Chap.14-01 シャーレ
エージェント──その本質は適応力にある。エージェントは基本、状況が刻一刻と変わる場所に送られる。周囲を把握して、情報を出来るだけ多く集めて、そこから適切な判断を下す。それがエージェントとして必要不可欠なスキルだ。
完璧なエージェントというのは何にでも対応できる存在だ。いきなり政治が絡むような場所や場面に放り込まれたとしても、非常事態が終息して日常に戻ったとしても──柔軟に対応できる。
まあそれが"あるべき"姿だ。
まだ設立されたばかりなのか、幸い今のところシャーレの書類仕事は多くない。ISACとアロナが対応しきれない量ではないから、俺が時間をかけてやれば対処できる。正直に言おう、仕事中はこれまでのこと──特に人生のことを振り返っている。
皮肉に満ちた人生だ──昔、戦争が終結したことを受け入れられない兵士たちの話を聞いたことがある。選んでもない戦場に無理矢理送られて、故郷では蔑まれ、犯罪に手を染めるか、ホームレスかそれよりも惨めな存在へと追いやられたベトナム帰還兵のことだ。だがそれを聞いた当時、どうしても疑問に思ったことがあった。
どうしてそんなことをした?
息をゆっくりと吐く。口の中では煙草代わりにしているロリポップを転がしている。煙草は開けたものを一箱だけ持っているが、バックパックの中にそっとしまっている。
ようやく理解できた。不安からある程度抜け出していた頃、相手に攻撃を仕掛け、戦い、殺そうとする本能に頼らずに、理性をもって対話するのが難しかった。
幼い頃、父と一緒に見たランボーが泣き崩れるシーンは今でも強く心に残っている。4年間もの実戦経験が俺にはある──苛烈な戦闘を2年半も経験して、それ以降の1年半は対話を心掛けていた。そうして21歳の俺がいるわけだ。
何も表示されていないスマートフォンのスクリーンには、俺の目が見える。悪夢が脳裏をよぎる中、太陽がようやく昇りはじめ、パジャマ姿の俺に風が撫でる。マスクをぶら下げたまま、口の中でロリポップを転がす。
悪魔、犠牲、苦痛──悪夢自体はいつもと変わらないものだった。だが時間に余裕がある今、前よりもずっと…ようやく物事を鮮明に考えられるようになった。
もしもキヴォトスに来なかったら…
ランボーと同じ道を歩んでいたのか?
本当の戦争の恐怖をまじまじと見せつけられて、心を閉ざしてワンマンアーミーのような存在になったとしても、心はずっと閉じたままなのか?再び開くことは出来るのか?
両手を見つめながら、更に自問し続ける。
もしも俺のチームがランボーのように暴走していたら?俺は真っ先に立ち上がってその暴走を止めるのか?それで幸せでいられるのか?
ゴーバッグ、ISAC、そしてエージェントを構成する全て──それが今の慰めだ。それで人を殺して、最低な存在になったとしても。
俺は生徒に信頼されるような存在なのか?
