眩い光が視界を奪う。もともと何の装飾も机もなかった暗い部屋は、今や荒廃し崩れかけた教室へと姿を変えている。壁の壊れた部分は「外」へと繋がり、その先には机が山のように高く積み上げられている。その向こうには水が染み出し、床へと広がっている。イヤーピースはスキャンテックと連携し、受信したデータをECHOへと変換している。
“おお…”
穏やかな波の音に背筋が震える。
これは普通ではない。 ECHOは、カメラや携帯機器など、現地の情報源から収集したデータと情報だ。だから、たった1台のタブレットがこれだけのデータを生成するのは…
両手を広げると、鼻から深呼吸をした。嗅ぎ慣れた潮の香りが鼻から入ってきて、海風の冷たさがわずかに肌へ当たる。 これが現実でないことは分かっている。
ECHOはデータの断片で、D.C.では、通常は音声とホログラムで表示されたフィギュアのようなものだ。だがこの中でオレンジなのは俺だけだった。これは…
どう言葉で表せばいいのか分からない。
“奇妙ですね。” 隣で声がして、そっちに振り向くと、別の男の人影が入ってきた。
ヘイローは無く。代わりに、黒いボタンアップシャツの上に白衣を羽織り、シャツのボタンは開かれ、その下からオレンジ色のシャツが覗いていた。ジーンズとスニーカーを履いている。しかし、最も印象的であったのは目だった。オレンジ色でホログラムのように刻々と微細に変化する目だった。
“…ISAC?”
俺はそう尋ねる。
“報告します、エージェントヴェルネス。” ISACは軽く敬礼しながら、少し微笑んで答える。
“なにが…あったんだ?”
ショックを受けながらもAIに尋ねた。ISACが自身の肩を指さすと、そこには見覚えのあるものがあった。 ISACブリックだった。
“これです。 ECHOは私の数あるシステムの1つで、到着したときに得たアップデートで、これを実行することができました。” 両手を広げながら説明する。”私のブリックはオーバーホールされ、もうガジェットの制限に悩まされることはありません。ですので、再び武装を拡充できます。”
俺は安堵の笑みを浮かべ、周囲を見渡す
“で…ここはどこだ?”
“真っ先に推測されることとしては、ここはシッテムの箱の中の空間と思われます。” 壁を叩きながら周囲を見回し、ISACが答える。俺は手に持っているタブレットに目をやり、ISACは続ける、”私はそれを通じてデータを受信しています。同時に、あなたの装備に搭載された各種スキャナーからのデータも送信されています。つまり、相互に情報を交換しながら、スキャンテックにてこのエリアの生成が出来るのです。”
俺は幼い女の子に目を細めながら、なるほどとうなずく。その子は青い髪に白いリボンをつけ、ウサギの耳に似た青いヘイローがある。そして机に突っ伏して寝ており、何かつぶやいている。
「ふへへ…カステラ…バナナミルク…いちごよりも…」寝言が聞こえ、ISACに目を向ける。ISACはただ肩をすくめていた。おそらく、俺と同じくらい困惑しているのだろう。
進むたびに微かな水音が響くが、それは気にせずしぶしぶ歩み寄って彼女へと近づく。
彼女は幼くてキュートだった。 セーラー服を思わせるような青のシャツと白いスカートを着ていた。つぶやきながら、食べ物による妄想を続けている。
頬もふっくらとしていて、思わず手を伸ばしてつねりたくなる。
「ふぇ?」寝ている少女がつぶやいた。机の上にのっていなかった頬が、俺の指によってずらされ、データが球状に広がっていく。
“あれ?”
つい呟く。目がオレンジ色に光ってECHOを見ているだけで、そして実際は俺しかいない電気が点いてるだけの部屋で、空気に触れているだけであることを、すっかり忘れていた。目の前で起きてること全てが、俺の頭の中で実行されている。厳密に言うと「目」だが。
“今のは忘れてください。”ISACは呟き、流入するデータにたじろぐ。そしてアップグレードのおかげで新たに手に入れた処理能力と、100人近いエージェントの代わりにたった1人のエージェントをサポートしているという事実を利用して、物事をスムーズに進める。 データの断片は少女の頬に戻り、肌に触れる感触もなく彼女の頬をつまんだままになった。
「うぇぇっ~!」体を起こしながら頬に手を当て、驚きの表情を浮かべて俺を見る。「ふぇ? だれえっ!?」周囲を見回しながら呟く。混乱しており、そして同時に自分がタブレットではなくECHOの中にいることを理解し始めているのかもしれない。「えっ!?人間じゃない!?」
「い…一体何を…」彼女の視線は俺に向き、そして俺の手にあるシッテムの箱に向いた。「なんで…?」
“ECHOです。”ISACが説明を始める。”ECHOは現地の情報源から収集したデータを、静止画へと構築し、エージェントが閲覧できるようにしたものです。”俺はうなずく。” 現在、私はシッテムの箱から得たデータを他の情報源と併用し、この場所を維持しています。”
“それ以上はよそう”
ECHOの単純な仕組みと、目の前のリアリティとの食い違いに違和感を覚え、頭が痛くなってきたので俺は割って入った。
“頭が痛くなってきた。”
「おぉ…あなたがマテオ先生ですか?」幼い少女が俺をじっと見て、シッテムの箱へと目が移り、そう聞く。「ずっとお待ちしておりました!」恥ずかしさのあまり顔を赤くなる前に、興奮に満ちた声で言った。「その…聞こえてました…?」
ああ…可愛らしいな。 髪を撫でようと思ったが、ECHOであることを思い出し、止めた。
“よかったら何か持ってこようか?”
