運命はかく扉を叩く   作:スケート観戦に必要な知識多すぎ

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お待たせしました。


氷面鏡

「うわあ、本当に私たちしかいないんですね……!」

 

 

 木曜の夕方18:00過ぎ。

 一般開放を終えた大須スケートリンクで、結束いのりは物珍しげに辺りを見渡していた。

 

 整氷のために備えているらしい運営の人以外はほぼ誰も居ない、初めての少人数貸し切りリンク。

 たくさん滑れるというところで見ても、練習環境で見ても、いのりとしては飛び跳ねたいほど嬉しかった。

 

 あの日エビフライ呼ばわりしてきた男子さえいなければ。

 

 

「理凰さんも本当にありがとうね。3人のために貸切までして貰っちゃうのはちょっと申し訳ないけど……」

「明浦路先生に教えて貰うのなら良い環境を用意したかったですし、金払ってくれる親父が乗り気だったのでいいんじゃないですか」

「それだよ、それ。銀メダリストにあそこまで買われるとちょっと座りが悪いというかなんというか……」

「明浦路先生のスケーティングなら安いくらいですよ。まぁ、なんか一人付いてきたのは予想外でしたけど……」

 

 

 こちらに面倒そうな視線を送ってくる貸し切り主らしい男子──鴗鳥理凰とやらは司先生とやけに仲良さげに話している。むしろ馴れ馴れしい。しかも私が先生の付属品扱いされてるらしい。

 1回“私の先生ですよ!“って言ってやろうかと思うくらいには、感情のままにわーっとやってしまいたい苦手な相手だった。

 

 ──ただ、鴗鳥理凰がどんな状況に置かれているかは少し聞いた。

 司先生が私とお母さんに“もう一人教えさせてください”ってお願いもしていた。

 別に私一人だけを教えなきゃいけない決まりなんてないはずなのに、なぜか土下座していたせいで、お母さんは困惑しっぱなしだったことを思い出す。

 

 

『研修中の身でコーチを願い出たというのに、もう二人目を増やそうとしているんです。教室のコーチとしてはなんらおかしいことではありませんが、ああ言っていのりさんを焚き付けた大人としては申し訳の立たない行動であると考えています』

 

 

 ……そうしたら、こういうことまで言われてしまった。

 元々、私なんかが先生を独り占めすることに罪悪感がなかったわけじゃない。

 だから、遠慮なくコーチをやっていいと言ったのだ。ちょっと不満ではあるけど。

 

 

「さ、滑る前に二人の目標を設定しようか。まずはいのりさんから」

「はいっ! 1回転アクセルを跳びますっ!」

「声が元気! 天才! アクセルは難関だけど、いのりさんはスピードとジャンプの高さは問題ないんだ。あとはフォームを適宜直していこうね! 次、理凰さん!」

「俺は……3回転アクセルです」

 

 

 ひゅ、と息が詰まる。

 

 そういえば、そうだった。

 鴗鳥理凰は、ノービスBの銀メダリスト。

 自分とは比べるのもバカらしくなるほど、高いところで跳ぼうとしている。

 

 聡太くんよりも、雪ちゃんよりも、絵馬ちゃんよりも……お姉ちゃんよりも。

 

 

「3回転アクセルか……ステップシークエンスとは別にってことでいいのかな?」

「はい。司先生にはスケーティングの指導を受けます。ただ、そこのエっ……結束さんって子を先生が見てる時間に練習をしようと思ってます」

「コンビネーションジャンプでなくアクセルにした理由はあるかな? ノービスA初出場で3回転アクセルを跳ぶのは、前例がないくらい難しいことだよ」

「アクセルは必須ジャンプで、2回転と3回転の得点差が激しいので。そして、アイツは……氷人は、跳んできます」

 

 

 苦しげな表情の鴗鳥理凰が、バッグから取り出したタブレットを起動する。

 画面には、邦和みなとスポーツ&カルチャーのスケートリンク。

 

 そこには、獣じみた笑みで滑走する1組の男女がいた。

 

 明らかに互いを意識した視線で見せつけるようなジャンプを繰り返す彼ら。

 ウォーミングアップに勤しんでいたいのりも思わず画面へ意識が割かれるほど、真に迫った演技をしていた彼らは。

 

 

「これ、光ちゃん……?」

「そうだよ。光と氷人。親父の貸切時間使ってやってた……練習」

 

 