そんな問いかけで俺の存在そのものが分かっていくような感覚がして、ゆっくりと息を吸って、すぐに不安と焦燥と共に吐く。
されるされないは関係ない。やらなければならない仕事がある。
ゴーバッグを背負って、今までそこで寝ていたクラフトチェンバーに向かってアロナを寝させた。ソファにすわってロリポップを噛み砕き、キャンディと歯磨き粉が混ざってまずくなった味は気にせずに棒を捨てる。
M4、クエレブレ、TAC-50Cのいつものロードアウトに、新しく入ったアダムの鍵を太もものホルスターにしまい、書類への署名を始める。いつもなら骨が折れる作業だが、今日は違う。まるで力が漲っているようで、ペンを走らせるたびに達成感も走る。机に置かれた書類全部が、次のアビドスでの作戦に関するものだからだ。
それに後々カイザー自らが入ることになる棺桶をわざわざ向こうから作ってくれたおかげで、俺は仕上げとして
もうすぐ全部終わる。ひとまずユウカに依頼を送るか。
ユウカといえば、システム点検の新しい担当者が朝に来ることになっている。システムのファイアウォールは全てSHDで使用されているもので、ISACが管理している。難攻不落ではないが、それでもここ数日間のようにISACが阻止や回避をするから、シャーレやSHDネットワークのサーバーへのハッキングはかなりの苦戦を強いられることになる。だからISACを突破した時点で目的はもう達成されたといっても過言ではない。
ハッキング自体は俺でも出来るが、レオと比べると子供のお遊びだ。だから俺はスクリプトキディだ。
とにかく、SHDネットワークのおかげでISACには制限を課している。そうでもしない限り、俺の安全のためなら手段を選ばない。気遣い自体はありがたいが、そこまでしなくてもいい。
だから侵入されるとなれば、設定された大量のセキュリティシステムの一つを俺が作動すればいいし、サーバーを完全にロックダウンしても対処できる。
だから"今回こそは"しっかりと、来訪者のファイルを確認できた。各務チヒロ、悪名高いハッカーグループとして知られるヴェリタスの副部長で、キヴォトスやミレニアムにある様々な企業のセキュリティコンサルタントもしている。
シッテムの箱の画面にはファイルにある写真が表示されているが、例にもれず綺麗で可愛らしかった。青のショートヘアに灰がかった青色の目、眼鏡をかけていて、ヘイローはユウカと似ているが、固体に見える部分は青色の中心だけだ。しかし…ジャケットの着こなしが凄い。昔からバーシティスタイルに挑戦してみたかったが、着れる機会はもう逃してしまった。
それはさておき、武器はM27で、他のヴェリタスのメンバーと比べると"良識派"だそうだ。だから美食研究会の時の二の舞になりそうで怖い。
とはいえ、万が一の場合となればセキュリティシステムを再び作動すればいい。
とりあえず今のところはISACとSHDネットワークで事足りそうだ。テオのような天才が現れない限りの話だが。もっとも、テオ自身はローグエージェントとしてSHDネットワークに接続されていたし、ANNA、ISAC、ローグネットワークのダイアモンド、そしてSHDネットワークやブラックタスクのネットワークにも接続していたが。
ふと気になったことがある。そういうのと統合したからISACはあんなに複雑なことができるようになったのか?それともプログラムが消されたからなのか?
これ以上考え続けても問題が増える一方だ。ひとまず書類仕事はいくらか片付いたから、射撃の腕でも磨いておこう。
ゴーバッグを背負い、射撃場へ向かう。向かう途中、すれ違った生徒に笑顔で手を振ったり、時々立ち止まって会話をしていた。
そうして着くと、レーンを選んでM4の拡張マガジンを外して練習用の弾が入った通常のマガジンを使う。スクリーンで難易度を選び、少し迷った後、画面を適当にタップして最高難易度にする。最後にM4を念入りにチェックして待てば、ブザーが鳴って始まる。ハイエナ、トゥルーサンズや他の敵対勢力の脅威が迫っているような状況になれば、ここでも市民軍が射撃訓練をしているような光景になるだろう。
ブザーが鳴ると同時についマスクの下で微笑み、M4を構える。レッドドットサイトの点を的に合わせて、トリガーを引けば的の胴体部分に一発命中し、倒れるとすぐに違う的が現れて撃ち込んでいく。
ISACが表示する残弾数のHUDに気付かない程にトランス状態に入り、30発撃てば反射的にマガジンを入れ替えて引き続き撃っていく。
ブザーが鳴って終了し、スコアを見る。
ミス無し。結果は良かったが全てヘッドショットではなかった。射撃の腕は良くなっているが、D.C.にいた頃と比べるとまだまだだ。
そうして、スマートウォッチで時間を確認して呟く。
“そろそろ戻って待つか。”
別に待つのはいいが、菓子を食べるぐらいしかやれることがないと時間が長く感じてしまう。
驚嘆した生徒たちを気にせずに射撃場を後にする。オフィスに戻ってラウンジエリアのソファに腰を下ろして、ゴーバッグからペンが挟まれた小さな本を取り出す。
父にならって、数独で時間を潰すとしよう。
書き始めようとした瞬間、通知音が鳴って"俺の"デスクに座ったアロナが現れた。
| S 先生、山海経の教官からメッセージが届いてます! |
教官?つまり俺以外にも先生がいるのか?オンライン授業やブルーレイを使ってやると思っていた。
好奇心ですぐにシッテムの箱を手に取ってモモトークのメッセージを読む。
春原シュン。どうやらシャーレの見学授業をしたいそうだ。図書館への校外学習みたいなものか。まずは対面で詳細を確認したいということだが、俺の方は今日から忙しくなる。だがアビドスの件が片付くと時間が取れるはずだ。
そうして送信したら、ブザー音が鳴ってアロナがカメラの映像を見れば、それがシッテムの箱にも映し出された。
| S あっ!チヒロさんが来ましたよ! |
“入れてくれ。”
シャーレの"立入禁止"区域、またの名をラウンジとここのオフィスに続くドアを映したカメラの映像を見る。
俺はデスクの椅子に座るが、ホログラム姿のアロナはまだデスクの上に座っている。ISACは何かを見通していて、俺はまだ終わっていない書類を手に取って、仕事しているかのように見せかける。その時に、「失礼します。」と声が響いてチヒロが入る。「シャーレのサーバーのセキュリティチェックに来ました。」
“各務チヒロだな?”
