幸せな未来を掴むために。証明するのだ。
たとえ、どれだけの傷を恨みを憎悪をその身に受けるとしても絶望しない。
手放したくない過去があり、捨てるモノなんて何一つない。だた、未来に行くために全力で生きているのだから。
三泊四日の強化合宿。
俺は全米選手権優勝者としての実績が認められ、特別強化選手に抜擢された。
去年はシリウスと俺の一位争いで各国のトップスケーターは悲惨な目にあったとすら言われていた。故に向こうの強化合宿は殺伐とし、リンクに上がれば血で血を洗う死闘ともいえるような熱気と視線の中を練習していた。
そんな昔のことを思い出しながら俺は高峰先生と共に合宿会場のエントランスで待っていた。
「あの、千仭くん?」
「何ですか?」
「すごく怖い顔してるわよ?」
「そんなつもりは……ないんですけどね」
嘘だ。
殺気立っている。俺の内で奴は今か今かと出てくる時を虎視眈々と狙っている。俺は解離性同一性障害と似た状態にあり記憶は共有。むしろ完全に分離してないが故に日常生活でも顔を出している。
『キヒッ。随分と荒れているなぁ』
「誰のせいだと思ってる」
『さぁなぁ』
おまけにこいつが出ているときは左目が使えない。
視界が完全に見えないにもかかわらず感覚を共有しているのかそこに『ある』ことが分かる。なんとも奇妙な感覚だ。
「まぁいいや」
『いいのかよ』
「それで、今日は見てるだけ?」
『は?』
「いや、今日は強化合宿だから……お前も滑る余裕があるから」
『お前、馬鹿ななのかぁ?』
「いや、暇だろ? 動けるときに動いたほうが良いって」
『もういいよ。分かったよ一曲だけ滑らせろ。それだけでいい』
「もう少し自由でもいいんだぞ?」
『スケート以外はどうでもいい。お前がどうにかしろ』
そう言って俺の内に引っ込んでしまう。
自由な奴。俺だけど。
そんなやり取りをしていると高峰先生が訝し気に俺を見てくる。
「大丈夫?」
「大丈夫ですよ」
「そんな眉間にしわを寄せてるのに?」
「そうですか……気づきませんでした」
「本当に大丈夫なのね」
「はい。大丈夫ですよ。少し、負けたくない奴の顔を思い出しただけですから……」
そんなやり取りをしていると、こちらに近づいてくる人がいた。
ノースリーブシャツにジャケットを着崩したいるかさんだった。
「来たんだ」
「邂逅一番にそれ聞いちゃうメンタルを俺は見習いたいよ」
「何? 心配して聞いてあげたんだけど」
「……大丈夫だよ。むしろ調子が良い。というか、いるかさんに聞きたいことあったんだよ」
「何?」
「無理、してない?」
「は? 何それ」
「ごめん。ちょっと気になったから……でも、無理せず吐き出してくれていいよ。俺もキミに恩があるから」
「アンタのそういうとこほんとムカつく。でも、アンタも……千仭も話せとは言わない。でも頼ってほしいって思ってるから……」
そう言っているかさんは行ってしまった。
本当に優しい子だ。
きつめで周囲を寄せ付けない空気。彼女は強くあろうとしたのだろう。だが、それは繊細で弱った心を覆い守るための鎧なのだろう。
俺とは違う。
彼女はちゃんと向き合おうとしている。今の環境に、境遇に……。
誰かに同情してもらいたいんじゃない。誰かにただ助けてほしいだけじゃない。ちゃんと理不尽な運命を乗り越え歩いていけるという証明をしたいのだと思う。
俺にはできなかったことだ。
現実を受け入れきれず壊れた欠陥品。
それが俺。
何もかも鬱陶しい。まとわりつく視線も敵視する選手の目も、俺を観察する他クラブのコーチの視線も全てが邪魔だ。
俺は前髪をかき上げる。
「鬱陶しいなぁ……!」
前髪で隠れた額にはデカい傷跡があった。左眉にある切り傷とは比にならない傷。脳に障害が残っていてもおかしくないほどの傷跡。
上着を脱ぎ、インナーとして着ていたタンクトップのみになる。
あらわになる傷の数々、むしろ人として日常生活を送れていることが奇跡と思えてしまうほどの痕。銃創、刀傷のような痕。火傷に抉られたような痕。平和な日常を過ごしていればつくことない傷の数々。
変色しているせいで余計に目立つ。
高峰先生なんて顔を青くしていた。
「千仭くん、その傷……!」
「何ですか?」
「いえ……そう、よね……君は……」
「気にしないでください。もう、終わったことなので」
「……」
まぁ、俺の過去を調べればすぐに出てくることだから本当に気にしないでほしい。
学校でも面白半分に調べた奴がいたからわかる。どの記事か知らないがほとんどが瀕死の状態かミイラみたいに全身が血濡れの包帯かの二つしかないから本当にヤバい。
初日に馬鹿にした様子だった男子生徒なんかは顔面蒼白にしながら再度謝罪にくるほどだった。
しかし、傷を見て静かになったエントランスを歩き、俺はメディカルチェックに向かった。
