Chap.3-01 D.U.地区 路地
そよ風が顎を撫でる。いつもならガスマスクに覆われている肌が、今は晒されている。ほんの僅かな風ですら、敏感に感じる。
座ったまま、緊張した体のこわばりを意識する。片手にはショットガンを握り、それを枕代わりに寄りかかっている。まぶたを閉じて疲労を吹き飛ばし、あくびをしながら伸びをした。
“ISAC?”
小さく呟く。
| A はい? |
AIが答える。辛い状況や寂しい時でもその声は変わらず、心を落ち着かせてくれる。
けども…
“ここはどこだ?”
AIに聞き、さっきまで見ていた夢を思い出そうとしながら周囲を見渡す。
天使の輪が浮いている10代の少女が、銃弾の弾幕や戦車の砲弾に当たろうが五体満足で生きている…
一体…俺はどういう夢を見ていたんだ?
| A 現在、午前六時です |
AIはそう説明し、その姿を完全に具現化させながら、路地を指し示す。
| A トリニティ方面はこちらです。救護騎士団で応急処置を受けることを推奨します。少なくとも包帯の交換はするべきです。 |
ホログラムバージョンのISACが手を下ろすのを見て、俺の方へとに向き直り、俺はため息をつく。
“…で、昨日のは夢じゃなかったのか?”
| S はいっ! |
澄んだ響きを持つ、はっきりとした女性の声が、イヤーピースを通じて聞こえる。少しぎこちなさを感じるものの、その声が響くと、断片的なデータから形が徐々に作られていって、最終的にはリボンを結んだ青い髪、青い制服に白いスカートで、興奮で目が輝く少女に変わり、青いヘイローはふたつのピンク色のハートへと変わった。
| S 先生!ISACブリックをチェックしてみてください! |
俺は爆笑してしまうも、慌てて横を向いて誤魔化した。ISACもアロナに続いて動き、アロナは無邪気なまま続ける
| S とっても広いんですよ!モニターもたっくさんあって!すっっっごく広いんですよ! |
幼いAIを見つめてから、今まで休んでいた路地を見回す。D.C.の街角や
“そうか、シャーレに戻るぞ。ISAC、ウェイポイントを設置しろ。”
| S 先生!まだ怪我は治っていないんですよ! |
俺のせいだっていうのに、アロナは妙に後ろめたそうに指摘する。確かに、プレートを壊し、ベストのケブラーを貫通させるのは大変難しいが、他の部分、特に腕と脚はかなり露出している。だから脚を撃たれたが、たいしたことはなかった。幸い、なんとか止血できたものの、治療はまだだ。
傷口を軽く押すと、一瞬痛みが走りたじろく。
アロナが心配しているが、気にするような怪我ではない。どのみち通常よりも早く塞がり、目立つほどのものじゃなくなる。
そう考えながら、ゴーパックを開き、中を探り、目当てのものを取り出す。
“これだ。”
緑色に光る巣の形をしたガジェットである「ハイヴ」だ。起動し、小型のドローンの群れがすぐさま俺に群がり、身体に興奮剤と薬を注入し始めた。俺はジャンプしたあと、傷口が塞がった脚を踏みしめる。痛みがないところ、うまくいったようだ。だが…
バックパックをチェックする。
ブルワークバリスティックシールドは弾痕だらけで、追尾マインもアサルトタレットもファイアフライもないことに気付く。ガジェットを使い切ってしまった。
| A どうやらストックが減り始めているようです。 |
ISACはそう指摘する。
| A ミレニアムのエンジニア部に支援を要請する必要があるかもしれません。 |
“ISAC、俺たちは平和を守るためにここにいるんだ。暴力に使う道具をむやみやたらにばら撒くためにいるわけじゃない。”
俺はただ肩をすくめるAIを諭す。正直なところ、ここで目にした技術は、先進的でありながらどこか馴染み深いという、奇妙な組み合わせだ。そしてやるべきことを悟った瞬間、胸の内に諦めと躊躇が膨らんでいくのを感じる。
“ISAC、設計図はまだあるか?”
| A あります。 |
ISACがそう言い、多種多様なハイテク武器の設計図があることを確認した。その中には爆発物も含まれていた。俺は精密機器を扱った経験こそあるが、所詮は車のエンジニアだ。ハイテク武器の構成なんてのは分かるわけがない。
指が無くなるのは時間の問題だ。そう断言出来る。
| S おや?どんな設計図について話しているんですか? |
アロナが首をかしげながら口を挟む。ISACは俺の方を見て、俺はうなずく。破壊の為の道具の設計図なら、アロナに見せても問題ないだろう。
| S ん~~~… |
考え込んでいる間に、俺は立ち上がり、新しい学園の建物へ向かって歩き出した。ふと臭いを嗅ぎ、顔がしわくちゃになる。今まで嗅いだ中で最悪というほどではないが、これ以上放っておけるものではなさそうだ。
“ISAC、キヴォトスの状況は?”
