メダリストはエゴイスト   作:モリブデン42

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最高表現(トップパフォーマンス)

『愛西ライドFSC 岡崎いるかさん 129.98 総合得点 202.2 現在の順位は1位です』

 

「いるか……お前は最高だ……最高にカッコいいよ」

「げ、なんで泣いてんの?」

 

 いるかの勇姿に思わず涙を流す五里。怪訝な目をしながらも、いるかの口元は喜色が隠せないでいた。

 キスクラを降りて、いるかはさっぱりとした表情で髪をかき上げる。

 

「演技をしてて分かったよ。私は、『悪意』というストレスの中で、最高の演技が出来る人間だってこと。苦しかった私の過去はかけがえのない私の財産だった」

「いるか……」

「コーチ、私はもう大丈夫。傷つきながら、それでも前に進む選択が出来たから」

 

 ありがとう、といるかは告げた。

 五里はまるで娘が親元を離れる様な、切なさと嬉しさの中で、感情が爆発した。

 

「いるか……お前って奴は、お前って奴はァ……」

「いつまで、泣いてんのさ」

 

 いるかはふと、こちらを真剣な目で見つめる唯に気づいた。

 

「それに気づけたのはお前のおかげだ、唯」

 

 自分を苦しめた彼女を、宿敵と認める。喰って喰われて喰い合っての健全な関係が築かれる。

 今日はまだ途中経過に過ぎない。

 いるかはそっと、ジュニアに参入してくる唯に思いを馳せる。

 

「闘りあおう、唯」

 

 

――――――

 

 

「ふうん」

 

 唯は不満そうに、それでも納得したようにそのアナウンスを聞いていた。

 

「唯ちゃん」

 

 声をかけたのは光だった。黒い衣装に身を包んだ光が、慎一郎を伴いながら、わざわざ唯の前に姿を現す。

 

「なにさ、声かけてる余裕があるわけ?」

 

 唯は挑発的に光に笑いかける。光もそれを真正面から受け止めて、真剣な表情のまま唯を見つめる。

 

「どうしても言っておきたくてね」

「ふん」

 

 唯もその表情を見て、光の言葉を察する。

 

「まあ、全日本ノービスで負けて、コーチが離れて色々あったけど、それを経て私は新しい自分になれた」

「コーチに捨てられたと思ってピーピー泣きそうだった奴が良く言うよね」

「それも経て、だよ」

 

 光はちらりとキスクラを降りたいるかを見つめる。

 

「色々考えたんだ。私は今何がしたくて、何をすべきなのか。コーチは私に自分だけの『衝動』を手に入れろと言ったけど未だにそれは掴めていない」

 

 光は掌を見つめると、そっと拳を握る。

 

「それでもひとつ言えることがある」

 

 眼前の獲物を狙う狼のように、光は目を細める。

 

「今は唯ちゃんを喰いたい」

「やってみな、私が毒になるか、薬になるか。しっかり嚙みつきなよ捨て犬が」

 

 

――――――

 

 

(いるかさんを見ていて分かった。『自由』と『不自由』。コーチの真意が)

 

 夜鷹は、光を『自由』にするため、彼女の元を去っていった。その真意を唯から聞いて、そしているかの演技を見たことで完全に理解した。

 

(これは精神性(メンタリティ)の問題なんだ。いるかさんは悪意という『不自由』の中で、それをはねのける力を発揮した。なら、私はどうだろう)

 

 何を選ぶか、何を捨てるか、すべては思いのままに。狼嵜光という人間は、束縛から解放されたことで真の力を手にした。

 

(私は今何をしたいか。それを決めるのは私でありたい)

 

 今でも思い出す。全日本ノービスで敗北を喫したこと。夜鷹が、自分のもとを去った時の苦しさ。

 でも、それと同時に道が開けた。

 氷を舞う夜鷹に拘らず、獣たちの演技を取り込むことができた。

 

(いのりちゃんは喰えた。次は、唯ちゃんの番だ)

 