***
結果から言えば俺は専属医から貰った書類と再度肉体状態を確認してもらった。
腹まで傷跡があるのだからチェックする人は本当に気分が悪そうだった。
特に異常はなく稀に吐血があることくらいでそれ以外は平常。練習も問題なく参加できる。俺は一度、更衣室で着替えてから集合場所へと向かった。
選手が待っているホールに来ると視線が集まる。
俺はそれを無視して座る。すぐに連盟の人からグループ分けが行われた。
「Bグループ……女子しかいねぇじゃん……」
女子との混同グループに入っていたのだが、体格差で俺があぶれる形で一人になってしまった。体格に関してはジュニアラストシーズンの人達よりも良く、体重も俺の方が重い。
あと、普通に怖がられて誰も近寄ろうとはしなかった。
これでいい。
こっちの方が向こうにいた時の気持ちを『再燃』出来る。
そのまま合宿一日目が終了し、自由時間になるまで退屈な時間を過ごした。
「はぁ……」
重要な合宿。よい経験を積むための重要な時間だった。しかし、あまりにも負荷が足りなかった。
疲れ知らずというわけじゃない。
俺がやっている練習よりも遥かに軽く、物足りなさを感じた。
「行くか……」
俺はエントランスを抜け、外に出ていくと前から五里先生が来た。
「淵藤……こんな時間にどこに行くつもりだ?」
「五里先生。ちょっと走ってきます」
「待て待て。ならその荷物は何だ……」
「チッ……」
「え……? 舌打ち?」
「いえ、気のせいですよ。それでは……」
それとなく去ろうとしたが肩を掴まれてしまう。
「お前、本当にどこ行くつもりだよ」
「……人のいない場所ですね」
「じゃあ、お前のリュックを見せろ」
「……」
「見せるんだ」
「はい……」
俺は観念してリュックの中身を取り出す。
始めに、七〇キロを吊るせるような太めのロープ二束。
「淵藤……お前……!」
「何ですか」
「早まるな……!」
「何も吊りません、縛るんです」
「もっとダメだろ。何するつもりだ!」
「これを縛るんです」
そう言って取り出したのは俺の背中ほどの大きさのミット。
「何これ」
「格闘技用のミットですけど……」
「いや、それは分かるけどこれで何を……」
「来ますか?」
「これでいってらっしゃいなんて言えねぇよ」
***
合宿会場から少し離れた公園に来て一番太い樹にミットを縛り付けた。
「お前……本当に何してるの?」
「まぁ……見ててくださいよ」
と言いつつ俺は勢いよくミットを蹴る。
ドォンと火薬の破裂する音が響く。殴る、蹴るの動作を続けミットを打つ。その度にミットを縛り付けている樹が揺れる。
「人から出る音じゃねぇよ」
「キックボクシングの人達は普通に出せますよ?」
「お前、スケート選手だろうが」
「そうですね。でも、こうしないと俺は不安に押しつぶされそうになります」
「それは……その身体中の傷に関することか?」
「ええ。そうです」
「もう、犯人も捕まって平穏に暮らせるだろ? 何でそこまで」
「滑稽ですか? 必死に身体を鍛えるの」
「そうは言ってない」
「分かってます。前に進むべきなんでしょうね」
病院のベッドで犯人が捕まったことを聞いて最初に沸き上がったのは殺意。
醜悪に笑い、家族を殺したアイツの顔を俺は忘れない。
無力で無知蒙昧な子供の俺にとって、家族のいない世界で生きている意味は無かった。
だからこそ、俺は犯人の裁判に立ち会った時、犯人の証言に俺は絶望した。
『ただ、幸せそうな人間が許せなかった。暇つぶしに殺したんだ』
暇つぶし?
そんなことで俺の家族が、生まれてくるはずだった弟が殺されたのか。
ふざけるな。
ふざけるなよ。お前が死ねよ。
そこからは怒りのあまり何も覚えていなかった。
残ったのは家族との約束。
母がスケート好きで良くテレビを見ていた。
幼いが故の無邪気で純粋な夢。
『おれ、かあさんがほこれるメダリストになる!』
ただ、この約束だけが俺を繋ぎ止めてくれたモノだった。
「俺は、メダリストになるためだけに寿命も削って走り続けるんです」
「淵藤……」
「司先生にはもう話しているんです。ハハッ、司先生は顔に出るから」
「何で、お前は笑えるんだ……!」
「傷ついても構わないと思っているからですよ」
「お前! それは……!」
俺は血反吐を吐いたあの日、司先生に全てを話した。
身体の事、家族の事、心の内に抱えている復讐心や憎悪を。そして、その先の事も……。
『それじゃあ、千仭くんが辛いだけじゃないか!』
『辛くないですよ』
『どれだけ辛く、苦しくて……死んでしまいたいと思っていても大丈夫ですよ。だって、俺は未来を見てるから……』
『ッ!』
『復讐という未来を見てる……でも……最近は、ちゃんと幸せにならないといけないって思います』
『千仭くん……』
『だから、一緒に酸いも甘いも共有しましょうよ。俺たちは選手とコーチなんだから』