Gaze Beyond   作:しづごころなく

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意外と早かったな。


着地衝撃

 脳内でリズムを反芻する。一分一秒を脳内シミュレーションに費やす。ああ、緊張してきた。

 

 久しぶりだ。公式の場で、多くの人に見られながら踊るのは。でも大丈夫だ。僕にはまだ翼があるのだから。

 

 キュ、と紐をキツく結び直し、深呼吸と共に前を向く。椅子から立ち上がり、スタッフさんにお辞儀をする。

 

 「スケートリンクの中心まで、よろしくお願いします。こんな、特殊な状況に居合わさせてしまったすみません」

 

 「…最初にお願いをされた時は驚きましたが、仕事ですので」

 

 「ありがとうございます、本当に」

 

 パシ、とスタッフの男性の手を取る。

 

 「じゃ、行きますか」

 

 世界が変わるまで、あと一分。

 

 

 

 会場は僅かな動揺と、焦るコーチ陣で埋め尽くされた。稀崎翔の引き当てた、運命の如き「最終滑走権」。最後の1人が、子供の選手は誰1人として知らないにも関わらず、大人たちは大騒ぎしている。

 

 それもそのはず。「天才」の名は未だ効力を持ち、誰もが記憶を掘り起こされた。どこかで聞いたことが、という感覚からインターネットで検索、その悲惨な事故を思い出し、また動揺する。

 

 なぜ、彼がこんな所に?スケートへの復帰など到底不可能なのではなかったか。

 

 『最終滑走…43番、稀崎翔さん。スケートリンクに来ていただきますようお願いします』

 

 このジュニア大会…スケートのバッジテストにおいては六級に当たるが、稀崎翔はギリギリでここを受けている。来年からは全日本の世界だ。

 

 来場した翔の姿を見て、さらに動揺が起きる。今度は大人だけでなく、子供へも。

 

 スタッフが付き添いとして彼を引っ張っているのだ。見た目は本人そのもの。過去の画像をそのまま成長させたような。

 

 物知りな少年少女は、「彼の目が見えないのではないか?そうでなくとも、何かしらの障害を抱えているのでは?」と推察する。

 まだ若くとも、それが「普通でない」ことは理解する。

 

 しかし。その会場の動揺を持ってして。彼の笑顔は崩れない。ぺこり、とスタッフにお辞儀をしたかと思えば、スタッフはその場から立ち去る。

 

 翔は振り返り、勢いよく右手を横に振った。

 

 まるで指揮棒のよう。

 

 唐突な指揮者(コンダクター)の登場に、会場の空気が呑まれる。動揺の声は一瞬にして静寂へと帰し。

 

 CDが回転し始めた。

 

 

 

 躊躇ない加速。いくつかのキレのあるフリと共に、曲の展開が早くなる。最高速の加速に達した瞬間。

 

 3回転ルッツ。その勢いでフライングシットスピン、ブロークンレッグと繋ぐ。

 

そして、演技はステップシークエンスに突入する。

 

ホップ。ステップ。ワルツ。

 

 崩れない笑顔と黄金に輝く瞳が周囲を釘付けにする。ジャズ調の曲に組み込まれる、華のあるステップシークエンス。衣装に刻まれた鮮烈な赤が、彼の髪の青色を際立たせる。

 

 そして。彼の遊び心によって組み込まれた、異常なジャンプが繰り出される。

 

 1回転トウループ、2回転サルコウ、3回転アクセル。

 

 曲は中盤、何故体力が残っているのだろうか。しかし、その技の一つ一つの完成度があまりにも高すぎる。ジャンプは幅も高さもダイナミクスもバッチリ。

 

 点数に組み込めない魅力がある。

 

「さ、締めだ。いつも通り、チャレンジしていこう」

 

 曲も終盤。

 

 

 ひゅう、と息が冷たい空気を吸い込む。それは自分自身の加速を保証し、翔べ、とささやく。

 

 「ああ。道くらい、僕が作ればいいんだろ」

 

 大きく助走を取り、不安などひた隠しにして、彼は飛翔した。繰り出した、

 

 

 4回転トウループ。

 

 オイラー。

 

 

 2回転フリップ。

 

 

 

 転倒。

 

 

 一瞬、誰もが息を呑む。彼が倒れたことよりも、繰り出した技の方に注目が集まっていた。フリップの転倒など無かったことにするかのような、高さと幅があるトウループ。それも4回転。

 

