと思う。

 風とカーテンが手を取り踊っていた涼やかさが、少し恋しくなって。

 

「……ちょっとだけ、遠回りしません? 目撃者を探しがてら」

 

 あたしが提案するとみんな顔を見合わせて、強張っていたお互いの表情に誰ともなく噴き出した。張り詰めつつあった雰囲気がかすかに弛緩する。

 

「……そうだね。外、涼しそうだし」

「賛成、一旦外の空気吸いたい」

「有咲ちゃんが通ったルートだと……あっちの階段から降りて行って誰かがいれば、何か目撃してるかもしれないわね。向こうからいきましょうか」

 

 

 

 

 

 

 花の香り。

 

『いつも水族館に付き合ってもらってたから、お返しできて嬉しいな』

 

 あたしなりに頑張ってロマンチックなところを探したつもりだったんだけど、三馬鹿があっちこっち行かず楽しめそうなとこの下見、なんて言い訳をしたから可愛い後輩にしかなれなかった。

 季節の花が咲き誇る有名なガーデンパークの一角にふたりで行ったとき、花音さんの表情に浮かんでいたのはそんな無垢な色で。

 

『ガーベラの花でグラデーションできてるよ! ふふ、あのへんはこころちゃんの髪みたいだけど……あのあたりははぐみちゃんだなぁ』

 

 柔い風に揺れる花畑を抱きしめるように腕を広げて、スカートをふわり翻しながら振り返った花音さんは、暖かな春の気配を漂わせていて。友愛と慈愛の陽射しで、あたしと、この場にいない仲間たちの姿を照らして。

 

『暖かいねー……ね、あのあたりからは違う花みたいだよ』

『……行ってみます?』

『うん! ぁ、えへへ……ごめんね、急かすみたいで』

 

 体はふたりきりでも、心はみんな一緒で。

 自由に楽しんでほしいのに、ごめんなんて言わせちゃって。

 あたしが同い年なら遠慮なく我儘言ってくれたのかな、なんて。

 

『花音さん、あっちは薔薇みたいですよ────』

 

 

 

 

 

 

 外に出ると、まだ暮れないと思っていた空は少しずつオレンジ色に比重を傾けつつあった。日が延びたと言っても春の夕暮れはあっという間に燃え尽きて暗くなっていくものだから、夜は見かけよりもうずっと近くに忍び寄っているのかもしれない。その証拠に風は冷たく乾いて、日中の暖かさを徐々に拭い去ろうとしていた。

 

「……寒暖差、結構あるね」

「コサージュ、ドライフラワー使ってよかったな……生花とかだったら管理大変どころじゃなかったわこれ」

「ドライフラワーだって充分に手の込んだ物じゃない。それをもらえる私たちは果報者ね」

 

 市ヶ谷さんがドライフラワーの話をできたことにやや安心する。自分のこと責めてそうだったし、ちょっとでも気分を変えられたならよかった。

 一応は被害者だっていうのに他人事みたいな顔でみんなの話を聞いていると、まだ残っている珍しい生徒のひとりが向こうから出てきた。

 

「あれ? あの子は」

「ん? あぁ」

 

 あたしと、それから市ヶ谷さんが同時に気付いた。向こうもそうみたいで「お? あー市ヶ谷さん奥沢さん! やっほー!」と手を振ってくれる。

 彼女が近づいてくるまでの僅かな間で、千聖さんが素知らぬ顔のままそっと呟く。

 

「……どなた?」

「同じクラスの子です、A組の」

 

 あたしのコサージュを羨んでくれた子だ。見慣れぬ先輩ふたり(とは言っても片方は有名人だけど)に「こんにちは!」と軽やかに挨拶してからあたしたちに向き直る。

 

「奥沢さんさっきありがとうね! 先輩に良いもの贈れたよ」

「そう? よかった」

「さっきって?」

 

 白鷺先輩が首を傾げながら……ああ、容疑者候補なのか。不審に思われないようにさりげなく尋ねると、クラスメイトは素直に話し始めた。

 

「今日……あー、市ヶ谷さん、言っていいの?」

「……大丈夫、先輩たちもやったそうだから」

「あっそうなん? じゃあいっか。えっとですね、卒業式用のコサージュをお昼休み後から作ってたんですけど、奥沢さんのがすっごい綺麗で! すごーい売りもんみたーい、ってみんなで言ってたら手芸教室開いてくれて!」

「やってたなそういや……」

 

 市ヶ谷さんが苦笑いした。ご迷惑をおかけしてすみません。「あのあとしっかり全員分面倒見てくれたもんね! しかもフェルト小物の作り方まで教えてくれてもうめーっちゃいい人!」と褒めちぎるクラスメイトをあたしは適当に遮った。

 

「いいからいいから、で? もう帰るとこ?」

「うん! あっそうだごめんね鍵任せちゃって」

「いーよ別に、どうせ大した差じゃなかったし」

「今度なんか奢るね! じゃあバイトだからお先、市ヶ谷さんもバイバイ!」

 

「先輩たちもさよーならー、卒業おめでとうございまーす!」と気の早いことを言いながらさっさと走っていく彼女を手を振って見送ってから、花音さんが「はっ!」と声を上げた。

 

「……ま、まま、まさか……いやでも……」

「あの子が犯人ってことは……まあ、ないんじゃないかしら、きっと」

 

