企業とは権力の象徴。支社という名の枝葉は雑草の如く伸びている。たとえ刈り取られたしても、再び伸びてゆくのが常。もしもあまりに強大な権力を手にしたのなら、その時は全てを腐敗させていく。
一市民として、マテオは企業の存在・原点──企業が善良であるのは稀だと、常に認識していた。政治家への賄賂や犯罪の隠蔽等、そういった企業による悪行は市民の常識だ。なのに関わらず、それに対しての行動を起こすのは極めて困難だ。内部告発は黙殺され、報道は検閲され、犯罪は闇に葬られる。
腹立たしいものだった。
ドルインフルによる影響は深刻だったが、マテオにはある特殊な歓びを見出すようになった。それは奇怪な方法で権力にしがみつこうとする企業のような何かに、とどめを刺すことだった。爆弾付きの首輪で文字通り首が飛びかねない私設兵士、外の世界に対する嘘、特にブラックタスクの件以降、彼はこういった企業に手をかけるようになっていった。
政府、ましてや企業を信頼するようなエージェントは存在しないといっても過言ではないだろう。
故にマテオは満面の笑みを浮かべていた。車両が爆発していく音を聴きながら。外縁部の掃討はシャーレチームが対応中というISACの報告を聞きながら。スナイパーを対処した後、遮蔽物にもたれかかりながらカイザーが隠した保管庫から弾薬を補充していた。
腐敗しきった企業の支社を追い出すということに対して、幼きマテオならば興奮し、大義名分という名ばかりの暴力を得たティーンエイジャーのマテオならば激昂していた。
ゆっくりと一歩を踏み出し、最後の三階層に備えながら、倒した敵の数を数える。
“本当に腕が鈍ったな…”
50キル/テイクダウン辺りで数えるのを辞める。実際は誰も死んではいないが。
スキャナーPulseを使用し、鼻を軽く鳴らせば、残存部隊が警備システムを起動したことに気が付く。ちゃんと動くと思ったから起動させた。だが既にシステムはISACが侵入しており、カヨコがしっかりとやってくれたのなら、起動は出来ない。
それにしても、本来の配置から離れている者が多すぎる。
壁にもたれかかりながら窓の外を覗くと、驚いたことに見覚えのある人影が目に入った。
“ワカモ?”
いた。災厄を起こした面被りの狐の少女が。背中には袋を背負い、手には見覚えのある武器があった。
“ここで何をしている?リベンジか?いや、カイザーと戦ったのか。”
「上の階だ!行け!」とカイザーPMCの指揮官の指示を耳にして、マスクの下でマテオは唇を舐め、階段で止まる。グレネードを投げ、壁に当たって分隊が昇っていく箇所に落ちる。
彼の手に持っていた武器が一瞬だけ煌めき、
色が変化し、再び白になればグレネードが爆発する。マテオは歩きながら階段を下りながら、カメレオンが近距離内へ鉛をばら撒き、最下部で一度身をかがめる。バックアップブームスティックを抜き、顔面に向けられるとトリガーが引かれる。バックショット弾が放たれ、兵士は吹き飛ばされる。そして一歩踏み込んだ彼は他の兵士にも撃ち、バックアップブームスティックをホルスターにしまう。
カメレオンを連射し、兵士たちは遮蔽物へ追いやられる。一人が撃ち返そうとするも被弾してしまいブルースクリーンへと変わりながら倒れ、他は後退する。身を出したマテオは再び射撃、押し上げてくる分隊を一掃し、兵士たちのヘイローは消え、もしくはブルースクリーンが表示されていった。
身を隠してリロードし、床に転がっていたM16を拾い、マガジンを確認して再び入れてチャージングハンドルを引く。発射モードをセミオートに変え、銃口を晒せば銃声が一発一発響き渡る。一発で倒すこともあれば、身体に数発当てて倒すこともあった。
ある意味では憂さ晴らしであった。怒りに任せてサンドバッグを殴るようなものだったが、物ではなく人間に八つ当たり出来て、しかもその人間が死んでしまう恐れはなかった。ただしゲマトリアに対しては、"あのクソ野郎共を殺したとしても後悔はない"と彼は確信するだろう。
一年半に渡るサポートエージェントの経験で腕が鈍っていたとしても、エージェントの名に相応しい着実な動きで、彼は残りの階も突破する。敵の武器を使い、敵を盾として使い、火炎瓶といった化学兵器や挙句の果てには残虐行為も──使えるものは何でも使った。
やがて終わり、疲労を感じていた。D.C.やその周辺地域のコントロールポイントの奪取や市民軍の支援を一日中行った時の疲労だった。
それでも、まだ全て終わっていない。
「せ~んせい♪」ワカモの澄んだ声が彼の前に響き渡る。面で表情は隠されているが、その背後に広がる災いの跡が彼女の腕前を物語っている。そして
“狐坂ワカモ。”
名前を呼ばれ、ワカモの顔には歓びが現れていた。
“ここで何をしている?”