 それを、この最終局面で繰り出し、着氷。

 

 挙句、オイラーからフリップを跳び。

 

 転倒こそすれど、高さと幅は明確に足りていた。

 

 

 

 彼にとって男子スケート界を変えるのに、否、世界常識を変えるのに、五分もいらなかったのだ。

 

 

 

 「翔…⁉︎」

 

 岡崎いるかは動揺が止まらなかった。見違えるはずがない、あの鮮烈な青い髪を。しかし、彼がこの場にいるはずがない。スケートリンクの上でポーズを決める彼の姿は、夢にも思えた。

 

 特に興味もなかったのに、時間が余ったから何となく最終滑走だけ見ようと訪れたら、知っている姿が見える。

 

 観客席から食いつくようにリンクに集中する。

 

 「やっぱり…翔」

 

確信に至った所で。

 

 曲が掛かった。

 

 「翔…滑れてる」

 

 口に出してなお、信じられなかった。彼は盲目だ。そのはずだ。何故。盲目の人間がリンクを滑れている。滑りすぎたら壁に当たるというのに、その恐怖もないのか。

 

 「3回転サルコウ…!?」

 

 崩れない笑顔が、昔の翔を思い出させる。何と楽しそうで、人の目を引く演技だろうか。彼のように、笑顔で演技ができたなら良かったのかもしれないが、自分にはその余裕はなかった。

 

 だからジャンプを真似た。今見たジャンプは、目が見えていた頃と何ら変わりない、極めて質の高い、美しいジャンプ。自分の憧れで、いつかの日に「翼」を幻視したジャンプだった。

 

 完成度の高いステップシークエンスから繰り出された1、2、3と難度が上がるジャンプは鳥肌ものだった。選手としては、あれは不利になるのだからやる価値はない。いつもの私であれば、「スケートを舐めるな」と恫喝する演技だ。

 

 だけど、私は理解している。彼が、「面白いから」「人の目を引くから」。それだけの理由で、楽しさ重視のジャンプを跳ぶ事を。それが彼の流儀で、スケートを敵だと思っていない。憧れてしまう。

 

 ああ、なんて面白いスケートなんだろう。次に何が出るのか、ワクワクしてしまう。

 

 「え」

 

 4回転トウループ。

 

 オイラー。

 

 2回転フリップ。

 

 どしゃり、と悪夢のような音と共に、翔が転倒する。

 

 「っ」

 

 ブワ、と体温が上がり、自分が焦っていることを伝えてくる。私は、翔が盲目で悩んでいた時に、全く手を差し伸べられなかった。

 

 そのことを、未だに申し訳なく思っている。

 

 その記憶が一瞬蘇って来て、それを先ほどのジャンプの美しさが中和してくれる。

 

 演技の終了と共に、実感が湧いてきた。

 

 稀崎翔は、スケートを辞めていなかった。まだ、彼の演技を見ることができる。

 

 「良かった…」

 

 僅かに流れた涙を隠すように下を俯き、涙を拭う。安堵する感覚と、辞めないでいてくれたという、感動。

 

 心がぐちゃぐちゃになる感覚を覚えながら、岡崎いるかは会場の下へと降りていった。

 

 

 

 

 「あれ、いるかちゃん」

 

 足音で気づく。あれ?何で今僕、足音で人を判別できたんだろう?

 

 「翔!!」

 

 スケート靴を脱いだばかりの僕は汗を拭きながら立ち上がり、軽く手を振る。高速で近づく物体の感覚を風で理解しながら待っていれば。

 

 「ぐえ」

 

 公衆の面前であることも厭わず抱きついてくる、いるかちゃん。意外と勇気あるな、君。

 

 「言いたいことは色々あるけどさ…スケート辞めないんだよね!?」

 

 「うん。盲目っていうのは、僕がスケートを止める理由にならなかった。それだけだけどね」

 

 「そっか…!!良かった…!!」

 

 抱擁してくる腕の力が強くなる。何となく、周りからの視線も強くなった気がする。感覚だけど、鴗鳥さんすごい生暖かい目で僕を見てないか。

 

 「いるかちゃん、僕の予想が正しければ、周りを見た方がいいよ」

 

 「え?…………ああっっ!!!」

 

 勢いよく僕のそばから離れるいるかちゃん。やっぱりな。ダンマリを決め込んでいる。

 

 「……今の見たやつ、全員殺す」

 

 「殺意たか」

 

 別にいいだろ、僕らの仲だ。

 