 これが、練習。

 冗談のような技術と煮えたぎる感情が溢れた、画面越しにも熱が伝わってくるこれが。

 光ちゃんが嗤っている。大会中でも見せたことのないような笑みで、ぎらぎら。

 ──そして、至極あっさりと。

 

 3回転アクセルを跳んだ。

 

 

「……すごい」

「狼嵜選手は、既にジュニアの域にいる……か」

 

 

 司先生が、見たことのない複雑な表情でそう言った。

 

 ああ、そうだ。

 ノービスBを見た時から、ずっとわかっていたことのはずだ。

 私の敵は遥か彼方、縮めようがないほど遠くを跳んでいるのだと。

 

 でも私は追いかけなくてはならない。

 氷の上で生きていくために、戦うために。

 光ちゃんに離されている長い道のりを、光ちゃんよりも早く駆けていかなければならない。

 スケート史でも前例なんてない世界に辿り着かなければならない。

 

 たった今3回転アクセルを跳んでみせた、龍崎氷人のように。

 

 

「アイツは、ノービスB本戦の前日で3回転アクセルを降りました。そしてもう、着氷を安定させつつある……来年のプログラムには、必ず組み込んできます。俺が2回転しかできなければ、それだけで5点も基礎点に差が付いてしまう」

「……スケーティングを高めながら前人未到の……いや、前人未到だったジャンプを目指すしかない。無茶が過ぎるスケジュールになるよ」

「それでもやらなきゃいけないんです。アイツは……きっと、俺を待ってるから」

 

 

 待っている。

 3位に入った東京の少年も、ジュニアも、何一つとして視界に入れていない。

 龍崎氷人は、純粋に、残酷に、鴗鳥理凰を待っている。

 

 まるで狼嵜光のようだと、結束いのりだけがわかっていた。

 伸びるという確信はないのに、待ち続けられているいのりだけが。

 

 だから、少し。ほんの少しだけ。

 苦手意識の代わりに、仲間意識が湧いてきたのかもしれない。

 

 

「えっと、鴗鳥くん……」

「理凰でいいよ。親父たまにここ来ると思うし」

「うん……わかった。理凰くん、一緒に頑張ろうね」

「……は? いや言われなくても頑張るけど、なに突然」

「私も光ちゃんを追うから」

「だから一緒だとでも言いたいのかよ。本気?」

「本気だよ、だって」

 

「司先生がいたから、()()滑ろうと思ったんでしょ」

 

 

 鴗鳥理凰の口から溢れかけた嫌味が喉の奥に消えたのは、その言葉で理解したからだった。

 

 女子で初心者。

 ただし異次元のレベルアップスピードを持つ、怪物。

 一昔前の理凰ならば切って捨てたような人種。

 

 この性別も恵まれ方もスタート地点も追う相手との距離も違う別種の天才は、それでも確かに同じ夢を追いかけている。

 遥か先を行く天才(狼嵜光)を、追いかけるという夢を。

 

 

「……ッチ、せめて2回転アクセルくらい跳べるようになってから言えよな」

「……っ! うん、頑張る!」

 

 

 なお、やはり二人の相性は悪いようで。

 いのりが異文化コミュニケーションの成功に喜べたのはここまでだった。

 

 

「ま、上手くならなくてもいいよ。そしたら明浦路先生の代表選手は俺だし」

「……え? わ、私の方が先に教えて貰ってたのに!?」

「先か後かじゃなく、教えられてる中で一番上手い生徒が代表でしょ」

「そ、そんな…………じゃあ早く、4回転跳ばなきゃ!?」

「いやようやく2回転のくせに調子乗りすぎだろ」

「司先生は私の先生だから!」

「は? 俺の方が上手いんだから、俺の明浦路先生だけど」

「ふ、二人とも……もう少し喧嘩せずにやろうね……?」

 

 

 この日、結束いのりを取り巻くスケート環境に、新たな要素が増えた。

 人としては合わなくて、同じ夢を追いかける仲間で、司先生の一番弟子を取り合うライバル。

 

 はからずも()()()()()()()()()()()()()()()を築いた二人は、明浦路司の胃に大きなダメージを与えながら、切磋琢磨を繰り返していた。

 

 





ここでノービスAまでを区切り、しばらく下記のようなこぼれ話を書きます。

・メンタル激弱氷人くんとメンタル激強すずちゃんのお喋り
・鴗鳥慎一郎と司先生
・昂り光ちゃん
・またしても折られて立ち上がる八木夕凪

書きたいものがひと段落したらノービスA編に行きます。
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