普通なら仕事が終わればすぐにシャーレに戻るところだが、今回はアビドスに留まることにした──便利屋と話をして仲を深めるためだ。
こんなことになるとは思いもよらなかった。
楽しそうに鼻歌を歌いながら、俺の膝の上に座っていたムツキが鼻歌混じりに話しかける。「まさか同時におとり捜査と強制立ち退きをやるなんて~先生ってそんなに意地悪だったんだ~。それに吹き飛ばしたら綺麗さっぱりになりそうで楽しみ~」
“ありがとう。”
そう言うなんとかムツキを気にしないようにする。
“まあそうだな。”
「まさに先生のようなアウトローに相応しい計画ね。」そのアルの称賛で、俺はふとある思い出を思い出して顔を上げる。
“今のうちに対策委員会の信頼を得た方がいい。これが終わっても仲良くしてくれるとは限らないから…その…”
言葉を濁すと、何かに気付いたのかアルが叫ぶ。
一方、カヨコはため息をつく。「ムツキ、先生が辛そうにしてるからそろそろ降りて。」
「なんでだろ~」と小刻みに身体を動かしながら、ニヤリとムツキは微笑み、俺は眉をひそめる。
分かってやっているんだろこのインプめ!
幸い、気をしっかりと保ってなんとか冷静さを失わなかった。…ある程度は。
「あ、あの、先生。」とハルカが近づいてくる。「ほ、本当にこんなにたくさんの爆弾を持っていっていいのでしょうか?」その方へ振り向けば、ハルカは叫ぶ。「すみません私は本当に役立たずですよねすぐに──」
“いいぞ。取り扱いには気を付けてくれ。とはいえハルカなら大丈夫だが、自爆してほしくないからな。”
動きが止まった後、ハルカは微笑む。普段よりもとても柔らかい笑顔だった。「わ、分かりました。」
“そういえば…”
少し聞きたいことがあるので、便利屋に振り向く。
“これが終わったらどうするつもりだ?”
「そうね…」とカヨコは言葉を濁す。「ブラックマーケットにはもう入れない。」
「まあでも先生が払ってくれた報酬なら、テントを張って野宿はしなくてもよさそうかな。」とムツキが言えば、アルの顔が赤くなり俺は片眉を上げる。
“テント?”
「そ、その時は仕方なかったの!時には贅沢を我慢しなきゃいけないこともあるから…!」面目を保つためか、アルは慌てて口を挟む。
「寝る場所が『贅沢』…?」カヨコが呟き、俺はその方に向く。
“それにとやかく言うつもりはない。俺は野宿には慣れてる。”
これは本当だった。SHDのセーフハウスは様々な場所に点在しているが、時折屋内よりも屋外で眠る方が良かったりした。
「そういえば先生はファーストレスポンダーだったね。」とカヨコが言えば俺はうなずく。
「どうすればファーストレスポンダーがEMPグレネードなんかを持てちゃうんだろ~」身を後ろにして、笑みを浮かべるムツキ。「あ、褒めてないよ。」
“それは俺だけが知っていいことだ。ムツキは駄目だ。”
そう言い返すと、ムツキは頬を膨らませる。
「ずる~い!」
ようやく、アルが口を開く。「そういえば、新しい事務所を探さないとね。」そしてアルは顎に手を当てて考え込む。「先生が支払ってくれた報酬なら以前よりも良い事務所に契約ができそうよ。」
“まあ、シャーレはいつでも誰でも歓迎している。気軽に立ち寄ってきてくれ。”
皆して驚いているようだった。「いいのかしら…?」アルが聞けば俺は肩をすくめる。
“良くなければそんな言い方はしないぞ。”
アルの笑顔は皆の笑顔と同じように素敵だった。
翌朝は慌ただしかった。アビドスの所有権をシャーレから対策委員会に渡す書類にホシノが署名した。嬉しくて涙が出たが、まだまだやるべきことはあった。
会議の準備は整っており、詳細な資料も準備済みであとは最終確認を残すのみだ。ドローンや衛星画像を活用して、ミスを絶対に起こさないように細心の注意を払いながらISACは全力で現地調査を行っている。
シロコの大振りのフックは身を低くして回避、続いてキックが繰り出される。力強いが訓練がされていないそれを掴み、引っ張る。シロコの目は見開かれ、倒れると同時に俺はジャケットを掴んで引き、腕を後ろに引いてパンチを繰り出そうとした瞬間、お互いに動きが止まる。そして動こうとしない中、俺は手を放す。
“シロコの負けだ。”
「ん。」とシロコは少し落胆していた。「先生、どうして反撃をしなかったの?」
“髪を掴んでしまうからだ。”
そう答えるとシロコは数秒間、俺からすればかなり長く黙り込んだ後にうなずく。
「気にしないよ。」
気にしない。その"気にしない"は気にしないことにしよう。色んな意味で。
“それはさておき、俺には決まった戦い方というのがない。”