そう聞き、首を横にかしげると、視界には地図や図面が次々と浮かび上がり、情報過多で頭がパンクしそうになる。
“ゆっくりで頼む。”
| A 了解 |
いつもの口調に戻ってこう話していく。
| A キヴォトスは以前の統治体制へと戻っています。ほとんどの暴動や反乱は鎮圧され、現在は学園の再建が進められています。むしろ、連邦生徒会やモモトークのユーザーによる報告によれば、これまで以上に平和な状態であると言えます。 |
“それは良かった”
俺は呟き、通りを走って横断する前に両側を向く。
“待て、モモトーク?”
| S 様々なことを投稿して他の人たちとのコミュニケーションができるアプリです! |
アロナは俺の横を歩きながら、SHDテックの設計図を眺めてくすくす笑っている。おそらく、ここで使われている技術と比べれば、遥かに劣るものなのだろう。
| S これ、すごいですね! |
俺は唸り、ISACが割り込む。
| A 概ねTwitterです。 |
“なるほどね”
俺はうなずきながら、スマートウォッチに表示された時刻を確認して、ため息をつく。
スマホが恋しい。
| S そして、シャーレのウェブサイトのアクセス数は急増していて、モモトークのアカウントのフォロワー数も着実に増えていってます。 |
アロナはそう言い、俺は眉をひそめる。
“なぜだ?”
周囲を警戒しながら聞く。
| S 先生に関するハッシュタグが付いてある投稿が多いからですね。特に先生の目の色…?について気になっている人が多いみたいです。 |
困惑気味にアロナは言う。
俺はアロナの言葉に思わず足を止め、物理的にはそこにいないアロナへと振り向き、まるで精神病院にいる人のように言う。
“俺の目の色が?銃とかそういうのじゃなくて?”
| S それについても興味を持っているようです。 |
アロナが確認する。
| S ただ、昨夜先生が暴れ回っている間に公開された動画が、話題の中心になっています。 |
何だって?…記憶が少し曖昧ではあるが、それでも俺は覚えている。俺がやったのは、せいぜいシャーレ周辺の掃討で大暴れしたとは言えないはずだ。
“マジで?”
アロナのホログラムがうなずく。
“流石にそこまでアレってことはないだろ。”
| S 先生一人だけとはなかなか信じられていなくて、あと三、四人は一緒にいたと思われているみたいです。 |
アロナはそう指摘する。
| S しかも、そのうちの一人は透明になれるんですって! |
ああ、アサルトタレットのことか。
| S それに、ヘイローが無いことも信じられていないです。 |
アロナは頬を膨らませながら俺をじっと睨む。
| S だって…胸にスラグ弾を受けても、脚にも撃たれても、先生はまだ戦い続けていたんですからね! |
“一発だけか?”
ISACに向いて聞き、ISACはうなずいて同意を示す
| A 後で修復されました。 |
ISACの言葉を聞き、俺はうなずく。
戦争については何がどう言おうと勝手だが、敵を殺し、自分たちが生き残るための技術が急速に発展していくのは確かだ。俺が着ているボディアーマーは、アブラティブナノプレートというもので作られている。
もともとは、大気の出入りを繰り返す航空機向けの自動回復ヒートシールド用のプロトタイプ技術だったらしい。
つまりはそうだ。俺は宇宙船の装甲を着ているんだ。
アロナは頬を膨らませていた。
| S それはそれとして、こちらがその動画です。 |
レンズにスクリーンが現れる。オレンジではなく、青い光を放つそれを見て、俺は目を見開いた。
“かなりいいぞ。よくやった。”
アロナは照れたように後頭部をかきながら、くすっと笑う。
俺は壁にもたれかかりながら、動画を再生した。
映像はぶれていて、明らかにスマホで撮影されたものだった。犯罪者の一人が少し離れた場所にスマホを置くと、壊れた店の様子が映し出され、何かを企むかのように笑った。そして酒瓶を持った少女が現れ、他の二人は笑いながら彼女を煽っていた。
数秒後、銃声が響き渡る。一人が倒れ、さらに数秒後、二発目、三発目の連射が異なる方向から響く。沈黙が訪れ、数秒間は何も起きなかった。
最後に映ったのは一足の靴がカメラの前に踏み出す光景だった。そして続いてもう一歩踏み出し、背中に重いバックパックを背負い、武装し尽くした大人が振り返る。その瞳は、オレンジ色に光っていた。
次の瞬間、場面は切り替わり高所の建物からの視点となる。ここでようやく、これがまとめ動画であるということに気がついた。そこにはギャングの集団が銃を乱射し、スナイパーライフルとアサルトライフルの銃声が響く。集団の後ろには、灰色の煙が大きく立ち昇っていた。
銃撃戦の最中に、アサルトタレットとスナイパータレットの姿を確認できた。
そして背後から、まるで穢れた天使のようにひとりの大人が現れる。手には見覚えのあるM870を持ち、その大人は集団に向けて弾を撃ち込み、次々と倒していき、映像はまた別の場面へ切り替わる。
切り抜きが進むたびに、俺の理解も深まっていく。エージェントにとっては、これは普通のことだ。あらゆる手段を駆使して優位に立つのは、エージェントにとっては当たり前のことだ。
D.C.にいた頃、俺の装備構成は主に単独任務向けだった。単独任務が終わり、他の任務をこなした後は、敵の拠点を潰すことが癖として染み付いていた。だからこそ、俺はSHDテックを装備しているのが常だった。
だが、彼女たちは違う。
真正面からの銃撃戦に慣れているが、銃撃戦に心理戦を絡めるような戦い方には、慣れていない。
…
“怖いな。”
そう言いながら、俺は壁から身を離した。
“つまり、皆が気になっていることは俺の目がオレンジ色に光るのか、それとも茶色なのかっていうことか。”
アロナはうなずいて確認する。
“なるほど、そんなことはさておき…腹が減ったし、シャワーも浴びたい。”
建物の前に立ち、ドアを開けて中へ入る。背後でドアのロックがかかる音を聞きながら、ISACに聞く。
“ヘイISAC、シャワーはどこ?”