チヒロの方を見やる。好奇心から辺りを見まわした後に俺の方を見ると、俺は立ち上がってマスクとグローブを外して挨拶のために手を差し出す。
“ヴェルネス マテオ、ユウカが派遣したのは君か?”
「そうです。」とチヒロは答えて、俺の手を握ってしっかりと握手をする。「シャーレには大勢の生徒に関する情報や機密性が高いファイルが保管されています。それについてユウカが問題提起をして、今回のセキュリティ監査を実施することになりました。ご迷惑をおかけします。」
“分かった。では頼む。”
再びマスクとグローブを着けて、後ろに下がる。
“それとそんなにかしこまらなくていい。俺はただの先生だしな。”
「それに超法規的な権限を持つ部の顧問でもある、と。」とため息混じりで言うチヒロ。「人のことをとやかく言える立場じゃないけど、そういう態度だといつか大きなトラブルに──」
俺のコンピューターを見るとチヒロは口を止めた。端に貼り付けているポストイット*1を見ているようだ。「これ、何?」
“パスワード。”
パスワードは簡単なものじゃないといつも忘れてしまう癖がついている。下手すれば目を離した瞬間どころか離す前から忘れてしまう。
チヒロは困惑しているようだった。「…先生…」と言葉を濁し、自身の信念までも背くかのように俺の方にゆっくりと向く。その姿はセキュリティコンサルタントとしての役目と自身のプロ意識の間で葛藤していた。
“どうぞ。紙に書いたパスワードを人の目に着くところに置いてはいけないことは重々承知している。”
そう認めると、かえって怒りを煽ることになってしまった。
「ならどうしてそのままにしてるの!?」と疑問をぶつけられ、ハッキングをなんとか対処しているISACを見て肩をすくめる。
“ちょっとじっとしといてくれ。”
そう言って、チヒロのフードに手を伸ばせばチヒロは困惑し、とても見覚えがある虫型のデバイスを掴む。それを見せると、チヒロの眉は動き、眼鏡に光が反射して俺はつい首を振ってしまう。両手でデバイスを握ると、オフライン状態になるがチヒロの機嫌は一向に良くならなかった。
“すまない。だがここまでくるとなれば、パスワードはもう見れたも同然だ。”
肩をすくめる。
“部員に聞いてみてくれ、もうやってるだろうから。”
そう言うと、チヒロのこめかみには血管が浮き上がり、怒りで肩が震えていた。
「…ならそうしておく。でもまだ話はまだ終わっていない。シャーレのファイアウォールは何を使っているの?」少々苛立っていたが、同時に強い興味を持っていた。「確かにうちの部員たちは手を焼く存在だけど、それでも腕はあるしスクリプトキディじゃない。ハードウェア、ソフトウェアの両方で他の学園や連邦生徒会でさえも使っている程、ミレニアムの技術力はトップレベル。これは自慢じゃなくて事実。だからあいつらが破れないファイアウォールが…」言葉を濁すが、興味を隠そうとする。
俺も良く分かる。SHDネットワークは外部からのハッキングに強く、アクセス権を完全に持っているのが俺だけで、かつ今はただのガラクタと化したSCHALEブリックやただの高級な腕時計になったスマートウォッチのことも考えると、俺の装備を経由して侵入するしか方法はない。たとえ侵入したとしてもアップデートする前から高性能なAIであるISACを突破しなければならない。SHDネットワークのユーザーを監視しているのもISACだ。ユーザーといっても俺一人だけだが。
アロナとISACが時間をかけてやってきたこともそうだ。データパケットの解析からコード内のマルウェア検出、ソーシャルメディアの投稿の確認、更にはアクセスできるカメラから真偽の確認等だ。ちなみにISACは経験豊富でアロナは…力任せで解決している。