 今までなら、演技構成は現在1位であるいるかを越えることに固執していただろう。自分にとっては結果こそ全てで、万が一にも1位をとれないなどあってはならなかったからだ。しかし、一度の敗北、その絶望が光をその縛りから解き放った。

 

(私は『自由』だ……)

 

 光の演技は、繊細に揺れるピアノの音色とともに始まった。

 

『la cage aux oiseauxより 箱庭のバレエ』 

 

 夜鷹純の曲と言われた曲、幽閉されたバレエダンサーの物語だ。

 あるピアニストと出会い、部屋の外へ抜け出すが、自由なはずの外の世界で人と生きることに苦しむ。

 

 かつて全日本ノービスでも使った曲、光が夜鷹純になるために使った曲を今、もう一度。

 

 バレエの動きを丹念に取り入れながら、光は氷の上を軽々と舞っていた。バレエの動きが、技と技の間を淀みなく繋いでいき、光の作る世界をさらに色づけていく。

 

(まだ、足りない)

 

 いるかの演技を参考に、頭を大きく振りながら、バレエダンサーの自由を体現する。腕が空を切りながら、美しく泳ぐ。

 

(唯ちゃんを理解できるレベルにまで、ぶっ飛ばなきゃ)

 

 いるかの演技は唯を理解したがゆえに歪んだ。その歪みを、いるかは押しつぶして、形を整えて、新しく武器にした。

 そんな、いるかの演技を通して、唯の演技を逆算していく。演技に何か通ずるところがあるのか、想像以上に馴染んだ。

 

(なぜ、いるかさんはあんなにも苦しんだのか。唯ちゃんの演技がどんな影響を及ぼしたのか)

 

 『適応能力の天才』である光だが、ジュニアとして経験と思考を積んできたいるかの分析力にはやや劣る。いるかには見るべきものだけに当たりをつける勘が備わっていた。それを持たない光は一つ一つ考えていくしかない。

 

(唯ちゃんの演技は何のためのものか)

 

 唯は、五感を通じて演技に『心』を投影して、世界を形づくる。そんな彼女の演技は見たものの『心』に刻まれて、影響を及ぼす。潔唯という少女を、理解させる演技。

 

(本質はきっと紅熊選手と同じ……自分の能力を使い尽くすという所にあるはず)

 

 であれば、こうだろうか。

 『心』とは、『才能』そのものと仮定すると、『才能』を使い尽くすことが世界を作ることに繋がる。

 光はそう理解した。

 

(だったら!)

 

 エッジを深く倒して、腕の力で反動を作りながら、片足でターン。

 カツンと氷を突くと、そのまま刃をたてて加速。

 想定よりも一歩速く加速の到達点に辿り着く。そのまま、後ろに足を振り上げ、降ろす。

 高く、早く、遠くまで。

 今までの光のジャンプより、一段階難易度を上げた跳び方。

 

 4回転トウループ+2回転ループ 着氷

 

(こんな感じで、唯ちゃんを『合理化』していけば!)

 

 どんな天才の奇行にも理由はある。それを紐解いて理由をつけていけば、光の武器となる。

 

(唯ちゃんを喰っ――――――)

 

「違うよ、光」

 

 『心』の内に宿った『異物()』が告げた。

 光の演技は淀んでいると。

 

 

――――――

 

 

「演技が淀んだ、読み間違えたね光」

 

 唯はリンクを見つめながら、唯の演技に陰りが生まれたことを確認する。そして、それが自分の演技によるものだと確信した。

 

「読み間違えたって?」

 

 光の演技を見るために観客席を陣取った唯についてきた司が尋ねる。

 

「んーなんていうんでしょう」

 

 唯は自分の感覚を言葉にするために頭を捻った。

 

「光は多分、私のような自分型……天才型の行動を自分に落とし込むために、合理性を見出そうとしてるんです。勿論、それがかみ合う瞬間もあるけど、それじゃ説明できないこともある。自分型の軸は基本、他者には理解できない身勝手なものなんですよ。だから無理やり合理性を見出そうとすると歪んでしまう」

「唯さんは……どんな理由であの演技をしたの?」

「私?私はですね?」

 