そして身を屈める。
“身体が勝手に動いてしまう。”
残忍、野蛮、冷酷──それがエージェント時代、特にワシントンD.C.での経験から学んだものだ。それをシロコには教えたくはない。
「でも、使えそうな気がするから知りたい。」
使えそうか…
“まあ…”
気は乗らないが口を開き、顔しかめてある教官を思い出す──俺がいた部隊の射撃手であり、海兵隊出身のアレスだ。収容施設で俺はただの悪あがきから恐るべき戦闘術に変わるように教えてくれた。
“一つだけ、教えられることがある。”
「本当?」と聞けば、シロコは近づいて手を伸ばす。
俺はその手を掴み、引っ張った後に足を蹴って床へ転ばせる。そして手慣れた動きで組み伏せて、背後からチョークホールドで押さえつける。シロコは呼吸がままならない状態だった。
“組み技だ。”
結局のところ、格闘戦は突き詰めて言えば組み技の応酬に過ぎない。
手を放し、起き上がって息を吐く。
“使えるとは思えないが、でもいい練習にはなる。”
シロコは首のあたりにゆっくりと手を当て、頬がかすかに赤くなる。俺は目を閉じて見上げる。
暑かったせいなのかは分からないが、確認しようとは思わなかった。
ノノミは…過保護な母のような立ち振る舞いと常にミニガンを携行している点以外は何も知らず、対策委員会の中では一番把握していない。
それ以外にも、頑固な側面があることが分かった。
「せ~んせ~い。」とノノミは頬を膨らませながら、太ももを叩く。「頑張りすぎてますのでこっちに来て、休んでください。」
“大丈夫って言ったはずだ。”
「大丈夫とは言っても本当に頑張りすぎてますし、それにお怪我も完全に治ったわけじゃないんですよ?」ノノミは頬を膨らませば、俺はわざと目を逸らす。
確かにFlak41の砲弾による傷はほぼ完治している。ビナーとの戦闘で再び傷が開いていたにしろ、傷口が塞がるだけでは怪我は治らない。人は回復に時間がかかる。その点においてBSAVはありがたかった。
“そうだな。”
ノノミは暗い笑顔を浮かべて、手を"ある種のとっておき"へゆっくりと伸ばす。「先生~こっちに来てくださ~い。」と怒った時の俺の母親みたいにノノミは命令する。
“…先生が生徒の膝にお世話になるのはよろしくないぞ。”
最後まで足掻こうとするが、既に"とっておき"を抱きかかえていて観念してため息をつく。
“…分かった。”
「ほら、ここですよ~」とにこやかな笑顔で太ももを優しく叩けば、俺はまたため息を吐く。
イスの方へゆっくりと歩き、ゴーバッグを置けばイスに座って頭を太ももに乗せる。
ああ神よ…これはやわらか──上半身を倒すな!!
「さて~」とノノミが口を開けば、俺は内心でパニックになりながら下を向く。ノノミは上半身を倒して俺の頭の反対側に胸を乗せ、脚を閉じる。「どうですか?これ、ホシノ先輩が好きなんですよ。」
俺は一瞬だけ沈黙し、顔の赤らみを消そうと頑張る。
“いい…な。他のことを考えていた。”
ノノミは頬を膨らませて、俺の髪を撫でる。「先生~少しはリラックスしてください。」
“難しいな。”
リラックスしたい訳でもなく、この事態を一刻も早く終わらせたい訳でもない。一刻も早く少女たちを自由にさせてあげたいだけだ。
“それでももちろん、これは俺の責任でもあり選択でもある。同じ状況なら誰だってそうする。”
ノノミは柔らかい笑い声を上げる。「先生ってとってもロマンチストだったんですね。いいですね~」
理想はただの夢物語に過ぎず、現実の前では何も成さないと言うのは簡単だが、俺にとっての理想は助けになるものだった。日常を再建するという目指すべき目標を与えてくれて、その日常を人は切望していた。良きリーダーとはグループの道徳的支柱でもあり、暗黒期でもグループを導く存在だ。リーダーが暗闇に迷い込めば、まさしく"盲人が盲人の手を引く"ことになってしまう。
初めて人を殺した時はまだ子供だった。そもそも17歳であって軍隊に入れる資格すらなかった。そこから大きく成長したとは思わないが、出会ってきた一部エージェント、ローグやブラックタスクと比べると、"まとも"な人間に育った。仲間のエージェントもそう言うのだろう。たが戦闘が極限状態に達した時の俺は"化け物"と言うかもしれない。
そしてこれまで俺が見てきたものと比べると、ここの生徒たちには到底及ばないと思う。
“それは真実だぞ。俺がやってきたことは特に特別なことじゃない。それにカイザーに一泡吹かせられたし。”
「そうかもしれませんね。」同意とも否定とも受け取れるような言葉だった。
