沢山の絶望をあなたに 作:エレオノーレ・フォン・ゼートゥーア
量ばかりで味のない食べ応えだけある主食、副菜足りる味の濃い保存食、量ばかりで様々な食材が雑多に組み合わされたスープ、そして作り置きを兼ねた主菜だ。
これまでみたいに生活に常識外れの余裕がある訳ではない、無論貧困ではないが必要足る日々を過ごせるだけの収入で暮らしていく事ができる。
批判もあるだろう、気に入らないと思う人間も居る筈だ。
...それでも私はいいと思った、全ての人達とまではいかないがある程度人生において願いを叶えられるというのは、程よいと思う。
無制限の思考資源なんざ碌でもない事は分かっていた、与えられてしまったモノは
仕方ないのだ。
...それでも、いつでも捨てる事はできたのだ。
なぜ捨てられなかったか、それは怖いという感情からだ。
この辺の感情は今も付いて回っている、それでも吹っ切れる事ができた。
死ぬのは怖くなかった、でも戦争に負けて国という強大な概念に死ぬまで追い掛けられるという恐怖と、その後の混乱で失われる死にはどうしても耐え難かった。
きっと俺は先のない終わりが耐えられなかったのだ、天国に行くにせよ地獄に行くにせよ、そこには人間の思う場所がないから。
だけどここなら、少なくとも俺の願っていた場所がある。
身勝手な欲望だけど、先に続く何かがあるなら、幸せに生きていけそうだ。
手段ではなく目的のために、改めて日々を。
人類は永久機関と進化した人工知能によって定型化された思考を必要としなくなった、人類には想像もつかない速度でBETAの駆除と宇宙の開発を進めている。
遂に我々は手にしたのだ、平穏なる老後を。
...ある者はビジネスを、ある者は生計を。
人の倍も生きて、人の倍も死んだ彼らが求めたもの。
...幾度となくあらゆるものを忘却してきた中で、戦災そして孤独の中で何よりも求めた代物だ。
言うならば『他愛もない日常』が、かけがえのない思い出になる。
何よりも先に摩耗していく記憶、残るのは生きる為に必要なナニか。
...それを前に皆々は己を失わなかった、或いは取り戻したのだ。
逆転する手段と目的を前に、100を越える時を経て手にしたのだ。
長い時間にて霧散する
魔に冠するモノに触れた者、神に魅入られた者、多くの物を魅入らせてきた者達がその枷を捨てる事を叶えた。
そんな壮大な愛と希望の物語、刹那の旅路を彼らは歩み抜いたのだ。
神というものが実在するならば、それは救い難い存在に違いない。
...だが人は機会さえあれば己の中にある何かを救う事ができるのだ、その輝きはとても美しいものだった。
「もう一度だけ会いたいなぁ...」
微かな記憶を思い出しながら、彼女は静かにその瞳を閉じた。
国連宇宙軍士官学校にて
「では、ゼートゥーア略戦の概説を行う。」
そこにてとある人物が講義を行なっていた、教壇に立つのは国連宇宙軍所属第一機甲師団長である
彼女は数百年前まで
「諸君も知っての通り、大凡400年ほど前に確立された概念だが今日なお有用であるのは言うまでもないだろう。」
語られる言葉は、何度も叩き込まれた既知たる概念。
「発案者の遂行実績の完全再現性が存在しないため、理論の成立過程は不明な点が多い。」
...既に、その事を歴史として学んでいた。
「分かっている事は、それを最初から最後まで遂行したエレオノーレ・フォン・ゼートゥーアという人間が居るという事のみ。」
さくら元軍曹も第二次人類戦争からの歴史を経験している当事者、年齢としては300歳から250歳といったところだろうか。
...それ故に彼女は語れない事実があるということも知っている、あの人が何を人類に残したのかも朧気ながら察していた。
だからこそ、万感の思いを込めて呟く。
「時代が時代だが、まあ彼女の存在は世界の異常とでも言うべきか。」
いつからどこまで見据えていたか今であっても読み切れない、あの人が穏便に逍遥を過ごしているのは未来を託せたからだろう。
...今にしてようやく理解できたが、安心して後を託せるに違いない。
「決定的な未来を見据えた世界観の編纂を考慮に入れた政策及び大戦略の転換、あらゆる外敵存在からの徹底的な攻撃行動への対処案の構築。
卓越した兵站屋であり戦略家でありながら、それ以上に圧倒的な設計及び整備技師としての能力だ。」
生まれ付いての知恵の怪物が、それ以上の経験を何処かでしていた。
...悪夢というべきなのだろう、いやそんなモノは生温い、当時の関係者が彼女を理解しかねていたというのは理解できる。
単独で全人類と対等どころか、それを上回る存在だったのだ。
「彼女は世界観レベルで卓越していながら視野狭窄に陥らず、政策次元で常に思考し一卒兵として戦場を認識していたのだ。」
聞こえはいいだろう、実際彼女という存在は非常に心強かった。
戦術機甲軍団に所属してきた衛士が、その全員が彼女の様に卓越した技量を見せたかと問われても、例外は居たが、断言できる彼女が例外の中の例外なのだ。
...無論彼女に迫る人間は居た、香月博士やターニャ・デグレチャフと挙げればキリがない、だとしても彼女ほど迅速にそれを為せる人間は居なかったのだ。
「総合的な戦場認識とは物量と機動力にある、総合的な戦域認識とは兵站にある。
...彼女は理論上最も優れたそれらを全て導入する事ができていた、相反する筈のルールも捻じ伏せて。」
無限の思考資源、それはあの時代には強大過ぎる力だった。
ターニャ・デグレチャフは作戦士官であると同時に兵站の専門家だ、香月夕呼は設計及び整備技師として先鋭でありながら生命体の専門家である、だが彼女はそれら全てを凌駕していた。
単なる怪物ならば英雄を呼べばいい、残忍な魔王ならば勇者を放逐して処理すればいい。
...だが蛆のように生き残り、渡鳥の様に時と居場所を変え、聖母の様に慈悲的でありながら、神の様に得体の知れない残忍さと強力な力を持つ人間が敵になってしまった時は最悪だ。
「徹底した彼女の戦略である後方への攻撃、そして先の4度の大戦で彼女によって行われたそれは、典型的成功といえる。」
戦略規模でのあらゆる工作による世界観の不安定化、対等な頭脳がなければ敵う筈がない。
「我々はBETAに彼女に匹敵する頭脳で現在進行形で勝利している、つまり世界観と政策そして現場行動の勝利である。」
純粋に盤石な体制を築き、敵が壊滅して勝っていたに過ぎないという事実。
...言い換えれば、存在しうる限り神に最も近い存在が居たから勝利できたという現実。
それでいいのだ、我々は彼女と並んだのだから。
人類の強み、それは頭脳の数と多様性だ。
あらゆる優位によって、上位の視点での勝敗を許容しうる優勢の確保である。
「今回は1928年豪州にて行われたダーウィン戦略軍演習を題材とする、彼女が操る戦力の10倍の戦力でその陣地を制圧するのが題目だ。
ターニャ・デグレチャフは3倍の兵力で、机上演習にて香月夕呼は5倍の戦力でそれを為した。
諸君らの任務は同数の戦力にて彼女の操る部隊に勝利する事だ、過去に3名のみ達成したこの演習、諸君の奮起に期待する。」
彼女に並ぶ将官人材の育成、BETAに勝利し続けるため、その戦争に備えるために皆は日々を生きるのだ。
ハッピーエンドなんだよなぁ