彼女は顔を赤らめ、それを隠そうとした。俺は笑いながら、頭を振って続ける。
“ともかく…少し混乱してしまったが、こっちは名前を知らないんだ。教えてくれないか?”
「あっ!?」少女は驚きのあまり息を呑み、目を大きく見開いた。「自己紹介するのを忘れていました!」顔をわずかに赤らめながら、握りこぶしに咳をしつつ俺の方へ向き直る。そして、背中で手を組み、笑顔を見せる。「私はアロナ!この『シッテムの箱』に常駐システム管理者で、メインOSです!頼りになる秘書だと思ってください、先生!」
「まだ身体は小さいし、声もバージョンアップが必要ですが、それでもお役に立ってみせます!」
…
俺は目を見開き、悟る。アロナはISACと同じくAIであることを。ISACはすでにその事実を知っていたはずだ。だが気づいていたのに、俺には伝えていなかった。もっと早く気づくべきだったのかもしれない。だが…
このようなAIがいるということは、この地域の技術力は相当なものであることについては間違いない。
“まあ、よろしく、アロナ。”
ISACに向かって首を振りながら言う。
“こいつはISAC。俺のAIの仲間だ。戦闘では俺を助けてくれるんだ。だから仲良くしてくれると嬉しい。”
アロナは驚いて口を開け、目を輝かせる。ISACはただ手を振るだけだ。「じゃあ…先輩ってことですか!?」
一瞬、アロナが消える。オレンジを基調としたAIは面食らったようにのけぞり、ECHOがちらついて歪む。感情が処理能力に影響しているのかもしれない。「おぉ!すっごく年上なんですね!」
“あなたよりもずっと前から起動していますので。” 不満げに言いながら、顔を赤らめつつ俺の方を向く。
“おいおい!時間がないんだぞ!”
ISACをからかいたい気持ちはあるが、実際にからかう日が来るなんて、思ってもいなかった。それに、やることがある。アロナも気付いているはずだ。「それじゃあ、生体認証を行いましょうか!」
アロナは再び俺の前に現れ、微笑みながらうなずいた。「もう少しかがんでいただけますか?」少し顔を赤らめながら、こう続けた。俺は指示に従う。サイズの不一致は目立ったが、極端に目立つほどではなかった。彼女は微笑んでから指を伸ばした。
「指先にタッチするだけで完了します!」アロナはくすっと笑いながら言う。「約束を交わすような感じですね!」
俺は微笑み、頷く。
“だな、やろうか。”
手を伸ばし、指先がアロナに触れる。その瞬間、ECHOは歪むことなく安定し、アロナは鼻歌を漏らす。俺はAIを相手に生体認証を行い、もう一体のAIに監視されている。正直、この状況は少し滑稽だ。
そして、アロナは軽く肩をすくめて言った。「よし!これで認証されました!」
“結構時間かかったな。”
そう呟き背筋を伸ばす。アロナは目を見開いて憤慨し、少し膨れっ面をする。
「ごめんなさい!でも私はスキャナーではありませんので、目視でやらなきゃいけないんです!」そう言うのを聞きながら、俺は視線を前方の机に横たわっているISACへ向ける。
“ISACに頼めばよかったんじゃないか?俺のほぼ全ての生体情報をアクセスできるはずだ。指紋もそうだ。”
俺が聞くと、アロナは瞬きをしながらISACを見つめる。ISACが軽く手を振るのを確認すると、顔を赤らめながら視線を戻し、言葉を続ける。
「と、とにかく!何か必要なことはありますか、先生?」俺は少し途方に暮れた。
いや、本当は途方に暮れてない。ずっと気になっていたことがある。
“連邦生徒会長について何か知ってるか?”
アロナは眉をひそめ、視線を落とす。ヘイローが青色に変わり、滴るように揺れる。
「ごめんなさい。連邦生徒会長が誰なのかは知りませんし、どうして消えたのかも分かりません。」
“妙だな…”
俺は小声で呟き顎に手を当て、考え込む。
裏切りから暗殺まで、いくつもの理論が頭の中を巡るが、どれも腑に落ちない。
結局のところ、俺には仕事がある。それに、アロナの悲しそうな顔はあまり見たくない。
“まあいいさ。複雑な陰謀には慣れてる。”
俺はアロナに向き直り、机に座ろうとする。
“じゃあ、まずは……むっ?”