結局、慰めになったが、俺は心を落ち着ける前にここを後にしなければならなかった。
アビドス自治区内、「むぅ…」と俺の隣で唸るヒフミは時折通り過ぎるシロコの自転車を眺める。「またこれを被るとは…」と数字の5が書かれた紙袋のマスクを弄る。
“少なくとも一人で戦うことはない。”
慰めようとするが、驚いてしまって俺はヒフミが座っていたベンチにもたれかかる。
“ヒフミの役割は合流する二組のグループのリーダーになって他にも目的地二点へ誘導し、包囲網を狭めていくことだ。”
「成程ですね。」とヒフミは納得した様子を見せた後、俺の方を向く。「私が出来るのはそれだけでしょうか?」
“それが君の"やること"だ。ゲヘナの風紀委員会と連携することになったが、皆法律の遵守にお熱のようだ。そしてトリニティの生徒だとバレたら…”
「あっそうでしたね…」ヒフミは言葉を濁せば、手を伸ばして髪を搔き撫でる隙が出来ていたから撫でた。
“気にするな。皆、ヒフミが手伝ってくれるだけでも本当に感謝している。俺としてはティーパーティーよりも君の方がずっとありがたい。”
そう言うと、ヒフミはため息をつく。
「出来るかどうかは分かりませんが…」そしてうなずいて、きっぱりとした口調でこう言う。「でもベストは尽くします。」
“良かった。”
そう言って、手を頭から放す。
“信じているぞ。”
「そういえば、リーダーっていうのは何のリーダーですか?」
“ヘルメット団だ。”
「今何と…?」
「どこが間違いなのよ!?」とセリカは頭をかきながら叫び、俺はため息をつく。
“方程式が正しい形をしていないから間違いだ。”
そう答えるとセリカは恥ずかしさで耳を赤くしながら、机に突っ伏す。
そう、キヴォトスに来てようやく初めて、本来の先生としての仕事をしている。
「"方程式"に"形"!?」とセリカは俺の方に向く。「方程式を形で判断するような先生がいてたまるかー!」
“セリカだって正解かどうかは確信していないだろ!”
そう言い返すと、セリカは不満そうに顔をそむけながら答えを直す。
実はセリカの成績は対策委員会の中では最下位だった。複数のアルバイトを掛け持ちしていたというのが理由だったが、これだと疑問を感じずにいられなかった。
確かに数学とアルバイトは同じものではないが、アルバイトを円滑にこなすためには数学が不可欠だ。
誠実で率直な性格もさることながら、文学などに関しては、"意味"の理解に苦労するようだ。
もちろん、体育の成績は優秀だが、戦闘訓練となれば…
オリジナルのアビドス基準で測れば非常に優秀で、完璧まであと一歩というレベルだ。だが他の学校と比較するとどうだ?
アビドス生以外と比べると平均以下と評される生徒は一人もいない。
もちろん成績面での…
“負の数で割るときは記号を逆にしないといけないぞ。”
「あっ、そうね。」とセリカは笑顔を向ける。「ありがとう先生。」
ああぁ…満足感だ…これを待っていた…
“どういたしまして。”
タブレットに表示された動画はアヤネの眼鏡にも映り、悲しそうな目をして眉はひそめられ、もう一度動画は最初から再生される。
砂漠化が始まる前、生徒たちが制作していた映像作品のようだ。沢山の笑い声や冗談が飛び交い、非常に青春溢れる雰囲気がひしひしと伝わる。
オペレーターとしての立場にもかかわらず、アヤネはその動画を何度も何度も繰り返し見ていた。見覚えのある光景だったからです。
“美しいな…”
そう呟けばアヤネが飛び跳ねる。
「先生!」とアヤネは飛び上がった後にため息をついて微笑む。「本当にそうですね。クオリティもとても高いですし。」と再び動画の方に戻る。「まるで別の時代のようです。」
“そうだな。だが見ている人はそんなに変わっていないかもな。”
そう言ってウインクすれば、アヤネの顔は赤く染まる。
“それでファイルの方はどうだった?ISACによれば、ウイルスが仕組まれたファイルは検出していなかったとのことだ。”
「はい、そうですね。」アヤネはそう言いながらファイルに目を通した後に俺に見せたので、前のめりになってそれを見る。「ファイルを分類して整理をし、元々あったファイルも確認をしました。これは生徒がアクセスできなかった可能性のあるファイル。これは以前の記録で、これは連邦生徒会に精査させて頂くファイルで、そしてこれが…アビドスとカイザーの土地取引に関する記録です。」説明の最後には、アヤネは苦々しい表情になっていた。
“ああ。どうしようもないカスばっかりだな。”
俺の腕をはたくアヤネ。「先生!言葉遣いは気をつけてください!」
“分かった。それでアヤネはなんとかやっていけているか?”