「それはですね…」と彼女は優しく鼻を鳴らしながら続ける。「事の発端は昨日、たまたまラブさんと出会った際に砲撃出来るものがないかと尋ねられて、そして先生も今回の事に関わっていると聞きました。それに…」せわしない様子でワカモは身じろぎ、マテオは信じられないといった様相をしていた。「改めて、きちんと自己紹介が出来ると思いまして。改めまして──」そして彼女はおもむろに面を外すと、美しくも優しい顔立ちが露わになった。その黄色の瞳はじっと、ただ一途にマテオを捉えていた。「狐坂ワカモと申します。」喜びが声に出た自己紹介に、マテオは思わず片眉を上げる。
そして彼女はすぐさまはっとする。「危うく失念する所でした!」と今まで持っていた袋を彼に渡す。「ここに向かう途中に立ち寄ったお店で買いました。ぼったくり価格ではありましたが、あの"ゲヘナ"の生徒さんよりもずっと上手に、値段交渉をしました。」と小声で言う。マテオは袋を開けると、目を大きく見開いた。「ですが…」しゅんと、耳を可愛らしく垂らし、落ち着かない様子で身じろぐ。「どうしても、途中であなた様のミサイルランチャーを使わせていただくしかありませんでした…本当に申し訳ございません…」
袋の中にはホワイトデスとSHDテックが入っていた。
“大丈夫だ。”
以前ISACが唐突に喋ったことがあったが、その時は何のことかさっぱり分からなかった。
“待て、どうして使え──”
「そこはお気になさらず。ただ…」何か言いかけるものの、言葉につまって頬を押さえ、「きゃ~」と呟く。一方マテオはすぐに装備をゴーバッグに付け直していた。
装備の重みが背中にのしかかれば、彼は安堵の息をつく。
“ありがとうワカモ。”
彼女に向けば、マスクを外して笑顔を見せながら、グローブを外した手を差し出す。
“本当に助かった。もう知っているかもしれないが、ヴェルネス マテオだ。”
静寂だけが場を過ぎていき、ワカモは凍りついたように動きを止める中、マテオは辛抱強く待つ──ワカモの頭で繰り広げられているどんちゃん騒ぎに気付かぬまま。
もしも頭の中を見ることができるのなら、うわ言や叫び声がただひたすらにこだましていたのだろう。『本当に素敵なお方』、『結ばれたい』、『落ち着いて』が何度も何度も繰り返されていた。
「よ、喜んで…先生──」なんとか声を出した彼女はその手を両手で力強く包み込む。しっかりと見つめ、息が荒くなる。そして次第にマテオはあることに気が付いていく。
その息遣い、その──(どうして目がハートになっている?)
それは比喩表現として用いられることがほとんど。そう、トラウマを抱えたティーンエイジャー、大人、子供が溢れる世界では、突然エージェントと出会えば英雄視することになる。マテオ自身、些細なことでも情報共有を怠らず、それに加えて自分に出来る支援を断ることはなかったため、ヒーローとして神聖視されていた。待ち伏せからの生還、敵の勧誘、ほぼ不可能に近いような任務を単独で遂行、あるいはそうした任務の指揮──更にはただ寄り添える存在として、常に周囲のエージェントたちから「まさに理想のエージェント」と称される特別な存在であった。もしもスクリプトキディ以上のプログラミングスキルを持っていれば、非の付け所がなかったが、残念ながらそうではなかった。
どちらにせよ、時には元カノ達以外にも"信者"がいた。そう…
レオは
要するに、女性、戦闘、混沌とした状況全般に対しての知識と経験を総動員しても、マテオはどうすればいいのか分からなかった。
「ふつつか者ですが…どうか末永くよろしくお願い致します…」その言葉に、マテオはまさに狐につままれたような顔をしていた。
そう、彼は一緒に行動したいと思っている。彼女はとても素敵だ。それにISACによれば"合法"だ。
ただし、生徒だ。
これ以上マテオが混乱してしまう前に、聞き慣れた音が聞こえ、彼はワカモを咄嗟に自分の胸へと抱き寄せる。思わず悲鳴を上げ、恥じらうワカモと共に遮蔽物へ身を隠す。
| A ジャミング装置が破壊されました。 |
「先生!」とユウカが叫ぶ。「大丈夫ですか!?聞こえますか!?」
“すぐに死ぬと思われて傷ついたぞ、ユウカ。”
そうして、シャーレチームは皆一斉に安堵の息を吐き出す。
「先生、主要施設は全部破壊したよ。」カヨコが報告する。側には便利屋68がいた。「スキャン装置も動かしている。」
“よくやった。”
「せんせ~、終わったー?おじさんもうへとへとー。」
「カイザーPMCが撤退中よ。どうする?」ヒナが尋ね、彼女の息遣いが少し荒くなっているのをマテオは聞きつける。
しばらく間を置き、彼は天を仰ぐ。
“放っておこう。”
彼は遠くを見やり、ISACは撤退する車両の輪郭を表示していく。
彼はワカモに振り返り、立ち上がれば遠くへ去っていく敵の姿を見送る。無線を個別チャンネルから一般チャンネルに切り替えて、一瞬の静寂の後、深呼吸をして慣れ親しんだ火薬の香りに心を落ち着かせ、心地良い破裂音が時折鳴る焚き火の音に現実を取り戻す。
……
(何をしている?)