 そう信じたい、と内心が聞こえてきそうな口振りだった。白鷺先輩はそう言いつつまだ考えている節はあったけれど、あたしは「まあ、今のが嘘じゃなければアリバイはあるんじゃないですかね」と話を継いだ。

 

「あの子、あたしに鍵任せてちょっとだけ先に出てったんですけど……部活の先輩にプレゼント渡したかったらしくて」

「あぁ……フェルト工作、ってさっきも言ってたわね」

「コサージュの材料にフェルトがあったんで、切れ端もらって簡単にですけど」

 

 ピンの土台として用意されてたんだけど、これそのものでもコサージュが作れるなーとぽろっと言ったら、教えてた子たちが食いついたのだ。

 

「それで少し居残りながらみんなに教えて……でまあ、あたしがクラスで最後に出てきたわけです」

「……それって何時頃?」

「えーと……15時、くらいですかね。で……鍵を返してからは、卒業式の準備進んでるなーってぶらぶら歩いて、教室前で花音さんたちと合流、って感じです。ここで16時前、ってとこですかね」

「……なるほど、それなら……」

 

 千聖さんは頷いた。あたしのこの説明とも言えない説明はちゃんと筋が通ってただろうか?

 薄暗い静けさを跳ね除けるように、花音さんが手を合わせて「そうだ」と話を変えた。

 

「そういえば、有咲ちゃんは誰か先輩にプレゼント渡したりするの?」

「……その……燐子先輩と紗夜先輩に、ちょっとしたものを」

「詳しく聞かない方がいいかしら?」

「一応……はい……サプライズなんで」

 

 恥ずかしそうに俯いてもごもご言う市ヶ谷さんは大変可愛い。生暖かく見つめられてむず痒そうに震えた彼女は「いや、その……あれですよ」と言い訳を始めた。

 

「ポピパは特に部活やってるやつもいないですし、CiRCLEで会う先輩たちはみんな同じくらい良くしてくれてるんで……でもその、私は生徒会だからこう、余剰感謝がある的な……なに笑ってんだよ奥沢さんッ!」

「いや……だって……っ」

 

 可愛すぎる。仕方なくとは言わないあたりに根の良い人さが滲み出てるね。顔もお腹も押さえてくの字に折れ曲がるあたしを、同じく笑いを堪えながら花音さんが支えてくれた。

 

「ふふふっ……ごめんね、恥ずかしいこと聞いて……きちんと渡せるといいね」

「……そっすね。きちんと」

「渡しさえ出来れば絶対に喜んでくれるはずだもの。自信を持って、ね?」

「……頑張ります」

 

 自分の両頬に手でぺちんと触れて、市ヶ谷さんはうっすら赤い顔に精一杯の決意を浮かべていた。

 ……あの子は、あたしのコサージュを羨んでくれたけど。

 自分の心を込めたものを渡そうと決心できる、市ヶ谷さんの勇気の方がよっぽど羨ましかった。

 その決意が抱けたなら、あたしも今頃は違う気持ちでいたんだろうか。

 

「……職員室へ向かいましょうか。少し冷えてきたし」

 

 その決意が抱けたなら、今。

 先導して歩くのもあたしだったのだろうか。

 

「うん……見つけてあげたいね、美咲ちゃんの」

 

 その決意が、抱けたなら、今。

 隣に、誰が──

 

「そういえば、コサージュってどんなものなのか聞いてなかったわね。家庭科室には入れなかったから他の人のを確認できなかったし」

「……ぁ、あたしのですか?」

 

 考え事に浸っていて反応が遅れた。咄嗟に鞄を探ろうとしちゃったけど鞄なんか持ってないし、第一見本なんかも作ってない。口頭の説明しかできないな。

 

「薔薇とガーベラが一本ずつと、ユーカリを添えたやつですね」

「花は使うやつを自由に選べたんですけど、奥沢さんは迷いなく選んでたよな」

「まぁ、なんとなく」

 

 適当に濁したけど、花音さんは「あ、もしかして」と思案顔になった。

 

「前に薔薇とガーベラのお花畑に行ったね。きれいだったなぁ……あれのイメージなの?」

 

 花音さんの目の奥には柔い無垢なひかりがあるだけで、汚れや曇りは一点もない。ただふと浮かんだ疑問を尋ねただけのようだった。

 

「……まぁ、綺麗でしたし。花音さんが当たったときに、ふたりで行ったなーって思い出したんで」

「ふふふ、嬉しいなぁ。また行きたいね、今度はハロハピのみんなで」

 

 そうですね。「そうですね、みんなで」と言葉にし損ねた内心をどうにか言い直して、あたしは話を逸らす。

 

「コサージュ、見つかるといいんですけどね。せめて手がかりくらいでも」

「……結局、手がかりになりそうだったのはあのクラスメイトの子くらいだったわね。収穫なし、ではないけれど」

「まあ、鍵返した人が誰かわかれば前進するんじゃないですかね……」

 

 結局のところ最有力はそこなのだ。何かの取り違いなのか悪意があるのかはわからないけど、市ヶ谷さんが確認する前、最後に鍵を使って家庭科室に入った人が真犯人。

 そのあとは、どうしよう。

 

「失礼します……あ、先生。ちょうどよかった」

 