 司が尋ねているのはあの『心』を曝け出す演技のことだろう。自分を曝して、他者に刻み込んで、一体何がしたいのかと。

 司に聞かれると唯は楽し気に答えた。

 

「私の演技の影響を受けて、誰かの世界が歪む。もしかしたら、折れるかもしれない。逆に強くなるかもしれない。そして強くなった演技にぶつかって、さらに私はそれを喰う。それをまた喰わせて、強くなって、喰らい尽くして、高めあう」

「えっと……つまり、自分を餌にして、他人の『最高』を更新して、それをさらに自分を高めるための餌にするってこと?」

「はい、私の演技は誰かのために。誰かの演技は私をさらに高めるために。喰い尽くされるまでそれは一生続く。勿論、他者に自分を刻み込むこと自体に快感を感じてるっていうのも理由の1つですけど」

 

 その過程で、一体どれほどの屍が積み上がるのだろうか。司はそんな喰い散らかされた選手たちを想像して、ゾッとした。

 最後は全てを自分を高めるための餌にする。しかし、誰かを高めるための演技というのは、どうあがいても合理性とがかけ離れたところにあった。

 

「さあ、気づいたでしょ?光……どう出る?」

 

 

 

――――――

 

 

(あり得ない、あり得ないでしょ!?他者を高めるための演技なんて)

 

 無論、自身を演技に投影する過程で、唯のパフォーマンスが著しく向上していることも事実だ。他者に自分を刻み込むことを快感として、自分が更新されていく感覚に熱を感じる。

 しかし、そんな技術理論を超越した理屈は光にとっては、理解しがたいものだった。

 きっと、いるかはそんな狂気にも近い循環の輪に無理やり入れられたことを感じて、恐怖を覚えたのだろう。

 

(私には、出来ない……唯ちゃんの理屈を、取り込めない!唯ちゃんを喰えない!?)

 

 思考の錯誤を自覚すると、前後を失ったような浮遊感に一瞬襲われる。

 漲っていた力が抜けていくような虚無感、唯を喰おうとして逆に喰われるという現実が光の心に影を落とす。

 

(それが……どうした!)

 

 しかし、『適応能力の天才』は折れない。

 

(唯ちゃんを喰えないなら、喰えるように自分自身と目標を再設計すればいい!何度でも!何回でも!生き足掻くんだ!)

 

 一度積み上げた知見を破棄して、新しく辿り着いた結論に適応する。

 他者を高め、自分の贄にする唯の思考。それ自体をトレースすることはできない。

 唯の行いは合理性ではたどり着けない、狂気の沙汰ともいえる道の先にあるものだからだ。

 

(私がやるべきなのは、唯ちゃんの演技にどう向き合うか、その答えを出すこと)

 

 唯に向き合う、それは同時に唯の作る捕食の輪に入ることを意味していた。

 

(私が唯ちゃんを喰って、そんな私を唯ちゃんが喰って……いいよやってみなよ。一生付き合ってあげるよ)

 

 光がそう決意すると同時に、胸の内で暴れていた激情が治まっていくのを感じた。決して熱が冷めたという意味ではなく、激情を支配下に置いたという意味で。

 

(『感覚』で戦う唯ちゃんに『感覚』で戦うな、私は『合理性』に全振りする)

 

 『合理性』による演技、それが光の出した結論だった。

 それは奇しくも、唯が全日本ノービスでたどり着いた結論と同じである。

 

(『合理的』に、感情を排して、私の演技の最高を引き出す!)

 

 バレエの動きの中に、ピアニストのような動作が組み込まれる瞬間がある。

 その動作に至るまでをゆっくり見せつけるように、緩慢に。同時に、ピアニストがバレエダンサーを連れ出すように大手を振る。解釈の余地を演技の至る所に点在させる。

 音と動作がはまる瞬間がある。

 その瞬間を逃さずに、ステップを組み込み、ハッとするような爽快感を与える。

 

(自分を使い尽くす……)

 