 「それはともかくいるかちゃん。僕はスケートやるから。君を1人にしないよ」

 

 「!……ありがとう」

 

 いつだか言っていた気がする。自分にスケートを教えた人が怪我でスケートを辞めたと。でも、僕がいるから1人じゃない、と。

 

 3年くらい1人にしちゃって、申し訳ないけど、もう1人じゃないよ。

 

 

 

 鴗鳥理凰がルクスに指導を貰いに一時移籍していた頃、鴗鳥慎一郎と明浦寺司はちょこちょこと仲を深めていた。

 

 そんなある日。

 

 「鴗鳥さん、何見てるんですか?」

 

 「ああ。とある選手のジュニア大会での映像ですよ」

 

 司が映像を覗き込めば、ジュニア大会の子とは思えないほど成長した体の青年がスケートリンクを滑っていた。

 

 「体が大きいですね…何故ジュニアに?」

 

 「色々ありまして…ギリギリ受けているんです」

 

 数秒後、彼が決めたのは4回転トウループ。からのオイラー、2回転フリップ。

 

 「は!?!?」

 

 ジュニアとは思えないレベルの高さ。転倒こそあれど、上手すぎるのだ。

 

 「というか待てよ…今の、翔くん!?」

 

 「…お知り合いですか」

 

 「ええ。うちのいのりが…って、いつの間に大会に出て…!?クラブは…!?」

 

 「名港ウィンドが受け入れました。彼は我々の財産です」

 

 遠回しに自慢を喰らう司。一瞬悔しいと思ってしまったが、彼の繰り出したその美しいジャンプが、目頭にダイレクトアタックを与える。

 

 司は知っている。彼の目が見えていない、ということを。それでもそのジャンプは美しい。その感動が、一気に涙を促す。

 

 「翔くん…!!目も、見えてないのに…!!!」

 

 実は、稀崎翔と司は仲がいい。なんたって時折いのりと会話をしているし、よくこのスケートリンクにも来るからである。

 

 いのりが「私には何もないけど、それでも飛べるから」などと言い始めたのは彼の影響であり、その言葉は「かっこいい」と少女陣で一時流行ったそうな。

 

 「すみません、その動画、貰っていいですか…!!」

 

 躊躇なくデータを貰い、それを走っていのりに見せに行く。

 

 「いのりさーん!!!」

 

 

 動画を見ている間、いのりは一言も発しなかった。完全に、演技に釘付けにされている。

 

 「すごいなぁ」

 

 動画を見終えた彼女には、十分に炎が宿っていた。

 

 「というか、何で私あの日行かなかったんだろ…!!!見に行ってれば…」

 

 電話で翔を呼び、「絶対次は呼んでください!!!」しか言わなくなったのは別の話。

 

 

 

 

 「何で翔さんは諦めなかったんすか」

 

 名港のアシスタントコーチ、雉多は翔に問うた。翔の人生は、普通のそれではない。人生経験の厚みで言えば、精神性の完成で言えば、そこいらの大人にすら勝る。

 

 だからかもしれない、彼は自然に、翔に対して敬語を使う。

 

 コーチとして、何かヒントをもらうために、彼は問うた。

 

 「『さん』は必要ないですよ。生徒ですし。…諦める理由もなかったから、ですかね」

 

 「諦める理由もなかったから、って…」

 

 「正当な理由ですよ。あれだけ酷い状態に陥っても、足が勝手にスケートリンクに向かうんです。僕の意思なのかは知りません。『ここで諦めるのは勿体無い』って思っただけです」

 

 「その後は、無理だと思わなかったんですか」

 

 「思いました。馬鹿みてえだな、って」

 

 翔は思い出す。奮起して、スケートをゼロからやり直した一日目。まず、氷上で立てない。一瞬滑れても、壁がどこにあるのか分からず恐怖で前に進めない。

 

 あまりの出来なさにゲロを吐いたこともあったっけ。

 

 

 「でもね。僕が忘れられなかったのは、観客の皆さんが僕の演技を見て驚く瞬間と、前向きにスケートに挑戦するような、あの全能感です」

 

 「全能感…?」

 

 前者は分かる。観客のために走るスケーターは存在する。しかし、全能感とは、何だろうか?