 職員室についた。先生方は明日に向けて身を休めるのか残業してる人もあまりいなくて、熱心な吹部の先生や、卒業生とお話したいフレンドリーな先生がちらほら、ってくらい。ただ、そういう先生たちから細々と頼まれごとをされて、積もりに積もった業務外の『お願い』に忙殺されてる貧乏籤引かされた若手の先生もいるにはいて。

 家庭科の先生はそのタイプだった。

 

「……ああ、奥沢さん……まだ用事?」

 

 態度わる、と市ヶ谷さんがかすかに呟くのが耳に届いたけど、まああたしも今日面倒かけたひとりだから責める気には慣れなかった。それになんか明らかに疲れきってるし、教師って大変なんだなぁ……と同情するばかりだ。

 同じく同情側っぽい花音さんは物言いたげにしつつも結局苦笑いになってたけど、顰蹙側らしい白鷺先輩はきれーな営業スマイルで「すみません、少々お願いがございまして……」と押し込んでいく。

 

「美咲ちゃん……奥沢さんと、ちょっと探し物をしているんです。もしかしたら家庭科室で落としたかもしれなくて……」

「あら、何を落としたの?」

「あー……ボールペンです。なんでまあ、そんな急ぎでもないんですが」

 

 ()()()が大事にしたがらない以上は突っ込みも入れにくいだろうし、これでいい。市ヶ谷さんにジト目を向けられてる気がするけど。

 ちょっとお高いボールペン一本惜しんで行進するしみったれた一団ということになったあたしたちに先生は「あらまあ……」とニヤニヤした。卒業前の冒険だとでも思われてるんだろうか。

 

「そういうことなら……ああ、でももう完全下校時刻も近いわね。17時にはみんな追い返さないと」

「あ、ほんとだ……じゃあ」

「じゃあっ、すぐに探さないと……!」

「……花音さん」

 

 普段なら……そうだ、こんな変なことに巻き込んでない、ハロハピの笑顔探しみたいないつもなら、たぶんあたしの意を汲んでくれただろうに。

 人の顔色の変化にもつぶさに気付けて寄り添ってくれる、温かで勇気ある人なのは知っていたのに。

 今だけは、その優しさを向けないでほしかった。

 

「……大丈夫ですよー、別に()()()()()くらい。探すのも明日とか、卒業式終わった後だっていいんですし」

「いっそみんなで買いに行こうかしらね、お揃いのやつ。大学だとノートパソコンを使う機会が増えるでしょうけど、手書きをしなくなるわけじゃないし」

 

 白鷺先輩が話を合わせてくれて、戸惑った顔の花音さんをそっと後ろへと下げさせた。こんな役回りばっかり任せて申し訳ない……今度本当に何か渡そうかな。芸能人に小物贈る度胸はないから、適当にはぐみのとこのコロッケでも。

 時計をちらりと見て「あんまりお邪魔しても悪いわね……」とさも撤収するような流れへ仕向けながら、千聖さんはあたしたちにとっての本題を先生に振った。

 

「あぁ……そういえば、奥沢さんがクラスメイトたちにコサージュの作り方を教えていたと聞いたんですが」

「そう、そうなのよ。上手くできない子まで最後まで見るのは私一人じゃ正直大変だったから、生徒間で頑張ってくれると助かるのよね……ありがとうね奥沢さん、授業の後も結構遅くまでいてくれたし。ごめんなさい、最後の締めまでさせちゃって」

「いえいえ、言うほど遅くでもなかったです、すぐ出ていきましたよ」

 

 こっちの空気がちょっと妙なのを察してか、さっきよりはいくらか真面目な様子で先生がお礼を言ってくる。別に放課後ちょっと残ったくらいなら大変でもないし、日が暮れるまで頑張ったわけでもない。謙遜していると白鷺先輩がしれっと仰る。

 

「名選手にして名コーチだったのね」

「持ち上げすぎですよ……」

 

 もしかして結構お茶目な人なんだろうか。……それとも、花音さんを悲しませていることへの意趣返しかな。

 

「そう? 鍵返してくれたの割とさっきだったような……」

「え、あたし鍵渡してから結構ダラダラしてましたよ。それこそ先輩と喋ってたり」

「あれ……あーもうダメね、残業なんかするもんじゃないわ」

「あはは……お疲れ様です、先生……あの、家庭科の授業、いつも楽しかったです」

「松原さん……ッ!」

「ちょっ、ま、先生!? うわっマジで泣いてる……」

 

 感激してくしゃくしゃになり始めた先生を花音さんと市ヶ谷さんがなんとかあやしている後ろで、必要な情報をすっぱ抜いた白鷺先輩はまた、顎に指を添えて知的な憂いを浮かべた表情で考え込んでいる。

 ……時間は、もうすぐ完全下校時刻。

 空はいつの間にか藍色で、日の名残は西に残火の揺れるだけ。それもじきに消えるだろう。

 

「……美咲ちゃん、帰り支度をしましょうか」

「白鷺先輩……はい」

 

 

 

 

 

『わぁー……こんないっぱいの薔薇、初めて見るかも』

 

 空は青空、海は薔薇。真っ赤に広がる一面の花畑はいっそファンタジックですらあった。

 

