Chap.11-01 連邦生徒会
リンのヒールが床を叩く。時折、連邦生徒会のメンバーが道を譲るが、彼女の不機嫌さに周囲は気づいていた。それでも彼女は、己の感情を表に出さないように努めていた。
そう、不機嫌になってもおかしくはなかった。彼女が最後に先生について耳にしたのは、一枚の書類──対策委員会と温泉開発部の協力の下、アビドスで進行中の作戦に関する報告書──それが何一つ誤りもなく、承認されたことだった。その二つの部名が連なっただけでも驚くべきものだったが、目を通したリンとしては"どこ"で実施したかについて、少しの不安を覚えざるを得なかった。ただし、彼はその理由を明確に説明していたため合点がいき、学校のファイルを抽出したことについては、実りのある活動だと信じていた。もしかすると──ビナーのファイルも送ってくるのかもしれない。
それでも読み進めていけば、書類の文言に心が少し乱されてしまう。非常に辛辣で、さりげなくではあるが、この状況下で実感した憤りと失望を隠そうともしていなかった。アビドスへの補給品要請についても言わずもがな。
月に一回だ。
ところが今、何かしらの原因で負った重症をシャーレで療養中であるとの情報が彼女の耳に入ったのだ。
ソーシャルメディアの使い方、書類仕事、そしてこの件全体について────彼女は厳しく追求するつもりだ。
重いまぶたを開け、息を吐き出し、今いる部屋を認識する。少なくとも病院やコミュニティや作戦基地の医務室じゃないことは分かる。つまりはシャーレの医務室に違いない。
ベッドに横たわっていることやカーテンが景色を隠していることから、どちらかというと医務室よりかはナースステーションに近い。だが部屋は一人用にしてはやけに広く、資材も充分に蓄えられている。技術部門も警備部門も専用のセクションが設けられているが、シャーレは実質俺、そう俺だけだ。あくまで概念的な考え方ではあるが。
更に見渡そうとすれば、誰かがカーテンを開けて俺を見つめた。
赤い腕時計──赤いスマートウォッチ──ローグだ!
すぐに本能が俺を動かす。痛みなんてどうでもいい。ただ叫びながら太もものホルスターを探すために側部を叩く。だが何も見つからず、そうして俺はローグの"正体"を…
赤いヘイローにエルフ耳、赤い眼鏡をかけた可愛らしい少女──その不条理さに衝撃を受け、現実に引き戻される。
「先生!」アヤネが驚嘆の声を上げて駆け寄り、ひどく心配しながら俺を見つめる。「一体何を…!?怪我はまだ治っていませんよ!」
音を立てて息を飲み込み、アヤネを見れば、心配から睨んでいて釘付けにされる。少し間を置いて気持ちを落ち着ける。
“分かった。”
うなずき、安堵の息を吐く。
“すまない。
そう言って微笑む。
“悪夢を見ててな、ちょっとピリついてた。”
アヤネの鋭かった目付きが柔らかくなれば、脳裏には昨日の出来事が様々な気づきと怒りと共によみがえっていく。
「分かりました。ですがまだ安静になる必要があります。」優しく諭すアヤネ。俺はベッドに再び腰を下ろし、安心感を覚え、ため息をつきながら自分の顔を撫でるために手を伸ばす。「昨日の戦闘で傷が再び開きました。ですので動き回らずに、一日中じっと安静にしていれば数日で治ると医療スタッフがそう言っていました。」
俺はうなずき、自分の身体を見下ろす。下着の上には病院のガウンを着ていて、その下には巻かれた包帯が垣間見えた。
“分かった。俺の装備は?”
そう聞けばアヤネはため息をつく。
「外です。」と横に動けばゴーバッグとズタボロのアーマーが見えた。「良ければお手伝いを──」
“アヤネ、怪我はしてるが五体満足だ。”
起き上がり、少し足が引きずるがそれは気にせず、だんだんと動きになれていく。バッグを見て、ため息をつく。
“少し厄介だな…”
アーマーのみならず、バッグのダメージも深刻だった。直せるものの、すっかり砂まみれだった。
とはいえまずは身体を洗って朝食を済ませないとだ。
「せ、先生、あまり動くべきでは──」口を開くアヤネ、心配していた。
“シャワーを浴びてくる。”
動きながら割り込めば、何か気付いたのかアヤネは瞬きをして、頬がわずかに赤くなるが、それでも話を続ける。
「ですが包帯は…?まだ横になって、安静にしていてください。」と心配そうに尋ねる。
“後で巻き直す。”
過去に現場でも通常時でもメディックを担当していたせいか、どこか罪悪感を覚えてしまう。頑固な馬鹿野郎を説得しようとするほどイラつくことはない。この経験のおかげで、元カノのことが少し理解できた。
「駄目です。」と睨みつけて、俺を掴んで椅子に座らせる。「雑巾とバケツを取りに行きますので少し待ってください。」
ため息をついて、観念したまま待つ。タオルと水が入ったバケツを持ってきたアヤネが戻ってくる。身体を拭くように伝えればアヤネは外に出て、俺は身体を拭く。拭き終わったらテーブルに座り、ゴーバッグに入り込んだ砂を片付け、アヤネが事の経緯を説明してくれた。その中には記憶していた内容もあった。
アビドスに到着すれば、便利屋68が別れの挨拶を済ませ、俺はベッドに固定された状態で輸送ヘリに乗せられた。クラスメイトたちは仰天した様子で眺め、数人は不満げな表情を浮かべていた。温泉開発部もまた帰っていったが、俺としては挨拶出来るような状況ではなかった。
フライト後、シャーレ内で医師と看護師による診察を受け、意識がはっきりとしている間に医療情報の提供に同意した。そこからは途中から入ってきたヒビキの話し声が聞こえてきた記憶があるが、その時はまだ横になって安静になっていた。
これが、俺がいない間に起こった出来事だ。アヤネが報告書をまとめる間、俺はゴーバッグの修繕をして、ホットチョコレートを飲んでアヤネが用意してくれたサンドイッチを食べながら、カスミから送られたスプレッドシートに目を通す。そしてアヤネに感謝の言葉と共に手料理を褒めたところ、アヤネは恥ずかしそうにしていた。
“作戦の方はどんな感じだ?”