 光の『超越視界(メタ・ビジョン)』が、光の動作を少しずつ矯正していき、線を引くように次の動作を示す。

 それをなぞる、だけでなく、視界が示した動作の結び目をポイントとして、その中に技と解釈をふんだんに埋め込む。

 情報の暴力だった。

 詰め込まれた情報は、煩雑としたようでいて、散りばめられたポイントを無意識に結ぶと不思議と納得させられる説得力がある。

 

 光が加速と同時に、左足を後ろに振り上げた時だった。

 整然と並べたてられた情報を読み解くことに必死だった観客は、次の瞬間そのすべての思考を放棄した。

 

 悠然と左足が振り下ろされる瞬間を、観客は何も考えずに見つめていた。

 統制された動き、そのすべてが美しいと感じる異常。

 小さな体躯が宙を回る。思考を空白に誘う静かなジャンプ。

 

 4回転トウループ着氷

 

 

――――――

 

 

「まだ、足りないよ」

 

 唯は、周囲が思わず距離を空けるほどの圧を出しながら光の演技を見つめていた。

 手を組む仕草は祈る人間のそれだが、そんな表情ではない。獲物を見つけ、練り上げられた集中力が僅かな肉体の挙動も見逃すまいと取った姿勢であった。

 光の演技が、自分へ向き合うための『合理的』なものに変わったことを理解し、ギラギラとした目でリンクを見つめる。

 

「あれは確か……」

「はい、理屈としては私が全日本ノービスでやったものと同じでしょう」

 

 自分型であることを自覚せぬまま、適性外の演技をした苦い思い出。しかし、今目の前に映っているのはそれの完成系だ。

 世界型である光なら、自我を捨て、自分を使い尽くす演技に没頭しきることができるだろう。

 

「でもそれじゃな足りない、私の通過点をなぞるようじゃ私は喰えない」

 

 後、何か1つ。

 唯を喰うために、光に求められるものはなんであるのか、それは唯自身理解していない。

 自身の勝利を渇望しながらも、超克する宿敵を望むという矛盾した心理が唯の心に蠢く。

 

「最後の欠片(ピース)は……」

 

 

 

――――――

 

 

 演技の終盤を迎えていてなお、光の集中力は高まり続けていた。

 『合理性』という絶対的指針を手にしたことで、淀みなく自分を使い切ることが出来る。

 しかし、それでは足りないという確信が光にはあった。

 

(唯ちゃんを喰うための最後の欠片(ピース)……)

 

 張り詰められた神経と、消耗した体躯がその答えを告げていた。

 光は息を呑む。

 

(やってやる……乗ってあげるよ!その勝負!)

 

 最高の演技のための機械になった光が、それでもなお自分の最高を更新するために必要な要素が1つだけある。

 

(演技のために全てをそぎ落とした……それでもなお、足りないモノがあるとするのなら)

 

 疲労で震える脚を強く踏み込むと、応えるように勢いが返ってくる。

 

(答えは既に知っていた……)

 

 あの日の敗北を思い出す。友が自分を破り、さらにそれを新星が追い抜いて行った。

 忘れた瞬間などない、あの日から自分は答えを知っていたはずだった。

 

(『運』を掴め……)

 

 それが、光に与えられた最後の欠片(ピース)

 

(私を下した2人の演技が、私に翼を与えた)

 

 やり方は知っている。自分の限界のギリギリを攻めた演技。

 『運』が降ってきたその瞬間を、決して逃さないための演技。

 

(行くよ、唯ちゃん!いのりちゃん!)

 

 『合理性』に則って、最高点が生まれる演技を設計する。それをさらに塗り替えるように、自分の限界値を導き出し、演技をブラッシュアップする。

 唯に対抗する『合理性』、いのりの演技から得た『運』への賭け。

 

 左足の小指を起点に、圧力が集約する。

 体で前面から風を受けながら、それを制御するように体を泳がせ、逆風を掻い潜る。

 優雅に宙を舞いながら、さらに高く、さらに遠くへ。

 

 3回転アクセル+3回転ループ 着氷

 

 『運』は成ったのか、否か。

 唯を喰ったのか。いるかに勝ったのか。

 果たして結果は。

 




ようやく、全日本ジュニア編が終わりそうです。
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