『薔薇っていくつか色ありますけど、ここのはぜんぶ赤なんですね』

『ねー……薫さんが喜びそう』

 

 興奮よりただただ驚き、圧倒されたように簡単の息を吐く花音さんが、どこまでもどこまでも広がる薔薇の波打ち際までゆったり歩を進める。後ろ手に回した左腕の肘を右手で引っ掛けて、白いワンピースが遠くへ漕ぎ出だす帆のように、あるいは飛び立たんとする翼のように風を呑んで。

 

『っ、花音さん!』

『なぁに?』

 

 なんてことなく振り返って莞爾と笑う。

 今に風が攫っていてしまうような、春が終われば立ち消えてしまうような気がして。

 

『花音さん、あ……』

 

 薔薇の花言葉が脳裏をよぎった。

 1本なら貴方しかいない、12本なら私と付き合ってください、40本なら本物の愛、101本なら最高に愛しています、999本なら何度生まれ変わってもあなたを愛します……だっけ。これだけあったらどんな花言葉がつくんだろう。

 

『あたし』

 

 だけど花音さんは……特別じゃない、あたしたちの、あたしの側にずっといて。だから特別な言葉をかけることは却って、彼女を神様のようにしてしまう気がして。

 卒業は近いけど、それでも、いなくならないはずで。

 

『あたし、聞きたいことあって』

 

 だから、だから、なんてことないことを聞こうとした。

 

『花音さんは……卒業したらどうするとか、あるんですか』

『え? 卒業したら……そうだ、まだ言ってなかったかも』

 

 意気地なし。

 

『──千聖ちゃんとルームシェアするんだぁ』

 

 

 

 

 

 

 廊下に会話はなかった。申し訳なさと、不甲斐なさと、虚しさと、少しの楽観が滞留して静けさを作っていた。

 A組の教室に戻ると窓は開けたまま、カーテンも垂れるままだった。あたしの鞄も席に掛けたまま。春風に置いていかれたすべてが薄闇の中でじっと立ち竦んでいる。

 そこにひとり、またひとり踏み入っていく。あたしが、花音さんが、市ヶ谷さんが──

 

「──私たちがこの教室で談笑しているところに、有咲ちゃんが飛び込んできたのが16時を少しすぎた頃」

 

 ──そして白鷺先輩が後ろ手に扉を締めて、先輩たちとの最後の放課後が終わりへ向かい始めた。

 

 まだ夜になり切らない空の色だけを教室に取り込んでいた。目が慣れて互いの顔くらいは見えるようになったけど……まるで急に照明を点けられて慣らした夜目を奪われたみたいに、探偵役を演じる白鷺先輩は存在感があった。

 

「走ってきたのよね。息は荒れていたし必死の形相だった、文字通り全力疾走していたんでしょう。ここから特別棟の教室までは歩いたって5分も掛からないのだし、ことの発端──美咲ちゃんのコサージュ紛失が確認されたのは、概ね16時ちょうどだったと見ていいはず」

 

 暗がりでもほのかに照るブロンドが翻って市ヶ谷さんを視線で射抜く。彼女は「……はい、そのくらいだったと思います」

 

「もう放課後だから、部活終了の……完全下校時刻の5分前までチャイムが鳴らないので、ぴったりだったかは自信ないですけど」

「おおよそでいいわ、考えやすいように仮定しただけだもの……さて」

 

 夕暮れがまた一歩、夜へ進む。

 

「美咲ちゃん、確認したいのだけれど……コサージュ作りは五限目から始まったのよね?」

「……はい。昼休み明け、13時30分から」

 

 他のクラスは設営準備やらなんやらの都合で時間がまちまちだったけど、A組は最後だったからキリのいい時間に滑り込めた。

 

「それで、終わったのは?」

「あー……クラスのは六限の途中ですかね、15時ちょいすぎ。で、ちょっとクラスメイトの面倒見たのが……それから10分か20分ってとこです」

 

 思い出しながらなんとか返事をする。六限終わりのチャイムが鳴ってたかは正直自信がない。鳴ってたような気もするし、毎日過ごしてきた記憶と混ざってるかもしれない。

 

「となると、最後まで残っていた美咲ちゃんが家庭科室を出たのは15時30分でいいのよね?」

「……はい」

「なら、犯行時刻は15時30分に施錠してから16時に有咲ちゃんがやってくるまでになるわね」

「たった30分……」

 

 改めて時間にすると長いようで短い。

 ただ行って帰ってくればいいわけじゃない。大前提として、あたしが職員室に返したはずの鍵をなんとかして回収する必要があるのだ。短い時間のうちにチャンスを見つけて相当上手くやらなきゃいけない。

 

「……窓の外を伝っていく、っていうのはどうかな」

「卒業式前でなければ上手くいったかもしれないわね。でも今日は仲の良い先輩と最後にお話したいだとか、部活で集まってお別れ会だとかでちらほら出歩いている生徒がいる」

「じゃあ内窓、あの廊下側の壁の、上の方にあるやつは」

「同じ理由で難しいでしょうね。実際有咲ちゃんに見つかってはいるのだし、私たちみたいになんとなく歩いていただけの生徒だっていた」

 

 ふたりが可能性を挙げるけど白鷺先輩が容赦なく切り捨てていく。その間も彼女はあたしをまっすぐ見据えていた。見て見ぬ振りをしようとするあたしを逃さないように。

 