“ざっとパトロールして、終わったら解散だ。”
マテオは言う。その笑顔は本来の彼とはかけ離れた悲しげなものだった。
どのみち、未解決は解決しないといけない。
そして、善行は最後まで筋を通さないといけない。
“シロコ、俺と一緒に漁りたいか?”
「ん、今いく。」
「ちょっと待ちなさ──」とユウカが言うも、アコが割り込む。
「どうぞ。ですが風紀委員会の支援が来てからです。」
「なら──何ですって!?」ユウカが驚きの声を上げる一方、アコはとりわけ強い語気で続ける。
「任務を遂行するにはまずマコト議長の押印が必須で、任務で発見した物品は全て万魔殿へ提出しなければなりません。とはいえゲヘナが公認した任務に限りますが、シャーレの場合はそういった手続きは不要です。そもそもこちらの装備の追加要請だけで精一杯ですが。」とアコは拳を強く握りしめながら顔をしかめる。
「それって合法かしら?」ユウカは尋ねる
「私も見ていい?」ヒビキが問う。「掘り出し物がありそうかも。」
「ヒビキ!」
“よし、いいぞ──”
マテオは微笑みながら言う。
“ただし早い者勝ちだ。”
そうして自らが滅茶苦茶にした跡を見つめる。
(もうこんな風にならないはずだった。これ以上人を殺したくなかったから現場仕事から手を引いたのに。銃ではなく言葉で人を助けたかったのに。なのに俺は途轍もなく難しい任務を受けて、バックアップはシャーレの生徒の救助以外何も考えずに…)
マテオは思考の濁流を止める。これ以上自分を欺いても意味はない。これまでずっと思考に囚われてきた。例えるなら他人の頭に入り込み、経験を伝えるために生き延びた。真実から目を背くのはどれだけ愚かなことかをよく知っている。
優秀?否、ただ将来的に邪魔な存在になりたくなかった。鈍らせて、平和が訪れたとしても、すぐに暴力に走らないようにしたかっただけだった。
だが既に無理だ。
気を取り直し、彼は辛抱強く待っているワカモの方へ向き直る。ぴくぴくと動く彼女の狐耳を見ながら、マテオは思わず彼女の頭を撫でる。
“本当にありがとう。君がやってくれたことに感謝している。”
「ぁ…」と顔を赤らめ、身震いしていた。「し…」
“またか?”
そうつぶやき、彼は首を振る。
「失礼しましたーっ!」と叫び、面で顔を隠しながら明後日の方向に駆け出す。マテオは首を振り、皆の方へ向き直る。
場所が自らを漁ってくれたりはしない。
ふと、あることを彼は思い出す。
“
独り言を呟き、オートマタの頭部を拾い上げる。スクリーンには暗い愉悦を浮かべた笑みが反射されていた。
“覚悟はいいか?なぜならこのブルータスは──”
そう呟きながら頭部を放り捨て、大きく足を後ろへと引いてから勢いよく蹴り飛ばす。
“一度の刺突で終わらせない。”
頭部は弧を描いて飛び、窓を砕く。マスクの下で鼻を鳴らすと、音の在りかを調べに来るユウカや他の誰かが来る前に、漁るべく踵を変える。
[訳者あとがき]
盾とカメレオンで脳死で突っ込むの楽しい