そう尋ねると、アヤネは首を振って苦笑いをする。
「それがまだ解析中で…現在はISACさんがファイルの安全性を精査しています。ですので大まかな報告についてはもう少しお待ちください。」
精査しているISACの姿が見えた。そしてアロナというと、まるで自分の人生を俺に賭けているかのように、しがみついている。ため息をついて、アヤネのサンドイッチを食べ終えて、少し体を伸ばして緊張をほぐす。
”まあ、雇われたからにはやるべきことをやるしかないか。”
そう呟き、シャーレ内のオフィスに向かう。後ろにはアヤネがついていった。
いつものように着けば、俺とシャーレへの仕事と書類の山が積まれていた。ため息をつきながら腰を下ろし、仕事に取りかかる準備をする。どうやら温泉開発部が回収した物品についての報告書をカスミが置いていったようで、それには部員が必要としている物の個数と値段が記されている。俺が取れる選択肢としては、残りの物をシャーレの資金で購入して売るか、他の買い手を探すかだ。
もちろん、紛失物の所有者に連絡と取って返す作業と、発見した端末の情報を精査する作業も残っている。他にもあるが、アロナとISACと一緒にやれば簡単に片づけられる。
いつものように、シャーレと俺に届いた書類をサインする。多い。だがこれまでに出してきた報告書や書類とは違い、今回は正確に記入しなければならない。
結局、リンのヒールの音を聞きながら、私はアヤネの方を向いて言った。
“なあアヤネ、一つ頼んでもいいか?”
「はいっ!?何でしょうか?」初めて頼みごとをしたせいか、アヤネは背筋を伸ばして座り直した。これまで立ち上がって俺がやろうとすると、アヤネに座らされて代わりにやってもらっていたからだ。
過保護なアヤネへのお返しとして、ISACにファイルをロックさせていた。ただしファイルをスキャンしている間、アビドスのシステムが感染しないように、そしてアヤネが安心できるように一部のファイルはそのままにしておいた。まあ、これでいけると思う。プログラムは組めるが、ハッキングに関してはスクリプトキディ*1だ。ほとんどをISACに任せているからな。
“メカニックと話せるか?アビドスに行ってコンピューターと見つけたものをテストしてくれと伝えてくれ。”
そう言うとアヤネは渋々うなずく。
「分かりました。失礼します。」と安堵の息をついて背筋を伸ばせば、身を乗り出して、細めた目を俺に向ける。「あまり動かないでくださいね、先生。」そう言ってアヤネは部屋を後にした。
さて、何か来るにはピッタリな時間帯だ。
「失礼します。」リンの高圧的な声が響いた後にドアが開けば、お互いに向き合い、リンの顔には不機嫌さがはっきりと出ていた。俺はただ待っていた。そんな不機嫌さの中にも、安堵と苛立ち、そして疲労の色が見てとれた。「順調のようですね。」
“死にかけているように見えるが。”
そう言い返せばリンは驚く。
“その…これは嫌味じゃないんだが、ちゃんと眠れているか?”
本当に心配していた。俺は官僚と政治家が嫌いだ。だがリンはどうだ?彼女は環境の被害者だ。
リンはしばらく答えず、その後に睨む。「それが先生の普段の話し方でしょうか?」
“そうやって質問を逸らしてきたのか?”
すぐに質問を返すと、リンはそっぽを向いた。
“その、休みが必要そうだな?そう言ってくれれば、書類仕事の大部分は代わりに俺がやる。”
「これまで通りのやり方で、と?」リンが睨み、怒りが込みあがっていた。「ほとんどが正しく記入されておらず、その中の半数が概要すらも守られてなくて、挙句の果てには押印は軽く押しただけ──先生という立場を茶番か何かだとお思いになられてますか?」目を細めてお説教すれば、様々な話題が続いていき、いつものように聞き流していく。
叱る内容が無くなり、息も荒くなる。そして俺は手を握りながら、リンの呼吸が整うまで待った後、こう尋ねる。
“これで終わりか?”
「手に負えませんね…」そう言い放つと、俺を睨みつけながら胸を上下させて力なく座り直した。「少なくとも書類の方は正しく記入するようにお願いします。他の管理者から苦情が飛んできますので。」
“そいつは誰の手にも負えないな。”
ニヤリと笑って答える。
“だがやってみるよ。書類を返してくれれば修正しておく。”