「美咲ちゃん、思いつかない?」

「……思いつきませんよ、誰も」

「本当に?」

 

 しつこく念を押してくる。あたしは額を押さえながら、それでも笑い飛ばしてやりたくて笑みを作った。

 

「あたしが鍵の受け渡しする隙をついて先生にも誰にも気づかれず盗み取って、家庭科室からドライフラワーのコサージュなんて脆いものをバレないよう持ち出して、それから鍵を締めて証拠隠滅できる人ですか? 思いつくわけ──」

「違うわ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()よ。気づいてるでしょう?」

 

 音が止まった。

 あたりが暗いから、実像よりも浮かんだイメージこそが鮮明に浮かぶ。

 

『いいなー……好きな先輩に、こんな綺麗なコサージュあげられたらなぁ』

 

 動機は、ある。

 

「……違うと思う、って言ってたじゃないですか」

「クラスメイトのあの子、先輩にプレゼント、って言ってたのよね。その場面は誰か見ていたの?」

「……千聖ちゃん、まさか」

 

 花音さんも気がついた。市ヶ谷さんは小さく息を呑んでいた。

 ……みんな、考えたくなかったんだ。盗まれた以上は犯人がいるとはわかっていても、それでも、明日で卒業なのに、人の祝いの品を盗んでプレゼントするようなやつと過ごしてたかもしれないなんて、思い出を穢すようなこと。

 白鷺先輩は淡々と続ける。

 

「美咲ちゃんの手芸講座から先輩にプレゼントするために先に出て行った……でもね、大抵どんな教室にも教員用の準備室があるでしょう。理科室もそう、音楽室もそう……もちろん、家庭科室だって」

 

 そうだ。

 五限目のコサージュ作りであたしが頼られたのは、()()()()()()()()()()()先生より声を掛けやすかったからに他ならないんだし。

 

「……ねえ、美咲ちゃん」

 

 先輩の声は酷く透明で。

 

「あの子が出て行って、それから美咲ちゃんが鍵を掛けるまで一度も戻って来なかったって、本当に言える?」

 

 先輩の声は清く明瞭で。

 

「全員いなくなるまで準備室に隠れて息を潜めて、それからコサージュに手を付けて、出て行くときは美咲ちゃんの掛け忘れってことにして不手際を押しつけてしまえばいい」

 

 先輩の声は裁くようだった。

 

「あの子が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()って、信じられる?」

 

 …………そんなわけない、って。

 言い返すのは、簡単だ。ただ喚き散らすだけで事足りる。

 でも、それを正しく通す道筋は、もうどこにもなかった。

 

「……あいつ……ッ」

「今日は帰って作り直して……あの子とは、明日話します」

「奥沢さん! なんで、なんで後回しなんだよ! 捕まえればいいだろ!? 誰かに聞けば家とかバイト先とか、居場所くらい……!」

「いいの」 

 

 あれ。あたし今、声出せてた?

 呟いたくらいのつもりで舌先から落とした言葉は教室に立ち竦む何より頼りなく、死体のようだった。

 先輩が、愕然とする花音さんの手を引く。

 

「……()()()()()。後は、いいのね?」

「……はい」

「待って……待ってよ、千聖ちゃん。なんで……」

 

 花音さんの声が潤んでいる。長い睫毛を震わせて、きっと少し青褪めて、不条理を恐れて、それでも後輩(あたし)のために声を上げようと勇気を振り絞ろうとする──あたしの愛したひかりが、鮮明に像を結んだ。

 

「花音……行きましょう」

「ねえ、なんとかできないの? どうして……クラスの子と、こんな……ねえ……どうして……っ」

「私たちにできることは、もうないの」

 

 また明日ね、美咲ちゃん。

 最後にそう言い残して、白鷺先輩は花音さんを連れて去っていった。点灯された廊下の明かりが差し込み、暗がりに慣れていた目がまた眩む。

 残るは、あたしと、市ヶ谷さんだけ。

 

「はぁ……」

 

 とうとう、オレンジ色が押し負ける。窓の外は星明かりもない曇り空へ移ろっていた。風のない春の夜は泥へ沈めたように粘性の湿度を伴っていた。

 いつの間にか手近な机にもたれかかっていた体をねばりと起こして、あたしは呆然とする彼女に声を掛ける。

 

「ねえ、市ヶ谷さん」

 

 ──あの子があたしの後に素知らぬ顔で家庭科室から出てきたはずがないって信じられるか、ね。

 

「そこにあたしの鞄あるでしょ。ちょっと開けてくんない?」

「……え? い、いいけど……」

 

 ()()()()()

 

「……ん、っな……!?」

 

 「白鷺先輩の推理通り、()()は準備室にいた。みんなを先に帰して誰もいない、堂々と()()()のコサージュを鞄に入れてさあ帰ろうと思った矢先に足音がして隣の部屋に移る──そしたら手芸教室のことを知らない同級生が入って来ちゃったんだ。あとは、もうわかるでしょ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()に絶句する市ヶ谷さんに、あたしは一方的に捲し立てていく。