「えっと…?やっていけているというのは…?」
“この件全体のことだ。カイザーがやっていたことと輸送記録を知ったこと、土地を取り返したこと、俺がどうやってきたかをだ。”
アヤネはしばらく黙り込んで後、答える。「好きじゃないです。不誠実…な気がします。守るべきルールを破っていてカイザーと同じレベルに落ちたような感じです。」不満を浮かべた表情で俺を見つめる。「先生はそのことを後悔していないようですし。」
“きっと俺を恨んでいるのだろう。”
そう言って、視線を僅かにずらして目を逸らす。アヤネを見れなかった。
「自分の気持ちが分かりません。私は…私は幸せになりたいんです。返すべきものはすごく減って、少しは気を緩めていいし、自分たちのことにお金を払えるようになったのかもしれません。でも同時に『それが私たちの責任だ』って大声で叫びたいんです。これ以上、先生が私たちのために身を投げるようなことがないように…既にシャーレやその活動についてあることないこと──」
“アヤネ。”
俺は口を挟む。
“シャーレのことはシャーレに、俺に任せればいい。”
そう言って、アヤネの頭に手を乗せる。
“アヤネは自分のことだけを心配──”
「先生は自分のことを心配していますか?」アヤネの琥珀色の目が俺をじっと見つめる。「先生の…態度は一貫性がなくて矛盾だらけで、どこから来たのかもすぐに分かってしまいます…はっきり言って良くないです。」そう言ってアヤネは視線を逸らした後、再び俺の方に向いた。「なのに先生は自分一人でなんとかしたり助けを求めたりせずに、真っ先に連邦生徒会長代理や私たちや温泉開発部のような他人のことを心配するじゃないですか。先生がビナーの目の前で立ち尽くしていた時に初めて、心配している顔を見ました。その時も私たちと一緒に戦ってくれたじゃないですか。」そうしてアヤネは大きく息を吸って、こう問いかける。「もしも、私たちが自分のことを心配するようになれば、先生も自分のことを心配するようになりますか?自分の面倒を自分で見るようになりますか?」
一瞬だけ考える──答えじゃない。何と言えばいい。結局のところ…
“俺に課せられた責務としてやる。課せられた責任は果たす。”
エージェントとして、大人として、先生として。
俺が言ったことにアヤネは理解しているようで、顔がしかめられる。「…答えになっていませんよ先生。」
“おっと、そうだったな。”
微笑む。
“つまりはまだまだ成長する余地があるということだ。身長だけじゃないぞ。”
「先生!」と叫んだアヤネは胸を抑えながら飛び上がり、恥ずかしそうにして俺をにらみつける。「そんな冗談は駄目ですよ!」
“どこが?”
少し戸惑っていると、アヤネが俺の方を向く。
“情緒がっていう意味で言ったぞ。”
「あっ。」と、急に俺と目を合わせるのが辛くなったようだった。「そうですね…」
俺はそれに肩をすくめる。
“分かった。では俺はそろそろ行く。”
そう言って踵を返そうとした時、アヤネが引き留めた。
「何と…言えば分からないし、自分の気持ちも正直よく分かってないです…」頬を微かに赤くすれば、アヤネは打ち明ける。「でも…」そして俺の身体に腕を回して、服に顔を埋める。肩はかすかに震えていた。「ありがとうございます。本当にありがとうございます、先生。助けてくださってことは…希望をもたらしてくださったことは…絶対に…絶対に…」
頭を撫でてアヤネを止める。
“当然のことだ、全然問題ない。”
エージェントになる前や現役で受けてきた訓練の数々は無駄ではなかった──こうした時間だとそう実感する。
まるでソファの上に座り、片方の足は肘掛けに乗せて、マントのようにタオルを首に巻いて楽しそうにしている子供の頃の俺と、それを見ながら微笑む思春期のティーンエイジャーの俺がいるような感覚。
俺の人生の中でヒーローになるという選択はない。だがヒーローにならなくとも人は善行が出来る。これまで俺が犯してきた過ちの数々が地獄行きの決め手となるだろう。それでも経験や学んできたことが誰かの助けになったのなら、俺は幸せになる。
シーシュポスのように、俺が丘の頂上まで転がしてきた岩は再び転がり落ちるのかもしれないが、学んだことはあった。その学びが他の誰かの助けになり、もっと多くのことを学べられるのなら、それでいい。