 

 「アドレナリンが出てる時って、普段の自分じゃ理性でできないことをやっちゃいますよね。僕はあの、「今ならいける」感が楽しくて仕方なかった。だから僕は、面白さ重視の演技を心がけるんですよ」

 

 「…じゃあ、例えば、運悪く一番滑走を引いたとして。そこから持ち直すには…?」

 

 「順番なんて関係あるんですかね?僕は、演技は楽しめれば順位は後だと思ってる人種なので…」

 

 雉多は思った。参考にならない。目標とする部分が「一位」という分かりやすい共通の基準じゃないのだ。

 

 「僕という人間に許された表現時間は長くて四分。多くの人間が同じ条件を与えられる中で、自分が、どれだけの人間に自分という存在を刻めたかの方が、ずっと重要ですよ」

 

 「…ちなみに、座右の銘は?」

 

 「『翔べ』。この会話のおかげで雉多さんの記憶に僕が残ったなら、その時点で僕の目的は達成されています。見事に、貴方の記憶の中で翔べている」

 

 敵わないな、という思考が徐に降ってくる。普通のスケーターの精神性と違いすぎる。勝利を求めているわけではなく。あらゆるプレッシャーは意味がなく。自己完結したスケーター。

 

 「まー、リアルなライン、一番滑走で悩んでる子がいたら一発ギャグでもやれば緊張も解けるでしょ」

 

 彼が最後に放った言葉が、最も参考になった、と雉多は語る。

 

 

 

 消えた天才の映像が、世界に流出した。「盲目のスケーター」という話題性は、一気にスケート界を破壊していく。

 

 数多のメディア露出を徹底的に断る翔は、間接的に、「盲目ということだけを見るな」と伝えていた。メディアが彼を取り上げる理由は、世界初と言って良い、「パラスケーター」と言える存在だからだ。そんな彼が普通の選手と比較しても圧倒的な記録を持って優勝した、とくれば話題性が上がる。

 

 年が変わり、彼は高校生になった。相変わらず普通の高校には通えないが、彼の次の目標は、全日本へと定まっていた。

 

 

 「君、スケートやめた方がいいよ」

 

 「は、寝言は寝て言え」

 

 「盲目の人間がスケートをやる価値は皆無だ。そのハンデを背負って正当な評価なんて貰えるはずがない」

 

 「…それで?」

 

 「君は世界一にはなれない。だからスケートは辞めろ」

 

 「……もうちょっと殺伐とした場所で言うべきだったね、夜鷹純。マジで説得力ないよ」

 

 ポップなデザインの、子供用の小さなアトラクションに跨りながらキメ顔で言い放つ夜鷹純。ここが路地裏とかだったらもうちょっと真面目に聞いてたよ。

 

 「ま、僕は世界一は二の次だから。自分の目標全部叶えた時に、ついでにその称号があったら面白いな、くらいに思ってるだけだよ」

 

 「そうか。…じゃあ、止めないよ」

 

 「意外と聞き分けいいんだね」

 

 名港のスケートリンクからちょっと外れた場所で、僕らは邂逅した。僕が話しかけられて、自己紹介されてやっと誰だか気づいたけど。

 

 僕の予想が正しければ、彼は言葉足らずな人だ。或いは本当に性格が終わっている可能性もあるけど。

 

 「で、あんたは誰のコーチ?」

 

 「……分かるのか」

 

 「いや、ここにいるってことはそういう事でしょ。しかも多分光ちゃんだしね」

 

 彼がここにいる理由なんて、指導以外にないはずだ。引退済みのスケーターがもう一度スケートを走る、にしては遠すぎ。

 

 「ああ。僕は光のコーチだ。彼女を世界一にする」

 

 「熱意があるのは結構だけど…もうちょっと、心を開いてあげたら?このままだと魔王になるよ、貴方」

 

 「………」

 

 「え、無理?」

 

 三つ子の魂100まで、とは言うが、まさかここまで酷いとは。

 

 

沈黙を経て。

 

 「ところで、稀崎翔。僕の振り付けを踊ろうとは思わないか?」

 

 「やなこった!!!」

 

 夜鷹純は人生で初めて、「自分と彼は別の生き物だ」と思ったらしい。




稀崎翔:名言ばっかり言うので時折クラブ内外問わず流行る。この度世界進出した。フォックスなんとか、とかいう選手が彼のことを狙っているらしい。

岡崎いるか:脳を焼かれた人。ジャンプに磨きがかかった。彼女の友人は既に、「翔のすごいところ談」を聞き飽きている。


翔‘sヒント:一番得意なゲームはリズム天国。さもありなん。
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