 ミステリーの解決編は探偵役の退場でもって終わり。

 だからこれは、ただの、そう、駄作の三文芝居だ。

 登場人物はふたり。真犯人だった狂言回しと、可哀想にも巻き込まれちゃった目撃者。

 凍りついていた市ヶ谷さんは暗がりでもわかるほど目を見開いて、頭を押さえて、鰓で息をするように声もなく無酸素に喘ぎ。

 

「──違う!」

 

 ヒステリックに叫んだ。

 現実逃避だった。

 

「おかしいじゃん、六限の途中くらいで終わって、鍵返したんだろ!?」

「そうだね。六限の途中で終わって、一旦解散して。まだやりたいって子がいたから先輩に挨拶したいとか用事があるのを各々済ませて再集合したのが、15時30分にならないかってとこ」

「……は?」

「二回やったの、手芸教室。クラス全体の中で一回と、その後に改めてもう一回」

 

 あのときの、ふたりの言葉。

 

『奥沢さん()()()ありがとうね!』

()()()()しっかり全員分面倒見てくれたもんね!』

 

『……ありがとうね奥沢さん、()()()()も結構遅くまでいてくれたし』

『そう? 鍵返してくれたの()()()()()だったような……』

 

 どちらも授業が終わってから本当についさっき──16時の少し前までコサージュ教室を開いてたことを表していた。

 それをあたしが必死に誤魔化してた、ってだけ。死ぬほど単純な話。

 

「当たり前じゃん、補習授業をその他大勢の前でなんてやらないよ。時間は区切ったし、待ってる間に軽く教え方も考えたりね。それから数人指導して……クラスメイトのあの子が先に出てったの。聞いたでしょ? プレゼント渡しに行く、って。そのすぐ後みんなも解散して、あたしひとりになったのは15時、50分くらいだったかな」

「……いや、いやいやいや……無理があるって。そんな……じゃあなんだよ、私が家庭科室出るの見て、それから走ってあたしより早く教室に着いたのか? んなわけ──」

「市ヶ谷さんさ。あたしのこと探したでしょ、たぶん5分くらい」

 

 遮って事実を押し付け続ける。

 あたしのコサージュがない、って彼女は断定した。じゃあ机の周りをよく見るくらいはしたはずだ。責任感ある彼女はあたしに伝えようとするだろうし、実際にそうなった。

 でも今日の放課後、あたしのスマホは一度も着信を受け付けていない。

 

「昇降口までさ、あたしの靴あるか確認しに行かなかった?」

「……んで、それ……」

 

 当たりかな。

 なんでも何も、良い人のすることはわかりやすいよ。

 

「まず1分ちょっと。それも三階から下に向かう。あたしの出席番号を思い出しながら下駄箱を探す。これも1分。靴がまだあるの見て、あたしがどこにいるか考える。また1分……ほら、もう3分経っちゃった」

 

 特別教室棟は当然ながら授業で使う。業間の休憩は10分だけど、飲みもの欲しさに歩いて一階の自販機まで降りて買って戻るのだって充分可能な時間だ。教室移動くらい喋りながらのんびり行ったって訳ない。5分もあれば歩いても間に合う──じゃあ、走ったら?

 

「あたしは市ヶ谷さんが出て行った瞬間に準備室──家庭科室から出て施錠、職員室まで鍵を返しに走ったよ。同じ階だし30秒もかかんない。先生もあの調子だからお喋りとかも特にしないでさっさと出たら……ほら、1分。インドア派で運動慣れしてない市ヶ谷さんは、まだ下駄箱に着いた頃」

 

 こちとらテニス部だし、そうでなくてもハロハピで動き回るのなんか慣れっこ。持久力にも回復力にも足の速さにもそれなりの自信はある。

 

「職員室を出る。これを壊すなり隠すなり適当にすればいいやと思ったから、とりあえず小走りで教室棟に向かって途中からはクールダウンがてら歩き。誰かに不審がられてたりしないか、周りを見たりしつつね。……で、市ヶ谷さんがあたしの靴を見つけたくらいの頃、あたしは先輩たちに遭遇した」

 

 時間って、短いようで案外長い。1分あったら曲によっちゃワンコーラス聴き終わるかもしれない。ちょっとお喋りするくらいじゃ数十秒が関の山。

 あのとき、あたしたちは大した話をしてなかった。どうして残ってるのか聞きながら教室に入って、ふたりが外の景色のことを話しながら縁のある席に座って、センチな気分になったあたしのために白鷺先輩が窓を開けてくれた──それだけ。

 

「ほんの一瞬なんだ、喋ってたの。そこにバテバテで更に遅くなった市ヶ谷さんがやっと飛び込んできて……もう一度言うよ。あとは、わかるでしょ」

 

 話を切り上げた。暗闇の中で俯き表情の伺えない彼女が反応するのを待ちながらも、頭の中は風邪ひいたときに散々吐いたみたいな不愉快な爽快感で埋め尽くされている。

 身勝手だなぁ。今更だけど。

 

「……この際、私が貧乏籤引いたのはいい」

 

 ぽつりと、声が落ちた。

 暗い洞窟で水面が揺れる、黒黒とした波紋。

 

「……でも、あの子は?」

 

 市ヶ谷さんの、顔が上がった。

 目つきが険を伴っていた。

 

「……」

「千聖先輩の推理で、奥沢さんじゃなくてあの子が悪いってことになってたろ。それを、なんで否定しなかったんだよ」

「……」

「なあ、先輩たち、明日卒業なんだぞ。今日が最後の放課後だったんだぞ」

 