机が霧散し、尻が床にぶつかり俺はうめく。ISACは笑いを押し殺し、アロナはまばたきしながら俺を見る。咳払いしながら、俺は床で胡座をかきつつ話を続ける。
“…とにかく、都市は危機的状況にある。物資の供給が必要だし、ISACにはカメラや衛星へのアクセスを許可しておきたい。”
「それが今の状況なんですね?」驚いた様子でアロナが尋ねる。ISACがうなずくと、彼女は一瞬目を閉じ、再び開く。そして、微笑みながら、ヘイローがピンク色のハートに変わる。「ステップ1、こんぷりーと!サンクトゥムタワーの管理権限を先生に付与しました!これでキヴォトス全体が、先生の手のひらの上となりました!」
おい…
おいマジか…
その言葉の重みに押し潰されそうになりながら、俺がしくじってしまった場合のシナリオを脳内で繰り返していた。その間にアロナがISACへと向き直る。「先輩のシステムへのアクセス権を渡してくれませんか?」
ISACは俺たちに視線を投げると、軽く跳ねるように立ち上がり、頷いた。”了解。” そう言い、目を閉じてから再び開ける。”システムマネージャー、識別名アロナ。SHDネットワークへのアクセスを許可します。”
アロナは目を閉じたまま呟く。「おぉ~…すでに現地のシステムにほとんどアクセスできてるんですね…。じゃあ…」
彼女は集中するように唇を噛み、言葉を切る。「はい!これで先生はキヴォトスの衛星と主要システムへのアクセス権限をゲットしました!」
俺は本能的にこう言う。
“ISAC、個人情報とプライベートデータへのアクセスは許可しないようにしろ。”
“出来ません。” ISACの即答に驚き、俺は彼へと視線を向ける。”エージェントヴェルネスは依然として活動中のディビジョンエージェントです。そして私はISACとして、また戦闘時の支援のため、すべてのデバイスからデータを取得する権限を持っています。”
“その必要はないんだぞISAC。”
俺は周囲を指し示しながら言う。
“ここの生徒は皆アメリカの戦車よりも頑丈なんだ。生徒にはエージェントが必要じゃない。先生が必要なんだ。”
“確かにそうかもしれません。” ISACは譲歩するように言い、続ける。”ですが、あなたが「外部の者」であるという事実には変わりようがないです。アーマーが壊れると、あなたは血を流すことになります。私には直接介入することはできませんが、情報を提供する処理能力はあります。そして、それが私の役目です。”ISACは続ける。”私は人々を守るために設計されたものではありません。ディビジョンエージェントをリアルタイムで分析し、支援し、結果として人々を助けるために作られたものです。”
“ISAC。”
俺は苛立ちを抑えながら呼びかけ、驚きを隠せないまま黙って首を振る。
“……わかった。でも緊急時以外は生徒の個人情報には触るなよ。
“了解。”ISACはそう答え、瞬きをする。そして身体から力を抜けたのか、よろめく。”ぐっ…「感情」というものには慣れておかないとですね…あなたはよくこんな状態で戦い続けられていましたね。” ISACは頭の側面を擦りながら言う。
“まあ、経験ってヤツだ。”
そう認める。
「おぉ~…私なら感情について教えることが出来ますよISAC先輩!」アロナが興奮して飛び跳ねる。
“後でな。”
俺が遮る。
“まずは、連邦生徒会へ管理権限を移行しろ。ただしバックドアは残しておけ。”
俺の指示にアロナは頷く。俺は現状を受け入れ、平和を取り戻す手伝いをするつもりだ。だが経験上、何もしないよりは、いざという時の備えがあった方がいい。
「分かりました!」アロナは首を動かして言う。「それだけですか?」
“んっと…”
頭痛を気にせずにこう付け加える。
“ああ、それだけだ。”
“サーバールームから携帯機器を取ってきてください。”ISACが目を動かし、少し笑みを浮かべて更に加える。”その間にこのデータを精査し、関連する情報があればアロナと共有しておきます。”
“分かった…ってちょっと待て”
俺は自分の動きを止めて、ISACに厳しい視線を向けた。
“絶対にアロナには故郷のファイルをアクセスさせるな。”
「えーっ!?」アロナはショックを受けて口を開けた。「どうしてですか!?」
それには囚人を殺す男の映像、生きたまま焼き殺される男の映像、そして着ている自爆ベストで自ら命を絶つ男の映像がある。それ以外にも、これまでに収集したものが何なのか、想像もつかない。俺はそう思った。
“まだまだおこちゃまだからな”
と、俺はそう答え、そのままISACに目を向けた。
“分かったか?”
“はい。”壁にもたれかかったISACが返事した。
“さ、仕事に戻るぞ。”
「ちょ、ちょっと先生!おこちゃまってどういう──」アロナは口を挟もうとしたが、その時には俺は部屋から出て、奇妙なアーティファクトがある部屋へと赴く。
| A ポルノがあると思っているようです |
ISACはそう言い、俺は内心小馬鹿にした。
俺が言ったファイルにはポルノとは最もかけ離れているものが入っていて、そしてポルノはスマホの中に入れている。
“そう思わせておけ”
俺はくすっと笑いながら言い、オレンジ色の光が差し込む部屋へと向かう。