“残念だがそれについては機密だ。だがパスワードはもう見れたも同然だって言った理由なら見せられる。”
立ち上がってデスクに向かう。
「見せられる?」と疑問に思うチヒロ。俺はデスクの下からダブルバレルショットガンを引っ張り出して、彼女は驚く。
“これが俺がシャーレに設置したセキュリティシステムだ。もちろん──”
ショットガンは元の位置に戻す。
“──これだけでは終わらない。”
チヒロの後ろから、追尾マインが転がってくると彼女はそれに気付く。「先生、それって──」
“ドローンだ。近くに敵がいると爆発するぞ。”
元の位置に戻すと、オレンジ色の光がゆっくりと消えていって影に溶け込む。
“セキュリティシステムの自動化や監視カメラがないのは更衣室とシャワー室とトイレだけだ。”
「でもどうやって制御してるの?」俺の全身を見回しながらチヒロは尋ねる。「自前のスマホは持っていないしスマートウォッチでもない。出来そうなものといえば…」
視線がゴーバッグに取り付けられたブリックに止まり、何かに気付いたようで目を見開く。「AI…」と呟けば、俺は何も答えずにただ片眉を上げる。
“さあどうだろうか。なんのことか俺にはさっぱりだ。多分考え過ぎだ。”
チヒロは何も言わずに後頭部を掻きながら、苛立ちを隠せない様子で唸っている。「これもあの100キロの会計が仕込んだの…?」
そのあだ名で俺は吹き出しそうになりながら、驚きとおかしさを抑えきれずに彼女の方を見る。
“す、すまない。今何て?”
「まあ…」と呟きながらチヒロは腕を組んで、不機嫌な表情を浮かべる。「ユウカがシャーレに所属していたらこのことは全部把握しているだろうし、ヴェリタスとセミナーの関係は良くないから…いや、ユウカにしてはみみっちいか。」
“そうだな…”
俺は言葉を濁して肩をすくめる。
“君が言っていることを理解出来るのは多分俺とエンジニア部だけだ。”
チヒロは不思議そうな顔で俺を見つめる。「え?」
“ああ。スマートウォッチで制御をしている。”
スマートウォッチを掲げて説明をする。
“これはただのセキュリティシステムに過ぎないし、それに自分から明かすようなことでもない。”
説明を聞いて、彼女は機嫌が少し良くなっていた。「それなら、これ以上のセキュリティ監査はしなくてよさそうだね。ありがとう。」照れくさそうに微笑む。「ヴェリタスの攻撃を防ぐAIがあるなら…」
“どちらかというとセキュリティチェックを続けてくれるとありがたい。”
そう伝えるとチヒロは驚く。
“いつもここにいるとは限らない。だから俺よりもコンピューターに詳しい人がいると助かる。確かにAIも助かるが、監視の目が必要になる。”
ISACに監視の目がいるのは少々違和感があるが、でも必要だ。いくらISACを信頼しているとはいえ、物理的なシステムをチェックしてもらうと一安心するし、俺やISACでさえも見落としてしまうことを専門家の視点から指摘してもらえる。
チヒロは瞬きをして頭を振りながらため息をつく。「まあ、そう言うのなら。それに──」表情を輝かせて俺の方を見る。「私のシャーレへの申請を承認してくれないかな?こちらとしても助かることになる。」
“定期的にしてくれるというのなら、いいぞ。”
肩をすくめながらそう言って、申請書に署名をする。そしてアロナがシステムに登録を終える。
「ありがとう。これで──あれ?」既に起動していたコンピューターにチヒロは驚愕した。「いつの間に…」
“さあ。”
そう面白おかしく言い放ち、俺はソファに座ってチヒロが作業している音を聞きながら残りの書類仕事に取り組む。
そうしてチヒロの作業が終わると、ハルナと会う時間が近づいてきた。