 一歩一歩、語気を徐々に強めながら市ヶ谷さんは詰め寄ってくる。やがて目の前、ついに掴み掛かって来た彼女が言いそうな言葉なんてわかりきっていて。

 

「……」

「お前ッ……人に罪擦りつけて、こんな意味わかんない真似して門出の前にケチつけて! なんのつもりなん──」

 

「──市ヶ谷さんには絶対にわかんないよ!」

 

 襟首を掴んで叫び返した。血が昇ったかな、ちょっとくらくらする。寄りかかるようにしながら睨んで、でも腹の底で茹だる感情を上手く掬えずただ歯を食いしばった。

 

 わかるわけない。

 ……わかってたまるか。

 五人一緒で一番仲良しで、先輩たちとはほどほどに付き合って。平等に繋がって満たされて。

 

「誰か、誰かひとりを特別にしたことがない市ヶ谷さんに、あたしの気持ちは絶対わからない──っ!」

 

 好きな人にお花をプレゼントしましょう。そりゃいい、最高じゃん。

 でもさ。あたしの方を向いてない好きな人にさ。これから別の誰かと幸せに生きていきますって言ってる人にさぁ。どんな気持ちでいればいいのさ。

 ふたりから貰うなら、まだよかった。幸せなふたりからお裾分けのブーケトスみたいで。

 でも。

 

「……好きな人に、さようなら、お幸せになんて言いながら贈れる花……持ってないよ。あたし」

 

 噛み殺し損ねた言葉が奥歯でガチガチ言うのを感じながら、なんとか吐き捨てた。

 足に力が入らなくて市ヶ谷さんに縋るみたいにへたり込んだ。巻き込まれて彼女も腰を下ろす。どろどろと空気が淀み尽くして、やがて世界が終わったみたいに停止した。耳の奥で痛いほど鳴る静寂の奥で「……だから」と小さく聞こえた。

 

「……だから、こうしたのか? 作り直しでも代わりでもなくて、花を贈ること自体、したくなかったから?」

「……そうだよ」

 

 他に、なんにもない。ただの穢い我儘が、巡り巡って妙なことになった。それだけの話。

 目と鼻の先、理解の外って感じの顔した市ヶ谷さんは「あー……」だの「……うーんと、その……」とわかりやすく悩んで、また口を開いた。

 

「じゃあ……千聖先輩に、勘違いさせたままなのは?」

「気付いてたよ、白鷺先輩」

「……は?」

 

 ああ、奇しくも。

 最後まであたしの意を汲んでくれたのは、誰あろう白鷺先輩だった。

 

「ずっと、あたしに確認取ってたでしょ。聞き込み中も、推理のときも。……さっきだって。そういうことにしておけばいいのね、って感じで」

 

 嫌だなぁ、ほんと。ほんっと嫌。

 なんで恋心による犯行を恋敵に庇われてるんだ。

 ばっかみたい。

 

「コサージュの見た目聞かれたとき、持ってもない鞄に咄嗟に手やっちゃったし……とっくにね、ぜんぶバレてるの。その上であの人は、幕引きをあたしに委ねた。白状するか隠し通すか。自首するか、卑怯に逃げ果せるか」

 

 どちらを選んでも苦しいなら、贖うあたしが決めるべきだ。

 高潔で、強くて、優しい人だと思う。

 花音さんとお似合いだ。

 

「……どうするんだよ。これから」

「……どう……しようかなぁ……」

 

 今すぐ離れろ死んでしまえって罵声の限りを浴びせてくる自分も当然いるんだけど……いつも通り、ハロハピで集まって笑ってる姿も、想像できちゃって。

 

「……明日次第、かな」

「……なあ、奥沢さん」

 

 市ヶ谷さんと目が合う。夜が遮れない距離、瞳に浮いているのは怒りでも同情でもなく、もっと澄んだなにかだった。

 

「コサージュ、作り直さないか」

「……ねえ、話聞いてた?」

「わかってる! わかってっけど……そうじゃない!」

 

 なんだっけな、この感じ。

 熱くて、透き通っていて、強くて。

 

「花音先輩のためじゃなくて……奥沢さんの、気持ちの整理のためにだ」

 

 眩しくて、だけど目を逸らせない、この感じ。

 戸山さんのような、こころのような、でも、どっちでもなくて──

 

「ぜっったいぐっちゃぐちゃだと思うけど、でもその奥の、一番、ずっと深いところの本音が出てきてるはずなんだ。こんなことするくらい純粋で、大きな気持ちが、奥沢さんが穢いと思ってるその奥底でキラキラしてるはずなんだ。それが……」

 

 あぁ、そうだ。

 勇気だ。

 誰かのための。

 あたしが好きになった、あの色だ。

 

「それがどこにも行けないままなんて、あっちゃダメだ」

 

 眩しいひかりに、応えたくなった。

 

 

 

 

 

『ある程度整ったら、美咲ちゃんも遊びに来てね』

 

 だって。

 幸せそうに言うんだもん。

 だからさ。いいの。

 薔薇とガーベラの思い出だけ抱き締めて。

 

『……ふたりのお部屋、楽しみにしてますね』

 

 あたしは、これっきりで。

 

 

 

 

 

 

 ──卒業式当日。

 

 三月ってたまに雪なんか降り出すくらい不安定な天気が続くけど、今日は厚い雲も花粉の霞もない澄んだ青空だった。どこまでも抜けるような青の向こうへ、ときどき花弁が消えていく。

 

 あのあと、市ヶ谷さんとホームセンターだのあちこち行って花とフェルトとお菓子を買い、いくらか練習したり八つ当たりみたいに縫い物したりお菓子を食べながら愚痴り合ったりした。色々と惚気と苦労を聞かせてる途中、あとで取り立てるから覚えとけよと言われた。記憶にございません。……いやまあ、感謝は、うん、いくらでも渡せるけどさ。

 

 コサージュ作りの途中、白鷺先輩にメールで謝罪した。巻き込んだこととか、あたしにすごく気を使ってもらったこととか。どうやらあたしが真犯人であることにはクラスメイトに教えてた云々を知った時点でわかってたらしい。それであの振る舞いなんだから流石の大女優だ。

 今度なにか贈りますって書いたら『新居に置く小物を買いたいから案内と荷物持ちをしてほしいわ』と返信が来た。いい性格である。喜んでお供しますと返した。

 

 帰ってから、花音さんには電話した。どうにか。

 死刑囚の気分だった。百回くらい深呼吸して、お前なんか声も聞きたくないって言われる想像を一万回くらい振り払って、人生ぜんぶ合わせても足りないくらい勇気を振り絞ってコールボタンを押した。

 一言目、今日はごめんなさいって言った瞬間に決壊してしまって、後は溢れる涙と嗚咽のままにすべて白状した。懺悔した。告解した。それでもちろんすごく怒られて、怒られてる間に泣かれてしまって、ふたりして電話口でなに言ってるかわかんないことを喚き合って。

 ……最後には、振られて。

 

『だから……これからも、どんなことしても。ずっと友達だからね』

 

 禊がれて。

 赦された。

 人生で一番長電話した気がする、なんて思ってる間に緊張の糸が切れたあたしはぐっすり眠りこけた挙句遅刻しかけたりなんかしたけれど、それはまあ余談として。

 

「花音さん!」

 

 講堂へ向かう先輩たちの中に見慣れた姿を見つけた。春風に棚引く涼やかな髪を押さえて、今日で最後の制服を丁寧に整えて。

 あたしに気付いて潤ませるようにはにかんで、着崩れないようほんの少し早歩きでこちらにやってくる。その一歩後ろを、どこか呆れた顔の白鷺先輩がついてきていた。

 

「美咲ちゃん……あの、えっと……」

 

 腕を後ろで汲んで、後ろめたいような嬉しげなような浮ついた雰囲気で目配せしてくる。クリスマスの子供みたい、っていうのは渡す側の自惚れかもだけど。

 

「……コサージュつけますから、動かないでください」

「……っ、うん! えへへ、じっとしてるね」

「そわそわしてるじゃないの」

 

 そう言う白鷺先輩の胸には既にコサージュがあった。「この子、羨ましそうに見てたのよ。早く渡してあげて」「ちっ、千聖ちゃん!」ははは惚気やがって。花音さんがいなければ憎まれ口のひとつも叩いてたかも。

 ……まあ、でも。門出だし。

 茶化したり斜に構えたりしないで、ちょっとくらい、素直になろう。

 

「じゃ、ちょっと失礼して」

「……きれい」

 

 取り出したのは、薔薇の()()()コサージュだった。

 花は一本だけ。紐飾りと細やかなリボン、土台のフェルトでアクセサリーの体裁は整えてるけど……ほとんどオマケかも。

 朝に鉢ごと持ってきて、今さっき誰もいない生徒会室で摘んで全身全霊で拵えたのだ。場所貸してくれた市ヶ谷さんには頭が上がらないな、なんて頭の片隅で思いながらも。

 かすかに屈んで、うっとりと花を見つめる花音さんのことで、気持ちはほとんどいっぱいだった。

 ピンを外し、胸ポケットの真ん中、少し上のあたりに通す。生きて瑞々しく胸を張っている生花は香りにすら色づいて見えた。あたしよりひとつ先に大人になっていく花音さんの、期待と憂いがないまぜになった頬に薄紅を照り返す。

 

「できま、し……」

 

 いかないで。

 

「ありがとう美咲ちゃん。……美咲ちゃん?」

「……いえ。ちょっとだけ、寂しくなっただけです」

「私もだなぁ。ここで千聖ちゃんと、こころちゃんたちと……美咲ちゃんと過ごしたから。ふふ、お揃いだね」

「……そうですね」

 

 市ヶ谷さんは言った。この思いがどこにも行けないままなんて、あっちゃダメだって。

 心配いらなかったんだと、今なら思える。

 この薔薇は今日のどんな花より鮮やかに門出を彩ってくれるだろう。

 そして今日のどんな花より早く萎れて、枯れて、朽ちていくだろう。

 そうしたら。

 あぁ、そうしたら、どうか。

 ふたりの幸せへ続く花道に、少しでも美しくほどけて、とけて、消えていきますように。

 

「花音さん──卒業、おめでとうございます」

 

 胸に差した一輪の薔薇から。

 壊さないように、祈りのように、手を離した。

 

 


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